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『ハワイの“ローハイド”たち』

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念願だった乗馬での聖なる谷ワイピオバレー散策を終え、いよいよ最大の目的地、あのNiuli’i(ニウリイ)へ向かう。

 
ワイピオバレーからホノカアへ戻り、再び19号線に入る。途中、ワイメアで昼食をとった。ここはパーカー牧場の中心となる町で、ステーキが絶品なのだ。かつて個人所有としては世界一の広さを誇っていたパーカー牧場は、東京23区がすっぽりと入ってしまうほどの広さ。飼育されている牛は現在、およそ26,000頭いるという。

 
ハワイに、広大な牧場で牛を追いかける“ローハイド”さながらのカウボーイがいることは、あまり知られていないのではないだろうか。私がヒロに住んでいた70年代は、ワイメアの町を歩いているとその辺からクリント・イーストウッド扮するロディ(『ローハイド』での役名)がひょいと顔を覗かせそうな雰囲気があったが、現在は近代的な町並みに変わっている。

 
1793年、カメハメハ大王はイギリスのジョージ・バンクーバー(イギリス海軍士官(艦長)で探検家として知られている)から牛5頭を献上された。それまでハワイには牛がいなかったため、牛は「大きな豚」と呼ばれ貴重な動物として大切に保護された。ところが温暖な気候と豊富な牧草という好条件の下、牛は急激にその数を増やし、結果、周辺の住民に甚大な被害を与えるという思いもよらぬ状況となった。

 
1809年、ミシシッピ出身の船員ジョン・パーカーはハワイの魅力に惹かれ、若干19歳のとき船を降りハワイに留まることを決心。その後カメハメハ大王の信頼を得たパーカーは29歳でカメハメハの孫にあたるキピカネと結婚し、広大な土地を与えられる。さらに牛の管理を委託されるが、牛の捕獲に苦労した。そこでカメハメハ三世はカリフォルニアから3人のメキシコ人カウボーイを招集した。スペイン語を話す彼らは、『エスパニオル(スペイン人)』と呼ばれ、それが現在の『パニオロ(カウボーイという意味のハワイ語)』という名の所以だ。

 
ジョン・パーカーは、それまで厚く保護されていた牛を最初に屠殺することを許され、牛肉を塩漬けにして輸出し膨大な利益を得た。その収益でさらに土地を買い集め、当時としては世界最大の個人所有の牧場を築き上げた。私は何度かパーカー一族が住んでいた家を見学したが、世界最大の牧場の所有者にしては、意外に質素な造りだったことを覚えている。

 
その後パーカー牧場は6代目まで続いた。5代目テルマのときマネージャーとして働いたカーターは、馬の繁殖にも力を入れ、中でも優秀な馬は日本の皇室に売却されるほどだったという。しかし第二次世界大戦が始まると、硫黄島や沖縄攻撃への太平洋中継基地として、ワイメアは急激にその役割を変えていった。

 
パーカー一家最後の6代目リチャード・パーカー・スマートは歌や演劇の世界に強い関心を持ち、ほぼ30年にわたりヨーロッパやアメリカ本土のクラブで歌い、またブロードウェイの舞台にも立った。1960年ハワイに戻ってきたリチャードは、牧場の多角経営により得た巨額の富でワイメアに劇場を建設したりして、現地の人々の生活向上に貢献した。しかし1992年ガンでこの世を去る。その後、財団が立ち上げられ、パーカー牧場の経営がゆだねられた。
パーカー牧場で働くパニオロは、牧畜技術のみならず、ハワイの文化に大きな影響を与えた。本土から持ち込んだギターを片手に、彼らはカントリーウェスタンならぬ、パニオロ・カントリーソングを歌う。

上記の動画で、カントリーソングでは大御所のドリー・パートンが、パニオロ・カントリーソングの大御所メルビン・リードと『パニオロ・カントリー』を歌っているが、その映像の中につづられるパニオロの活動の様子は、大変興味深い。

 
遅いランチを済ませ、島の西海岸に向かって下りのくねくね道を進む。雨が少ないせいかこの道路の周辺にはサボテンが多く見られ、ハワイとは程遠いメキシコにでも迷い込んだ感じだ。さらに進むと途中から突然美しい海が彼方に見え始め、海岸線にぶつかる。そこから270号線に入って北上していくとコハラ地区へ。いよいよ目的地、ニウリイが近づいてくる。

 
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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
【最近の私】
昨年11月に予定していたハワイ旅行は、私の骨折でドタキャンに。状況が整い再び実行へ。ハワイで待っている日系二世、三世の方々にお会いできるのが、本当にうれしい。

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 第46回 王家の谷の静寂を乱したのは・・・

 
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