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明けの明星が輝く空に 第102回『キング・コング』

明けの明星が輝く空に 第102回『キング・コング』
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【最近の私】最近、円谷英二氏関連の記事を続けて書いたので、円谷氏に大きな影響を与えた『キング・コング』を、じっくり観たくなった。それにしても、古い映画は役者が早口だ。昔の人のしゃべり方がそうなのか、単に演技のスタイルなのか。そう思っていたら、面白い記事を見つけた。興味のある方は、こちら

 

「南洋幻想」という言葉がある。南の海や島に対する憧れや幻想のことだ。たとえば「南海の孤島」という言葉からは、多くの人が「ジャングル」や「探検」、「未知の生物」などを連想するだろう。そういったイメージを取り入れ、巧みな演出で“異世界”へといざなって・・・・・くれるのが、映画『キング・コング』(1933年)だ。

 
主な登場人物は、ヒロインのアンのほか、アンと恋仲になる船乗りのジャック、そしてコングを撮影しようという映画監督のデナム。物語の序盤、彼らがコングのいる島へ向かう途中で、その島の具体的な情報が明らかにされる。それは、「島民たちは古代文明が建造した壁によって、恐ろしい何かから守られている」というものだった。この場面のおかげで、映画の緊張感が一気に高まり、観る者を引き込んでいく。

 
やがて海上は濃い霧に包まれ、それが晴れると島影が現れる。この霧はただの自然現象で、特別な霧ではないが、一つの演出効果をもたらしている。それは、“時空のトンネル”となって、現実世界と異世界をつなぐことだ。この場合の「現実世界」は、作品の舞台である1930年代のアメリカだけでなく、映画の鑑賞者が暮らす世界も含まれる。僕らは、登場人物たちと一緒に異世界にワープするような感覚を持つことで、物語のファンタジックな世界を受け入れやすくなるのだ。

 
登場人物たちが島に上陸して以降、主役であるコングの独壇場となる。アンをさらい、肉食恐竜と戦いを繰り広げ、巨大な壁の門を押し破って島民を襲う。有無を言わせぬ圧倒的な迫力だ。コングの大暴れはニューヨークでも続き、いわゆる“センス・オブ・ワンダー”に満ちた映像のオンパレードによって、まるで催眠術にでもかけられてしまったかのように、コングが本物の生き物に見えてくる。

 
もちろん、その大前提として、コングの動きが自然だということを指摘しておきたい。ウィリス・H・オブライエンによるストップモーション・アニメは見事で、コングは人形とは思えないほど、自由に動き回る。そして、その一つ一つに意味があり、それがよりリアリティを感じさせるようになっている。中でも驚かされたのが、恐竜との戦いに勝った直後、倒れた敵の顎をつかんで、開けたり閉じたりする場面だ。そういった行動を取るのは、「命」や「死」というものを理解しているからだろう。そこにゴジラやガメラにはない知能を感じさせるが、その一方、無防備に恐竜の顎をつかむ姿はまるで無邪気な子どものようでもあり、コングの頭脳の限界を示している。人間の大人なら誰でも、もっと慎重な方法で確かめるだろう。オブライエンはこの場面で、コングの知能レベルを見事に表現しているのだ。

 
映画のクライマックスは、コングがエンパイアステートビルに登った場面だ。戦闘機の機銃で撃たれたコングは、傷口に触れ、手についた血を眺める。その姿に、もはや怪物の面影はなかった。急に弱々しくなった表情は人間的で、憐みさえ感じさせる。そして、ジャングルの王者は力尽き、数百メートル下の地面に落下していく。

 
絶命したコングを取り巻く人々の中に、デナムがいた。警官が彼に「飛行機がコングを仕留めた」と言うと、「いや、飛行機じゃない。美女が野獣を殺したんだ」と答える。最初はなんとなく「しゃれたセリフだな」ぐらいにしか思わなかったが、実はこのセリフにこそ、『キング・コング』という物語のテーマが表れていた。

 
映画の冒頭で「アラビアの諺」が映し出されるのだが、その内容は「野獣が美女に会い、抜け殻のようになる」というものだ。劇中、デナムが考えている新作映画のプロットも、基本的には同じだった。「抜け殻のようになる」ことは、「野獣」にとっての「死」と言えよう。つまり、「美女が野獣を殺す」ということが、映画の中で繰り返し語られるのである。そして、この「野獣」とは、人間の男のことだと解釈してもよさそうだ。それは、アンに惹かれ始めたジャックに対し、「堅物が、美人に会って優男になる」と、デナムが警告していることからも察せられる。

 
コングは、ジャックが救出したアンを奪い返そうとしなければ、人間に捕らわれることはなかった。美女を追い求める心が、身の破滅を招いたのだ。『美女と野獣』のビーストとは正反対の結末であり、コングはジャックという恋のライバルにも敗れたみじめな存在だ。“同じ男”として、なんだかコングが愛らしい存在に思えてきた。

 

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
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明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る

 
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