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やさしいHawai’I 第66回 「オフショアのリーフ・ランウェイ」

やさしいHawai’I 第66回 「オフショアのリーフ・ランウェイ」
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【最近の私】このところ、ハワイ関係の方とお話したり、昔のヒロの日系二世の友人に電話をしたりと、懐かしい思い出に浸る機会が続きました。やっぱりいいですね~。ハワイは大切な心のふるさとです。

 
ハワイを訪れる日本人が年間どのくらいいるのか、皆さんはご存じだろうか? 
ハワイ州観光局情報によると、2016年はおよそ137万人だったそうだ。これだけ多くの観光客のほとんどがオアフ島のダニエル・K・イノウエ国際空港(以前はホノルル国際空港と呼ばれていた)へ降り立つ。その直前、機内の窓から目にするのがリーフ・ランウェイと呼ばれる、海岸沖のサンゴ礁の上に建設されている滑走路だ。今回は、この滑走路がどのような経緯を経て建設されたのかをご紹介しよう。

 
私がハワイで生活を始めたのは1972年。それからおよそ3年半の間、ハワイ島のヒロとオアフ島のハワイカイで過ごした。夫は土木技師だったからか、’72年当時、論議を呼んでいたホノルル国際空港の新しい滑走路建設の行方に関心を持っていた。『環境にうるさいアメリカが、なぜサンゴ礁を埋め立ててまで新しい滑走路の建設を認めたのか?』という疑問を感じていたそうだ。実はこの話を夫とした直後に、滑走路の工事開始は環境問題によってとん挫していた。

 
もともとホノルル空港は米海軍と共同で使用されていたが、米本土とホノルル間の定期便が就航(1947年)したこともあり、海軍の滑走路とホノルル空港の滑走路を繋げる工事が行われ、1951年に完成した。全長13,097フィート(約4000メートル)に及ぶこのメイン滑走路は、1953年に正式に「世界最長の滑走路」と認められた。

 
ハワイが1959年、正式に米国の50番目の州となると、米本土からハワイを訪れる観光客が激増。客席数を大幅に増やした大型旅客機のジャンボジェットも導入されたことで、1966年当時のホノルル国際空港はパンク寸前の状況にあった。

 
そこに計画されたのが、新しい滑走路をホノルル沖合のサンゴ礁の上、すなわち海の上に建設するという案だ。ここが候補地となった最も大きな理由は、近隣住民への騒音被害を極力少なくするためと、当時のメイン滑走路を飛び立った飛行機がホノルル上空の飛行を回避するため、離陸直後すぐに右へ急旋回しなくてはならないという安全上の問題があったためだ。だが沖合から離陸すればその2つの問題を解決できる。計画の当初に懸念されていた土壌汚染や、雨水の排水制御といった問題も徐々に解決の目途がたっていった。

 
滑走路によって、外海から遮断されるケエヒ・ラグーン(地図を参照)の水質汚染も、地下排水溝を設置し、潮の循環によって汚染を防ぐ対策が取られた。

 
しかし、ここから最大の問題が持ち上がる。このケエヒ・ラグーンに棲息していた、体長35センチほどの鳥、アエオの存在だ。アエオはメキシコ原産のクロエリセイタカシギから派生した亜種で、絶滅危惧種に指定されているハワイ固有種。新滑走路の建設で、この鳥の棲息環境が悪化する懸念が取りざたされるようになったのだ。メイン滑走路をホノルル空港と共有しているアメリカ海軍は、パールハーバーの基地内にあるホノウリウリとワイアワ(地図を参照)という湖沼区域を、ケエヒ・ラグーンの代替地として提供すると発表した。
地図

 
しかし、最後に高い壁が待っていた。アエオを代替地へ移すための資金が不足し、実際にアエオを移動させることができなくなってしまったのだ。この状況に業を煮やしたハワイの著名な環境専門家で高校教師でもあるベティ・ナガミネさんが、直接ワシントンに掛け合い、アエオの重要性を訴えた結果、政府は協力を約束。合衆国運輸省、ハワイ州土地天然資源管理局、連邦航空局、合衆国海軍、合衆国魚類野生生物局という国の関係機関が資金面も含めてアエオの移動に手を貸すこととなった。

 
アエオ

その後も建設反対グループの訴えにより一時的に工事の開始が遅れたものの、1973年に新滑走路の工事は正式にスタートし、1977年についに世界初となるオフショアのリーフ・ランウェイが完成した。

 
2017年4月、ホノルル国際空港には、50年近くにわたり上院議員を務めた功績によって故ダニエル・K・イノウエ元上院議員の名が付けられた。

 
ハワイの誇りであるイノウエ氏は生前、この新滑走路建設に関して、こう語っていた。
『1977年、ハワイは世界初のオフショアのリーフ・ランウェイを完成させました。大都市から至近距離にありながら、静かで安全で、その上スペースシャトルが使用できるほど長く大きな滑走路です。このプロジェクトの最も重要なことは、合衆国政府およびハワイ州のさまざまな部門が協力し、ハワイの観光事業の必要性を認め、同時に自然保護も成し遂げたということです。ハワイ州のモットーが、まさにそれを物語っているのです。
(ハワイ語で)Ua mau ke e’a o ka ‘aina I ka pono(The life of the land is perpetuated in righteousness.「土地の命は正義とともに永遠に生き続ける」)<『ハワイ・さまよえる楽園』から、中嶋弓子訳>

 
かつてカメハメハ3世がスピーチの中で語って以来、この言葉はハワイのモットーとされてきた。これをイノウエ氏が引用した意味は何なのかを私なりに考えてみた。
『大地は永遠に、本来のあるべき姿でいなければならない。そのあるべき姿とは、自然の一部である私たちが、自然とバランスのとれた状態で、ともに共存していくこと。そのために、私たちはなすべきことをしなくてはならない』

ハワイ語は、表面的な意味のほかに様々な隠れた意味を持つ、深い言語だ。以前このコラムの58回目で、このモットーについて少し述べているので、もしご興味があれば、ぜひ一読してください。

 
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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
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やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。

 
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