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やさしいHawai’I 第67回 「150年」

やさしいHawai’I 第67回 「150年」
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【最近の私】今年の暑さは尋常でなかった。「暑いの大好き」を自認していた私だが、さすがにマイッタ! この暑さの中、毎日お仕事をしている方々に尊敬と感謝。

 
150年1

 
先日、ハワイのことをいろいろと思い返す機会があり、当時お世話になったヨコヤマさん一族との繋がりを書いたかつてのコラムを読みなおしてみた。一つひとつの文章が当時の日々を彷彿とさせる。ヨコヤマさんが長男、洋一郎を抱き上げた時の楽しそうな笑顔や、その息子が激しく泣いたとき、抱いてあやしてくれた奥さんのツルさんの穏やかな表情など、その時々の様子がよみがえり、「ああ、これだけ皆さんとの繋がりが強かったのだ」と胸がいっぱいになった。

 
今年は明治維新150年目に当たる。NHKの大河ドラマ『西郷どん』では、維新に活躍した人物が次々に現れ、他チャンネルの歴史番組でも明治維新の立役者が数多く取り上げられている。
と同時に、ハワイへの日本人移民も、今年150年目を迎える。明治元年にハワイへ渡っていったいわゆる『元年者(がんねんもの)』といわれる人たちだ。江戸から明治へと日本が大きく変わった時、日本での生活が困難を極め、どこかで一旗挙げようという夢を描いていた人々が、初めて広大な太平洋を渡って、未知の地ハワイで生活を始めた年なのだ。

 
それから150年経った今、ハワイでの日本人の存在は大きく変わってきた。日本から移住してきた一世と呼ばれる人々、そしてその子供たち日系二世の背負ってきた苦難は一言では表せない。第二次世界大戦時は、一世である親を守るべく、母国アメリカに忠誠を表すために日本を敵として戦わざるを得なかった二世たち。しかし彼らの親である一世の母国は、敵国日本という板挟みに、どれほどの苦しみがあったであろうか。

 
だが、そんな歴史を背負ったハワイの日系二世は、もうほとんど残っていない。ヨコヤマ一族は、長男のリチャード・ヨコヤマさん以下、妹が7人。その中で現在も健在なのは95歳になるヨシコ・シマダさん一人だ。健在といっても、彼女も今はケアホームに入っていて、話によると認知症が始まっているらしい。シマダさんはとっても気持ちの強い人で、階段から転げ落ち、骨折してホノルルの病院に入院しても、不死鳥のごとく1カ月後にはヒロの自宅に戻った。甥ジョージの奥さん、エミなどは、「アンティ(シマダさんのこと)は、不死身よ」とよく語っていた。もともと糖尿病で、毎朝指から採血し、血糖値を測ってお腹にインシュリンを注射することで1日が始まる人だった。夫のジョーが亡くなった時、「毎日寂しいのよ、とっても寂しいのよ」と電話で泣いていたので、私は1週間ほどシマダさんのお世話をしようと、ヒロへ行った。亡くなったジョーの寝室に私が寝た。私が行くというので、部屋の片づけをするために、シマダさんの姪にあたるジェリーが来て大掃除をしてくれたらしい。滞在した1週間、シマダさんのお医者さん通い、買い物、銀行への用事など、できるだけのお手伝いをした。ダウンタウンのバーガーキングへも行って、コーヒーを飲んだ。

 
そういえば、あのバーガーキングに毎週水曜日に通ってきたパホアのクボさんも、ご主人が癌で大分前に亡くなった。奥さんのことは分からないが、ご存命となればかなりの高齢になられたに違いない。パホアは、2014年のキラウエア火山の噴火で流出した溶岩が、至近距離まで流れてきた町だ。現在は火山活動が再び活発化し、ハワイ島の南東部分の海に溶岩が流れ込むオーシャンエントリーが起こっている。今回はパホアの町へは流れていないようだが、プナ地域の多くの住民の家屋が溶岩にのまれ、住宅を失った方々の苦しみは察するに余りある。

 
こうして、当時直接親しくしていた日系二世のほとんどが90歳を越える年齢になり、その多くが今はもういない。私たちがヒロに住んでいた1970年代は、日系二世が社会の中心で最も活躍していた時代で、良き時に皆さんと交流できたことを、本当に幸せだと思う。

 
150年2

 
今、日本では豪雨による大きな被害が出ている。その中で、『広島県安芸区』という名前を聞いて、ハッとした。そこはヨコヤマさんのご両親の出身地なのだ。シマダさんから以前その名前を聞いて、私は日本に帰国後、夫と共に広島県安芸区を訪れたことがある。ごく一般的な地方都市だったが、私たちにとってはヨコヤマ一族の日本のルーツという、特別な場所だった。今回の水害で被災なさった地域の、一刻も早い復興を心からお祈りいたします。

 
私の第二の心の故郷、ヒロ。私自身がそろそろ人生のクロージングステージに片足を突っ込んでいるが、あの当時お世話になったヒロの日系二世の方々に、何かの形で恩返しをしたいと、痛切に思うこの頃だ。

 
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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
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やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。

 
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