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第52回
パホアの友人たち

第52回<br>パホアの友人たち
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【最近の私】高校の友人たちが東海道徒歩の旅を始めた。常に参加しているのは3人ほどで、あとは随時ゲストが加わる。今回は浜松の鰻重につられて参加しようと張り切っていたが、突然の爆弾低気圧のおかげで、参加をキャンセル。残念無念!!
 

パホアにあるカワイビルディングに夫の現場事務所があったことは、前回紹介した。そのビルディングの隣には、トマ・ベーカリーというパン屋さんがあった。オーナーのトマ(苫)さんは、毎日朝早くからパンを作る働き者だった。人気のパンはほんのり甘いスウィートブレッド。はるばるヒロからもこのパンを求めてくる人がいたほどで、夫も仕事の後によくこのパンを買って帰ってきた。ベーカリーの店の片隅では簡単なランチ定食もやっており、夫はそこで時々魚のフライ定食などを食べていたらしい(ほとんどは私がお弁当を作っていた)。当時トマさんは50代半ばぐらいで、お腹がちょっと出たメタボで小柄な人だった。一度トマさんが心臓の発作で入院するという騒ぎがあった時、やはりメタボ系の奥さんがパニックになって泣き叫び、大騒ぎになったことがある。その時夫は「あれほど年配の夫婦でも、何かあればこんなにに悲しむのか…」と思ったそうだ。彼は分かっていない。長く生活を共にしてきたからこそ、互いの存在がかけがえのないものになるのではないか。
 

ハワイ島日本人移民史』に出ているトマさんの名前。

ハワイ島日本人移民史』に出ているトマさんの名前。


 

その後サトウキビ産業がすたれ日系人の数も少なくなり、町も大きく変化した。ヨコヤマさんが健在だったころ、一緒にパホアを訪れたことがある。町はすっかり雰囲気が変わっていた。行きかう人のほとんどがヒッピー風の白人。彼らはサイケデリックな色とりどりの絵を描いたTシャツやアクセサリーを通りがかりの観光客に売っている。そんな雰囲気に、ヨコヤマさんは道ばたに車を駐車することさえも躊躇している様子だった。しかしこの新しいパホアの住人達は、古くなった建物を修理したり塗装しなおしたりして、ゆっくり時間をかけて町を作り変えて行った。古ぼけていたカワイビルディングもきれいな緑色に塗り替えられ、真新しい姿に変わった。
 

カワイビルディングの隣には『アケボノシアター』という映画館があった。1919年に建てられたハワイ州の中でも最古の映画館の1つだ。現在もこのシアターは残されているが、今は映画館ではなく、ライブやパーティー会場などとして使われているようだ。
 

左手前に見える夫の事務所があったカワイビルディングは、 新しく緑色に塗装された。右隣にあるのがアケボノシアター

左手前に見える夫の事務所があったカワイビルディングは、
新しく緑色に塗装された。右隣にあるのがアケボノシアター


 

当時パホアには、ヨコヤマさんと交友があったキベイ(アメリカから日本に留学し、その後再びアメリカへ戻った日系人)のIさん(18回参照)、アンセリウムの栽培をしていたハシモトさん(16回参照)、そしてヨコヤマさんの妹、シマダさんを通して知り合ったクボさん(31回参照)などが住んでいた。今ではかなりの高齢なはずで、彼らがまだ健在かどうかはわからない。だが溶岩がパホアの町へ向かっている以上、私は気が気ではない。毎日インターネットで溶岩流の情報をチェックし、友人たちの家が無事かどうかを調べている。現時点ではパホアの町の中心へ向かう溶岩流は勢いを失い、ポストオフィスのすぐ隣に住んでいるクボさん宅は被害を免れそうだ。だが、新しい溶岩流が少し北寄りに流れ始め、アンセリウム栽培で成功したハシモトさんの立派な家が危険にさらされている。
 

左奥に見えるのがカワイビルディング。道の奥には 溶岩流が周囲を燃やしている煙が見える

左奥に見えるのがカワイビルディング。道の奥には
溶岩流が周囲を燃やしている煙が見える


 


 

火山には火の女神ペレが住んでおり、彼女はご機嫌が悪くなれば噴火して溶岩を流す。これは神と自然のなす業で、人々は逆らうことなくそれを受け入れ、共存しながら生きている。ハワイで生きるということは、こういうことなのだと思う。

 
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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
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やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす

 
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