第22回 :スペイン+放浪記 その8(グラナダ編)
【最近の私】日中は19度。人生で初めて暖かい冬を沖縄で迎える。年末年始、忘年会、年賀状…。東京でのあの感覚が、不思議と全くない。
Quien no ha visto Granada, no ha visto nada.
というスペインの諺がある。
直訳すれば「グランダ見ずして、何も見ず」。つまり「グラナダを見ずして、スペインを見たと言うなかれ」という意味だろう。
スペインの名所と言えば、アルハンブラ宮殿がその一つ。この宮殿の魅力を求めて、世界中のVIPや著名人を始めとする訪問客が後を絶たないらしい。イスラム建築の最高峰と称され、諺に残るくらいの名所なのだから、と私のアルハンブラ宮殿への憧れや期待は渡西前から高まっていた。スペイン滞在中は、何がなんでも世界遺産に登録されているこの城塞に行くぞ!と決めていたのだ。
■ちょいと予備知識を
アルハンブラ宮殿のあるグラナダ市は、スペイン南部に位置し、シエラ・ネバタ山脈のふもとに広がる「ベガ」と呼ばれる肥沃な平野にある。宮殿は赤土の小高い丘の上にそびえ立ち、グラナダの町を見下ろしている。そして、スペインにしては珍しく緑に囲まれている宮殿だ。グラナダは、このベガの恩恵にあずかった水資源に恵まれた町なのである。
観光PR用の写真でよく見かける宮殿は、ダーロ川を挟んで、アルバイシン地区から撮影されたものが多い。城塞なので、敵からの侵入を防ぐため、川を挟んだり壁を高くする手法はどこの国も似ている。(参考:第19回 :スペイン+放浪記 その5<ポルトガル編>)
このアルバイシン地区は白い壁の家々や石畳が美しいエリアで、イスラム教徒が住んでいた歴史のある地区らしい。
イベリア半島は宗教戦争が繰り返しおこなわれてきた歴史がある。南下すればするほどその混在ぶりが色濃くなっていく。ここグラナダを含めた南部は、北アフリカから北上したイスラム教に支配され、華麗なイスラム文化が開花することになった。1492年キリスト教徒軍による、アルハンブラの無血開城まで戦火の歴史は続いた。
落城に際して、キリスト教徒率いるフェルナンド王とイサベル王のカトリック軍が、この城に足を踏み入れた時、その美しさに心を奪われた、と聞いたことがある。イスラムの象徴であったこの城を残すことに、どんなあらましがあったのだろうか。宗教の垣根を越えた思いがあったのだろうか。それから500年余りを経て、その美しさを今の時代の我々が共有するとは、両王は想像しなかっただろう。
■ふじちゃ~ん、スペインに行くよ
40歳をすぎた無謀なスペイン留学を志した私を支えてくれた、東京生活の元同居人Tちゃん。そのTちゃんがスペインに遊びにくることになった。私が帰国する1か月前だったので、大学の勉強や映画鑑賞と多忙ではあったが、Tちゃんが来るのであれば、予定をこじ開けてでも対応せねばならぬと張り切るのであった。
Tちゃんが来西する前に、私はスペイン南西部やポルトガルの城塞都市、セビリア、コルドバに訪れていたため、スペイン国内の旅にこなれていた。そのため、高速鉄道のRenfe(レンフェ)やホテル、アルハンブラ宮殿の予約などを、インターネットでスイスイとこなしていた。(事前に準備できないところはタクシードライバーやホテルの受付に聞けばいいや)。そんな風に、旅慣れたハポネサ(日本人女性)になりきっていた。
マドリード=バラジャス空港にTちゃんを出迎えて、お決まりの抱擁を。そのまま、グラナダ行きの高速鉄道を乗るべくRenfe(レンフェ)が待つAtocha(アトーチャ)駅へ向かう。旅の疲れや時差ボケも何のその、目にするモノ全てをカメラに収めようとパワー溢れるTちゃんであった。この旅への彼女の期待は想像していた以上に高い。
グラナダに夕方到着し、街の中心街でバルのハシゴをする。酒好きのTちゃんは満足気。翌日は、アルハンブラ宮殿の訪問が午後3時からのため、午前はゆっくりとカフェで過ごす。そして2人はタクシーに乗り「アルハンブラ宮殿の受付窓口まで」と告げた。ところが、降ろされた所は木々に囲まれた登坂の門前だ。
「ここを登れば受付があるよ」
若いあんちゃんドライバーは私たちにそう告げた。
人の気配がそんなに無い。午後なので日差しが強い。ところどころにベンチがあるだけ。不安にかられながらも、とにかく言われた通りに登る。15分くらいすると団体客の一行が見えた。受付の場所を尋ねると、何と。ここは宮殿の出口だった…泣。
「あいつ…」、心で叫ぶ。
Tちゃんは時差ボケと暑さから、ぐったり気味だった。そこから受付まで、ぐるーっと迂回しなければならなかった。トボトボ歩くとようやく人だかりが見えた。
「あー、ここだ!」と案内役としての役不足を少しでも解消しようと、一足先に受付窓口へ走る。
「インターネット予約であれば、自動チェックインが早い」と言われ、その場所へ出向くと、何と自動チェックインの全部の機械が故障のため止まっていた…。
さすが、スペイン…。
ようやく受付を済ませた時、時刻は午後3時をすでに過ぎていた。
青々とした庭園の写真を撮りながらゆっくりと歩いていると、スタッフが呼びかけていた。
「アルハンブラ宮殿の次の入場は、3時30分です」
「えっ、あの3時って受付を済ませる時間じゃなくて、宮殿の中に入る時間のことだったの?」
またもや不安になりながら、私とTちゃんは猛ダッシュでスタッフにかけよる。だが、予約時間をとっくに過ぎている事を理由に冷たくあしらわれてしまった。
「ここまで来て、見られないとは何ということか!」という焦りがTちゃんにも見えてきた。
「タクシーで受付入口から遠いところに降ろされた挙句に、チェックイン機が壊れていて、3時の入場がアルハンブラ宮殿の時間だとは知らなかったの!」
日本からはるばるやってきたTちゃんの視線を感じながら、私はしつこくスタッフと交渉する。
「わかった。いいよ。こっちから入って」
うるさい客だと思われたのだろうか。ぶっきらぼうに案内された通路は、スタッフ専用だった。今度は、3時30分の回に並んでいる観光客の冷たい視線を感じながら、宮殿につながる道を歩いていく。
■やっぱりこれでしょう
スペイン留学を志してから必ず行くと心に誓っていたアルハンブラ宮殿。そして、一苦労、二苦労して、ようやく訪問できたアルハンブラ宮殿。目的を達成して恍惚する自分を期待していたが、思った以上に感動は薄かった。古城や幾何学模様のスペインタイルにはすで馴染みがあったためか、過度な期待のためか、広大な世界遺産を歩き回り疲れたためか・・・。
一方で、Tちゃんは初めて目にする宮殿を脳裏にすべて焼き付けようと、忙しくシャッターを切っていた。
宮殿を出て、もと来た坂道を、今度は下る。
旅慣れたハポネサを演じきれなかった私とTちゃんは、気を取り直してバルへ向かう。そこにはマドリードであまり見かけないビールが置いてあった。その名も「Alhambra(アルハンブラ)」。無類のビール好きの私は、同じアルハンブラでも、むしろこちらに歓喜するのであった。
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Written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)
山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
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第21回 スペイン+放浪記 その7(セビリア編)
第20回 スペイン+放浪記 その6(セビリア編)
第19回 スペイン+放浪記 その5(ポルトガル編)
第18回 スペイン+放浪記 その4
第17回 スペイン+放浪記 その3
第16回 スペイン+放浪記 その2
第15回 スペイン+放浪記 その1
第14回 マドリード、映画あれこれ その3