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Tipping Point Returns Vol.33 「本物の翻訳」と出会った日

Tipping Point Returns Vol.33 「本物の翻訳」と出会った日

単純な全文訳ではない、テストでそう書いたら×になる、でも、伝えたい人のほんとうの想いがすーっと心に入り込んで、じわっと染みてくる――。そんな訳文に出会ったことはないだろうか。私にはある。出会ってから50年が経つ今も色褪せることはなく、「翻訳のあるべき姿」を考える際には必ず見つめ直すことにしている。

『手をとりあって』という洋楽をご存じだろうか。原題は「Teo Torriatte (Let Us Cling Together)」。1976年に英国のロックバンドであるクイーンが発表したアルバム『華麗なるレース(原題;A Day at the Races)』に収録された一曲だ。2018年の映画『ボヘミアン・ラプソティ』が大ヒットしたことで、クイーンは単なる‘懐かしいバンド’ではなくなった。今も「全盛期には生まれてないけど知っている。好き!」という人は少なくないだろう。

初期のクイーンは、本国や米国ではいろもの扱いだったものの、どういうわけか日本では爆発的な人気を博していた。リーダーでギターリストのブライアン・メイやボーカルの故フレディ・マーキュリーは、その驚きと喜びを様々なメディアで語っている。そんな時代に作られたバラードが「Teo Torriatte (Let Us Cling Together))」だ。お気づきだろう。邦題の『手をとりあって』は和訳でもいわゆる創作訳でもない。そのままの置き換えである。

私が「本物の翻訳」と衝撃を受けたのは、曲名や歌詞の対訳(ライナーノーツなどに付ける解説訳)ではない。オリジナルの歌詞の中に原文と訳文が同居している部分だ。引用しよう。

Let us cling together as the years go by. Oh my love, my love.
In the quiet of the night, let our candle always burn.
Let us never lose the lessons we have learned.

皆さんならすぐに頭の中に和訳が浮かぶだろう。曲のサビに当たる箇所だ。実際の歌では、このあとにもう一度同じ旋律で同じ内容のサビが繰り返される。ただし、今度は日本語だ。

手をとりあってこのまま行こう、愛する人よ。 
静かな宵に光を灯し、愛しき教えを抱き。

たった2つのセンテンス。あまりにも簡素で美しく、ため息しか出ない。曲を聴いてもらえばわかるが、溢れることも不足することもなく、元の旋律に見事に調和している。語数が完璧なのである。しかも、静かな宵「に」、光を灯「し」、愛しきお教えを抱「き」と、英語の歌詞には不可欠の韻を踏むことも忘れない。だから日本語ネイティヴではなくても歌いやすい。聴く私たちの耳にも違和感なく、はっきりと届く。

初めてこの曲を聴いた頃の私には、今のように味わい尽くすまでの知識も感性もなかったが(翻訳というのはこういうことなんだ)と衝撃を受けた。

この翻訳をしたのは、クイーン来日時に通訳を務めたChika Kujiraokaという方だという。ネットで検索すると「鯨岡ちか」という表記でクイーンやこの曲との関わりを示すものがいくつか見つかる。当時、海外のロックバンドの通訳兼アテンドについた人が、通訳業だけを生業とするプロだとは想像し難い。肩書として翻訳者を名乗っていたとも思えない。

でもこの2文は本物だ。ネット検索では鯨岡さんらしき人とクイーンのメンバーがおそらくオフの日に観光地で撮ったのであろう写真がある。クイーンを受け入れ、愛し、同時に日本と日本のファンのことを知ってほしいという想いが、その笑顔からはあふれているように見える。

彼女が翻訳という行為をどう考え、意識したのかはわからない。しかし、この仕事は間違いなく「本物の翻訳」だ。彼女の仕事は半世紀にもわたり私の心と頭の中で息づいている。きっとこれからも。だからそう断言できる。

「本物の翻訳」とは何か。それはオリジナル言語のコンテンツに対するあふれんばかりの興味、愛情、知識、そして想いや願い、時には祈りを、驚くほど簡素で読みやすい(聴きやすい)ことば置き換えて、優しくそっと差し出す行為だ。そんな想いを共有できる修了生や受講生、目指す人と共に過ごせている私は幸せだ。

きっと皆さんにも「大切にしている、理想としている翻訳」があるだろう。ぜひこの冬休みに思い起こしてほしい。思い当たらなければ、これから出会えばいい。壁にぶつかったとき、悩んだとき、乗り越えるための力やヒントを与えてくれるはずだ。(了)

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Tipping Point Returns by 新楽直樹(JVTAグループ代表)
学校代表・新楽直樹のコラム。映像翻訳者はもちろん、自立したプロフェッショナルはどうあるべきかを自身の経験から綴ります。気になる映画やテレビ番組、お薦めの本などについてのコメントも。ふと出会う小さな発見や気づきが、何かにつながって…。
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