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『ペレがパホア村のドアを“ノックノック”』

『ペレがパホア村のドアを“ノックノック”』
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先日、ヒロにいる日系三世の友人エミからメールが来た。10月7日の日付で送られてきたメールに添付されていたのは、ハワイの新聞であるトリビューン・ヘラルドのトップページ、 “キラウエアの噴火が再び活発化した”という記事だった。
 

エミから送られてきた新聞記事。 写真の右上に小さく“Pahoa”とある

エミから送られてきた新聞記事。
写真の右上に小さく“Pahoa”とある


 

ハワイ島にあるキラウエア火山は、世界でも有数の活火山だ。特に1983年以降、火山活動がずっと続いており、ハワイ島の人たちにとってはすでに日常の出来事となっている。キラウエアの噴火が始まると、ホノルルや果てはアメリカ本土からも、噴火の様子や溶岩流を眺めに、多くの観光客が集まってくる。
 

1983年に新たに噴火が始まったプウ・オオ火口から流出した溶岩は、これまでは主に島の南東部にあるカラパナ地域のブラックサンド・ビーチへ流れていった。1990年の大規模な噴火では、溶岩流がカラパナの村を襲い、住民の目の前で多くの家が炎に包まれ、多大な被害が出た。
 

第14回第24回を参照。
 

今回、エミがなぜわざわざこの新聞記事を送って来たのかと、なんとなく不思議に感じた私は、送られてきた写真を良く見た。なんと溶岩流の先にはPahoaという町の名前が小さく見えるではないか。えっ、パホア!?
 

そして、10月26日に再びメールが来た。
『Pele to Pahoa: Knock,knock』 (ペレがパホア村のドアを“ノックノック”)
 

ハワイ島のキラウエア火山が、今年6月27日に再び噴火活動を活発化し、その溶岩流が今回は南東部のカラパナ地域ではなく、東にある“パホア”の町に向かっているというのだ。エミは私の夫の事務所がかつてパホアにあったことを知っていて、このニュースを伝えてくれたのだった。ちなみにペレとは、キラウエア火山に住む伝説の女神のこと。
 

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ヒロからハイウェイ11号線を車で30分ほど走ったところにあるのが、人口950人ほどの小さな田舎町パホアだ。私がヒロに住んでいた当時、パホアの住民は大半がサトウキビやパパイヤの収穫に携わる日系人で、静かで落ち着いたいい町だった。
 

土木技師の夫の現場事務所は、町のほぼ中央にある、くすんだ緑色をしたカワイビルディングの中にあり、『Door of Faith』というキリスト教会と部屋をシェアしていた。現場事務所と教会の境が簡単なカーテン1枚で仕切られていたというのも少々想像しがたいが、信者が教会へやってくるのは日曜日で、仕事に差し支えることはなかったという。
 

夫の仕事の現場はそこから10分足らずの場所で、彼は溶岩をならし道路を造る宅地造成をしていた。溶岩には『アア(表面がガサガサでとげとげしている溶岩)』と『パホイホイ(表面が滑らかで、縄のような模様が多く見られる)』の2種類があることを、私はこの時、夫から教わった。溶岩を宅地に造成するには、粘着性の強いパホイホイより、もろいアアのほうが楽だったそうだ。
 

写真の左部分がパホイホイで右がアア

写真の左部分がパホイホイで右がアア


 

この宅地造成のプロジェクトは“ラニプナ・ガーデン”と名付けられた。一部完成した場所で宣伝用の写真を撮るというので、私も興味津々で現場に行ってみた。造成された場所の入口にはティリーフ(聖なる葉とされ、魔除けのため家の入口によく植えられている)が1列に並べて植えられ、ゲートのように積まれた溶岩には“Lanipuna Garden”という看板が掲げられていた。その前には撮影を待つムームーを着た女性が2人立っていた。そのうちの一人があまりに恰幅が良くて、これでは宣伝効果としてはどうなのだろうと、私はちょっと疑問に感じてしまった。
 

現場の周辺はペレの神話に出てくるプナと呼ばれる地域で、地元の人に言わせると、ここをいじると火山の女神ペレの怒りに触れるという。しかしプロジェクトは順調に進み、その後ハワイを訪れるたびに私たちはこのラニプナ・ガーデンの様子を見に行ったものだ。周辺には徐々に人が住み始め、いつかは自然に囲まれた素敵な住宅街になるのかなと思っていた。
 

だがペレのご機嫌を予測することは、誰にもできない。あるとき突然、予想もしない場所で噴火が始まり、溶岩を噴出する。今回の溶岩流は、このプナ地域に向かっているという。このままでは夫の現場だったラニプナ・ガーデンが、もしかして溶岩にのまれてしまうかもしれないのだ。
 

(動画は、11月10日現在の溶岩流の様子)
 


 

やさしいHAWAI’I
Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
【最近の私】
11月に入り、今年も残りわずかとなった。これから忙しくなる時にぎっくり腰をしてしまった。朝夕が急に冷えてきたのに加え、骨折が完治し思う存分走れるようになったので、テニスにちょっと熱が入り過ぎたかな。
 

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