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第24回 :「スペイン式 ピソ狂騒曲」~番外編

第24回 :「スペイン式 ピソ狂騒曲」~番外編
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【最近の私】山形から里芋を取り寄せて、仲間と芋煮会を。どこに住んでいても郷土の味は忘れられない。
 

初めに。
この回をお読みになる前に「スペイン式 ピソ狂騒曲」のご拝読をお勧めします。より深くこれから繰り広げられるストーリーがご理解いただけるでしょう。
 

第2回:「スペイン式 ピソ狂騒曲」~その1~
http://www.jvtacademy.com/blog/co/japonesa/2013/04/(PCのみ)
第3回:「スペイン式 ピソ狂騒曲」~その2~
http://www.jvtacademy.com/blog/co/japonesa/2013/05/(PCのみ)
第4回:「スペイン式 ピソ狂騒曲」~その3~
http://www.jvtacademy.com/blog/co/japonesa/2013/06/(PCのみ)
第5回:「スペイン式 ピソ狂騒曲」 ~その4~
http://www.jvtacademy.com/blog/co/japonesa/2013/07/(PCのみ)

2012年7月、同年1月から始まった私のスペイン留学も終わりを迎えていた。
 
7か月にわたる留学中、スペイン映画の研究とスペイン語の勉強で多忙な毎日を過ごしていたが、私には月1回やるべき“仕事”があった。スペインの滞在費や学費はR財団から負担されており、それを受給するにはこの“仕事”をこなすことが条件だった。
 

それは、マドリード市内にあるそのR財団のメンバー向けに日本についてスピーチをすることだった。内容は誰もが興味をもつ「東日本大震災」をテーマに選んだ。私や家族、東北の人、日本が経験した3月11日を私なりの視点で紹介。スペイン語初級レベルの私の話に、クラブのメンバーは熱心に耳を傾けてくれていた。
 

第1回目のスピーチが好評だったこともあり、私の世話人(某大使館職員)のAさんは、マドリード市内に9つあるクラブの5つに“仕事”の話をつけていた。その日が平日の昼間だろうが、夜だろうがお構いなし。こちらの都合なんて無視して、どんどん決めていた。
 

某クラブにてスピーチ

某クラブにてスピーチ


 

スピーチの質疑応答は、冷や汗もの

スピーチの質疑応答は、冷や汗もの


 

Aさんは、私がスピーチをする時はマネージャーのように同行していた。スピーチを終える度に、感想を述べたりスペイン語の表現についてアドバイスをしてくれた。私の世話人を引き受けてくれたそんな彼女に感謝しながら、これ以上世話にならないように私は遠慮をしていた。というのは、「スペイン式ピソ狂騒曲」にある一連の騒ぎのなかで、慣れない人間関係の相談に応じ、ピソ(スペイン式アパート)を探し、引越の立ち合いをしてくれたからだ。そして忘れてならないのが、私がマドリード空港到着時にお金を盗まれた際に、お金を貸してくれた恩人でもある。
でもそんな遠慮が不運を招くとは…。
 

■ いや~な予感
私のフィナーレとなるスピーチは、帝国ホテルのようなマドリードでも歴史があり格式の高いホテルで行われた。これまでの4回のスピーチは、クラブメンバーの出席者が20人程度であり、小さめのホテルやレストランであったためアットホーム感があった。スピーチ後にはメンバーと歓談し、自炊をしていた私には豪華に映るスペイン料理とワインを楽しむ機会になっていた。
 
回を重ねるごとにスピーチのペースをつかめ、緊張感も緩み、その会合で出される食事が楽しみになるくらいに余裕ができていた。
 
 

そして、その最終スピーチの前日にAさんからメッセージが届く。
急な仕事でスピーチに同席できないことだった。代わりにそのクラブのメンバーNさんが私に同行してくれるとのこと。ただ、どうしても私が嫌だったら、仕事をキャンセルすると。
 

「まじか…」と嫌な感じがした。その代理人Nさんは、あのピソ騒動で一番迷惑を被った人であったと想像する。私が日本で留学の準備を進めている時にピソの仲介をしてくれたのがNさんで、あの“事件”が彼女の面目を丸つぶれにさせてしまったかもしれない、と私は密かに思っていた。事件前は頻繁にクラブのイベントに誘ってくれたが、事件後はパッタリと連絡が途絶えていた。
 

(Aさん不在だけど、Aさんに心配をかけたくないし、スピーチは5回目だし)。わがままは言えないなと、変な遠慮が邪魔をし、Aさんには「心配無用」と伝える。
 

■ No puede ser…(ありえない)
その日は快晴だった。真っ青な空に雲一つない。気持ちがいい。
高級ホテルPに到着。エントランスもロビーも、トイレでさえ高級感に溢れている。
そしてNさんと待ち合わせて、笑顔で挨拶。社交辞令をする。
そして会場へ出向く。
 

ところが、会場に到着すると目を疑う信じられない光景が。私の“仕事”のフィナーレを飾るにはふさわしくない光景が、そこにはあった。
 

アノ女がいるではないか!!!

そう、ペドロ・アルモドバル映画に登場する狂女ばりの、私の天敵とも言える、あのピソの女家主が!!

受付係をしていた彼女は私の顔を見ると目を丸くして驚いていた。私も一瞬驚いた表情をしたが、すぐさま目を背ける。
受付を素通りし、何もなかった様な素振りで自分の席を探す。あの女の視線を感じながら。
 

あの時の怒りが徐々に沸き上がってきた。
よりによって、Aさんが不在の時になんで!
この望まぬ再会劇を呪ってしまいたい!

なんでここにいるの?!
AさんとNさんはあの女が受付にいることを知ってたの?

怒りや疑問が頭のなかをグルグルと駆け巡る……(続く)
 

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Written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)
山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
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不惑のjaponesa(ハポネサ)~40歳、崖っぷちスペイン留学~ 
不惑の年(40歳)に訪れたスペイン留学のチャンス。ハポネサ(日本人女性)が遭遇する様々な出来事。

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