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発見!キラリ 「嵐の中の静けさ」

発見!キラリ 「嵐の中の静けさ」
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9月のテーマ:嵐
 

花に嵐とはよくいったもので、桜の季節はたいてい意地悪な雨風によって強引にその幕が引かれていたりするものです。春の週末に恨めしげに重たく黒くぶら下がる雨雲を見上げた経験は誰でも一度や二度はあると思いますが、嵐というものは一方で、人の心を浮き立たせたりもして、その影響力には極端な両面性が見て取れます。
 

ただやはり、嵐を恨めしく思う気持ちはどちらかといえば当たり前の話で、僕が人間の業の深さを感じるのは、どうしたって嵐を前に浮きたってしまう人の心の複雑さのほう。強大な自然の力が災害をもたらすかもしれない不穏な兆候を前にして、時に私たちは、嵐がすべてをなぎ倒し、人間にとって悪いものや嫌なものを洗いざらい流し去ってしまう可能性に癒され、晴れやかな気持ちになることを止められません。心を乱されるものに同時に心を慰められることは、人間の心にとっては矛盾することでも何でもなく、ごく自然な状態なのかもしれないという思いがふと頭をかすめます。
 

ゴッホは弟テオに宛てた手紙の中で“There is peace even in the storm”(嵐の中にすら静けさがある)と書いたらしいのですが、彼がそこで話していたのは、人生のことか、芸術のことか、神のことか、不可思議な動き方をする人の心のことか、あるいはその全部だったのか、いずれにしても、非常に興味を引かれる言葉です。そこで思い出したのはエンターテインメント業界のみならずいま各界で波紋を呼んでいる映画『シン・ゴジラ』です。この作品におけるゴジラが嵐であったとするならば、社会学者の宮台真司氏が「破壊の享楽」という言葉を使って解説しているのは、ひょっとするとゴッホの「嵐の中の静けさ」のことなのかもしれません。
 

ちなみに『シン・ゴジラ』は“最高”なので見ていない方はぜひ見ていただきたいのですが、私にとってあの作品を見た時間は、映画というより、インスタレーションアート、シミュレーション・アートを体験した時間だったような気がします。嵐の中に放り込まれるということがどういうことかを私たちに教えてくれる緻密な装置。たぶん映画とは私にとって、見た人の心の中で嵐を起こしてしまうような、そんな装置なのだと思います。
 

いずれにしても『シン・ゴジラ』はあらゆる意味で“最高”の嵐なので、どちらであっても大した問題ではないのですが。
 

Written by 石井 清猛
 

[JVTA発] 発見!キラリ☆  9月のテーマ:嵐
日本映像翻訳アカデミーのスタッフが、月替わりのテーマをヒントに「キラリ☆と光るヒト・コト・モノ」について綴るリレー・コラム。修了生・受講生にたくさんのヒントや共感を提供しています。

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