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明けの明星が輝く空に 第188回 特撮俳優列伝30 藤村志保

「本名、静永操(しずながみさお)。フェリス女学院高等部出身。9歳の頃から日本舞踊を習い、19歳で花柳流の名取となる。」

多くの人はこんなプロフィールを聞けば、気品があってつつましく、凜とした人をイメージするに違いない。和風な顔立ちで着物の似合う藤村志保さんは、まさにそんな方だった。大映時代劇に欠かせない、とまで言われた藤村さんが出演した特撮映画は、2本。先月の記事で紹介した『怪談雪女郎』(1968年)と、『大魔神怒る』(1966年)である。

まず『怪談雪女郎』では、まさに氷のような冷たさを感じさせる雪女を好演している。身体の動きは最小限に、台詞回しも抑揚を抑え、声を荒らげることはない。それでいて、いや、だからこそ、ジワジワと息が詰まるような恐怖を表現し得ている。白眉は、目の動きだけで人を震え上がらせる場面だ。たとえば物語冒頭、山小屋で2人の木こりが寝ていると、音もなく入ってきて、年配の木こりを凍死させる。目を覚ました与作に見られていたことに気づくと、顔はうつむき加減のまま、ゆっくりと目を横にいる与作に向ける。早過ぎもせず遅すぎもしないこの動きが絶妙で、これにより緊迫感がぐっと高まり、観ているこちらも身構えてしまう。

実は昭和の名女優、岸惠子さんも、映画『怪談』(1965年)で雪女を演じていた。こちらも落ち着いた口調で、決して安っぽい怖がらせ方をしない。唯一、口元がアップになり、微かにニヤリとした笑みを浮かべるところは背筋が寒くなるが、それ以外は普通の人間と大差ない佇まいだった。それは演出意図によるものだろうが、両者を比較すると、藤村版雪女の、まるで刃物を突きつけるような恐ろしさが際立つ。

ただし、藤村さんが演じた雪女は、恐ろしいだけの妖怪ではない。「ゆき」という人間に姿を変え、与作の嫁となり、愛情込めて子を育てる。そんな心優しい一面もあった。彼女が子どもと接する姿はぬくもりに溢れ、見ているだけで癒やされるような気分になれる。

ゆきの愛情は、他人の子にも注がれた。誰も治せない熱病にかかった子を、献身的に看病。その方法はもちろん、雪女の能力を使ったものだが、それは彼女の体力を奪ってしまうものだったようだ。見事に熱を下げてみせたときには、フラフラだった。どんなことがあっても、一度決めたことを最後までやり通す。そういう芯の強さも、ゆきは垣間見せていた。

優しく献身的で芯が強いというのは、『大魔神怒る』で演じたヒロインにも当てはまる。ある地方の領主の娘である早百合は、土地を巡る争いに巻き込まれ、許嫁である十郎に危機が迫ったとき、我が身を省みずそれを知らせたため囚われの身となってしまった。しかし、処刑のため磔となりながらも、凜として品格を失わず、取り乱すことがない。これなど、あらかじめそんな人物設定だったというより、藤村さんが演じたからこそ生まれた人物象だったような気もする。

また藤村さんは、はかなげな女性を演じるのにも長けている。『怪談雪女郎』でもそうだったが、“悪漢”に捕らえられてしまう場面での彼女は、強風に吹かれて今にも折れてしまいそうな路傍の花といった趣だ。さらに、か弱いだけでなく、そこはかとなく上品な色気も滲み出る。藤村さん以外に、こんな風情を醸し出せる演技者は、そうそう見つからないだろう。

そんなふうに女優藤村志保に注目しながら観ていると、『大魔神怒る』は彼女のための映画だたのではないかと思えてくる。そんな思いが強まったのが、映画のクライマックスだ。

磔のまま足下に火をつけられた早百合が、自分の命を捧げるから人々を助けたまえと神に祈る。すると目の前の湖から大魔神が現れ、彼女が磔となっている十字架を持ち上げる。仁王像にも似た憤怒の表情ながら、早百合を見つめる大魔神の目はどこかやさしい。そう思ったとき、僕は得も言われぬ感動を覚えた。通常、人と意思疎通をとることのない大魔神が、早百合には何かを語りかけているようだった。全てが終ったとき、大魔神は静かに湖へと帰っていく。水に入り、膝をついて合掌する早百合。語りかけるように「神様」とつぶやくと、大魔神がゆっくりと振り返り、早百合を見つめる。

このシークエンスでは、カメラが早百合を何度もアップで映し出す。崇敬、あるいは敬慕といった思いと感謝の気持ちがあふれ出る、その表情は美しい。いやがおうでも、それが心に残るような演出だ。初見では大魔神というキャラクターのインパクトが強すぎて気がつかないが、何度か観るうち、藤村さんを魅力的に撮った映画だということがわかってくる。(個人的には、むしろそのための映画だったと考えている。)

冒頭で紹介した通り、藤村さんの本名はそのまま芸名として通用しそうなものだが、実は旧姓もオシャレだ。「薄」と書いて「すすき」と読む。秋の柔らかい光の中、風に揺れるススキはたおやかで美しい。着物姿の藤村さんのイメージにぴったりだ。また、ススキにも花言葉はあって、「活力」や「生命力」。さらに、名前の「操」という漢字には、「かたく守って変えない志」という意味がある。ゆきや早百合が見せた強さは、藤村さん自身の強さだったのかもしれない。

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。

【最近の私】カレンダーをめくったら、犬が2匹、満月を見上げているイラストが。横には「月が綺麗ですね」という文字・・・。なんかスゴイ違和感。今年は9月いっぱい真夏が続くような気がしていますので。

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明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る 

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花と果実のある暮らし in Chiang Mai プチ・カルチャー集 Vol.93 ジャスミン水

★「花と果実のある暮らし in Chiang Mai」
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「あー、体が火照ってるー!」と一人でぶつぶつ文句を言っていたら(おそらく更年期)、うっとおしく思ったパートナーが「だったら母が飲んでた漢方薬を飲んでみたら?」と一言。それはいいかもと早速薬局に行って探したら、昔ながらのパッケージで、日本で言ったら正露丸のような雰囲気の漢方。自宅に帰って、服用のところを読んでみると、「発熱、体の熱etc..を緩和します。ジャスミン水で飲む、または新鮮なジャスミン水に溶かしてお飲みください。」と書いてあります。ジャスミン水で飲まないといけない薬!?と言ったらもちろん普通のお水で大丈夫だそう。

さて、そのジャスミン水といえばタイの猛暑4月に食べられる「カオチェー」。ぬめりを取ったジャスミン米に冷やし茶漬けのお出汁のようにジャスミン水を注いで食べます。付け合わせには、日本の佃煮のような甘辛のおかずを添えて、食欲減退の時に取る食事としてタイの風物詩となっています。つまり、ジャスミン水には、体を冷やす効果があるようで、カオチェーもそんな暑さ対策として生み出された一皿なのでしょう。お母さんの漢方もそんなジャスミン水で飲むとダブル効果が出るのかな。日本の暑さもタイ並みになってきた近年。いつか日本でジャスミン水も出回る日が来るのでしょうか!私も4月に我が家のジャスミンが咲いたら、花を水に浮かべてジャスミン水を作ってみたいと思いました。

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Written  by 馬場容子(ばば・ようこ)

東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
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花と果実のある暮らし in Chiang Mai
チェンマイ・スローライフで見つけた小さな日常美

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明けの明星が輝く空に 第187回 夢幻のヒロインたち7:ゆき(雪女) 

登場作品:映画『怪談雪女郎』(1968年)
キャラクター設定:我が子への愛ゆえに、去らなければならなかった妖怪

大映映画『怪談雪女郎』に登場する雪女は、恐ろしいだけの存在ではない。金色の瞳で人を睨む形相には心胆寒からしめるものがあるが、最後に見せた姿は切なく哀しいものだった。

小泉八雲の『怪談』に収録された「雪女」が、原案となったと思われるこの作品。物語は、仏師の与作が師匠とともに、山で吹雪に見舞われたところから始まる。その晩、山小屋で過ごしていると、夜も更けたころ、雪女が音もなく入ってきて、師匠は殺されてしまう。与作は美しい若者であることを理由に殺されなかったが、その晩のことを誰かに話せば命はないと告げられる。

村に帰ってきた与作は、ある日ゆきという女性と出逢う。彼女の正体は雪女だったのだが、そんな素振りは一切見せない。それどころか、つつましく思いやりのある好人物で、両人が夫婦となって生まれた子ども(太郎)への愛情は、嘘偽りのないものだった。実は、ゆきが初めてスクリーンに登場する場面から、彼女が観客に好かれるように仕向ける映画の意図が読み取れる。2人の出逢いは雨の日だった。与作がふと外を見ると、軒先で雨宿りをしている女性の後ろ姿が目に入る。すると、視線を感じたのか、彼女がゆっくりと振り向く。一瞬ハッとした与作が、思わず視線を落としたのは、気まずさのせいだけではなかっただろう。なぜなら、そのときのゆきは、楚々とした美しさが際だっていたからだ。

この場面では、出逢いを印象づける演出が効いている。まず彼女の後ろ姿と、家の中から見ている与作というカットのつながりで、自然と観客の視点を与作のものと同期させる。次にゆきをゆっくり振り向かせることによって、彼女を見ているのがバレてしまうと観客に感じさせる“間”を与える。さらには、“どんな女性なのだろう”という興味を掻き立てる効果もあり、思わず僕らはその姿に見入ってしまう。そうしてゆきはカメラに目線を向ける(=与作と目が合う)と、かすかに「あっ」といった表情になる。その反応を見て、僕らも「あっ」となる。これは、見ているのがバレたと感じたせいでもあるが、それ以上にゆきの美しさに魅了された「あっ」でもある。正直に話そう。僕はここで、ときめいてしまった。(残念ながら、ゆきを演じた藤村志保さんは、今年6月、鬼籍に入られた。お悔やみを申し上げます。)

このあと物語は、与作と高名な仏師による観世音菩薩像の競作を縦軸に、いわゆる悪役がもたらす苦境を横軸に展開する。その悪役とは、彼女に横恋慕する卑劣極まりない男(地頭)だ。卑怯な手を使ってゆきを己のものとせんとするなど、典型的な憎まれ役だけに、力づくで迫られた彼女が正体を現した場面では、「やってしまえ!」という気分になる。(当然の報いとして凍死させられるのだが、映像があるのはその前後だけ。肝心の氷付けにされる場面がないのは物足りない!)

また、霊力を持つ老婆(巫女)も、彼女にとっては危険な存在だ。ゆきは“あやかし”、つまり人外の者であると見抜かれ、“湯玉”を浴びせられたり、榊で打たれたりする。本質的に悪人ではないのだが、常に下からの照明によって、ビジュアル的な恐ろしさが強調されるなど、完全な悪役扱いだ。

映画は、与作が吹雪の晩に見た雪女の話をゆきにしてしまう場面で、クライマックスを迎える。実は与作は、ゆきの顔をモデルに菩薩像を彫っていたのだが、その目にどうしても暗い影が出て悩んでいた。その時、何かを思い出したように、そばにいたゆきを振り返る。彼女を“あやかし”と呼ぶ巫女の話は信じないと言いつつも、雪女の記憶が蘇ってきたのだ。

ゆきは正体を現し、与作を殺そうとする。しかしその時、寝ている太郎が声を上げて泣き始めた。ハッとするゆき。太郎の枕元に行くと、その目から涙がこぼれ落ちた。そこにいるのは、もう妖怪雪女などではなく、ひとりの母親だった。ゆきは立ち上がると、与作に太郎の将来を託す。さらに仏像を立派に仕上げてくれと告げたところで、家の扉がひとりでに開いた。ゆきの顔に狼狽の色が浮かぶ。まるで、正体を知られた以上、人間界から去らねばならぬという、抗うことのできない運命を悟ったかのように。

涙を浮かべて去って行くゆき。自分を呼ぶ太郎の声に振り返る。そのとき与作は、ゆきの目に慈悲の心を見た。追いかけようと走り出した太郎が、転んでしまう。しかし、ゆきはもう振り返らない。降りしきる雪の中、その背中は少しずつ小さくなっていった。

僕がこの映画を観て、母親としてのゆきの姿で印象に残ったのが、物語中盤で太郎に歌を教える場面だ。なんとも優しげで、幸せが映像から溢れている。ただ歌詞がよく聞き取れなかったので、何の歌なのかを調べてみた。どうやら、世界遺産の白川郷に伝わる民謡らしい。そう知った途端、寒気を感じた。以前旅で訪れた、冬の白川郷を思い出したのだ。合掌造りの民家に泊まり、囲炉裏のそばで食事をし、部屋に戻ったころは夜も更けていた。そんなところへ、もし雪女が入ってきたら・・・。一瞬にして、そんな妄想が頭を駆け巡ったのだ。白川郷の雪景色はすばらしい。しかしこの先、また冬に訪れる勇気が湧くかどうか。今はちょっと自信がない。

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。

【最近の私】たまたま近所のブックオフに寄ってみたら、なんと、漫画『かくしごと』が全巻揃って並んでいるではありませんか!いまどこにも在庫がないので、即買いでした。絵のタッチとかギャグのセンスとか、波長が合うと言ったらいいのか、とにかく超好み。久しぶりにイイ買い物をしました。

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明けの明星が輝く空に
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花と果実のある暮らし in Chiang Mai プチ・カルチャー集 Vol.92 フーテンの人々

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チェンマイの雨季は、びっくりするくらい植物が伸びてきます。

最近、のびのび、ボサボサになった目の前の庭。さて、そろそろ庭師のおじさんにお願いするかなあと何度電話をかけても連絡が取れません。着信履歴が残っていても彼から折り返し連絡が来ることはありません。そしてここに長く住んでいると、こういうことにももう慣れっこになっています。何か都合が悪かったりすると音沙汰がなくなり、でもまたある日突然連絡が取れたりする。以前知り合いのご主人が何も言わず突然消息を絶ちました。奥さんはとても気を揉んで心配していたけれど、数か月後のある日ひょっこり戻ってきました。フーテンの寅さんか!? フーテンはもともと瘋癲(ふうてん)からきていて、メンタルが不安定な状態をさす言葉だそうですが、60年代後半からのヒッピー文化の中で頻繁に使われるようになり、昨今は自由に放浪するというニュアンスが定着してきたようです。彼らには自分の時間が必要で、その理由を語ることなく、自分のペースが戻ってきたら自然に戻ってくるんだろう。人間、精神が乱れることはあります。そんなとき、周りも問い詰めることこともなく、大きな騒ぎにもせず、さらっと流して過ごせる器がまだここには残っている気がします。我が庭師さんも時間を置いてまたひょっこり帰ってくるんだろうなあと見守っているけど、新しい庭師さん捜しに一苦労した出来事でした。

芝刈り後
雨の日

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Written  by 馬場容子(ばば・ようこ)

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明けの明星が輝く空に 第186回 ウルトラ名作探訪22「怪獣墓場」

「怪獣だって泣くんだよ。」これは、特撮界の巨匠、円谷英二氏の長男であり、円谷プロダクション2代目社長だった、円谷一(はじめ)氏の言葉だ。一氏はメイン監督として、ウルトラシリーズ黎明期から中心的な役割を果たしてきたが、怪獣を排除すべき対象としか見ていなかったら、こんな言葉は出てこないだろう。そこは怪獣愛がある、といった単純な話ではない。言葉の底に流れるのは、自分(人類やヒーロー)中心ではなく、他者(怪獣)の立場で物事を捉える、という考え方だ。

一氏の言葉を、そのままプロットに落とし込んだような作品がある。『ウルトラマン』第35話「怪獣墓場」だ。登場怪獣のシーボーズは、自分の意思とは関係なく、宇宙空間から地球に落ちて来てしまった。もともといたのは、パトロール中の科学特捜隊が偶然発見した“怪獣墓場”。そこは、ウルトラマンによって、地球を追い出された怪獣たちの亡骸(亡霊)が漂う場所だった。

怪獣出現となれば、当然攻撃が行われる。しかし、シーボーズは反撃する意思は全く見せない。それどころか、高層ビルに登り、空を見上げて悲しげな鳴き声を上げる。そして、空へ向かってジャンプ。しかし、飛行能力があるわけでもなく、地面に落ちてしまう。

以前紹介した「謎の恐竜基地」のジラース(第176回)にもまして、シーボーズは擬人化が著しい。それも、夕暮れをバックに、うなだれてトボトボと歩いたり、いじけて石蹴りのような真似をして尻もちついたり、コミカルであると同時に哀愁を漂わせる。特撮班が撮ったそんなシーボーズの映像に、実相寺昭雄監督は不満があったようだが、結果的には監督本人も認めているように、この方が感情移入しやすい。だからこそ、「怪獣も泣く」姿が、僕らの心に突き刺さるのだ。

怪獣に寄り添った作品としての「怪獣墓場」では、科学特捜隊が僧侶を招いて怪獣供養を行う。こんなアイデアが出てくるあたり、番組制作の現場では、怪獣たちに申し訳ないという空気が、多かれ少なかれあったのかもしれない。これは、撮影現場での怪獣たちが、実体のないCGではなく、着ぐるみだったことと関係があるのではないだろうか。作り物とはいえ、撮影中、生き生きと動いていたものが、死んだように動かなくなってしまう。火薬を使った撮影で、着ぐるみには焦げ跡などのダメージも残っていただろう。そんな着ぐるみと劇中の怪獣が重なり、憐れみのような感覚が生まれたとしても不思議ではない。

「怪獣墓場」でも、シーボーズの気持ちがわかった科特隊は、ロケットを使って宇宙に返してやろうとする。一度目は失敗。二度目はウルトラマンも協力するのだが、彼らの思いを知る由もないシーボーズは、なかなか言うことを聞かない。ウルトラマンは背中を押してやったり、頭を叩く真似をしたりして四苦八苦。相手は怪獣なので、パンチで抵抗されたときには首投げを見舞ったりもしたが、そんな“暴力”を除けば、まるでだだをこねる子供を学校へ行かせようと、厳しい態度で接する親のようだ。

この場面は、ウルトラマンの心の内を理解していると、なかなか興味深いものがある。ウルトラマンの心情が描かれたのは、番組冒頭での怪獣墓場発見の知らせがもたらされたときのことだ。主人公であるハヤタ隊員(ウルトラマン)は突如、人を押しのけるようにして作戦室から出ていき、ひとり空を見上げる。そして、怪獣たちに謝罪する。

「許してくれ。地球の平和のために、やむなくお前たちと戦ったのだ。俺を許してくれ。」

最期に「許してくれ」を繰り返す、それも「俺を」と付け加えたところに、彼の想いの強さが表れていて、胸に迫るものがある。シリーズ屈指の名セリフと言ってもいいだろう。この後、彼はウルトラマンに変身して、やはり空を見上げる。ありきたりの演出家なら、黙祷の意味を込め、ウルトラマンに頭を垂れさせたかもしれない。しかし、実相寺監督は、そうしなかった。それは、ウルトラマンの複雑な立場/心情を表現しようとしたからではないだろうか。すまないという気持ちはあっても、彼は人々を守るため戦わなくてはならない。しかし、それは正しいことなのか。ウルトラマンは心のどこかに生じた迷いと、向き合っていたのかもしれない。

怪獣への優しさは、ほかの場面/セリフからも見て取れる。真っ暗な宇宙空間に帰りたいなんて信じられないとある隊員が言えば、フジアキコ隊員は「怪獣墓場だけが静かにいられる場所」だと反論する。どこへ行っても攻撃を受ける怪獣たちが、心から安らげる。それは、怪獣墓場だけなのだ。彼女が語る間、画面に映し出されるのは、以前のエピソードに登場した怪獣たちの姿だ。いずれも、ミサイル弾が浴びせられるなど、攻撃を受けている。フジ隊員の言葉を聞きながら見ているうちに、僕らは初めて理解する。「怪獣たちこそ被害者なのだ!」と。

結局シーボーズは、“安住の地”に戻った。しかし、心安らぐ場所が“墓場”では、あまりにも悲しい。勇ましいヒーローの活躍の裏で、怪獣たちがそんな所へ追いやられている。そのことを、忘れてはならない。

「怪獣墓場」(『ウルトラマン』第35話)

監督:実相寺昭雄、脚本:佐々木守、特殊技術:高野宏一

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【最近の私】嗅覚も老化するということを、初めて知りました。夏の松の香りが好きなんですが、あまり匂わないなぁなんて思ってたら…。対処法としてのトレーニングもあるらしいので、励んでみます。

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花と果実のある暮らし in Chiang Mai プチ・カルチャー集 Vol.91 パン屋さん繚乱 

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タイで、朝の連続テレビ小説『あんぱん』を見ていると、あんぱん好きな私は無性にあんぱんが食べたくなります。でもチェンマイにも最近あんぱんを作る日本系のパン屋さんがあるので、食べたければ手に入るというありがたい日常になっています。以前記したように、ちまたで人気のサワードウブレッド(Vol.83 食文化交換)、フランス人が作るクロワッサン、ドイツ人系の黒パン、中東のベーグルなどチェンマイにはいろんな種類のパン屋さんが登場していて、本場に近い味を楽しめます。最近近所にできたおしゃれなパン屋さんでは、日本の塩パンブームにあやかり、岩塩の乗った塩パンやイカ墨塩パンが人気です。タイでパンはカノムパンといい、カノムとはお菓子+パン。パートナーに言わせれば、パンは食事ではなく、あくまでお菓子という存在です。植民地にならなかったタイは、パンが入ってくるのが遅かったけれど、今やなんと贅沢な時代になったことか。クオリティも高くなってきていて(同時にお値段も!)コーヒー文化が十分育ってきたタイでは、後を追うようにパン文化が盛り上がっています。しかし、脱菓子パンを目指している私にとっては、これらの甘い誘惑は危険そのもの…。近所のパン屋さんで美しいパンを横目に、ベーグルと塩パンを買って帰路についたのでした。

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戦え!シネマッハ!!!! 最終回 マイ・シネマ・パラダイス ~いつも、そばに映画がいた~

修了生の鈴木純一さんが執筆する映画の予告編と悪役にフォーカスしたコラム「戦え!シネマッハ!!!!」は、前身であるコラム『明日に向かって見ろ!』として2009年にスタート。15年以上に及ぶ連載が今回最終回を迎えます。これまでの総まとめとして鈴木純一さんにJVTAとの出会いや受講中のエピソード、コラムを始めたきっかけやセミナー登壇などを綴っていただきました。映画をこよなく愛する鈴木さんがJVTAを通じて得たさまざまな体験とは?

※画像内の映画にまつわるイラストは鈴木純一さんが描いたものです。

◆医療福祉の仕事を探して手にした雑誌でJVTAと出会う

1970年生まれの私は、『スター・ウォーズ』(1977年)と『スーパーマン』(1978年)を映画館で観て、映画を好きになりました。自分が10代だった1980年代なかば、ビデオテープのレンタルが普及しました。そのため、映画が手軽に観られるようになったこともあり、主にホラー、SF、アクションなどを観ていました。

2002年、自分の祖母が少し前に亡くなったこともあり、医療福祉の仕事に興味を持つようになりました。その仕事に必要な資格を調べようと書店で手に取ったのが、資格・学校についての情報誌。この雑誌には、いろいろな分野の資格や学校のことが載っていて、「語学」のジャンルでJVTAの広告を見つけました。そこで「映像翻訳をやってみよう」と思いたち入学したのですが、実は軽い思いつきでした。今はネットで調べたいことがすぐに見つかりますが、当時はまだ雑誌や新聞から調べることが多く、思いがけない情報と出会うことができたんだと思います。でも、現在はやはり医療福祉の仕事をしているので、人生は巡るんですね。

◆クラスメートとの思い出は、節分の豆まきや花火大会、セミナー登壇

勉強していた時のエピソードや思い出はいろいろあります。当時は代々木八幡に校舎がありました。節分のころ、教室で豆まきをして、学校代表の新楽さんも鬼のお面をかぶって参加してくれました。ある日の授業のあとに、クラスの仲間と花火大会に参加する時、浴衣で授業を受けようとしたことも…。さすがに先生に怒られると思って浴衣は自粛しましたが、あとで先生から「浴衣で授業を受ければよかったのに」と残念がられたのを覚えています。そんなアットホームな雰囲気でした。

JVTAで映画に関するセミナーを2回開催したのもいい思い出です。お題は「ロードムービー」と「サスペンス映画」で、元クラスメートですが、今はJVTAのディレクターで講師の石井清猛さんと一緒に登壇しました。セミナーといっても、好きな映画を紹介して好きにしゃべっていたんですが…。

翻訳の仕事で記憶に残っているのは、『トロル』(1986年)です。主人公一家が住むアパートを妖精が侵略しようとするファンタジー。主人公の父親がハリー・ポッターという名前ですが、後の人気小説とは関係ない…。高校生の時にこの映画をビデオで観ていましたが、映像翻訳者になってからCS放送用に字幕をつける仕事をいただきました。高校時代に戻って、自分に「今観ている映画、十何年後に字幕をつけるから!」と教えても信じないと思います。昔好きだった作品に映像翻訳者として再会できたのは嬉しかったですね。

◆コラム執筆のきっかけはSSFF&ASIA

修了後は、映像翻訳の仕事をいただいていました。ある年、自分が字幕を担当した短編『おもちゃの国』がショートショートフイルムフェスティバル&アジア(SSFF&ASIA)で上映され、その後、第81回アカデミー賞最優秀短編賞を受賞しました。それを機にナチス・ドイツによるホロコーストの悲劇を描いたこの作品についての紹介記事を書くことになり、以降は学校のサイトに映画について書くことが増えていきました。

そんななか、先述の石井さんとの雑談中に「映画本編ではなく、予告編について書くの、面白いんじゃない?」という話になりました。まさか自分が書くとは思っていなかったのですが、その企画を石井さんが新楽さんに持っていき、2009年に予告編コラム『明日に向かって見ろ!』が始まりました。コラム第1回目に紹介したのは『ロボゲイシャ』『ニンジャ・アサシン』(共に2009年)です。ロボットとニンジャの組み合わせも自分らしいなと思う…。コラムのタイトルは我ながら気に入っています。

◆予告編コラムを“2本立て”でスタート

私が映画を観るようになった80年代は、まだインターネットのない時代。映画の情報は主に劇場やテレビで流れる予告編でした。予告編は本編を観たいと思わせる「つかみ」です。でもネタばれをしないように作品の魅力を伝える難しさもあります。コラムでは、そんな予告編だけを観て、つっこみを入れる、監督や出演者について、好きに書き連ねていきました。

コラムが始まってしばらくは、新楽さんが私の書いたコラムをチェックして、指摘された部分を書き直し、修正するという、毎回セッションのように続いていきました。アーカイブで過去のコラムを読みましたが、毎月2本の予告編を紹介し、さらにクイズまで出題していた。我ながら、よくやったなあと感じますが、当時は映画にかける熱量が大きかったのだと思います。

コラムを2本立てにしたのは、昔、地元の映画館では2本立てで上映していたのがきっかけです。自分が映画館の主のような感覚で予告編を選んでいました。悪役コラムは、予告編コラムが始まって数年後、自分から学校に提案して、予告編と悪役の交互での連載となりました。映画は悪役が魅力的であれば面白くなります。今までに観た作品から選ぶ作業は、自分がレンタルビデオの店長みたいで楽しい時間でした。でも、主人公の仲間に見えて、終盤に実は悪役だったという作品もあるので、そういうネタばれはしないように紹介していました。

◆憧れの土橋秀一郎さんとコラム仲間に

受講生時代、学校のメルマガに修了生の土橋秀一郎さんのコラム『テキサス通信:Houston We have Problem』が掲載されていて、愛読していました。土橋さんはその頃テキサス在住で、毎回アメリカで公開されている映画を紹介しており、アメリカ特派員みたいで、かっこいいなと思っていました。

今では自分の書く紹介文が、土橋さんのコラムと一緒に掲載されています。土橋さんのコラムに憧れていた昔からすると、なんとも不思議な感じがします。数年前、JVTAの新年会でコラム執筆者の皆さんが紹介される機会があり、土橋さんとお会いすることができたのはいい思い出です。土橋さんはコラム仲間というより、コラムの大先輩ですが。

◆映画制作の裏側をのぞき、映画で遊ぶ

映画の観方はそれぞれですが、自分の場合は、観た映画について知りたくなります。例えば、先月のコラムで取り上げた『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』(2025年)ですが、このシリーズは1作目から4作目までは監督がそれぞれ違います。第2作目の監督はジョン・ウーです。そこで、自分はウー監督が香港時代に撮影したさかのぼって観る。すると、ウー監督の映画のスタイルがわかるようになる。それを調べると、彼の他の映画も観たくなる。第1作目、3作目、4作目の監督についても、同じように調べて、またその監督の作品を観る…。この繰り返しで、勉強というよりも、リサーチしながら映画で遊んでいるという感覚です。これがコラムを書く原動力になりました。

80年代は映画制作において特殊効果(SFX)が発達していった時代です。ホラーやSF映画のメイキング映像や写真を観て、ある場面がどのように作られていくのかを知るのが好きでした。当時の特殊メイクのアーティストの名前を覚えて、他にどんな作品に参加したのか、探して観ていました。自分にとってはそのように映画制作の裏側をのぞくことが楽しかったんだと思います。

◆JVTAを通じてさまざまな形で映画に関わることができた

私は映像翻訳だけではなく、映画に関わることすべてに興味があります。映像翻訳の勉強をしていたころ、学校ではいろいろなイベントがありました。その中でも、私は映画に関するイベントには参加していました。そして、その参加をきっかけに、映像翻訳の仕事をもらうこともありました。でも、当時は自分を売り込もうという気持ちはなく、ただ映画のことを聞く、話すことが好きなだけでした。

学校を通して、映画撮影のエキストラも経験しました。レオス・カラックス監督が日本で撮影した『TOKYO!/メルド』(2008年)や、廣木隆一監督の『軽蔑』(2011年)に参加。映画のワンシーンを撮るのに、すごい時間と手間がかかっているのを直に見ることができました。

シンガポールの映画だけを集めた「Sintok シンガポール映画祭」にも、字幕制作や会場の現場スタッフとして携わりました。この映画祭への関わりは、インターネットで翻訳者募集の記事を読んだのがきっかけです。ゲストとして来日した監督とお話しするなど、映画を身近に感じる経験でした。

また、英語で書かれた海外ドラマ関連の記事を、日本語に翻訳する仕事もいただいていました。この仕事も、JVTAで知り合った講師との出会いから始まりました。どこでどんな仕事につながるのかは、わからないと実感しています。

「努力すれば夢はかなう」という言葉がありますが、自分にはそれは当てはまりません。私より映画に詳しい人は大勢います。私より文章がうまい人は、絶対にいる。私にあったのは、運と縁だったと思います。もしJVTA以外の学校に行っていたら、私は映像翻訳の仕事をもらえず、コラムを書くこともなかったし、こうして映画にまつわる自分の体験を綴ることもありませんでした。


Written by 鈴木 純一(すずき・じゅんいち)
映画を心の糧にして生きている男。『バタリアン』や『ターミネーター』などホラーやアクションが好きだが、『ローマの休日』も好き。

【連載を終えて】

コラムを書き続けている間に東日本大震災やコロナ禍もあり、映画を観る状況が変わった時代でもありました。コラム以外にも、試写会にも誘われ、観た作品の紹介文を書くという機会ももらえて、恵まれていたと思います。これまでコラムや映画に関わることができたのは、学校のスタッフの皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。JVTAで、自分の人生が豊かになったのは間違いありません。

これからは、新たな修了生・受講生が書くコラムを読みたいです。今は配信される映画も数多くあります。オリジナル配信作品や隠れた個性的な映画を紹介してくれたらいいなと希望します。コラムは終わりますが、今年は「手話のまち 東京国際ろう芸術祭(TIDAF)」で上映される映画の字幕翻訳に参加する予定です。このイベントも、修了生の友人とのつながりで、お手伝いすることになりました。映画と共に歩く道は、まだ続きそうです。

戦え!シネマッハ!!!!
ある時は予告編を一刀両断。またある時は悪役を熱く語る。大胆な切り口に注目せよ!

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◆【2025年10月期の受講申込を受付中
学校説明会を随時開催!
約1時間でJVTAの詳細が分かるイベントや、体験レッスン付きのリモート・オープンスクールを随時開催しています。映像翻訳にご興味をお持ちの方はお気軽にご参加ください。

明けの明星が輝く空に 第185回 昭和100年!

ことし2025年は、“昭和100年”。それに合わせたのか、今年の2月に始まったスーパー戦隊シリーズ50周年記念作品、『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』第10話には、昭和をこよなく愛する怪人が登場。ヒーローたちと“昭和対決”を繰り広げた。

スーパー戦隊シリーズの愛すべき特徴は、肩肘を張らずに観られる「緩さ」だろう。しかし、ウルトラシリーズや仮面ライダーシリーズも、最近はだいぶ緩くなった印象で、その差はなくなってきている。スーパー戦隊モノの存在意義が問われる事態(?)なのだ。

このピンチを脱するカギは何か。それは。楽しくなるほどの“バカバカしさ”しかない!振り返れば、シリーズ第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年~1977年)は、怪人の倒され方が呆れるほどしょうもなく、そして楽しかった。たとえば“風車仮面”は、強力な扇風機の風を当てられ、頭部の風車が逆回転してしまい爆死。“眼鏡仮面”は、視力検査で「ダ・イ・ナ・マ・イ・ト」と読まされて爆死。まるでコントの世界である。ウルトラマンやライダーには、とうてい真似できない。

『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』は、そんなゴレンジャーのDNAを受け継いでいる。そう感じさせてくれたのが、第10話「イケイケドンドン!昭和が来た!」だ。“ノーワン”と呼ばれる怪人たちの1体、第10話に登場した“昭和ノーワン”は、突然町中に現れ「昭和のすばらしさを教えてやる」と言って周辺の景色を昭和に変えてしまう。(といっても、実害は何もない!)

先攻は昭和ノーワン。取り出したのは、昭和の遊びの王道アイテム、めんこだ。「勝った者が総取り!」と言って子どもたちを泣かせる。続いて、カセットテープを使っての睡眠学習。角乃から「こんなんで勉強できんの?」とツッコミが入るが、「できない!だが、それが昭和だ!」と胸を張る。対する禽次郎は、健康器具のエキスパンダーや、昭和の名曲「真っ赤な太陽」に合わせてのゴーゴーダンスで対抗。しかし、判定では昭和ノーワンに軍配が上がってしまう。

その後、アンテナ付のテレビの前に座り、昔の特撮テレビ番組を観て、ちゃぶ台でのり弁を食べるなど、昭和を満喫する昭和ノーワン。このバカバカしさ。楽しい!そして楽しいと言えば、いつの間にか自分のスマホが黒電話になっているのに気づいた角乃が驚くと、パッと映像が切り替わり、軽快なリズムの主題歌が始まるテンポの良さも秀逸。思わず、画面の中で曲に合わせて踊るヒーローたちと、一緒になって踊り出したくなった。

ただし、そんなバカバカしさの裏に、真面目に考えるべきものがあったことも忘れてはならない。普通に考えれば、変化を拒む昭和ノーワンの懐古主義的な態度が糾弾され、現在に目を向け進歩することの大切さを訴えることで、ヒーローたちに逆転勝利のシナリオが用意されるだろう。しかし意外だったのは、昭和が否定されなかったことだ。禽次郎は、昭和の人々が未来を良くしようとがんばっていたから令和があると指摘し、「昭和とは前に向かう精神。過去にすがるだけのお前こそ、昭和スピリッツを忘れている」と言って昭和ノーワンを倒す。(実を言うと、この台詞にドキッとさせられたことを告白しておこう。)

これを、シリーズ45作目『機界戦隊ゼンカイジャー』(2021年~2022年)の第15話「ガチョーン!レトロに急旋回」と比べると興味深い。そこでは、怪人がレトロな世界を現出させ、昔を懐かしむ人々の精神を過去に閉じ込めてしまうのだが、自分たちは今を生きる未来びとだというヒーローたちによって倒される。過去は否定されないが、現在との連続性は絶たれ、忘却の彼方に追いやられる。一方、ゴジュウジャー第10話の脚本を書いた井上亜樹子氏は、昭和か令和かという二者択一ではなく、どちらも内包する考え方を示して見せた。大きな意味では、多様性を認めるという姿勢であり、より今の時代に則したものになっているのだ。

また井上氏は、昭和というのは「おおらか」な時代で、「令和の人類に必要なのは昭和だー!」と、昭和ノーワンに言わせているが、最近の世相に照らし合わせて考えると、この台詞が持つ意味は重い。SNSが広まってからだろうか。最近は、おおらかさとは対極の空気が蔓延しているように感じる。ダイレクトに意見を表明できる場が増えたのはいいが、他人を否定する言葉が多く飛び交うようになってしまった。そんな書き込みをするのは一部の人であっても、まるでそれが世論か何かのような空気にもなる。物語の進行上、「おおらか」という台詞は埋没気味だったが、一言一句精査して書く脚本家は、当然そこにも何らかの思いを込めていただろう。

『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』はこのあと、第11話で鬼ごっこ対決、第13話でマナー対決が行われた。怪人がヒーローのマナーにダメ出しするなど、観ていて思わずニヤニヤする。楽しいバカバカしさは、人の心を明るくする。ぜひゴジュウジャーには、迷わずこの路線を推し進めてもらいたい!いま僕は、真剣にそんなことを考えている。

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。

【最近の私】みうらじゅんという人はスゴイ。「マイブーム」という言葉を作った話は有名ですが、老いという「”しょうがないこと”に”しょうもないこと”をぶつけるのが一番」ということで、「アウト老」とか「老けづくり」を提唱。最近知ったのは、「還暦過ぎればみんな同い年」という言葉。ああ、これからは師匠と呼びたい!

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明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る 

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花と果実のある暮らし in Chiang Mai プチ・カルチャー集 Vol.90 タイ料理の組み合わせ術

★「花と果実のある暮らし in Chiang Mai」
インパクト大の写真をメインにタイのリアルなプチ・カルチャーをご紹介しています。

パートナーとつきあって数年のある夕食のこと。私は日本食が食べたいので、パートナーには、別に大好物のもち米とガイトート(鶏のから揚げ)を買って帰りました。あー、さぞ喜ぶだろうなと思って食卓についたら一言。「あれ、ナンプリックターデーンはないの?」

市場で売っている様々なナンプリック

ナンプリックというのは、タイの家庭の味といった調味料で、唐辛子やにんにくなどの材料を臼で叩いて作ったディップのようなもの。野菜や肉、もち米などにつけて食べます。各家庭でも作りますが、市場にもスーパーにも何種類ものナンプリックが並んでいます。それぞれにナンプリックにはそれぞれに合うメニューがあり、セットとして食べるのが一般的で、一緒に食べることで味のハーモニーやメリハリが生まれるのです。ガイトートやムーピン(豚串焼き)にはナンプリックターデーン、揚げたプラートゥー(鯵のような魚)とチャオム(アカシヤの新芽)のオムレツと揚げた茄子のセットにはナンプリックカピ、ケップムー(豚の皮の素揚げ)や蒸し野菜にはナンプリックオンやナンプリックヌムといった感じです。そう、ナンプリックは脇役っぽいのに重要な役割を果たしている一品なのです。ですので、ナンプリックは和食のお味噌汁、もしくはカレーのらっきょうや福神漬けみたいな存在で、ないと物足りない感じがしてしまうのです。チェンマイ料理は奥が深い…。20年近くもいて、ようやくそんなチェンマイ料理の良さに慣れ親しんできた私。今夜も夕食にあるスープのお惣菜を買って食卓に並べたら…「これには塩漬け魚が合うんだよ。」との一撃が!チェンマイ料理初段の私もそろそろ自分に活を入れるかな。

揚げたプラートウー(アジっぽい魚)、チャオムのオムレツと揚げなすのセット 真ん中がナンプリック

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Written  by 馬場容子(ばば・ようこ)

東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
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花と果実のある暮らし in Chiang Mai
チェンマイ・スローライフで見つけた小さな日常美

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全てをかけて不可能を可能にする! 『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』の予告編

【最近の私】今回のコラムを書いて、『ミッション:インポッシブル』シリーズやジャッキー・チェンが出演した映画をまた観たくなりました。映画って、本当にいいもんですね。

トム・クルーズは80年代から映画界で活躍している俳優の1人だ。彼の出演歴は、さまざまなジャンルにわたっている。今回はその中から、トムの人気シリーズの最新作『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』(2025年)の予告編を紹介したい。

予告編は、いきなりイーサン・ハント(トム・クルーズ)が空飛ぶ複葉機にしがみついている場面から始まる。これまでのシリーズに登場したエリカ・スローン(アンジェラ・バセット)やグレース(ヘイリー・アトウェル)なども今作の予告編に引き続き出ている。CIA本部への侵入、クレムリンの爆破、要人へのガス攻撃など、これまでにイーサンが遭遇したミッションについて言及があり、1作目に出てきたナイフも登場する。

拘束されているイーサンだが、世界を救うのは、彼以外にいないと言われている。今までにない世界規模の危機が迫っているようだ。過去の自分、過去の行動、全てがつながるという。最新作はシリーズを統括する内容になる予感がする。

『ミッション:インポッシブル』(1996年)は、トムが初めてプロデュースを手がけた作品である。以降、すべての続編でプロデュースを務めている。それだけ彼の思い入れと情熱が込められている。その情熱とは、世界を舞台にしたスケールの大きな物語と、アクションだ。

2作目(2000年)では、オープニングのロッククライミングから始まり、バイクと車のチェイスが繰り広げられる。そしてトムは毎回スタントに挑戦するようになる。4作目『ゴースト・プロトコル』(2006年)では、ドバイの超高層ビルの窓に張り付き、ビルの側面を駆け降りる。

5作目『ローグ・ネイション』(2015年)では、離陸する飛行機の胴体にしがみつく。6作目『フォールアウト』(2018年)では、ヘリコプターにぶら下がり、自身で操縦もする。トムはこの場面のためにヘリの操縦を学んだという。前作『デッド・レコニング』(2023年)では、山道をバイクで疾走し、そのまま崖からバイクごとジャンプを披露した。この場面のメイキングでは、山にバイクが走る滑走路を作るという、建設現場のような大がかりな準備に労力を費やしている。

どうして、何がトムをここまで危険なスタントに駆り立てるのだろうか。シリーズを通して、高所、空中、疾走にこだわっている。CG全盛となった現代の映画制作において、シンプルに「落ちたら命を落とす、転倒したら危険」という、観る者がスリルを感じて心を熱くするような、アクションの原点に挑んでいるように思える。実際、『フォールアウト』でトムはビルからビルにジャンプする場面で足首を骨折した。

その姿は、さながらアクションの鬼である。おそらく命綱のワイヤーはCGで消すなどの処理はしているだろうが、それ以外は可能な限り生身で挑んでいる。かつてジャッキー・チェンが『プロジェクトA』(1983年)、『ポリスストリー/香港国際警察』(1985年)など、体を張ったアクションの数々で観客を魅了していた。トムを見ていると、ジャッキーの危険なスタントを現代に再現しているように感じる。

1作目が作られてから約30年間、トムは映画界で俳優という道を走り続けてきた。自分も彼の映画を見続けてきました。最新作に『ファイナル』とついているが、これが本当に最後のミッションになるのか。映画館で確かめてきます!

今回注目した予告編

『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』

監督:クリストファー・マッカリー

出演:トム・クルーズ、ヴィング・レイムス、ヘイリー・アトウェル、サイモン・ペッグ

2025年5月23日より公開

公式サイト:

https://missionimpossible.jp/

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Written by 鈴木 純一(すずき・じゅんいち)
映画を心の糧にして生きている男。『バタリアン』や『ターミネーター』などホラーやアクションが好きだが、『ローマの休日』も好き。
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戦え!シネマッハ!!!!
ある時は予告編を一刀両断。またある時は悪役を熱く語る。大胆な切り口に注目せよ!

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