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明けの明星が輝く空に 第171回:特撮俳優列伝29 志穂美悦子

髪の長い女性が、大空をバックに見事な跳び蹴りを決めている1枚の写真がある。まっすぐ伸びた右足の美しさはもちろん、折りたたんだ左足、こぶしを前に突き出した右腕、わきを閉め、肘を曲げた左腕。そのすべてが一つになって、完璧な“造形美”を生み出している。その女性とは、1970年代の空手映画ブームの中でスクリーンデビューした志穂美悦子。特撮テレビ番組『キカイダー01』にも出演し、「悦ちゃん」と親しみを持って呼ばれた人気者だった。

志穂美さんは、デビュー前からJAC(ジャパンアクションクラブ)でトレーニングを積んだ、生粋の“アクション女優”だった。(JACとは、世界に通用するアクションスターの育成を目標に掲げ、千葉真一氏によって設立された組織で、真田広之さんも輩出している。)1974年公開の『女必殺拳』では映画初主演を務めたが、それに先だって重要な役を得たのが、1973年に始まった『キカイダー01』だった。まだ高校生だった彼女がキャスティングされた役は、先月の記事(https://www.jvta.net/co/akenomyojo170/)で紹介した、マリという名の女性型ロボットである。

マリは普段、人間とは見分けのつかない姿をしている。戦闘時には特殊能力を発揮できる姿に変身するのだが、人間の姿のままで闘う場面も少なくなかった。つまり、志穂美さん自身が空手技を披露する場面が、ふんだんにあったのだ。こういうとき、アクションの素養がない役者が立ち回りを演じると、共演者たちがうまいこと倒れたり投げ飛ばされたりするのが見えてしまって興ざめだが、志穂美さんの場合そんなことは全くなく、マリのアクションは実にサマになっていた。「女が男を倒す際に、もっとも華麗で、しかも納得いくのが空手技」とは、師匠である千葉さんの考えだ。マリ=志穂美さんはその言葉を証明するかのように、美しく敵をなぎ倒していった。

志穂美さんが俳優を目指すきっかけとなったのは、バレーボールを題材にしたドラマ、『サインはV』(1969年~70年)を観たことだったそうだ。そして、千葉真一さん出演のアクションドラマ、『キイハンター』(1968年~1973年)で、演技者への思いは決定的になったという。もともと陸上部で活躍するなど運動神経が良く、体を使って何かを表現したいと考えていた彼女は、女がアクションをしたらさぞカッコイイだろう思い、日本で女性初のアクション俳優になろうと決意を固めたのだ。ただし、やりたかったのは、ロープウェーからぶら下がったり、爆発の合間を走り抜けたりといったような、まさに『キイハンター』的なアクションだったのだが、世の中はブルース・リーの影響で空手ブーム。必然的に、そんな格闘アクションが求められた時代だった。

ところで、ブルース・リーと言えば、技を繰り出す際の怪鳥のような声とともに、敵を倒した後の悲しげな表情も印象的だった。志穂美さんも、「女が闘わなくてはいけないのは悲しいことだ」という思いから、そういった表情を常に意識するようにしていたという。そもそも、マリというキャラクターが哀しみを抱えたヒロインであったから、そういった意味でもアクションシーンは演じやすかったのではないだろか。キリッとした眉や切れ長な目をした志穂美さんは、悲しげな表情がよく似合った。アクションがうまいだけでなく、思い悩み苦しむ心の内も表現できていたからこそ、マリを軸としたドラマ性豊かなエピソードの数々も可能になったに違いない。

そう考えると、『キカイダー01』の放映終了後、今で言うスピンオフのような形で、マリを主人公に据えた新番組―もちろん、志穂美さんの続投は絶対条件だ―が作られていても良かったのではないかという気がする。しかし、残念ながら、そうはならなかった。実現していれば、女性主人公が圧倒的に少ない特撮映像作品の世界が、今とは違ったものになっていたかもしれない。志穂美さん自身はその後、『女必殺拳』シリーズのほか、『若い貴族たち 13階段のマキ』(1975年)など、多くの作品で空手アクションを披露。『柳生一族の陰謀』(映画版は1978年公開、テレビ版は1978年~79年放映)などの時代劇では、刀を使った殺陣も披露している。

映画評論家の山田宏一氏や山根貞男氏によると、それまで女性が主役の剣劇には“エログロ”の要素があり、「邪険」や「妖婦」といったイメージがつきまとっていたが、志穂美さんは全く異なっていたそうだ。いわく、「女の情念とは無関係な存在感」があり、「お嬢さん的魅力」のある「青春スター」で、それでいて「活劇」をやるところが新しかったと評している。(もちろん俳優である限りは、どんなイメージの役でもこなせるのが理想だろう。それでも、演技者の肉体からにじみ出てくるものはそれぞれ違っており、それが個性=魅力になるのだろう。)現代の感覚からすると、いかにも“昭和の男性目線”的な評論と言えなくもないが、それはさておき、志穂美さんが当時、女性としてはいかに新しいタイプの演技者だったか、ということが伝わってくる。

アクションもの以外でも、『熱中時代』(1978年~79年)といった学園ドラマなどに活躍の場を広げていった志穂美さんは、1986年に結婚したのを機に俳優業から引退。最近では、フラワーアーティストと活動している。それでも体を動かすのが好きなところは変わっていないようで、昨年出演したイベントで、足が頭の上にまで上がるような見事なハイキックを披露している。もう引退して40年近くにもなるというのに。悦ちゃん、おそるべし!

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】アニメの絵コンテ講座の続報です。課題の講評をいただきまして、自信を持って盛り込んだアイデアにダメ出しをもらいました(トホホ)。それがない方が、スッキリしてわかりやすいと。変に凝ったことをやろうとし過ぎたようです。

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明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る 

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やさしいHawai‘i 第81回 フメフメの28年の人生

【最近の私】数年ぶりにハワイへ行くことになりました。今回は長男一家と一緒なので、これまでとは違った楽しみが期待できそう。ハワイ生まれの長男にとっては、生まれ故郷を訪れることになり、お世話になったハワイのおじいちゃん、おばあちゃんのお墓参りが第一の目的です。

登場する人物名

カウムアリイ     カウアイ島最後の王

フメフメ       平民の女性との間に生まれた、カウムアリイの長男の幼名

ジョージ       アメリカへ発つときに、父カウムアリイがフメフメに付けた名前

カアフマヌ      カメハメハ大王のお気に入りの妻 

カメハメハの死後、カウアイ島の王カウムアリイを誘拐して強制的に夫にした。

デボラ・カプール    カウムアリイの妻で、カウアイ島最後の王妃と言われている。           カウムアリイののち、合計5人の夫を持つ。

ローワン       フメフメをアメリカへ連れて行った船長

コッティング     ローワンが2年後にジョージを預けた人物***********************************************************************

当時のハワイに関しては事実確認が困難な点が多く、長男のフメフメに関しても明確な情報をつかむのが難しいところです。それを踏まえたうえで、資料を集めてフメフメの姿をとらえていきたいと思います。

前回(第80回)、カウアイ島の王カウムアリイには多くの妻がいた、と書きました。調べによると、少なくとも5人いて、彼が20歳の時(1798年)平民の女性との間に生まれたのが、長男のフメフメです。

1804年、このフメフメが6歳(4歳、7歳、12歳など様々な情報があります)の時、父カウムアリイは彼を、以前からカウアイ島に出入りしていたアメリカの貿易船船長ローワン(Rowan)に託しました。理由の第一はフメフメにアメリカで英語を学ばせるためですが、当時カウムアリイの妻であったカウアイ最後の王妃と言われるデボラ・カプールは、後の王位継承の不安材料になると、フメフメをカウアイ島から出すようカウムアリイに働きかけたようです。カプールは美しく頭が良いと評判の女性でした。夫カウムアリイをカアフマヌに奪われたのち、カウムアリイの他の女性との間に生まれた息子と結婚。するとその夫もカアフマヌに連れ去られたため、最後はカウムアリイのハーフブラザーと結婚しました。そんな人生を知ると、王位継承にはフメフメが邪魔だと思ったのもうなづける気がします。

カウムアリイは、島に出入りしていたロシアやイギリス、アメリカの船長たちと、持ち前の性格で気軽に交流しており、ローワンをすっかり信用してしまいました。そしてローワン船長に、息子の扶養や教育費として、当時の金額にして7~8千ドルを渡したといわれています。

ここから、わずか6歳のフメフメの長い未知の旅が始まります。親から離れ、どこへ向かうかも分からず、異国の言葉を話す白人たちの中で全くの異邦人であったフメフメにとって、この旅はどれほど不安で心細いものだったことでしょう。

カウムアリイは、アメリカへ発つ息子のフメフメにジョージという呼び名を付けました。これは憧れの英国王室の名前がジョージであったこと、そして親しくしていたイギリス海軍士官の名前がジョージ・バンクーバーであったのが理由のようです。

さて、ジョージと名を変えたフメフメは、最初の2年間ローワン船長に連れられてアメリカのマサチューセッツで暮らします。ローワンはカウムアリイから多大な金額を受け取ったにも関わらずそれをすべて使い尽くし、手に余ったジョージを学校の教務の仕事をしていた(school keeperとあります。教務のような仕事だと思いますが、教師とある資料もあります)コッティング(Cotting)に預けます。間もなく彼は教務の仕事を辞めて他の町に移り、彼に付いていったジョージは大工見習や農家の手伝いなどの力仕事をさせられました。カウアイ島の王の息子として6歳まで過ごしたジョージにとって、これらの力仕事は大変つらい生活だったに違いありません。

コッティングと共に6年近くを過ごしたジョージは、何とか故郷のハワイへ帰る道を探ろうと、ついに彼の元を離れます。その後1815年、アメリカ海軍に籍を置き、地中海などへも航海し、戦争にも加わって大けがをする経験もしました。ジョージはこの間、自分を『Prince George』と名乗っており、自分がカウアイ島の王の息子であることを、一瞬たりとも忘れたことはなかったようです。いつか故郷に戻れば、父の跡を継ぎ、いずれ自分は王となることに、何の疑問も感じていませんでした。

そして1816年春にアメリカに戻り、American Board of Commissioners for Foreign Missions (ABCFMアメリカ海外伝道評議会)の庇護を受けるようになります。ジョージは18歳になっていました。当時アメリカではニューイングランドを中心に、ハワイやタヒチなどから若者を集め、アメリカ本土でキリスト教を学ばせたのち、再び故郷の国に送り返して布教活動をさせるという、海外伝道への機運が高まっていました。

ここでジョージは、ハワイからやって来た数人のハワイ青年たちに巡り合います。長い間ハワイを離れていたジョージは、カウアイ島の王である父親の名以外のハワイ語をほとんど忘れていたのですが、この青年たちからハワイ語を学び、再び故郷へ戻って王位を継ぐという夢を膨らませていきました。

その夢がついに叶う日がやって来ます。ハワイへ向けた初のキリスト教宣教師団は1819年ボストンを出発し、南アフリカのケープホーン岬をめぐり、半年をかけた大変な旅の末、ようやく翌年ハワイに到着しました。そしてその宣教師と共に送られてきた4人のハワイの青年たちの中に、ジョージがいたのです。3人の青年はハワイでのキリスト教布教のために、すでに洗礼を受けていましたが、ジョージはキリスト教徒になることに依然躊躇していました。

Brook Kapūkuniahi Parker’s 2017 painting of the “Father and Son Reunion” 

「父と息子の再会」 2017年Brook Kapukuniahi Parker の作品

〔ジョージが父親カウムアリイと再会した時の様子を表わした絵。中央で手を取り合っている右側が父カウムアリイ、左がジョージ〕

父のカウムアリイは、息子ジョージがアメリカで死亡したという情報を受けていました。彼の生存を諦めていたカウムアリイは、16年ぶりに思いがけず息子に巡り合うことができ、心から喜んだのは、言うまでもありません。

ジョージはハワイへ戻ると、自分の名前を再びフメフメに変えました。彼は6歳まで過ごしたかつてのカウアイ王国に憧れ、幼少時のハワイでの生活の復活を夢見て、当時の幼名を使うことにしたのです。16年もの間の大変辛いアメリカでの生活ののち、夢に描いたカウアイ島の王である父親カウムアリイとの再会を果たしたジョージでしたが、喜びもつかの間、彼の本当の悲劇はここから始まるのです。

ハワイ王国は、1819年カメハメハ大王が亡くなります。その後彼のお気に入りの妻カアフマヌが、事実上カメハメハ大王没後の実権を握ります。彼女はこれまでの社会や宗教の基盤となっていたカプ制度を廃止し、ヘイアウ(神殿)を取り壊したため、人々は頼るものを失っていました。

1820年宣教師団がハワイへやって来たのは、ちょうど人々の心が真空状態になっていた時でした。キリスト教の影響を受けたカアフマヌ(第76回)やケオプオラニ(第77回)など多くのハワイの王族は、古代ハワイの伝統的宗教に代わる、新しい神に出会います。ジョージの父カウムアリイもその一人でした。こうしてハワイの社会は、たちまちキリスト教によって大きく変革してしまったのです。

ジョージ改めフメフメは、そんなハワイ社会が変わっていくのを目前にして、大きな戸惑いを感じます。帰国後間もなく、洗礼を受けクリスチャンになりはしたものの、フメフメは、急激に広まった厳しいキリスト教の規律に我慢ができず、堕落した白人たちと一緒に酒を飲み、ギャンブルにふけりました。

1821年には頼りにしていた父カウムアリイがカアフマヌに誘拐されてオアフ島に移り住み、フメフメはカウアイの王となる夢を完全に失います。しかし父カウムアリイもまた、期待をかけていた長男フメフメの生活が堕落していくのを知り、絶望を感じたのです。そして1924年死を迎える時には母国カウアイ島への執着を失い、カウアイ島の所有権をすべてカメハメハ2世に譲り、フメフメには何も残しませんでした。カウムアリイが自分の墓を、カウアイ島ではなく、マウイ島のケオプオラニのそばに置いてほしい、と遺言を残した(第80回)理由の一つが、ここにあったのだと、私は思います。

フメフメは、父親のカウムアリイがカウアイ島の権利をすべてカメハメハ2世に譲ったことに対し、当然不満を持ちました。そして同じように不満を感じた首長たちと共に、カメハメハ王家に対し謀反を起したのです。しかしフメフメ達に勝ち目はなく簡単に敗北し、反乱軍の一部は殺され、一部は山間部へ逃げ込みました。2週間ほど後、追手によって山の中で発見されたフメフメは、ほとんど何も身に着けていず、手にはラム酒が入った竹筒を持ち、心身ともに疲弊していたそうです。ホノルルに連行されたフメフメはおよそ2年後インフルエンザに罹り、最期は悪魔に襲われる恐ろしい悪夢の中で苦しんで亡くなったということです。

フメフメの人生はわずか28年で終わりを迎えました。6歳までは王位を継ぐという、輝かしい未来が待っていました。その後未知の世界アメリカに送られ、16年の厳しい生活の末、やっと母国に帰って来た時には、憧れていた幼少時のハワイはすでに消失していました。彼はキリスト教によって大きく変わってしまった社会に適応できず、自ら死に向かっていったように思います。悲しい人生、と言ってしまえばそれまでですが、歴史の大きなうねりの陰には、こうして消えていった人生が数多く存在するのだろうと思います。

参考資料

●『A narrative of five youth from the Sandwich islands, viz. Obookiah, Hopoo, Tennooe, Hahooree, and Prince Tamoree, Now Receiving an Education in This Country』

https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=njp.32101078190426&seq=7&format=plaintext

●『Shoal of Time』 by Gavan Daws  University of Hawaii Press

●『ハワイ人とキリスト教』 井上昭洋著 春風社

●『George Prince Tamoree: Heir Apparent of Kauai and Niihau』 by Anne Harding Spoehr   Publisher:Hawaiian Historical Society

● 『George Prince Kaumuali’I, the Forgotten Prince』 by Douglas Warne

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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
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やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。
 
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初の悪役に挑んだ話題作 イーサン・ホーク in 『ブラック・フォン』

【最近の私】米アカデミー賞で『ゴジラ-1.0』が視覚効果賞を受賞しました。日本映画が世界に誇るゴジラでの受賞は嬉しいです。

 

俳優が悪役を演じると、そのキャラクターのイメージがつくことがある。そのため、悪役を演じることを避けてきた俳優がイーサン・ホークだ。今回はその彼が連続殺人鬼を演じた『ブラック・フォン』(2022年)を紹介したい。

物語の舞台は、1978年のコロラド州デンバー郊外。この町では、謎の男グラバー(イーサン・ホーク)による子どもの誘拐事件が相次いでいた。町中には、失踪した子どもたちのポスターが貼ってあるほどである。この町で暮らす少年フィニー(メイソン・テムズ)は、家では高圧的な父親におびえ、学校ではいじめグループの標的になっている。フィニーの妹グウェン(マデリーン・マックグロウ)は、今は亡き母親と同じ予知夢を見る能力があった。ただ、父親はグウェンの能力を否定し、夢の話をするグウェンを激しく叱責する。

ある日、フィニーはグラバーに誘拐されてしまう。フィニーが目覚めると、そこは見知らぬ部屋の中だった。そして、不気味なマスクをかぶったグラバーが現れる。その部屋は防音になっており、いくらフィニーが叫んでも外には聞こえない。そして部屋には、断線した黒電話が壁にかかっている。

誘拐されたと知ったフィニーは、暗い部屋の中で絶望する。その時、鳴るはずのない黒電話のベルが鳴る。受話器を取るフィニー。電話をかけてきたのは、グラバーに誘拐されて殺された子どもたちの霊だった。死んだ子どもたちは、フィニーにこの部屋からの脱出法を教えようとする。一方。グウェンは予知夢の能力を使って、失踪した兄の行方を追っていた。果たして、フィニーは誘拐犯の手から逃れることができるのか。

イーサン・ホークが悪役を演じることを避けていた理由として、『シャイニング』(1980年)のジャック・ニコルソンに、あの映画の狂気にとりつかれた役のイメージが強くついてしまったことを挙げていた。そのため、『ブラック・フォン』のオファーが来た時、監督のスコット・デリクソンに「役を引き受ける可能性は低い」と伝えたという。だが、脚本を読んで出演を決めたのだから、このグラバーが、悪役を演じることをイーサンに決断させるほど魅力的だったのだろう。あるインタビューで、「この作品は子どもたちの視点で語られており、兄妹はお互いを愛し、助け合っていく。悪がある世の中で、自分たちで自分たちの面倒を見る。僕はそこに美しいものを見る」と話していた。デリクソン監督は『フッテージ』(2012年)をイーサン主演で撮っている。あえてイーサンに殺人鬼の役をオファーしたのも、目の付けどころが素晴らしいです。

イーサン扮するグラバーは、登場する時は終始、不気味なマスクをつけている。マスクで素の表情が見えないので、話している相手の恐怖をあおる。この独特なマスクをデザインしたのは、特殊メイクアップアーティストの巨匠、トム・サヴィーニである。『ゾンビ』(1978年)や『死霊のえじき』(1985年)など、数多くの映画で特殊メイクを担当している第一人者だ。そのトムが制作に携わっているマスクだけに、見る者に強い印象を残すインパクトがある。

マスクごしの演技で、子どもたちを恐怖のどん底に落とし入れる殺人鬼を表現できたのは、イーサンの演技力によるところが大きい。マスクだけではなく、グラバーには彼の過去など、明確な説明はない。彼がどんな男なのわからないので、観客の想像に任せたのも、この映画が成功した点なのではないか。

『ブラック・フォン』で悪役を演じることに手ごたえを感じたのか、この作品の続編にも再び登場するという(2025年に米公開予定)。監督のデリクソンをはじめ、他のメインの出演者も続投する予定だ。イーサンがどのような悪役になるのか、注目して待ちたいです。

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Written by 鈴木 純一(すずき・じゅんいち)
映画を心の糧にして生きている男。『バタリアン』や『ターミネーター』などホラーやアクションが好きだが、『ローマの休日』も好き。
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戦え!シネマッハ!!!!
ある時は予告編を一刀両断。またある時は悪役を熱く語る。大胆な切り口に注目せよ!

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明けの明星が輝く空に 第170回:夢幻のヒロインたち3:マリ(ビジンダー)

登場作品:特撮TV番組『キカイダー01』(1973年~74年)
キャラクター設定:悪の組織を裏切り、主人公と共闘する女性型ロボット

スーパー戦隊シリーズを中心に、戦う特撮ヒロインは数多くいるが、『キカイダー01』のマリほど、動きにキレのあるヒロインはいないだろう。それも当然と言えば当然のことで、演じたのは、本格アクション女優の草分け的存在、志穂美悦子さんだった。昭和のアクションスター、千葉真一氏が立ち上げたジャパンアクションクラブ(JAC)でスタントを学んだ志穂美さんだけに、空手技を駆使した戦いぶりは実に見事。マリの強さにも説得力が出た。

マリについて特筆すべきは、アクションだけではない。彼女は、物語の中で独自の立ち位置を占めており、個としてのキャラクターを確立していた。ありていに言ってしまえば、男性キャラの“添え物”ではないのだ。その意味で、特撮作品における希有なヒロインだった。

彼女は当初、イチロー(キカイダー01)の敵として登場する。悪の組織、シャドウの作ったロボット(ビジンダー)だったのだ。イチローは、女性や子どもに対して警戒心が下がる。そこに目をつけたシャドウによって、普段は若い女性の姿をしたロボットとして送り込まれた。しかし、イチローにはビジンダーであることを見抜かれ、君を助けたいとの申し出を受ける。というのも、マリはイチローを欺くため優しい心をプログラミングされており、ビジンダーへの変身前は、悪事を働くこともなかったからだ。

イチローの言葉に揺れ動くマリだったが、使命を果たそうとビジンダーに変身して戦いを挑む。しかし、キカイダー01に変身したイチローに敗れてしまう。イチローはその後、マリに“良心回路”を取り付けることに成功。それは不完全なものだったが、シャドウからは裏切り者とみなされ、結果としてイチローと力を合わせて戦うことになる。

マリはイチローの味方になったといっても、基本的には別行動をとっていた。また、戦闘能力が高いため、イチローの足手まといになったり、救ってもらったりすることもない。そのあたりが、主人公のアシスタント的役割にとどまるヒロインとは、一線を画す。さらに、初登場回である第30話以降は、彼女を中心としたエピソードが多く、作劇上も重要な立ち位置にあった。実際、元東映プロデューサーの吉川進氏は、実質的にビジンダーが主人公だったと証言している。

マリのドラマの根幹にあるのは、自分は完全ではないという思いから来る苦悩だ。シャドウの大幹部に「できそこない」と罵られ、激しく反発することもあった。またある時は、シャドウの指令に抗いきれずにイチローを攻撃してしまい、「やっぱり私は中途半端」だと悩む。そして、いつかイチローのように、強く正しい存在になりたいと願うのだ。

思い悩むマリの姿は、普通の人間と何ひとつ変わらない。観ているうちに、彼女がロボットであることを忘れてしまいそうだ。機械が、あるはずのない感情を示したとき、それはより明確な輪郭をもって立ち現れるように思う。「人間と感情」という組み合わせであれば、それは自然なものだから、僕らは特別な意識を持たずに受け入れるだろう。一方、「機械と感情」という組み合わせは不自然だ。しかし、だからこそ、その心の有り様がより浮かび上がって見えるし、僕らは一層そこに目を凝らそうとするのではないだろうか。少々理屈っぽくなってしまったが、簡潔に言えば、マリがロボットだからこそ感情移入しやすい、ということもあるのではないかと思う。

そして、これは希望的観測であるが、「中途半端な自分」に悩むマリは、番組の作り手たちから子どもたちに向けたエールだったと解釈したい。自分に100%の自信を持てるような子どもは、決して多くないだろう。誰しもコンプレックスや悩みを抱えているものだ。そんな子たちがマリの姿を見て、悩んでいるのは自分ひとりではないと知り、勇気を奮い立たせてもらえれば。そんな思いが制作現場にあったとすれば、ステキなことではないか。

マリには、恋愛エピソードも用意された。ある理由からロボットを憎む英介という青年に、好意を寄せられるのだ。実は彼は、マリがロボットだということは知らなかった。そんな彼にマリは真実を打ち明けられず、いったんは姿を消す。しかし、あきらめきれない英介は、なんとかマリを見つけて、自分の気持ちを告白する。そのとき、マリは「これでも私が好きですか」と言って、英介の目の前でビジンダーに変身する。愕然とする英介に、マリは別れを告げ、去っていった。

このエピソードは、青年のひたむきな愛に振り向くことを許されないのがマリの宿命だ、というナレーションで締めくくられる。なんという哀しい存在なのだろう。思えば、原作者である石ノ森章太郎氏が生んだヒーローたちは、みな哀しみを抱えていた。仮面ライダーしかり、サイボーグ009しかり。『キカイダー01』のイチローの設定は、前作である『人造人間キカイダー』の主人公ジロー(キカイダー)が悩めるロボットだった点が不評だったため、反対方向へ舵が切られていた。そんな中、番組の後半に入ってから登場したマリは、実は石ノ森ワールドの王道的存在だったのである。

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
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花と果実のある暮らし in Chiang Mai プチ・カルチャー集Vol.77  卵焼き、いろいろ。

★「花と果実のある暮らし in Chiang Mai」
インパクト大の写真をメインにタイのリアルなプチ・カルチャーをご紹介しています。

タイ人は、卵が大好きで、沢山の卵料理が存在します。我が家の食卓に並ぶメニューの一つに、タイの卵焼き「カイジアオ」があります。日本の卵焼きとは違って、多めの油でふわっと焼き上げる卵焼きは、大衆ごはんの一品です。私のパートナーは、自分の娘が小さい時に「お父さんの卵焼きが一番美味しい!」と言われたらしく、一品足りない時は、いつも卵焼きを焼いてくれます。味付けは、ナンプラーで、卵焼きにはチリソースをつけて食べます。タイの卵焼きにはたくさんの種類があり、最近色々な卵焼きにハマっています。

定番、豚ひき肉入りのカイジアオ

まず定番は、豚のひき肉入り。お腹が空きた時には、ちょっと肉入りの方がガッツリ食べられます。卵だけのものよりも厚みがあるためボリューミーで、見た目はスパニッシュオムレツ風!? そして2つ目は、チャオムというハーブが入ったもの。チャオムとは、独特の香りがするタイの野菜。昔住んでいた古民家にチャオムの木があり、風に乗ってふわっとしてきた匂いは何だろうと思っていたら、チャオムの葉っぱでした。最初は臭いと思っていたチャオムも長年いるとその匂いが癖になってくるのは不思議です。卵焼きにはチャオムの新芽を入れて焼きます。調理するとその匂いは和らぎ食べやすくなります。ナムプリックカピという発酵エビ味噌のディップと食べます。また、スープにこのチャオムの卵焼きを入れたりもします。

市場で卵はビニールに入って売られています。

そして最後は、発酵豚ソーセージと唐辛子、エシャロット入り。酸味と唐辛子の辛味で柔らかい味が引き締まる一品。お酒のおつまみにもいいですね。卵焼きは、どの国でも愛される一品!タイにいらっしゃる際は、色々な卵焼きを試してみてはいかが!?

タイ北部名産の発酵豚、ネーム

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Written  by 馬場容子(ばば・ようこ)
東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
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花と果実のある暮らし in Chiang Mai
チェンマイ・スローライフで見つけた小さな日常美

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恐怖の夜を生き延びろ『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ』の予告編

【最近の私】来月はアカデミー賞の発表ですね。『哀れなるものたち』が評判高いので注目してます。あと『ゴジラ-1.0』は視聴覚効果賞を受賞してほしいです。

映画では、閉じられた空間で物語が繰り広げられる作品がある。限定された場所で、生き残れるかを描くとサスペンスは盛り上がる。主人公が避難用の密室に逃げ込む『パニック・ルーム』(2002年)や、謎の部屋に閉じ込められた人間たちを襲う恐怖を描いた『キューブ』(1997年)などがすぐに思い浮かぶ。今回は、そんな“密室映画”になるであろう『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ』(2023年・以下『FNAF』と略)の予告編を紹介したい。

予告編は、マイク(ジョシュ・ハッチャーソン)が、閉鎖されたピザレストランに警備員として働く場面から始まる。この店は1980年代に機械仕掛けのマスコット人形たちがいることで人気の店だったが、子どもたちが謎の失踪をとげ、今は閉店して廃墟となっている。実はマイクの弟も行方不明になり、マイクは今でもその事件に苦しんでいる。彼の両親は亡くなり、妹アビー(パイパー・ルビオ)を親代わりとして育てている。生計を立てるべく、マイクはこのレストランの夜間警備員として働くことになる。

廃墟のレストランでは、誰もいないはずの店内に異様な雰囲気が漂う。マイクの仕事は、監視室でモニターを見るだけだった。だが不信に思ったマイクは、店内を見回ることに。その時、不気味な笑い声が聞こえ、動かないはずのマスコットたちが目を覚ます。なぜ動くのか?目を怪しく光らせながら、マスコットたちはマイクたちを襲い始める。マスコットたちの目的は?80年代に起こった子どもの失踪事件との関わりは?マイクと妹は、恐怖の夜をサバイブできるのか?

『FNAF』はスコット・カーソンが開発したPC、およびスマホ用のゲームが原作だ。ゲームでは、プレイヤーは警備員が事務所にたてこもり、ライトや監視カメラを駆使してマスコットたちから生き延びようとする。私はこのゲームをしたことがないのですが、なぜ廃墟と化した店を警備するのかは、ちょっと疑問です。きっと映画では説明されていると思います。

今回の映画は、『M3GAN/ミーガン』(2022年)や『透明人間』(2020年)などのヒット作を制作し、ホラー系映画のブランドともいえるブラムハウス・プロダクションズが手がけている。『FNAF』は昨年10月にアメリカで一足早く公開され、大ヒットを記録している。本作に登場するマスコットたちは、クマのフレディー、ベースを演奏するウサギのボニー、ヒヨコのチカとカップケーキ、骨格がむき出しになっているキツネのフォクシーなど、個性的なキャラクターたちにも注目したい。このマスコットたちは、例えば、80年代ごろに遊園地やデパートの屋上にいた、動物の着ぐるみのような感じである。

人気ゲームを映画化するにあたり、ヒットするかは、このマスコットたちをどう実写化するかにかかっていたのではないか。映画に登場するマスコットたちは、CGではなく、『セサミストリート』などのキャラクターを手がけていることで有名な、ジム・ヘンソン・クリーシャーショップが担当している。中に人間が入るサイズのマスコットたちも作られたという。ゲームの開発者カーソンも撮影現場を訪れて、作品世界についてチェックし、アドバイスをしたそうだ。

決してかわいいとは言えない機械じかけの動物たちだが、動き出して人間を襲うという点では、『チャイルド・プレイ』(1988年)に登場した人形チャッキーを思い浮かべる人もいるだろう。アナログ感あふれるマスコットたちが主人公たちを襲う『FNAF』は、お化け屋敷映画として、きっと子どもから大人まで楽しめる怖い作品になっていると思います。これから、映画館に行って確かめてきます!

今回紹介した予告編:『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ』

監督:エマ・タミ

出演:ジョシュ・ハッチャーソン、マシュー・リラード、パイパー・ルビオ

2024年2月9日より公開

公式サイト:

https://fnaf-movie.jp/

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明けの明星が輝く空に 第169回:『ゴジラ』×『ゴジラ-1.0』  

アカデミー賞の視覚効果賞にノミネートされた『ゴジラ-1.0』は、ゴジラ以外の怪獣が登場しないという点で、原点に立ち返った形だ。そこで今回は、東宝ゴジラシリーズ第1作の『ゴジラ』と比較し、それぞれの作品の特徴を浮き彫りにしてみたい。

『ゴジラ』は、終戦から10年もたっていない1954年に公開された。それだけに戦禍の影を色濃く残す作品だが、物語は後半、若い男女3人の関係を軸に進む。主人公の尾形秀人とその恋人である山根恵美子、そして、かつて恵美子の婚約者的な立場にあった芹沢博士だ。この、“蛇足”にも見えてしまうメロドラマ的要素は、若手俳優を売り出すためでもあったのだろう。尾形を演じたのは、のちにスターダムに駆け上がった宝田明さんだった。しかしそれと同時に、芹沢博士の人物像を明確にするために必要だったとも考えられる。

尾形は太陽の下が似合う好青年だが、芹沢博士は対照的に陰のある孤独なキャラクターだ。彼の研究室が地下にあるという設定も、その印象を強めるためだろう。そこに恋物語からはじき出された姿が描かれ、さらに孤独な印象が強まる。『ゴジラ』を撮った本多猪四郎監督の作品とは、“はぐれ者”の物語だという指摘があるが、芹沢博士は、まさにその“はぐれ者”である。そして、ゴジラも(文明社会に)居場所はないという意味で、芹沢博士とキャラクター造形が重なる。芹沢博士の悲哀とは、ゴジラの悲哀でもあった。ここに、ゴジラの本質がある。

一方、昨年11月に公開された『ゴジラ-1.0』(以下、『-1.0』)は、『ゴジラ』以上に人間ドラマが濃密だ。主人公は元特攻隊員の敷島浩一。彼は、“はぐれ者”というわけではないが、強い自責の念を抱えて生きている。実は戦時中、搭乗機の故障を装い、特攻から逃げてしまった。さらに、逃げた先の守備隊基地で、仲間を見殺しにもしている。というのも、ゴジラの襲撃を受けた際、駐機中の戦闘機から機銃掃射をするチャンスがありながら、恐怖で何もできなかったのだ。終戦後は東京で平和に暮らしていたが、特攻とゴジラから逃げたという思いが拭えない。連日、ゴジラ襲撃の記憶が悪夢となって蘇り、自分が生きていることすら信じられなくなる。それでも、一緒に暮らす典子の支えもあり、生きていくことに希望を見出す。

『-1.0』のキャッチコピーは、「生きて、抗え」である。この映画は、たとえどんなに辛くても生きろ、と訴えている。だから、ゴジラの東京襲撃で典子を失ったと思い込んだ敷島が、“死ぬこと=特攻”を決意して戦闘機に乗り込んだ物語終盤、実は脱出して無事だったという、ご都合主義的に見えてしまう展開になるのも当然のことだった。出撃直前、自分の手の震えに気づき、隣にいた男に向かい、「笑えますよね」と恥じたように言う場面があるが、たとえ格好悪かったとしても、生きたいと願う人間の思いを、山崎貴監督は尊重しているのだ。

敷島が脱出した戦闘機はゴジラの口に突っ込み、爆発で頭部を吹き飛ばされたゴジラは死んだ。しかし、敷島が典子と再会を果たした次のカットで、ゴジラの肉体が再生を始めていることが示される。それが暗示するのは、ゴジラの復活であって、新たなゴジラの誕生ではない。前者はゴジラの脅威が増幅するだけだが、後者は人間の愚行(核実験)が繰り返されることを意味している。そして、1954年の『ゴジラ』で示された懸念が、まさに後者だった。ゴジラが沈んだ海を見ながら、山根博士(恵美子の父)は、「あれが、最後の1匹だとは思えない」とつぶやく。彼が恐れるのは、再び水爆実験が行われ、次のゴジラが出現することだ。(ゴジラは、水爆実験によって凶暴化した古生物だった。)博士の言葉は、人間が愚行を繰り返すことに対する警鐘だ。約70年前の映画が、今も輝き続けている理由が、ここにある。

水爆実験で被爆し、口から放射能を帯びた熱線を吐くゴジラは、核兵器のメタファーだと言われる。しかし、長いシリーズの中で、これまで一度も、ゴジラ自身が核兵器並みの破壊力を持つ姿は描かれなかった。『ゴジラ』で東京は火の海になったが、その光景が想起させるのは東京大空襲だ。ヒロシマやナガサキではない。しかし、『-1.0』でゴジラが吐いた熱線は(明確な形のキノコ雲こそ描かれなかったが)、原爆級の大爆発を引き起こし、銀座を含む広範囲を廃墟に変えた。とうとうゴジラは、核兵器そのものになってしまったのだ。

ゴジラの恐ろしさを再定義した演出とも言えるのだが、個人的には釈然としない。水爆実験で怪物化したゴジラは、本来は犠牲者。ゴジラの着ぐるみの皮膚が、ひび割れたように荒れた造形なのは、焼けただれたイメージをまとわせるためのものだ。そのゴジラ自身が、己を傷つけた忌むべき核兵器そのものになる・・・。あまりにも残酷な話だ。もしそうするのなら、その呪われた悲劇性を映画の中心に据え、ゴジラの死には“鎮魂”の意味を込めるべきではないだろうか。

鎮魂。それはまさに、『ゴジラ』の主題のひとつでもあった。ゴジラが倒された場面では、レクイエムとしか言いようのない、美しく悲しげな曲が流れる。芹沢博士もゴジラと“心中”する形で命を落とすため、彼の死を悼む意味合いは当然あるだろう。しかし、前述の通り、両者は“はぐれ者”というキーワードでつながっている。哀悼は、ゴジラにも捧げられたと見るべきだ。ゴジラ映画が話題になっている今だからこそ、そんなことも多くの人に知っておいてほしいと願う。

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】暖房に頼らず厚着で過ごしていると、体が寒さに慣れてきました。夏もしばらくすると、それほど暑いと思わなくなります。でも、年を取ると暑さ・寒さを感じなくなると言うから、そのせい?

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明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る 

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花と果実のある暮らし in Chiang Mai プチ・カルチャー集Vol.76 花の装飾「マライ」

★「花と果実のある暮らし in Chiang Mai」
インパクト大の写真をメインにタイのリアルなプチ・カルチャーをご紹介しています。

市場で売られている氷の上のマライ

タイの文化の中に、私の大好きな花の装飾「マライ」があります。タイを旅した人は、この花輪の「マライ」をきっと見たことがあるのではないでしょうか。日本の華道や西洋のフラワーアレンジメントとは違う、お花のアレンジの仕方にとても惹かれました。マライはタイの花文化における装飾はもちろん、仏教や神棚に捧げるお供え物、そして贈り物としてあちらこちらの場面で目にします。朝の市場には氷の上に置かれたマライが売っています。

生花なので1日しか持ちません。また、道路の交差点の花売りの人たちがマライやジャスミンのレイなどを毎日売って歩いています。私もたまに購入し、車に飾ると車内がとてもいい香りに包まれます。ある時、自分でも作ってみたいと独学で本と針を買ってきて作ったこともありました。針にお花を刺していきますが、大きさも違う花をきれいに整列させる作業はなかなか難しいのです。

道路でマライを売り歩くおばさん

ナチュラルな素材で作られたマライ

お花はタイ国際航空のマークにもなっているドックラックと言われるお花やジャスミン、バラ、木蓮などがよく使われています。1日しか持たない、その日限りの美しさ。素敵なマライをおみやげには難しいですが、最近ではこんなマライも見られます。タイにいらっしゃる時はぜひ市場で見つけてくださいね。

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Written  by 馬場容子(ばば・ようこ)
東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
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花と果実のある暮らし in Chiang Mai
チェンマイ・スローライフで見つけた小さな日常美

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やさしいHawaii 第80回 カウアイ島最後の王の墓の謎

【最近の私】昨年の10月から、週1で水泳教室に通い始めました。初級クラスです。バタ足から始めて、もうクロ―ルはOK。今バタフライに挑戦中ですが大苦戦中。でも、何かを学ぶことの楽しさを満喫しています。

登場する人物名

カアフマヌ  カメハメハ大王のお気に入りの妻

ケエアウモク カアフマヌの弟

ケオプオラニ カメハメハ大王の聖なる妻 

カウムアリイ カウアイ島の最後の王

フメフメ   カウムアリイの長男 後にジョージ・カウムアリイ名付けられる

リホリホ   カメハメハ2世

デボラ・カプール カウムアリイの妻の一人

ジョージ・バンクーバー イギリスの海軍士官

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今回も、歴史上の確実な情報を集めつつ、想像をたくましくして、自由に人物像を描いていきたいと思います。

前回(第79回参照)、マウイ島ラハイナにあるカメハメハの聖なる妻ケオプオラニの墓と、カウアイ島の最後の王カウムアリイの墓について述べました。カメハメハと何度か敵対したカウアイ島の王の墓が、なぜ自国の島カウアイ島ではなくマウイ島にあるのか、またカメハメハの聖なる妻の墓の隣にあるのか、その謎を解き明かすことが、今回のテーマです。

それにはまず、カウアイ島の最後の王カウムアリイがどのような人物であったかを知る必要があります。

彼は高位の首長の両親のもと、1778年または1780年(諸説あり)カウアイ島のワイアルアに生まれました。

カウアイ島はハワイ諸島の最北に位置し、当時はロシアを始め多くの外国船が立ち寄りました。イギリスの海軍士官で、北米、ハワイなどへ遠征に来ていたジョージ・バンクーバーは、カウムアリイが12歳前後の時に会っていますが、その時の印象を、『愛そうが良く陽気で、素早い理解力を持っている。素朴で人懐っこいが生来の礼儀正しさを持ち、洗練された雰囲気がある』。そして『顔立ちが西欧人と似ていて、他のハワイ人と比べると肌の色も明るく、整った顔立ち』と述べています。

The Kauai Museum worked with graphic artist, Joe Aragon, and painter,
Evelyn Ritter, to produce a portrait of King Kaumualii.
Photo: Mallory Roe

(カウアイミュージアム所蔵のカウムアリイの肖像画、グラフィックアーティストのJoe Aragonと画家Everyn Ritterの作。Mallory Roe 撮影)

カウムアリイはバンクーバーから英語を話すことを学びました。とても好奇心が旺盛で、学んだ英語で他のイギリス人やアメリカ人の船員たちと交流し、未知の世界への興味をふくらませたのです。

これは全くの私の身勝手な解釈ですが(どの資料にも全く書かれていないことです)地理的に、白人との交わりが多くあったカウアイ島です。当時の社会状況下で、カウムアリイの家系のどこかで、白人の血が混じった可能性があるのではないかと思うのです。(当時のハワイの環境から言えば、ありうる考え方だと思います。島にやって来た船員たちは、土地の女性と交流したいと思う者が大勢いましたし、白人とのかかわりを願った土地の女性も多くいたと思われます)。彼が他のハワイ人と顕著に違う外見であったということは大きな意味を持ち、後の彼の人生を変えた理由の一つになったのではないでしょうか。

カメハメハは他のハワイ諸島を支配下に置きながら、カウアイ島には手こずっていました。1796年、島への侵略を試みますが、大嵐に遭い船が転覆し、失敗に終わります。その数年後1804年(1803年という説もあります)再びカウアイ島への攻撃を仕掛けますが、今度は流行していた病(おそらくコレラか腸チフスであろうと言われています)に多くの兵士たちが倒れ、またもや不成功に終わり、なかなかカメハメハの完全な支配下となりませんでした。

しかしカメハメハが1819年に亡くなり、その後を継いだカメハメハ2世リホリホは、カアフマヌの指示でカウムアリイを誘拐しホノルルへ連れてきます。権力に貪欲であったカアフマヌは、カウムアリイを自分の夫にして、カウアイ島への支配を確実なものにしようとしたのです。

現代では考えられないことですが、権力保持のためには古い日本の社会でも同じようなことが行われたと思います。ただ、女性自身が自ら行動をしたというところが、カアフマヌ恐るべき、と言うところでしょうか。

ここでカウムアリイの家系について少し説明が必要だと思います。

彼には多くの妻がいましたが、最初の妻との間に男子をもうけ、フメフメと名付けました。ところが次の妻デボラ・カプールは、この男子の存在はのちのカウアイ島王位継承に邪魔になると考え、フメフメが6歳になった時、夫カウムアリイに息子を島から出すように要求したのです。カウムアリイ自身も少々英語を話し、アメリカでの英語教育の必要性は感じていたに違いありません。妻にせかされたこともあって、当時カウアイ島に出入りしていた貿易船の船長に息子を預け、かなりの高額になる白檀を渡してアメリカでの教育費用に充てるように託しました。しかし何と言ってもまだ6歳の息子を、見も知らぬ、言葉も分からぬ外国へ、他人の手にゆだねて送り出す…私には想像もできません。

その後のフメフメは、思いもよらない人生を送ることになるのですが、それについては次回に書きたいと思います。

このカプールという女性は資料によると、両親が高位の首長で身長180センチ余り、体重120キロと大変大柄な体格で、美人で頭の良い女性だったようです。カプールは、夫カウムアリイをカアフマヌに奪われたあと、夫の他の妻との間に生まれた息子と結婚します。これを知って私は、彼女の権力欲、カウアイ島の王妃の座は他の誰にも渡さない、という強い意思表示を感じました。何となくカアフマヌを思い起こさせます。

ところがカアフマヌはさらにカウアイ島への支配を確実にするため、カプールの2番目の夫である、このカウムアリイの息子も、自分の夫とすべく奪っていくのです。

そして1822年、カアフマヌはカウムアリイを新しい夫にしたことを示すため、全島に視察旅行をします。ハンサムな夫を多くの首長たちにshow off(見せびらかす)したと記されていました。もちろんカプールのいるカウアイ島も訪れました。そこでカアフマヌはカプールに対し、カウムアリイを夫にしたことを自慢したかったのだ、という新聞記事を見つけました。

それだけではなく、弟のケエアウモクにカウアイ島に留まるように命じ、その後のカプールの動向を監視するよう指示したのです。 

こうして、カウムアリイの人生は、周囲の女性たちによって大きく翻弄されます。その理由は、彼自身の性格が優しくはあったが確固たる強い信念がなかったこと、それに加え先述したように、彼が際立って白人に近い外見を持ち、ハンサムであったからなのではないかと、私は思うのです。強く賢く美しい、権力欲のある女性たちにとって、カウムアリイは手に入れたい魅力を持った男性だったのでしょう。

カアフマヌに略奪されたカウムアリイですが、カアフマヌの愛を受け入れることはなかったそうです。しかし近くには、カアフマヌの全ての点で対照的な、カメハメハの聖なる妻ケオプオラニの存在がありました。物静かで心優しいケオプオラニと、生来の礼儀正しさと優しさを持ち、洗練された雰囲気のカウムアリイが心を通させたことを想像するのは、そんなに困難ではありません。ケオプオラニは1823年没、カウムアリイは翌年1824年に亡くなっています。お互いの運命の悲しさを語り合ったこともあったのではないでしょうか。(ケオプオラニの人生については第78回参照

『Honolulu Star-Bulletin 1950 年1月20日 金曜日の新聞記事 ハワイの歴史に関する小話をシリーズで載せている

カウムアリイは「自分の亡骸はカウアイ島に戻さず、マウイのケオプオラニの墓の隣に埋葬してほしい」と遺言を残したそうです。

私の今回のテーマ、「なぜカウムアリイの墓がケオプオラニの隣にあるのか」。この遺言で謎は解明されたかのように思われますが、カウアイ島の王という立場の人物が、最後は自分の島に戻ることなく、単に思いを寄せた女性のそばで休みたいと、果たして思ったのでしょうか。

右がケオプオラニと娘のナヒエナエナの墓。左がカウアイ島最後の王カウムアリイの墓〕(写真はハワイ州観光局アロハプログラムから)

私はここにはもう一つ、カウムアリイがカウアイ島への思いを断ち切る大きな理由があったと思うのです。それについては次回述べたいと思います。

参考資料

By Ralph S.Kuykendall and A.Grove Day

George Prince Tamoree: Heir Apparent of Kauai and Niihau

The Twenty-Fourth Annual Report of the Hawaiian Historical Society

『Kaumualii, The Last King of Kauai』 by John Lydgate

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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
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やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。
 
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地中に潜む地中の『ジョーズ』 グラボイド in 『トレマーズ』

【最近の私】エディ・マーフィ主演の『ビバリー・ヒルズ・コップ』シリーズの新作が配信されることに。約30年ぶりの続編に期待しています。

2024年になりました。今年もよろしくお願いします。

私は年末年始、動画配信やTVで80年代~90年代の映画を観て過ごしていた。今回は、その自分の視聴リストの中から、『トレマーズ』(1990年)に登場した怪物(グラボイド)を紹介したい。

物語の舞台はネヴァダ州の砂漠地帯にある小さな町パーフェクション。この町で便利屋を営んでいるバル(ケヴィン・ベーコン)とアール(フレッド・ウォード)はある日、鉄塔の上で絶命している町民を発見する。さらに2人は他にも町民や羊が死んでいるのを見つける。この小さな町で、なんでこんな事件が起こっているのか。

一方、地質調査でパーフェクションを訪れていた大学院生ロンダ(フィン・カーター)も、この町で異変が起きていると感じている。彼女がバルたちと原因を探っていると、突然、地中から10メートルを超える巨大な蛇のような怪物(グラボイド)が出現し、住民たちを襲い始めた。この怪物は肉食性で、人間や動物を捕食しているのだ。他の町に避難しようにも道がふさがれている。逃げ道を遮断された人間たちは、怪物と生死をかけたサバイバルを始める。

本作に登場する怪物、グラボイドは、巨大なツチノコのような外見で、大きな口を持ち、その口から細かいヘビのような触手が伸びてくる。この映画が公開された時のポスターを観ると、この映画は地中版“ジョーズ”だというフレーズが思い浮かんだ。“ジョーズ”とは、スティーヴン・スピルバーグ監督の『JAWS/ジョーズ』(1975年)のことで、のちの動物パニック映画の先駆けとなった作品である。

『トレマーズ』が制作された時は、まだCGが映画に多用される前だったので、あえて「怪物を見せない」演出がとられている。例えば、グラボイドが地中を進む場面では、地響きと地表に土埃が吹き出すことで、怪物が猛スピードで進む様子を描写していた。低予算(だったと思われる)を逆手にとって工夫を凝らした演出がお見事でした。そういえば「見せない描写」は『ジョーズ』でも使用されていた。

さらに、グラボイドの特徴として、目が見えないという点がある。目が見えないので、音で地上の人間の動きを察知して地中を動くのだ。「音が聞こえなければ襲われない」という特徴を見抜いたバルたちは、グラボイドに音が聞こえないよう屋根の上や、大きな岩の上で音を立てないように避難するのだが、「鬼ごっこ」みたいなゲームのようでもある。岩と岩の間は、棒高跳びのように宙を舞って移動し、または小型のトラクターをおとりに使って、音を立てて怪物の注意をそっちに向かわせるなど、「一難去ってまた一難」な展開も、パニック映画でありながら、どこかユーモラスな味わいがある。映画で登場するグラボイドは4体。住民たちはダイナマイトを使って怪物を吹き飛ばそうとする。爆薬を使って退治しようとする展開も『ジョーズ』を彷彿させる。他のグラボイドたちをどう倒すのかは、観てのお楽しみである。

バルとアールを演じたケヴィン・ベーコンとフレッド・ウォードの共演も、漫才のやりとりみたいで笑いを誘う。彼ら以外のキャラクターも、個性的なメンバーがそろっている。怪物パニック映画でありながら、恐怖とユーモアの融合に成功している。のちに続編が作られてシリーズ化されたのも納得である。

おせち料理のような豪華な予算をかけた大作映画ももちろん面白いが、時にはB級(ほめてます)だけどアイディアが詰まった、肩の凝らない楽しい作品が観たい、そんな方には、『トレマーズ』をおすすめします。

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Written by 鈴木 純一(すずき・じゅんいち)
映画を心の糧にして生きている男。『バタリアン』や『ターミネーター』などホラーやアクションが好きだが、『ローマの休日』も好き。
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戦え!シネマッハ!!!!
ある時は予告編を一刀両断。またある時は悪役を熱く語る。大胆な切り口に注目せよ!

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