明けの明星が輝く空に 第176回:ウルトラ名作探訪20「謎の恐竜基地」
「マルバツ問題です。ウルトラマンは、ゴジラと戦ったことがある。」
こんなクイズが出題されたら、マニア度の高い特撮ファンほど迷うかもしれない。というのも、「〇」と「×」、どちらも正解だからだ。
「謎の恐竜基地」のクライマックス。ウルトラマンと対峙する怪獣を見れば、多くの人が「ゴジラだ!」と思うに違いない。実は、登場怪獣ジラースの着ぐるみは、ゴジラ映画で実際に使われたもの。いわば友情出演なのだが、ゴジラ映画と異なるウルトラマンの世界に、本人が登場するわけにはいかない。その問題をクリアするため、ゴジラは変装した。首にエリマキトカゲのような皮膚飾りを着け、頭や体の一部を黄色く塗って。
こんな経緯を知っていれば、ジラース対ウルトラマンは、公式には実現していないゴジラ対ウルトラマンという夢の対決として楽しむことができる。当然、軍配はウルトラマンに上がるので、「ふむ、ゴジラもウルトラマンには勝てないか」などと面白がるのもアリだ。
しかし、コアなファンがその程度では、「甘い!」と面罵されよう。なぜなら、ジラースの着ぐるみに入っていたのが、ミスター・ゴジラ、中島春雄さんだからだ。中島さんは、ゴジラ映画の1作目から、何度もゴジラを演じた俳優。『ウルトラマン』でも何体かの怪獣を演じているのだが、やはり自身が東宝映画で入った怪獣の着ぐるみを改造したものだった。しかし、“主演”としての苦労を分かち合ったゴジラの着ぐるみを流用したジラースは、中島さんにとって特別な怪獣だったろう。生き生きとした動きからは、中島さんが楽しんで演じているのが感じ取れる。
しかし、“ジラース=ゴジラ”という裏ネタを抜きにしても、「謎の恐竜基地」の対決場面は注目に値する。遊び心あふれる演出が、ブラウン管の前の子どもたちを大いに楽しませてくれたのだが、いま観ると、ジラースとウルトラマンにとって特別な時間 だったように思えてくる。
対決場面を振り返ろう。家を壊そうと暴れるジラース。振り上げたその腕を、後ろからつかむ者がいた。ウルトラマンだ。パッと離れて距離をとる両者。お前の相手はこっちだ、というように手振りで示すウルトラマン。ふいに足元の岩を持ち上げたジラースが、それを投げ上げ、口からの白熱光線で粉々にして見せる。ウルトラマンも同じように岩を放り投げ、スペシウム光線で破壊。しかも、割れて飛んでいく破片も撃ち抜いた。素早い二段撃ちだ。それを見たジラースが、ならば力比べだといわんばかりに、力士のような仕草で両手を叩き突進。それを押し返したウルトラマンが、胸を叩いてもう一丁来いと示す。二度目も跳ね返されるジラース。その程度か、と笑うウルトラマン。白熱光線による攻撃をかわし、ジラースの“襟巻”をはぎ取った。やったな!とばかりに突進するジラース。ウルトラマンはまるで闘牛士のように、“襟巻”を使ってジラースを翻弄する…。
冒頭の早撃ち合戦から、両者の間にはコミュニケーションが成立している。これは実は稀有なことだ。基本的に怪獣は問答無用に排除されるべき対象で、その意味で生物ではなく“モノ”として扱われる。しかし、擬人化された動きから、思考や感情が読み取れ見せるジラースは、ある種の(人格ならぬ)獣格を持った存在に思える。そうなると、両者は戦うというより、お互いに勝負を楽しんでいるようにすら見えてくるではないか。
いつもなら空や陸上からウルトラマンを支援する科学特捜隊は、まったくこの戦いに介入しない。それどころか、約3分間の戦いの最中、隊員たちの表情やリアクションのカットもない。つまり画面の中では、ウルトラマンとジラース、“二人だけ”の楽しげな時間が流れているのだ。
しかし、ジラースが敗れると、雰囲気は一変。美しくも悲しいメロディの音楽がバックに流れる。カメラはゆっくり移動しながら、敗者の尻尾から頭部までを映し出す。そしてウルトラマンは、ジラースの首にそっと襟巻をかけてやるのだった。
倒した敵に、ヒーローが敬意を示す。実は、このシーンに感銘を受けたのではないかと言われているのが、カンフー映画の大スター、ブルース・リーだ。『ドラゴンへの道』(1972年)で、リー演じる主役が、倒した敵に空手の道着をかける場面がある。それが「謎の恐竜基地」のラストに似ているというのだ。さらに、出典は不明だが、リーが残した言葉の中に、「敗者に敬意を示す日本の特撮作品に衝撃を受けた」といった意味のものがあるという。これは、フリーライターの佐々木徹氏が、ウルトラマンのスーツアクターだった古谷敏氏らとの対談で明かしたものだ。彼は取材でリーの自宅を訪れた際、生前のままの部屋にウルトラマンの人形が飾られていたのを見たという。ファンとしては、ぜひ本当であってほしいと願わずにいられないエピソードだ。
怪獣とヒーローの対決場面だけで、これだけ語るべきものが多い作品も珍しいだろう。個人的には、ストーリー面に難ありと感じてしまう部分もあるが、それを差し引いても、「謎の恐竜基地」は名作と呼ばれるのにふさわしい。そう確信している。
「謎の恐竜基地」(『ウルトラマン』第10話)
監督:満田かずほ(名前の表記は禾へんに斉)、脚本:金城哲夫、特殊技術:高野宏一
—————————————————————————————– Written by 田近裕志(たぢか・ひろし) JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】久しぶりに車を運転しました。ブランクの影響は感じなかったけれど、バックだけは別。何度も切り返さないと、駐車スペースにまっすぐ入らない。すいている駐車場で良かった。
—————————————————————————————–
明けの明星が輝く空に 改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る
バックナンバーは こちら
◆【次期開講は2024年10月7日の週から】 英日・日英映像翻訳にご興味をお持ちの方は 「リモート・オープンスクール」へ! 入学をご検討中の方を対象に、リモートでカリキュラムや入学手続きをご説明します。 ※詳細・お申し込みはこちら
花と果実のある暮らし in Chiang Mai プチ・カルチャー集 Vol.82 果物の切り方も様々!
★「花と果実のある暮らし in Chiang Mai」 インパクト大の写真をメインにタイのリアルなプチ・カルチャーをご紹介しています。
先日、日本からの友人が市場でマンゴーを買ってきて、「タイではどういう風にカットするの?」と聞かれ、果物の切り方について改めて考えてみました。そういえば、昔パートナーがカットして出してくれたマンゴーに感動したのを覚えています。今では普通なのですが、まずマンゴーのタネを避けて皮ごと縦に両側をカットして、その果実をさらに格子状にカットしてひっくり返すというカット。見た目も綺麗でおもてなしマンゴーにピッタリです。
マンゴーおもてなしカット
次にカルチャーショックを受けたのは、ライム。タイ料理には欠かせないライムは魚用のソース作りなどにたくさん使います。くし切りにカットして絞るとタネが入ってしまい、その小さなタネを一個一個拾うのが一苦労。そこでタイ人は、球体の3/2の部分を3側面カットして使います。種がついた芯の部分だけが残るのでジュースにタネが入らずとても効率的です。
種を避けたタイ式切り方
このライムには種がありませんでした
最後は、グアバ。りんごのように8等分のくし切りにして、芯の部分をカットしていた私と違い、現地の縫製のおばさんはナイフの刃を縦に入れてカットします。こうすると芯も避けられ手軽に食べられます。こうしてみるとタイでは理にかなったカットが生み出されているんだと実感しました。タイ式の果物の切り方、皆さんもやってみてはいかが?!
縦に刃を入れてパキッとカットするグアバ
—————————————————————————————–
Written by 馬場容子(ばば・ようこ) 東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。 —————————————————————————————–
花と果実のある暮らし in Chiang Mai チェンマイ・スローライフで見つけた小さな日常美
バックナンバーは こちら
◆【次期開講は2024年10月7日の週から】 英日・日英映像翻訳にご興味をお持ちの方は 「リモート・オープンスクール」へ! 入学をご検討中の方を対象に、リモートでカリキュラムや入学手続きをご説明します。 ※詳細・お申し込みはこちら
やさしいHawai‘i 第83回「オプカハイア」
今年の3月、久しぶりにハワイ島を訪れた時のことです。ハワイ島ヒロはおよそ50年前に夫の赴任で2年ほど生活をした場所。当時大変お世話になった日系二世の方々は高齢ですでに亡くなっていますが、その後も三世、四世、そのお子さんたちと、半世紀にわたる嬉しいお付き合いがいまだ続いています。
夕食のあと、コーヒーを飲みながら懐かしい話で盛り上がっていた時、「アツコ、なぜあなたはこの人を知っているの?」と友人の一人が私のクリアファイルを見て尋ねました。そのころ、私は次のコラムに書くため『オプカハイア』について調べ物をしていて、ヒマな時に読もうと資料をファイルに入れて持ち運んでいたのです。その友人は敬虔なクリスチャンでした「オプカハイアという人物は、ハワイで最初にクリスチャンになった人なの。とても大切な人」。私は今回コラムに取り上げようと思っていた人物が、ハワイの人々にとって大変重要な存在であることを、まったくの偶然で知ることになったのです。
さて、前回第81回(https://www.jvta.net/co/yasasiihawaii-81/ )で述べたフメフメは1798年、カウアイ島の王カウムアリイの息子として生まれました。6歳でアメリカに渡って波乱万丈の人生を送り、22歳で故郷ハワイに戻ったあとは、急激に広まったキリスト教に悩み苦しみ、28歳の若さで人生を終えました。
そのフメフメより6年早い1792年、ハワイ島に生まれた少年がいました。幼少期の大変辛い経験を乗り越えた後アメリカに渡り、フメフメとは違ってハワイへ帰ることが叶わないまま、アメリカで26歳の人生を終えました。
似たような人生ですが、この二人の生き方には大きな違いがありました。フメフメはキリスト教に苦しんだ一方、この青年はキリスト教に出会い、新しい唯一の神を知ったことで救われたのです。今回はそんな人生を取り上げたいと思います。
彼のハワイアンネームはオプカハイア、ハワイ島カウに生まれました。カウはハワイ島最南部に位置し、第74回(https://www.jvta.net/co/yasasiihawaii-74/ )で取り上げたハワイの言語と文化に多大な貢献をしたメリー・カヴェナ・プクイ女史の生まれ故郷でもあります。東部には有名なプナルウ黒砂海岸が、西岸にはキャプテンクックが殺害されたケアラケクア湾があります。またキラウエア火山によって他の地域と隔離され、内部には砂漠地帯が広がっています。他の生活圏から遠く離れ、独自の文化を保ってきたカウに対する私のイメージは、乾燥した荒れた地域といった感じでした。
そんな地域に生まれたオプカハイアの両親は平民ですが、母の血筋をたどるとカメハメハの遠縁になるようです。当時カメハメハはハワイ諸島の統一を図り、各地で激しい戦いが勃発。オプカハイアが生まれたハワイ島カウの小さな村でも、戦いが頻繁に起きていました。ある日この村も敵に襲われ、父親は家族を連れて近くの洞窟に隠れます。しかし喉の渇きに耐えきれず、水を求めて出ていったところを敵に見つかり、両親ともに彼の目の前で惨殺されてしまったのです。オプカハイアは生後2~3カ月の幼い弟を背負い、必死に逃れようとしましたが、敵の放った槍が弟に刺さり、そのまま弟は彼の背中で亡くなりました。
両親を惨殺した敵は、まだ10歳ほどの幼いオプカハイアを生かしておいても危険はないと自宅に連れて帰り、一緒に暮らし始めます。オプカハイアにとって両親を殺した相手と暮らすことはどれほど辛いことだったでしょうか。そんな生活が1~2年続いたのち、ケアラケクア湾にあるハワイ島で最も神聖な神殿(ヒキアウヘイアウ)のカフナ(神官)が、彼の母方の叔父であることが分かります。その叔父はオプカハイアを引き取って教育し、カフナとして育てようと試みました。
しかし両親を惨殺され幼い弟も刺殺されたオプカハイアにとって、ハワイは悪夢の地でしかありませんでした。両親も弟もいないこの地は心に安らぎを与えてはくれない、幸せはここには存在しないという思いで、どこでもいい、ハワイから遠く離れた他の地で暮らしたいと、オプカハイアは強い憧れを持ちます。ちょうどそのころ、ニューイングランドからケアラケクア湾を訪れていたアメリカの商船「トライアンフ号」が停泊していました。カフナの叔父や祖母が強く反対したにもかかわらず、オプカハイアはついに未知の世界アメリカへと旅立つ決心をし、ケアラケクア湾を泳いでトライアンフ号に乗り込みます。1809年、オプカハイアは16歳になっていました。
この船には、同じハワイ人のホポオ(Hopoo。のちにトーマス・ホプと呼ばれるようになる)も乗船しており、親しくなった二人はその後も互いに助け合う間柄となります。オプカハイアは船長から、英語名ヘンリー・オボオキアを与えられ、同船していたイェールカレッジの生徒、ハバードから、簡単な英語の手ほどきを受けます。
ついに憧れの地アメリカに到着しましたが、オプカハイアは自分の英語力の不足を痛感し、それを嘆き、イェールカレッジの階段で泣いていました。当時イェールの学生だったエドウィン・ドゥワイトが彼を見つけ、泣いている理由を尋ねると、オプカハイアはこう答えます。「私はもっと学びたいのに、誰も私に教育を与えてくれない」。それを聞いたエドウィンは、親族のティモシー・ドゥワイトに彼を紹介します。彼の学習への熱意は大変真摯なものだったので、その後も次々と教育を得られる良い環境に恵まれました。
ティモシー・ドゥワイトは、イェールカレッジの学長であり、またAmerican Board of Commissioners for Foreign Missions (ABCFMアメリカ海外伝道評議会)の創設者のひとりでした。そして、オプカハイアは英語教育だけではなく、このアメリカ海外伝道評議会を通してキリスト教を学び、深く影響を受けていくのです。オプカハイアのキリスト教への強い思いには、ハワイで両親を惨殺された時の記憶が強く心に残っていたからでしょう。アメリカ在住のハワイの同胞たちに、石や木を神とする古代ハワイの原始宗教は罪であり、唯一の神キリストを信じることに真の幸せが存在するのだと、彼は熱心に説きました。そして1815年4月、自らハワイ人最初のキリスト教徒となったのです。
その後1817年には、アメリカ海外伝道評議会が、フォーリン・ミッション・スクールを設立。初年の生徒は⒓名で、その半数がハワイ人でした。彼らにキリスト教の教育を与えた後故郷へ返し、布教活動を広めさせることがこの機関の目的でした。オプカハイアは農作業などを手伝いながら、各地で積極的に布教活動を行いました。ハワイに生まれ育ち、その後真の神に目覚めてキリスト教徒となったという彼の説教は、布教に大きな力となり、各地で献金を集めるのに大いに役立ったそうです。
〔ヘンリー・オプカハイアの肖像画 ハワイ観光局 アロハプログラムから〕
オプカハイアは180センチ弱の身長で上品で堂々とした風格をしていました。知性に溢れたまなざしにオリーブ色の肌と黒い巻き毛の魅力的な外見を持ち、その性格は優しく穏やかでした。アメリカで共に暮らした人々に対する深い愛情は、ハワイで失った両親や弟への思いが根本にあったからでしょう。
有能だったオプカハイアは、英語のみならずギリシャ語、ヘブライ語も学び、聖書をハワイ語に訳し、将来は故郷のハワイへ戻って学校を設立し、キリスト教の布教に努めたいという大きな夢を抱いていました。
第81回(https://www.jvta.net/co/yasasiihawaii-81/ )に述べたように1820年、満を持してアメリカから最初の宣教師団がハワイにやって来ました。そこにはジョージ・カウムアリイ(幼少の名前はフメフメ)や、オプカハイアがトライアンフ号で知り合ったハワイ人のトーマス・ホプも参加していました。しかしあれほど故郷ハワイへ戻ることを願っていたオプカハイアは、この宣教師団に加わることはできませんでした。彼は1818年、チフスという今ではいくらでも治療方法がある病に倒れ、すでにこの世を去っていたのです。わずか26歳でした。
オプカハイアが亡くなった翌年、彼が生前書き綴った文章や手紙をエドウィン・ドゥワイトがまとめ『Memoirs of Henry Obookiah』という小雑誌を発行しました。そこには彼がイェールカレッジの階段で泣いていた話も綴られ、多くの人々の共感を呼び、世界に広く知られるところとなりました。当時ベストセラーとなったこの本の売り上げは、献金集めにさらなる一役をかったようです。
カウアイ島の王の息子フメフメは、アメリカからハワイに戻ったのち、故郷で急激に広まっていたキリスト教に苦しみ、悪夢に襲われながら28歳で死を迎えました。一方オプカハイアは、ハワイに帰ることを夢見ながら志半ばで病に倒れ、アメリカで死を迎えました。しかし彼にとって死は、親を失った悲しみから救ってくれた神の元へ召されることです。辛い思い出のあるハワイですが、生まれ故郷への思いは強く、友へ残した、26歳の彼の最後の別れの言葉は、故郷への愛「アロハ・オエ」でした。(余談ですが、2012年12月、かのダニエル・イノウエ元アメリカ上院議員が亡くなった時にも最後に「アロハ・オエ」と言葉を残したそうです)
〔ハワイ島ケアラケクア湾にあるカヒコル教会のオプカハイアの墓石〕 https://ja.findagrave.com/ より
オプカハイアが亡くなって75年経った1993年、彼の亡骸はアメリカ、コーンウォールの墓からハワイ島のケアラケクア湾にある、カヒコル教会に戻ってきました。その墓碑にはこう記されています。
『OH! HOW I WANT TO SEE HAWAII!
In July of 1993, the family of Henry Opukahaia took him home to Hawaii for interment at Kahikolu Congregational Church Cemetery, Napoopoo, Kona, Island of Hawaii.
Henry’s family expresses gratitude, appreciation and love to all who cared for and loved him throughout the past years. Ahahui O Opukahaia
(『ハワイよ、私はどれほどこの地へ帰りたかったことか!』
1993年7月、ヘンリー・オプカハイアの家族は彼をハワイ島コナ、ナポオポオの、カヒコル・プロテスタント会衆派教会に連れて帰り、埋葬しました。
私たち家族は、過去に彼をいつくしみ愛してくださったすべての人々に、心から愛と感謝の意を表します。オプカハイアの家族)(扇原訳)
〔ハワイ島ケアラケクア湾にあるカヒコル教会のオプカハイアの墓石〕 https://ja.findagrave.com/ より
【参考文献】
・アロハプログラム https://www.aloha-program.com/
〇『Henry Opukahaia A Native Hawaiian(1792-1818)』
By Edwin Welles Dwight
〇『Hawaii‘s missionary saga』 by LaRue W.Piercy
—————————————————————————————– Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ) 1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。 —————————————————————————————–
やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。 バックナンバーはこちら
美食の殺人鬼 マッツ・ミケルセン in 『ハンニバル』
【最近の私】秋に日本公開の『悪魔と夜ふかし』。予告編を観ると、心霊番組が恐ろしいことになりそうで楽しみです。
トマス・ハリス原作の小説を映画化した『羊たちの沈黙』(1991年)は、猟奇的な犯罪を描きながら高い評価を得て、その年のアカデミー賞作品賞、監督賞、脚色賞、主演女優賞を獲得。そして殺人犯ハンニバル・レクターを演じたアンソニー・ホプキンスが主演男優賞を受賞した。その後、続編『ハンニバル』(2001年)が制作され、『ハンニバル・ライジング』(2007年)ではギャスパー・ウリエルが若きハンニバルに扮していた。今回はTVドラマシリーズ『ハンニバル』(2013年~2015年)でマッツ・ミケルセンが演じたハンニバルを紹介したい。
若い女性が犠牲になる連続殺人事件が発生し、特別捜査官ウィル・グレアム(ヒュー・ダンシー)が担当することになる。ウィルは殺人犯の精神を見ることができる才能を持っているが、同時にその能力に悩まされていた。FBIで働く優秀な精神科医ハンニバル・レクター(マッツ・ミケルセン)は、ウィルのセラピストとして、彼の精神状態を診ている。レクターは犯行現場に立ち合い、ウィルの捜査に協力しながら、殺人犯の本性を少しずつ見せていく…。
ドラマでは毎回、猟奇殺人事件が起きるのだが、どの事件もかなりグロテスクである。例えば、複数の死体を組み立てたトーテムポールとか、死体を縦に輪切りにして標本のようにするなど…ホラー映画顔負けのゴア描写があるので、残酷な場面が苦手な方には注意が必要です。さらにレクターが美食家で、自分で豪華な食事を作って、客人にふるまう場面もあるのだが、実はその料理の材料は人間の…という、かなり禁断の展開があります。
殺人犯であり精神科医のレクターが警察に助言をしながら事件を解決する。ドラマ版は『羊たちの沈黙』の前日譚となっている。つまり周りの人物たちはレクターが稀代の殺人鬼であるという正体をまだ知らない。その点が新機軸である。
ホプキンス主演の映画ハンニバル・シリーズは『レッド・ドラゴン』(2002年)⇒『羊たちの沈黙』⇒『ハンニバル』(映画版)となっており、ドラマ版は『レッド・ドラゴン』が下敷きとなっている。映画版『ハンニバル』に登場したキャラクターもドラマ版に再び出るなど、ドラマ版はシリーズ総集編の趣きがある。
マッツ・ミケルセンが分するレクターは、科学や芸術などに深い知識を持つ文化人、前述した料理の腕前、知性とエレガントなふるまいなど、スキのない紳士だ。しかし魂の奥には連続殺人鬼という闇が潜んでいる。そんな明と暗を持ち合わせる複雑なキャラクターを、ミケルセンは見事に演じており、アカデミー賞を受賞したアンソニー・ホプキンスに負けない魅力を放っている。
ミケルセンはデンマーク出身で、『プッシャー』(1996年)に出演し、母国で俳優のキャリアをスタートする。2006年のジェームズ・ボンド映画『007/カジノ・ロワイヤル』で悪役ル・シッフルを演じて世界的に注目を浴びる。その後は『誰がため』(2008年)や『ドクター・ストレンジ』(2016年)など、デンマークやハリウッドと国を超えた活躍を見せている。
ドラマ版は当初シーズン7まで制作される予定だったが、シーズン3で終了となっている。シーズン3は『レッド・ドラゴン』の事件が取り上げられていたので、次シーズンはいよいよ『羊たちの沈黙』かと思っていたので、続きが見られないのは残念である。色々な事情があるらしいのだが、マッツ・ミケルセンのレクター好きとしては、いつか新シーズンが見られる日を待っています!
—————————————————————————————– Written by 鈴木 純一(すずき・じゅんいち) 映画を心の糧にして生きている男。『バタリアン』や『ターミネーター』などホラーやアクションが好きだが、『ローマの休日』も好き。 —————————————————————————————–
戦え!シネマッハ!!!! ある時は予告編を一刀両断。またある時は悪役を熱く語る。大胆な切り口に注目せよ!
バックナンバーはこちら
明けの明星が輝く空に 第175回:納涼!『妖怪百物語』
年々、暑くなる日本の夏。昭和世代としては、やはり“お化け映画”で涼みたい。お勧めは、妖怪たちが活躍する『妖怪百物語』(1968年)。この映画は、『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』との併映だっただけに、内容はファミリー向け。登場する妖怪たちは愛嬌のある連中ばかりなので、気楽に観て楽しむことができる。
物語は、豪商、但馬屋利右衛門と、寺社奉行、堀田豊前守の悪行を、浪人に姿を変えた大目付配下の大木安太郎が暴くという、典型的な勧善懲悪時代劇だ。はっきり言って、妖怪が登場しなくても成立する話なのだが、脚本は無理なく妖怪を絡める構成となっている。
そもそも「百物語」とは、人々が集まり怪談を語り合うというもので、江戸時代には多くの人々が楽しんだものらしい。100話すべて語り終えると、怪異なことが起こるとされている。『妖怪百物語』では、それを防ぐために“憑き物落とし”を必ずしなければならない設定なのだが、豊前守のための余興として百物語の会を催した但馬屋が、そんなものは迷信だと言って無視したため、妖怪たちを呼び寄せることになってしまう。
この場面は、拝金主義者としての但馬屋のキャラクターを提示する上で重要だ。彼は「私なりの憑き物落とし」と言って、豊前守を含む客人たちに、小判の包みを持たせる。妖怪以前に、金に憑りつかれた人間というわけだ。
時代劇でも現代劇でも、拝金主義者は悪人の基本類型の1つだが、この作品ではそういった物質主義的な思考と、妖怪という超自然的なものを畏れる心、その2つが対立する構図になっている。但馬屋は、小さな社や祠のある土地を指して「空地同然」という言い方をするが、彼の合理性だけを重視した考え方がよく表れている。
さて、納涼を謳うからには、肝心の妖怪たちのことを書かなくてはならない。先ほど触れたように、妖怪たち(の着ぐるみ)は愛嬌があるのだが、それもそのはず、実は漫画『ゲゲゲの鬼太郎』の作者、水木しげる氏による妖怪画がデザインの元になっているそうだ。子どもが演じている妖怪も複数いて、体格面でも威圧感はない。中でも、“油すまし”は不気味ながら愛嬌がある。三頭身の体に、大福のように横に広がった頭。体は蓑傘をまとっている分、ボリュームがあるが、見えている脚は(子どもが演じているだけに)細っこく、なんとも奇妙な感じがする。顔には、開いているようにも、閉じているようにも見える目。そして、思案しているのか、憮然としているのか判然としない表情。つかみどころがない。でも、どこかかわいい。
もともと、日本の妖怪は怖いのかどうかわからないものが多い。“のっぺらぼう”にしろ、“ろくろ首”にしろ、人を驚かせはするが、具体的にどんな危害を与えるのか、と聞かれても答えられない人が多いだろう。“からかさ小僧”や“提灯お化け”に至っては、もはや“ゆるキャラ”だ。それでも、おどろおどろしい音楽と、陰影の濃い照明、「出るぞ、出るぞ」と思わせる展開など、お化け映画の“快感原則”を踏まえた演出にはゾクゾクさせられるが、そういった意味では『妖怪百物語』も王道を行っている。
また、ろくろ首登場シーンでは障子がうまく使われていた。まず、障子の反対側に座っている女のシルエット。その首が徐々に伸び始める。そして影の先端が障子の端に近づいて行ったかと思うと、顔がヌッと出てそれと目が合う。首はさらに伸びてきて体に巻き付き…。そんなの怖くもない?いやいや、ぜひ想像してみてほしい。実際に人間の首が長く伸び、そのまま自分の体に巻き付くところを。実感が湧かなければ、1982年のSFホラー映画、『遊星からの物体X』風の映像を想像してみよう。いかが?思わず叫びたくなったのでは?
この場面では、自分の女房と思っていた女の首が伸びる、という設定も心にくい。赤の他人より、身近な人間、つまりもっとも安心できる相手がバケモノだった、というシチュエーションほど恐ろしいものはないからだ。(実はその裏に、「自分の女房ほど怖いものはない」という意味が込められている、なんていうふうに解釈したら、深読みし過ぎだろうか。)
『妖怪百物語』の妖怪たちは、物理的な攻撃はせず、とことん相手を怖がらせる。ただ、その過程で人間を幻惑するらしく、刀で切りつけた相手は妖怪ではなく仲間だった、というオチがつく。そうやって但馬屋も豊前守も破滅へ追い込んだ妖怪たちは、楽しげに、ゆっくり踊りながら去っていく。闇の中、宙に浮いているようにも見える体は半分透明で、実体があるのかどうかもわからない。果たして、これは夢なのだろうか。やがて彼らは、闇に飲まれ、消えていった。
映画はこの後、場面が変わって、但馬屋らの遺体が発見される。そして、「この世には、人智で測れぬ不思議なこともある」という大木のセリフで幕を閉じる。しかし納涼という観点からは、妖怪たちが去っていくカットで「完」の文字が出た方が断然いい。みなさん、もし夏にこの映画を観るなら、最後の妖怪が消えたところで、停止ボタンを押しましょう。
—————————————————————————————– Written by 田近裕志(たぢか・ひろし) JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】映画『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』を観ていたら、最後のテロップに驚きました。翻訳者の名前が、以前の仕事仲間だったからです。活躍は知っていましたが、結構メジャーな作品も手掛けるようになったんですねえ。素晴らしい。
—————————————————————————————–
明けの明星が輝く空に 改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る
バックナンバーはこちら
◆【次期開講は2024年10月7日の週から】 英日・日英映像翻訳にご興味をお持ちの方は 「リモート・オープンスクール」へ! 入学をご検討中の方を対象に、リモートでカリキュラムや入学手続きをご説明します。 ※詳細・お申し込みはこちら
花と果実のある暮らし in Chiang Mai プチ・カルチャー集 Vol.81 アルコール時間の行方!?
★「花と果実のある暮らし in Chiang Mai」 インパクト大の写真をメインにタイのリアルなプチ・カルチャーをご紹介しています。
先日ちょっと嬉しい出来事があり、一杯飲みたい気分!ということでパートナーがアルコールを買いに行きました。が、手ぶらで速攻帰宅。そうその日は仏教の三宝節。アルコール販売禁止の日でした。タイに遊びにいらしたことがある方はご存じかもしれませんが、タイではアルコール販売時間(午前中は11時から14時まで、午後は17時から24時まで)や禁止日があり、観光でいらした方たちはびっくりします。ただ、こんなタイの状況にちょっとした変化が出ています。先日、タイの首相が午後のアルコール販売時間を解禁にする案を検討中というニュースがでたのです。まさに、先日のようにワインが買えなかった…などたまに不自由を感じますし、この中途半端な時間規制に意味があるのかという意見もあります。一方でこの規制は昼間からアルコールを飲んでいて仕事をしない人が増えないようにとできたものとも言われています。確かにタイ人はよく飲み、アルコールによる依存症や事故、事件被害が多いのも事実。さあ、主に観光客に向けての策でしょうが、午後の販売時間規制は解禁になるのか!? なったら近所の村人たちが夕方みんなでビールを飲みながらおしゃべりをしている光景に影響があるのでしょうか?! じっくり観察していきたいです。
時間外はこのようにお酒売り場には入れません。
冷蔵庫はこのようにロールカーテンで目隠しされています。
禁止日の酒屋さんはシャッターが降りています。
—————————————————————————————–
Written by 馬場容子(ばば・ようこ) 東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。 —————————————————————————————–
花と果実のある暮らし in Chiang Mai チェンマイ・スローライフで見つけた小さな日常美
バックナンバーはこちら
◆【次期開講は2024年10月7日の週から】 英日・日英映像翻訳にご興味をお持ちの方は 「リモート・オープンスクール」へ! 入学をご検討中の方を対象に、リモートでカリキュラムや入学手続きをご説明します。 ※詳細・お申し込みはこちら
巨竜を、迎え撃て。 『ツイスターズ』の予告編
【最近の私】最近はマ・ドンソクがお気に入りで、彼の映画を観ています。新作『犯罪都市 PUNISHMENT』予告編を観て楽しみにしています。
火山の噴火や、隕石の落下など、現実では起きてほしくはないが、映画としてハラハラできる自然災害(ディザスター)映画はこれまで数多く制作されている。大規模な災害をスペクタクルな映像で描くので、観客を魅了しているからか。今回はそのディザスター映画の中から、『ツイスターズ』(2024年)の予告編を紹介したい。
予告編の開始そうそう、竜巻から逃げる人たちの場面から始まる。
“『ジュラシック・ワールド』の製作陣が贈る 地球が生んだ最強のモンスター”とテロップが流れる。巨大竜巻は直径2000メートル、時速500キロ。この数字から、もはや怪獣を軽くしのぐ規模である。自動車なども軽く吹き飛ばされていく。
前作『ツイスター』(1996年)が制作される数年前、ある映画がこれまでの特撮技術を大きく変えた。それは『ジュラシック・パーク』(1993年)である。最先端のCGでリアルに動く恐竜の姿に、当時の観客は圧倒された。以降、さらなる技術の発達とともに、今まで作られなかった災害を描く映画が多く作られ、『ボルケーノ』『ダンテズ・ピーク』(ともに1997年)、『アルマゲドン』(1998年)などが撮られている。
予告編に戻る。気象学の天才ケイト(デイジー・エドガー=ジョーンズ)は、ニューヨークで自然災害を予測し、被害を防ぐ仕事をしている。彼女の故郷、オクラホマで史上最大の竜巻が群れで発生していることを知る。竜巻にトラウマを抱えているケイトだが、友人からの依頼で、自身の故郷に戻ることになる。そこで、竜巻チェイサーのテイラー(グレン・パウエル)とともに、この異常気象に挑む。
竜巻チェイサーとは、レーダーを搭載した車で竜巻に接近し、竜巻の発生や移動などのメカニズムを解明すること。竜巻の予知精度を上げる研究のためだ。タイラーは「最新技術など無用。現場での経験がすべてだ」と自分の現場で鍛えたカンと経験で竜巻に立ち向かおうとする。ケイトは、巨大な竜巻を破壊する方法を考えつく。だがそのためには、竜巻に近づく必要がある。どうやって近づく?タイラーが「俺ならできる」と竜巻に危険なアプローチを試みる。巨大竜巻VS人類の戦いが始まる中、竜巻が合体してさらに強力になっていく。ケイトとタイラーの技術と現場主義で竜巻を破壊できるのか?
本作の監督はリー・アイザック・チョン。『ミナリ』(2020年)で、アメリカで暮らす韓国系移民を描いた(監督も韓国系の移民である)。『ミナリ』は高い評価を得て、その年のアカデミー賞で、ユン・ヨジュンが助演女優賞を受賞している。『ミナリ』の次に竜巻映画を手がけるとは意外だが、自然災害に加えて、人間ドラマを描いているのではと予測できる。
『ツイスターズ』の原案に『トップガン マーヴェリック』(2022年)のジョセフ・コシンスキー監督が名を連ねている。彼は『マーヴェリック』で実物の戦闘機や空母を使って、迫力の映像や空中戦を描いた。また、アメリカで実際に起きた巨大山火事を題材とした『オンリー・ザ・ブレイブ』(2017年)も撮っているので、もしコシンスキーが「ツイスターズ』を撮ったら、さぞド迫力の映像が生まれたのではと思う。
前作『ツイスター』が世に出てから、約30年が経った。この間、映像技術はどんどん進化し、さまざまな特殊効果を使った映画が作られている。新たに生まれ変わる『ツイスターズ』が、どう観客を驚かせてくれるのか楽しみである。とりあえず、映画館で巨大な竜巻を体験してきます!
今回注目した予告編:『ツイスターズ』
監督:リー・アイザック・チョン
出演:デイジー・エドガー=ジョーンズ、グレン・パウエル
2024年8月1日より公開
公式サイト:https://wwws.warnerbros.co.jp/twisters/
—————————————————————————————– Written by 鈴木 純一(すずき・じゅんいち) 映画を心の糧にして生きている男。『バタリアン』や『ターミネーター』などホラーやアクションが好きだが、『ローマの休日』も好き。 —————————————————————————————–
戦え!シネマッハ!!!! ある時は予告編を一刀両断。またある時は悪役を熱く語る。大胆な切り口に注目せよ!
バックナンバーはこちら
◆【次期開講は2024年10月7日の週から】 英日・日英映像翻訳にご興味をお持ちの方は 「リモート・オープンスクール」へ! 入学をご検討中の方を対象に、リモートでカリキュラムや入学手続きをご説明します。 ※詳細・お申し込みはこちら
やさしいHawai‘I 第82回 番外編 私がハワイを綴る理由
前回ハワイの歴史の中で、キリスト教の布教によって苦しみ、わずか28年の波乱万丈の人生を終えたフメフメについて(第81回:フメフメの28年の人生 )書き終えた時、私の心の中では次に取り上げる人物はすでに決まっていました。
それなのになかなか書けなかったのです。書けなかったというより、書くことから逃げていたというのが正直なところです。あえて言えば、個人的な言い訳にしかならないようなことが次々と起きて書く気にならず、何となく落ち込んだ状態になっていたのです。しかし、先日、あるきっかけから久しぶりに作家・沢木耕太郎氏の作品を読み返すことになり、その言葉の中に私がハワイの人物について繙く意義を感じることができました。今回は番外編としてそのいきさつをお話ししたいと思います。
落ち込んでいた私に届いたのは、高校時代の仲間でここ10年余り続いている五街道歩きの最終のお誘いでした。東海道から始まり中仙道、甲州街道、日光街道、そして今回は最終となる奥州街道の白河の関を渡るということなのです。五街道全行程でおよそ1500キロ。私は最初の東海道、そして中仙道はちらりちらりと参加し、あとは泊りがけの旅はムリな状態だったので、すべて中抜け。でも最後のシメとして白河の関だけは越えて五街道制覇の気分を味わいたく、思い切って参加することにしました。
メンバーは全部で14人。旗振り役が必要なくらいの大所帯の団体旅行です。そのメンバーの中に、東北の話題を扱っているある新聞社の記者と懇意にしている人がいました。彼が何かの機会に、今回の街道歩きの話をその記者にしたところ、大変興味を持ち、取材されることに。とにかく半世紀も前に同じ高校だった仲間が、こうして10年もかけてひたすら街道を歩いているわけですから、少々珍しいグループと思われたのでしょう。仙台到着の夜、その記者の方も加わって牛タンにビールを飲みながら全員が盛り上がっているなかで、私たちは街道歩きの魅力について、いろいろと質問を受けました。果たして数日後、それをもとにした素晴らしい記事が送られてきたのです。
著者が私物で撮影
その冒頭は、
「途上にあること」。同宿の旅人に「禅とは何か」と聞かれ、作家の沢木耕太郎さんはこれまで通り過ぎた長い道を思い浮かべて、そう答える。著書『深夜特急』にあるトルコでのエピソードだ。(河北新報の「河北抄」からの引用)で始まっていました。
私は久しぶりに作家の沢木耕太郎氏を思い出しました。一番好きな『一瞬の夏』や『深夜特急』は何度読み返したことか。ちょうどそんな時、大学の友人と話す機会があり、彼女から沢木さんの『イルカと墜落』を読んだかと聞かれました。彼女はボランティアでこの作品を点訳したそうです。実はまだ読んでいなかったこの本は、私の本棚の中に並んでいました。「沢木耕太郎が好きなら、面白いから読んでみたら」そんな彼女の言葉がきっかけで、私はしばらく夢中になって沢木耕太郎氏の作品を読み漁りました。そしてこんな文にぶつかったのです。
『――声を持たぬ者の声を聴こうとする。それがノンフィクションの書き手の一つの役割だとするなら、虐げられた者たち、少数派足らざるをえなかった者たち、歴史に置き去りにされた者たちを描こうとすることは、ある意味で当然のことといえる。』…
これは、彼が「浅沼稲次郎刺殺事件」の山口二矢の自決を描いた『テロルの決算』についての、『死ぬ、生きる』と題した短文(文庫本ためのあとがき)の中にあった言葉です。
これを読んで私は、はたと気付かされたのです。「ああ、ハワイの歴史には波乱の人生を送りながらも歴史に埋もれた人たちが多い。私がそこにフォーカスして書きたいと思っている人物、書かなくてはならないと思っている人物は、たくさんいるのだ。私がこのコラムで目指していることは、まだまだ完結していない。途上にあるのだ」と思い出させられたのです。あの沢木耕太郎さんの言葉を読んで、いかに自分が未熟で怠け者であったかを自覚させられたのです。
とにかくもう一度頑張ってみよう。きっかけは何でもいいではないか。そんな気持ちが湧いてきました。そう、フメフメの次に書こうと決めていた人物、「オプカハイア」について、とにかく書き始めよう。
—————————————————————————————– Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ) 1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。 —————————————————————————————–
やさしいHAWAI’I 70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。 バックナンバーはこちら
◆【次期開講は2024年10月7日の週から】 英日・日英映像翻訳にご興味をお持ちの方は 「リモート・オープンスクール」へ! 入学をご検討中の方を対象に、リモートでカリキュラムや入学手続きをご説明します。 ※詳細・お申し込みはこちら
明けの明星が輝く空に 第174回:夢幻のヒロインたち4:如月瞳(キューティーハニー)
登場作品:映画『CUTIE HONEY -TEARS-』(2016年)
キャラクター設定:己の身を犠牲にし、人々を救った女性型アンドロイド
前回の記事では、特撮作品における女性主人公の不在について、個人的な思いを書いた。しかし、実を言えば、女性主人公が皆無というわけではない。特撮番組に分類される『コメットさん』(1967年~1968年、1978年~1979年)や、『好き!すき!!魔女先生』(1971年~1972年)の主人公は、どちらも(宇宙のどこかからやって来た)少女だ。
その『好き!すき!!魔女先生』放送終了の翌年、マンガとアニメによるメディアミックスという形で、女性ヒーローが活躍する『キューティーハニー』の連載/放映が始まった。その後、アニメのリメイク作品をいくつか経て、のちに『シン・ゴジラ』(2016年)を撮ることになる庵野秀明監督が、佐藤江梨子主演で映画化(2004年)。さらに原幹恵主演のテレビシリーズ(2007年~2008年)を挟み、2016年公開の劇場版『CUTIE HONEY -TEARS-』につながる。そして、その映画の主人公が、西内まりや演じる如月瞳である。
マンガ版の『キューティーハニー』は、今なら間違いなく問題視されるようなお色気場面が売りだった。なにせ作者が永井豪氏である。マンガ『ハレンチ学園』(1968年~1972年)で、教師やPTAから激しくバッシングを浴びせられたマンガ家だ。しかし、オリジナルと違ってシリアスな世界観を構築し、主人公の名前を「如月ハニー」から「如月瞳」に変更した『CUTIE~』は、お色気要素をほぼ排除している。ティーザービジュアルを見てもわかるように、キューティーハニー(瞳の戦闘形態)の衣装は地味で落ち着いたものになった。上下別れたボディスーツは、腰回りのラインを隠しており、少々野暮ったいぐらいだ。また、いったん全裸になるという“お馴染み”の変身場面は、マイルドな描写で回数も抑えられた。
しかし、「ほぼ排除」と書いたように、ゼロではない。その一つが、瞳がミニスカートのドレス姿で階段を上るカットだ。真後ろではないが、不必要にローアングルから捉えている。(『シン・ウルトラマン』(2022年)で、巨大化したスカート姿の女性登場人物をローアングルで捉えたカットに対し、セクハラだと批判の声が上がったことが思い出される。)それでも、『CUTIE~』を観た人のレビューの中にお色気不足を嘆く声が散見されるのだが、それは逆に、映画制作者が現代の基準に近づけようとして原作から距離をとった、ということの証左なのかもしれない。
しかし、映画が描く瞳には、もっと本質的な部分で残念な点があるように思う。それは、彼女の内面の描き込み方に、物足りなさを感じてしまうことだ。例えば、彼女はなぜ巨悪と戦うのか。人々を助けるために戦うレジスタンスのメンバーに請われて作戦行動に参加するのは、彼女を作った“父”、如月博士と再会できると思ったからだが、博士に対する彼女の強い想いがわかるシーンはほとんどない。そのため、少々とってつけたような動機づけのように感じてしまうのだ。それに、「人々を救う」という利他的な目的意識が強くなければ、ヒーロー性に乏しい気もする。
ただし、瞳はビジュアル面で非常に魅力的なキャラクターだった。単に美人だとか、そんなことではない。確かに、彼女は特撮史上もっとも美しいキャラクターだ(と個人的には思う)。特にキリっとした表情は魅力的で、思わず見とれてしまう。しかし、同様に彼女のアクションも美麗である。全身を躍動させたダイナミックな攻撃で、瞬時に敵を圧倒。戦闘中にほぼ無言な上、表情をゆがめたりしないのは、彼女がアンドロイドだからという演出意図からだろう。それが結果的には、“泥臭さ”や“汗臭さ”とは無縁の、スマートなアクションという印象につながっている。
瞳がまとう美のイメージは、アンドロイドとしての彼女の特性によっても強調される。彼女はボディにダメージを受けても、体内にある「空中元素固定装置」により、ナノミクロンのレベルで自己修復できるのだが、その際に“傷口”から無数のピンク色に光る粒子が立ち上る。劇中で説明はされないが、おそらく個々の光はボディを構成する元素だろう。なぜ光るのかという理屈はともかく、出血や流血の暗喩として、これほど美しい映像表現もない。もしかしたら、この光の粒子は『CUTIE~』一番の演出と言ってもいいかもしれない。(変身場面では、この光の粒子が全身を包み、瞳が全裸になったという印象は薄い。)極め付きは、彼女の最期だ。物語のクライマックス、身を挺して人々を救ったあと、力尽きてビルの高層階から落下していく間に、彼女は空中で“消滅”する。全身が光の粒子のかたまりとなり、一瞬強く光ったかと思うと、霧のように消えていくのだ。この時、光は瞳の命の輝きそのものの表現だったと言えるだろう。
個人的には、そのままエンドロールに入ってほしかったのだが、実際には“ありがちな”ラストカットが用意されていた。スクリーンに映し出されたのは、地面に転がる空中元素固定装置。それが起動し、ピンク色に輝き始める。瞳の復活を暗示しているのは明らかだろう。どうも“蛇の絵に描き加えられた足”という印象は否めない。尊く感じられた光の粒子も、結局は都合の良い仕掛けに過ぎなかったと思えてしまう。瞳というヒロインのためにも、このラストは避けてもらいたかった…。
—————————————————————————————– Written by 田近裕志(たぢか・ひろし) JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】LAWSONの盛りすぎチャレンジで売られるロールケーキがすごいけど、すぐなくなる、と仕事仲間が教えてくれたので、時間を見計らって買いに行きました。大量のクリームがのどを通過するときの幸福感!結局、4日間に3回も買って食べてしまった。
—————————————————————————————–
明けの明星が輝く空に 改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る
バックナンバーはこちら
◆【次期開講は2024年10月7日の週から】 英日・日英映像翻訳にご興味をお持ちの方は 「リモート・オープンスクール」へ! 入学をご検討中の方を対象に、リモートでカリキュラムや入学手続きをご説明します。 ※詳細・お申し込みはこちら
花と果実のある暮らし in Chiang Mai プチ・カルチャー集 Vol.80 ジョージタウンで街歩き
★「花と果実のある暮らし in Chiang Mai」 インパクト大の写真をメインにタイのリアルなプチ・カルチャーをご紹介しています。
せっかくタイにいるのに、アジアで行っていない街がまだまだあると、先日友人とマレーシアのジョージタウンに行ってきました。ジョージタウンは中国、インド、マレーシアの3つの文化が混合しているとてもユニークな街です。古い建築物が残っており、ヨーロッパとアジアのテイストがうまく融合され、街自体が世界遺産になっています。建物の外観は古いままでも、中はとてもモダンなカフェやショップに改装されていたり、また、街の所々にストリートアートが描かれていたりいて、まさに若者の大好きなインスタにもってこいです。街を散歩していると、まるでチェンマイの市場の一角にいるような錯覚もありつつ、朝夕にはイスラム教のお祈りの音が聞こえてきます。かと思えば、建物の柱には大きく中国語が書かれていたり、またインド街に行けばボリウッド音楽にスパイスの香りが漂ってきたりします。また、郊外に高くそびえ建つ高層マンションを見ると、ここはハワイ?という気にも!まさに今の時代を象徴するかのような「古さと新しさの共存」と「多様性」という言葉が当てはまる街でした。街歩きの合間に食べた、久しぶりのおいしい中華やインド料理でお腹も大満足。一方で、観光客は、中国人の若者が多く、国を超えてタイと同じタクシー配車アプリがそのまま使えたり、換金もあまりせずにトラベルカードで決済ができたり、旅もハイテク化しているなあと思わされたプチ旅でした。
東洋と西洋ミックス美容院
カラフルなお菓子やさん
赤と白のクラッシックな消防署
街の所々で見られるアート
—————————————————————————————–
Written by 馬場容子(ばば・ようこ) 東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。 —————————————————————————————–
花と果実のある暮らし in Chiang Mai チェンマイ・スローライフで見つけた小さな日常美
バックナンバーはこちら
◆【次期開講は2024年10月7日の週から】 英日・日英映像翻訳にご興味をお持ちの方は 「リモート・オープンスクール」へ! 入学をご検討中の方を対象に、リモートでカリキュラムや入学手続きをご説明します。 ※詳細・お申し込みはこちら