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花と果実のある暮らし in Chiang Mai プチ・カルチャー集 Vol.68 大工のブンさん

★「花と果実のある暮らし in Chiang Mai」
インパクト大の写真をメインにタイのリアルなプチ・カルチャーをご紹介しています。
 

わたしの住んでいる村に、ブンさんという大工さんがいました。ブンさんは明るくて、どの小学校にもいそうな、日に焼けた元気少年のような人でした。我が家も度々、家の修理や植木、庭づくりなどでお世話になりました。タイの修理屋さんや大工さんの中には、雑だったり、いい加減だったりする人も多いのですが、ブンさんの仕事は丁寧で最後まできっちり仕上げてくれます。朝、青いシャツに白いタオルを巻き、荷台付きバイクに乗ってやって来て、午前中の仕事を終え、お昼ご飯を食べに家に帰る。また午後に来て仕事をして、5時になるとちゃんと家に帰っていく。本当に規則正しい人でした。会えばきちんと笑顔で会釈してくれるし、仕事終わりに村の人と飲んでいる姿も見かけました。炎天下でも汗をかきながら一生懸命黙々と仕事をしている姿を見ているから、みんなブンさんに自分の家のことを頼みたくなるのです。そんなブンさんは、先日庭掃除をしている最中に突然倒れ、天国へと旅立ちました。村のどの家のためにも働いていたブンさんは、多くの人に囲まれ愛されていました。今でも独特の発音で「ヨッコー」と呼ばれる気がしてしまいます。ブンさんの死がとても気にかかるのは、ブンさんのそのシンプルで普通の生き方が、複雑になりすぎている社会と対照的に浮かび上がって、私に何かを訴えかけてくるからかもしれません。今朝、うちの近所で若い大工さんを見ました。寂しい気持ちが広がったけれど、なんだか背筋を伸ばしたくなるような清々しい朝でした。ブンさん、お疲れ様でした。 

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Written by 馬場容子(ばば・ようこ)
東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
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花と果実のある暮らし in Chiang Mai
チェンマイ・スローライフで見つけた小さな日常美

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一番恐ろしいのは愛読者 キャシー・ベイツ in 『ミザリー』

【最近の私】今一番の期待は、『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』です。予告編を観ながら公開を待っています。
 

映画に登場する悪役は、外見からして恐ろしさを強調する人物が多い。『ダークナイト』(2008年)のジョーカーや、『ノーカントリー』(2007年)の殺し屋など、見るからに狂暴さがにじみでていた。今回は、『ミザリー』(1990年)でキャシー・ベイツが演じた、一見普通の女性に見えて、実は・・・というキャラクターを紹介したい。
 

作家のポール・シェルダン(ジェームズ・カーン)は、小説『ミザリー』シリーズで人気を博している作家だ。『ミザリー』シリーズの最終作を書き上げたポールは、山の中の雪道で自身が運転する自動車がスリップして事故を起こしてしまう。あたりには誰もおらず、ひっくり返った車の中にはポールひとりだけ。そこを通りかかったアニー(キャシー・ベイツ)が、ポールを見つけて彼女の家に連れていく。
 

アニーの家のベッドで目覚めたポールは、自分の両足が骨折していて、動けないと知る。自身を看護師だというアニーは、ポールを看病する。ベッドに寝たきりのポールは病院に連れていってくれと頼むが、アニーは「雪で道が閉鎖されている」と病院に連れていこうとしない。
 
ポールの小説の熱烈な愛読者だというアニーに、ポールはバッグに入っている『ミザリー』最終作の原稿を読ませる。アニーはポールの命を助けてくれたからだ。だが、アニーは『ミザリー』最終作を読んで、結末に納得がいかないと激怒する。その原稿を燃やして、新たに作品を書き直せとポールに迫る。ポールは気づいた。一見優しそうに見えるアニーの狂気の素顔を。
 

ポールは何度も『ミザリー』を書き直すが、アニーはことごとくダメ出しをしてくる。その書き直しを続ける間にも、時間が過ぎていく。ポールの小説を担当している編集者も、行方不明のポールを心配し、警察も捜索を行っていた。
 

少しずつ骨折も快方に向かってきたポールは、車いすに乗れるようになる。アニーが外出中に、ポールは車いすを動かして家の中を探索する。そこで、アニーの過去を知ることになる。恐怖を感じたポールは、この家から何とかして脱出しようとするのだが…。
 

アニーは、見た目の印象は普通の女性だ。だが自分の好きな作家を助けたことから、愛読書の物語を変えようとする。過剰な愛情は、人間を異常な行動に走らせてしまうのだ。その異常さが最も現れているシーンがあるのだが、ここではどんな場面か書きません。何度見ても、目をそむけてしまいます。

 

アニーを演じたキャシー・ベイツは、1948年生まれ。70年代から映画に出演していたが、彼女が注目されたのは『ミザリー』で、この悪役を演じてアカデミー賞主演女優賞を獲得する。以降は『フライド・グリーン・トマト』(1991年)や『タイタニック』(1997年)など現在まで数多くの作品に出演している。『ミザリー』はスティーブン・キング原作の小説だが、これまでに『ザ・スタンド』(1994年)や『黙秘』(1995年)などのキング作品の映像化作品にも出演している。また俳優だけではなく、『ホミサイド/殺人捜査課』(1993年~1999年)では1996年に、『シックスフィート・アンダー』(2001年~2005年)では2001~2003年にTVドラマのエピソードの監督を務めている。
 

これまでにキャシー・ベイツは様々な役に挑戦している。狂気の漂うサイコから、普通の主婦まで、幅広いキャラクターに扮していて、その演技の幅に驚きます。その彼女が世界から注目を浴びた『ミザリー』、まだ観ていない方がいたら、ぜひご覧になってください。
きっと他にもキャシーが出ている作品も観たくなるはずだ。
 

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Written by 鈴木 純一(すずき・じゅんいち)
映画を心の糧にして生きている男。『バタリアン』や『ターミネーター』などホラーやアクションが好きだが、『ローマの休日』も好き。
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ある時は予告編を一刀両断。またある時は悪役を熱く語る。大胆な切り口に注目せよ!
 
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明けの明星が輝く空に 第160回:シン・仮面ライダー②:黙祷するヒーロー

※今回の記事は、映画の設定に関するネタバレを含みます。ストーリーについては最小限に抑えてありますが、映画鑑賞を検討中の方はご注意ください。
 

『シン・仮面ライダー』の主人公、本郷猛は、敵を倒した後に黙祷する。これまで、そんなことをするヒーローがいただろうか。彼の敵は怪物やロボットではなく、人間だ。SHOCKERという非合法組織によってオーグメンテーション(肉体拡張)を施され、異能の力を与えられてはいるが、そこは変わらない。本郷自身もオーグメンテーションを受けており、マスクを被ると生存本能が増幅されて暴力的な衝動が抑えられなくなる。バッタオーグ(仮面ライダー)としての初めての戦いでは、襲いかかる何人もの敵をいとも簡単に殴り殺し、あたりを鮮血で染めてしまった。
 

敵といえども人間の命を奪ったことに衝撃を受け、苦しむ本郷。人を簡単に殺すことができる「行きすぎた力」を拒否する意思を示すが、敵であるクモオーグに捕らえられたヒロイン、緑川ルリ子を助けるため、再び戦わざるを得なくなる。クモオーグの手下たちを文字通り瞬殺し、クモオーグとの1対1の戦いも制した後、マスクを脱いだ本郷は「思ったより辛い」とつぶやく。そして、悲しみに耐えるかのように震えながら、文字通り泡となって消滅したクモオーグの痕跡へ向かい、頭を垂れるのだ。
 

僕は、本郷の台詞の中の「思ったより」という言葉が引っかかった。まるで彼が、人の命を奪うことを軽く考えていたようにも聞こえるからだ。その台詞を理解するためのカギは、警察官である彼の父が殉職したことだろう。銃を使わず、刃物を持った男を説得しようとして刺された父。その事件現場に居合わせてしまった本郷が、たとえ犯人が死んだとしても父は銃を撃つべきだった、と考えていたとしても不思議ではない。悲劇を経験し、人を守れる強い力を望んだ本郷は、父とは違い力が使えるようになりたいと願った。しかし、自分が実際に人の命を奪ってみると、想像以上に精神的に堪えたということなのかもしれない。
 

話を本題に戻そう。黙祷する本郷を見たルリ子は、「優しすぎるかも」とつぶやく。実は、彼女にはSHOCKERを倒すという目的があった。SCHOCKERは元々、人々の幸福を実現するために設立された組織だったのだが、オーグメンテーションを受けた者たちがエゴに走るようになっていた。ルリ子は、父である緑川弘博士とともにSHOCKERの構成員だったが、2人して組織を裏切り、本郷猛を脱出させて自分たちの計画を手伝わせようと考えていたのだ。
 

本郷に対し同じような危惧を抱いたのは、ルリ子以外にもいる。SHOCKER対策のため、彼女たちに近づいてきた情報機関の男だ。彼が本郷の行動を見て「優しすぎる」と言ったのは、ルリ子にとって「友人に最も近い」関係だったヒロミ(ハチオーグ)と戦わずして撤退した時だった。本郷は、なるべくならヒロミと戦いたくないというルリ子の心の内を察していたのだ。
 

それでも再びヒロミのアジトに乗り込んだ際には、戦わざるを得なくなる。結果、本郷は勝った。しかし、ヒロミの命を奪うことはしなかった。どうやらこの時までに、強い精神力で自制心を働かせる術を見つけていたらしい。ところが、そこに現れた例の情報機関の男が、特殊な銃弾を使いヒロミを撃ち殺してしまう。涙を流すルリ子の横で、本郷は黙祷を捧げた。
 

彼のこうした行動は、もう1人の仮面ライダー、一文字隼人にも影響を与えている。飄々としてどこか浮世離れした感のある一文字だったが、“ダブルライダー”として力を合わせて戦った後、黙祷する本郷を見て、それに倣うのだ。
 

映画を観ていない方は「黙祷するヒーロー」という今回の記事のタイトルを見て、「黙祷」は「決め台詞」や「得意技」のようなキャラクターに個性を与えるためだけの、ある意味“格好つけ”のようなものと思われたかもしれない。しかし、本郷の黙祷する姿からは、彼の真摯な思いが感じられる。そう感じるのは、本郷を演じた池松壮亮さんの演技によるところも大きいが、本郷の人物設定も同じぐらい重要だ。
 

物語冒頭において、本郷は「いわゆるコミュ障。それが原因で現在無職。バイクが唯一の趣味」という説明がなされる。これはルリ子の言葉なのだが、単に彼女は父の緑川博士にそう聞かされていたらしい。しかし、「コミュ障」というのはオーバーな言い方だ。本郷と周囲の人間のコミュニケーションは、問題なく成立している。確かに感情が話し方や表情に出るタイプではないが、自分の心情や思いは隠さず言葉にし、上辺を取り繕ったり格好つけたりする人間ではない。だから、その言動に嘘は微塵も感じられないのだ。
 

倒した敵に向かい、黙祷するヒーロー。非常に希有な存在だが、考えてみれば命を奪った辛さに苦しむのは、人として当たり前のことだ。しかし、特撮作品に限らず時代劇などでも、ヒーローのそういった姿はほとんど描かれてこなかった。正直なところ、『シン・仮面ライダー』でも十分描き切れていたかどうか、議論の余地は残る。しかし、そこに目を向けたという点において、本作は肯定的に評価されるべきだろう。
 

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】最近、意味も無く「特撮浪曼主義」とか「特撮耽美派」という言葉を思いつきました。でも文字にしてみると、なんだかしっくりする。特撮に対する自分の信条が明確になったようで。ということで、これからは特撮浪漫主義を掲げ、特撮耽美派を標榜するのだ。

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明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る 

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花と果実のある暮らし in Chiang Mai プチ・カルチャー集Vol.67  暑すぎるチェンマイ!

★「花と果実のある暮らし in Chiang Mai」
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今年は4年ぶりに規制がない水掛け祭りが開催され(4月中旬)、タイ人はかなり血が騒いだようです。ただ水掛け祭りだけでなく、毎日水浴びして涼みたい…と思うほど今年の暑さは異常です。先日ターク県では最高気温44.6度を記録、過去最高タイを更新しました。人間の体温を上回り、高熱が出た時以上の暑さ!?朝のニュースでも暑さに対する注意を促していました。暑さに加えてこの時期の空気の悪さ世界No.1チェンマイでは、午後になると町が静かになります。多くの人が建物の中に籠るからです。そのためデパートやカフェは混雑し、冷房効いてるのかなと思う時もあるほど暑い…。先日は、冷房のあるカフェに入ったら満席。3軒目でようやく席にありつけました。また、スポーツクラブのシャワーは、暑さで水道管が熱くなってしまい、お水のはずがほぼ熱湯なんてこともあり要注意です。小さな猫たちを見ていると、この暑さと空気に耐えられるのか心配になります。チェンマイだけでなく、おそらく多くの町で同じことを感じている人が増えていることでしょう。地球の温暖化問題がここまで来ているのかとちょっと怖くなったこの夏でした。 

そして、一昨日ようやく雨が降りました。感謝。

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Written by 馬場容子(ばば・ようこ)
東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
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スマホ一台で息子を救え 『デスパレート・ラン』の予告編

【最近の私】夏に公開される『インディ・ジョーンズ』『ミッション:インポッシブル』シリーズの新作が今から楽しみです。
 

今や生活の中で欠かせることができない携帯電話。スマホは電話やメールだけではなく、インターネットやアプリケーションなど便利な機能がついている。そして携帯電話やスマホをサスペンスの要素として制作された映画もある。その“スマホ映画”の中から、今回は『デスパレート・ラン』(2021年)の予告編を紹介したい。
 

予告編は、エイミー(ナオミ・ワッツ)が自宅を出てジョギングに行く場面から始まる。エイミーは夫を事故で亡くし、現在は自然に囲まれた小さな町で息子ノア、そして娘との生活をしていた。エイミーが森の中の道を走っていると、パトカーとすれ違う。そしてスマホに「事件発生。学校を閉鎖」との緊急速報が流れてくる。ニュース動画、知人に電話をして情報を収集するエイミー。そして、息子が通う学校で立てこもり事件が発生し、息子が事件に巻き込まれているらしいと知る。
 

自分も時々ジョギングに行くことはあるのだが、スマホは荷物になるので持って走ったことはないです。でも、この予告編を観ると、これからはスマホを持って出かけた方がいいのかなと思いました。
 

人質になったノアはエイミーに「怖いよ」と電話をかけてくる。恐怖に凍りつくエイミー。なんとかして息子を救わないと。だが、自分がいる位置は自宅にも車にも遠い場所だ。自分に残されたのはスマホのみ。自分の息子を救うことはできるのか…。
 

電話回線を通じてサスペンスが派生する映画はこれまでにも制作されてきた。例えば、『セルラー』(2004年)がある。監禁された女性が、偶然につながった見ず知らずの若者の携帯に助けを求めるノンストップサスペンスだった。ちなみに、『セルラー』を香港でリメイクした『コネクテッド』(2008年)もある。こちらも携帯が見ず知らずの人間につながるネタは同じでも、派手なアクションを加えたリメイクになっている。
 

最近では、デンマーク映画『THE GUILTY /ギルティ』(2018年)がある。『ギルティ』は警察の緊急通報管理室で勤務する主人公が、今まさに誘拐されている女性からの通報電話を受ける。映画はすべて管理室の中で展開される。走る車の音、犯人の声など、わずかな手がかりから、主人公は女性を救おうとする。この作品も2021年にハリウッドでリメイクされ、主人公はジェイク・ギレンホールが務めている。
 

また、スマホで事件を解決しようとする本作の予告編を観ると、パソコンのモニターで物語が進む『search/サーチ』(2018年)を思い出す。娘が行方不明になり、父親がインターネット、ビデオ通話、メール、SNSなどを駆使して娘を捜す。全編を通じてパソコンの中で進む物語。SNSで事件の真相を追う展開。そしてネットを通じて自分の娘の知らない素顔を知る父親など、今までにないが話題になったので、観た方も多いだろう。
 

本作の監督はフィリップ・ノリス。『パトリオット・ゲーム』(1992年)や『ボーン・コレクター』(1999年)など、アクション大作やサスペンスを撮ってきた監督だ。今回はスマホを使って息子を救おうとする母親というシンプルなシチュエーションの映画を作るのは意外な気がした。でもノイス監督が1989年に手がけた『デッド・カーム/戦慄の航海』では、海上に浮かぶ小型ボートという限られた空間の中で物語が展開するサスペンスだった。
 

突然の事件に巻き込まれたエイミー。その非常事態に、彼女はスマホという身近な機器を使い、何とかして事件を解決することができるのか。シンプルだが、アイデアで観る者をハラハラさせる作品になっている予感がします。はたしてエイミーは息子を救えるのか?その結末は映画館で確認してきます!
 

今回注目した予告編:
『デスパレート・ラン』
監督:フィリップ・ノイス
出演:ナオミ・ワッツ、コルトン・ゴボ
2023年5月12日より公開
公式サイト:https://desperate-run.jp/
 
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Written by 鈴木 純一(すずき・じゅんいち)
映画を心の糧にして生きている男。『バタリアン』や『ターミネーター』などホラーやアクションが好きだが、『ローマの休日』も好き。
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明けの明星が輝く空に 第159回:シン・仮面ライダー①:人はひとりでは生きられない

※今回の記事は、映画の設定に関するネタバレを含みます。ストーリーについては最小限に抑えてありますが、映画鑑賞を検討中の方はご注意ください。
 

この春に公開された映画、『シン・仮面ライダー』の3枚組ポスターには、それぞれ「孤高」、「信頼」、「継承」という物語の流れを示すキーワードが入っている。注目すべきは、「孤高」がひとりであることを意味しているのに対し、残りの2つは他者の存在が前提だということだ。(掲載されている写真も1枚目が出演者1人、他の2枚は2人である。)
 

本作において主人公との敵となるのは、SHOCKERと名乗る組織。テレビ版『仮面ライダー』(1971年~73年)における秘密結社「ショッカー」を踏襲したネーミングだが、単に英語表記に変えただけではない。SHOCKERとは“Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling”の頭文字を取ったもので、 “Happiness”とあるように、人々に幸福をもたらすことを理念としており、その本質は“悪の組織”ではない。
 

最後の“Remodeling”は、ライダーシリーズでおなじみの“改造”にあたり、いわゆる“怪人”たちのことを示している。本作で “オーグメント”と呼ばれる彼らは、幸福を実現するためコンピューター的知見を付与され、肉体を強化された者たちだ。ただし、与えられた力を自分勝手な目的のために使っていた。例えばコウモリオーグは、人口を減らすことが人類の幸福という信念のもと、特殊ウィルスを開発。ハチオーグは人々を支配することが自身の幸せ、支配されることが自分以外の人間にとっての幸せと考え、町の人々を働きバチのように従えている。
 

エゴに満ちた彼らを止めたいと考えたのが、SHOCKERの構成員だった緑川弘博士だ。彼は娘のルリ子を使い、バッタオーグとして自身が肉体をアップグレードした青年、本郷猛を組織から脱出させた。自由の身となった本郷は仮面ライダーを名乗り、オーグメントたちを倒していく。そんな中、ルリ子は兄であるイチロー(チョウオーグ)が羽化し、完全体になったことを知る。イチローは肉体の存在しない魂だけの世界、同時に本心だけの嘘のない世界=“ハビタット世界”へ全人類を送ることを目論んでいた。過去に母親を無差別殺人事件で失い、絶望にたたき落とされた彼は、ハビタット世界なら誰もが傷つくことはないと考えたのだ。
 

本作を撮った庵野監督の作品に詳しい人なら気がつくだろう。ハビタット世界は、エヴァンゲリオンシリーズの「人類補完計画」にそっくりだということに。その計画が完遂すれば、世界は個々の人間が肉体を失い、ひとつの魂として存在するものに作り変えられる。そこに他者は存在しない。だから、自分が傷つくことも、人を傷つけることもない。
 

どちらにも共通しているのは、悲しみと向き合うことを拒絶している点だ。それは、イチローが本郷猛を迎え撃つために用意したもうひとりのバッタオーグ、一文字隼人の洗脳方法にも表れていた。一文字は抱えていた悲しみを消され、「多幸感を上書き」されていたのだ。(一文字はこのあと洗脳を解かれ、ダブルライダーとして本郷と力を合わせて戦うことになる。)
 

悲しい記憶を消す。聞こえはいいが、それは「現実と向き合わない」=「逃げ」でもある。だからこそ、本郷猛は現実から目を逸らさない。彼もまた、警察官だった父親を目の前で殺され、絶望を経験していた。そんな彼が望んだのは、人を守るための強い力を持つこと。(その思いを知っていた大学の恩師、緑川博士が本人の承諾も得ず、彼をオーグメントにしてしまった。)洗脳されていない本郷は、何度も悲劇の場面を思い出す。彼はSHOCEKRだけでなく、悲しみとも戦い続ける男だった。
 

ところで、本郷のこういった設定を聞くと、熱い心と強い精神力を持ったヒーロー像を思い描くかもしれないが、彼はまるで正反対だ。ルリ子によれば“コミュ障”という、およそヒーローらしからぬ人物で、感情表現にも乏しい。そして興味深いことに、感情を見せないのはルリ子もイチローも同じだった。ルリ子は父がSHOCKERに殺されても悲しむ様子はなかったし、イチローも終始ロボットのように無表情で、感情が欠落した話し方をする。
 

庵野監督はエヴァンゲリオンシリーズでも、綾波レイという感情が欠けた人工生命体である少女を登場させている。しかし彼女は、主人公シンジとの交流を通して様々な感情を見せるようになる。同様にルリ子も、本郷と行動を共にするうちに表情が豊かになり、イチローもルリ子の思いに触れ、最後は人間らしい表情に変わった。
 

人は自分ひとりの世界に閉じこもれば、感情が乏しくなる。豊かな感情は、他者との関わり合いから生まれてくるからだ。また、ひとりで悲しみを乗り越えるのは辛い。寄り添ってくれる誰かが必要だ。「人はひとりでは生きられない」という言葉には、そんな意味もあるのだろう。他人を信じないと言っていたルリ子は、本郷との信頼関係を通し、「幸せ」が何であるか理解するようになった。そしてラストシーンでは、人とつるむのが嫌いだった一文字が、バイクを走らせながら本郷にこう語りかける。「オレたちはもうひとりじゃない。いつもふたりだ。」美しい景色の中、希望に向けて走り去っていくこのシーンに、庵野監督の思いが込められている。
 

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【最近の私】先月、『帰ってきたウルトラマン』で主人公の郷秀樹を演じた団時朗(当時は次郎)さんが鬼籍に入られました。まだ70代。子ども時代の記憶と一番強く結びついたウルトラマンだけに、残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします。

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花と果実のある暮らし in Chiang Mai プチ・カルチャー集 Vol.66 お金とは何だ?!

★「花と果実のある暮らし in Chiang Mai」
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先日、生協のようなところで買い物をし、1000バーツ(日本で言う1万円札みたいな存在)を出したら、スキャンで払ってくださいと言われました。スキャン支払いをスマホでやっていない私は、なんとか小銭をかき集め、お釣りが出ないように支払いました。更に最近、ショッピングセンターの中にあった銀行は撤去され、買い物ついでに銀行に立ち寄ろうと思っていたら、おや、窓口がない!?ということも。いまや市場に行ってもスキャン支払いができる時代。そんな中、昨日友人の周りで銀行からカードの不正使用で30万バーツ(約120万円)盗まれたという話を聞きました。簡単にスキャンで支払いが終わってしまう一方で、コツコツ貯めたお金が一瞬で消えてしまったという実話。泥棒にバッグをひったくられてお金を盗まれたのと違い、お金の存在感がなくて、お金が煙に巻かれて消えてしまったよう。この実体のなさが今っぽい(スマホネイティブは違和感ないのかな)。ただ昭和生まれの私は、やはり貯金箱に小銭を貯めてだんだん重くなっていく実感を覚えているのです。なので、「スキャンで支払うお金」と「現金で支払うお金」、同じお金といえども、別物のような気がしてしまう。「オカネ」と「お金」みたいな!?
 

昭和生まれの皆さん、いかがでしょう?

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東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
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人狩りが趣味の富豪 ランス・ヘンリクセンin 『ハード・ターゲット』

【最近の私】ミシェル・ヨーとキー・ホイ・クァンがアカデミー賞を受賞しました。80年代から2人の映画を観ていたファンとしては、とてもうれしいです。
 

今年のアカデミー賞は『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』でミシェル・ヨーとキー・ホイ・クァンが主演女優賞と助演男優賞を獲得した。現在ではアジア系の俳優や監督がハリウッドで活躍しているが、90年代にはまだそれほど多くはなかった。今回はその90年代に、香港のジョン・ウー監督がハリウッドで撮った『ハード・ターゲット』(1993年)に登場した悪役を紹介したい。
 

本作の舞台はニューオリンズ。弁護士ナターシャ(ヤンシー・バトラー)が行方不明になった父親を捜していた。ナターシャは地元の警察に捜索願いを依頼するが、警察がストを起こしていて、あてにできない。街中でチンピラに襲われたナターシャは、武術を使う男チャンス(ジャン=クロード・ヴァン・ダム)に救われる。ナターシャはチャンスを用心棒として、父親を捜すことに。
 

やがて、ナターシャの父親が焼死体で発見される。しかも彼は生前ホームレスとして暮らしていた。父親の死体を見たチャンスは、彼の死は殺人ではと疑いを持つ。なぜ父親は殺されることになったのか。
 

2人の捜査が進む中で、フランス人の富豪エミール(ランス・ヘンリクセン)率いる組織が上流階級者を客として人狩りをしていると突き止める。エミールは警察がストで機能していない間に、ホームレスを標的にして、人を狩るビジネスを行っていたのだ。やがてエミールたちの手はチャンスたちにも伸びる。果たして2人はナターシャの父親の敵を打つことができるのか…。
 

エミールが異様なのは、富豪として何不自由していないが、人間狩りをビジネスとしている点だ。しかも標的となるホームレスは元警察官や軍人である。一般人より、軍人の方がサバイバルに長けているので、狩りをするにはもってこいだと考えている。ホームレスに大金を見せ、そして狩る。貧富の格差を利用する卑劣な悪党だ。しかも本人も銃を持って狩りに参加し、殺人に迷う参加者がいれば、その者を殺害するという残虐な男である。
 

エミールを演じたランス・ヘンリクセンは、1940年にアメリカで生まれた。海軍に所属していたが、俳優の道を目指すことになる。『ターミネーター』(1984年)でヘンリクセンは刑事に扮しており、もともとは殺人サイボーグのターミネーターを演じる予定だったが、アーノルドシュワルツェネッガーに交代する。『ターミネーター』のジェームズ・キャメロン監督が『エイリアン2』(1986年)でヘンリクセンをサイボーグ役として起用したのは有名な話だ。
 

『エイリアン2』で注目を浴びて、ヘンリクセンは数多くの映画に出演することになる。その独特の風貌から、『ニア・ダーク/月夜の出来事』(1987年)では吸血鬼を演じるなど、人間ではない役や悪役として現在も映画やドラマで活躍している。『ハード・ターゲット』でも非情なキャラクターを演じているが、フランス人に見えないのが難点か。アメリカ人という設定でもいいのではと思うが、アメリカで狩りをする異邦人というキャラクターもまた魅力的なのかもしれない。
 

本作では、ジョン・ウーが香港映画で描いてきた激しい銃撃戦と危険なスタント、派手な爆発(そしてウー監督のトレードマークの白い鳩も登場)をアメリカでも認めさせる快作となった。以降、ウー監督がハリウッドで活躍するきっかけとなる、この作品でランス・ヘンリクセンは、強烈な悪役として印象を残している。またいつか、彼にはウー監督作に登場してほしいです。
 

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明けの明星が輝く空に 第158回:ウルトラ名作探訪15「怪獣殿下」

「怪獣殿下」は、『ウルトラマン』で唯一、前編(第26話)と後編(第27話)に分かれた“大作”で、怪獣の強さをストレートに表現した単純明快さが魅力だ。登場する古代怪獣ゴモラは、純粋に体力だけでウルトラマンを圧倒。最初の対戦では、ウルトラマンを角で宙に放り投げた後、倒れたところを踏みつけたり、尻尾で何度も打ち据えたりし、ほぼノックアウトに追い込んでいる。
 

ただ、「怪獣殿下」における“スペクタクル”は、むしろウルトラマンとの戦闘シーン以外のところにある。例えば、戦車部隊がゴモラに向けて一斉に砲撃する場面。撮影では、これでもかというぐらい火薬が使われており、スタジオに立ちこめる爆煙でゴモラの姿が隠れてしまうほどだ。そんな中でも、(着ぐるみに電飾が埋め込まれているおかげで)ランランと光るゴモラの目は、異様な生命力に満ちており、凄みすら感じる。
 

また、大阪城を破壊する場面も、怪獣映画の世界をそのままテレビに持ってきたかのような迫力があって壮観だ。セットに置かれたミニチュアの天守閣は、ゴモラを上回るボリューム感。しかも、頑丈な作りで簡単には崩れない。ゴモラの着ぐるみに入ったスーツアクターも、ある程度気合いを入れる必要があっただろう。それがゴモラの本気度として立ち現れ、リアリティある破壊シーンを生み出している。
 

「怪獣殿下」のもうひとつの魅力は、当時の子どもたちの夢を叶えて見せたことだ。タイトルにある怪獣殿下とは、怪獣が大好きな少年、治(おさむ)のニックネームなのだが、クラスメートたちは怪獣の存在を信じておらず、彼を馬鹿にしている。しかし、ゴモラ出現のニュースが流れた翌日、友だちの態度も一変。正しいことが証明された治は得意満面だ。当時、大人たちに怪獣の存在を否定され、悔しい思いをした子どもたちは少なくなかっただろう。そんな子どもたちは、治に自分たちの姿を重ねて見ていたに違いない。
 

余談であるが、怪獣の存在が認知されていないというのは、ゴモラ以前に何体もの怪獣が出現した『ウルトラマン』の世界では不自然なことだ。ところが治少年を取り巻く(ゴモラ出現以前の)環境は、視聴者の暮らす現実世界と変わらない。裏を返せば、現実世界が作品内に取り込まれたと言ってもいいだろう。これは、テレビの中と外の世界が地続きであるかのように感じさせる演出だと考えられる。虚構と現実の境界をあいまいとすることで、子どもたちはますます『ウルトラマン』の世界に引き込まれていくことになるわけだ。
 

閑話休題。治がテレビの前の子どもたちに代わって叶えてくれた夢は、ほかにもある。彼はゴモラ退治に貢献した活躍を評価され、本作の主人公であるハヤタ隊員に科学特捜隊のバッジをプレゼントされるのだ。しかもそれは通信機能付きで、ジェット機で飛行するハヤタと交信まで行う。大人の僕から見ても、これ以上うらやましいことはない。
 

このように、「怪獣殿下」は子どもたちにとってのエンターテインメントとして優れた作品なのであるが、実を言うと「名作」として紹介するのには躊躇があった。それは、物語に内在する人間のエゴが、作品内で糾弾されることがないからだ。ゴモラはもともと、未開の島に生息していただけで、何ら脅威ではなかった。それを人間に発見され、万国博覧会の展示用にと、麻酔弾を撃ち込まれ空輸されてきたのだ。お粗末なことに麻酔が想定より早く切れ、科学特捜隊は暴れ出したゴモラを上空から投下。その衝撃で凶暴化したゴモラは、退治されてしまう。
 

このプロットは、映画『キング・コング』(1933年)を下敷きにしていると見て間違いない。『キング・コング』も人間のエゴを明確に糾弾しているというわけではないが、戦闘機の機銃掃射を受け弱っていくコングの表情は悲しげで、自然と観る者に同情心を抱かせる。ゴモラも尻尾を切られ角を折られ、弱々しい鳴き声を上げて力尽きるのだが、その直後に治少年と、科学特捜隊のアラシ、イデ両隊員が喜ぶカットに変わり、勝利を祝うムードに包まれる。だから「憎むべきやつだったが、かわいそうなことをした」というアラシの台詞も、取って付けたようにしか聞こえない。加えてイデが、あたかも供養のためとばかりに「剥製にして万国博の古代館に飾ってやろう」と言うに至っては、人間の身勝手さがむき出しになったという印象を禁じ得ない。(こういった観点からすれば、「怪獣殿下」は、およそ『ウルトラマン』らしからぬ作品と言えるのだ。)
 

ただ逆説的に、そのように思えた時点で、「怪獣殿下」には(おそらく制作者の意図しなかった)意義が生まれるとも言えるだろう。結果的に、人間のエゴを観る者に突きつけていることになるからだ。文学作品の批評理論に「テクスト論」というものがあるそうだが、これは作品を作者(の意図)から切り離し、書かれているものを読者が自由に解釈してもよいとする考え方だ。それとは少し違うのかもしれないが、少なくとも反面教師として捉えることはできそうだ。そして、そのような視点を持って鑑賞することで、「怪獣殿下」は名作と呼ぶことができる。そう言っても良いのではないだろうか。
 

「怪獣殿下」(『ウルトラマン』第26、27話)
  監督:円谷一、脚本:金城哲夫・若槻文三、特殊技術:高野宏一
 

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】JVTAのスタッフブログにシェイクスピアの話題が出ていましたが、偶然にも『ハムレット』と『マクベス』を最近になって初めて読んだところでした。芝居経験者としてはともかく、翻訳者として有名な台詞の知識くらいないとダメだろうと思って。まあ、メジャーリーガーあたりがシェイクスピアを引用することはまずないでしょうけど。

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花と果実のある暮らし in Chiang Mai プチ・カルチャー集 Vol.65 タイ舞踏、コーン

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インパクト大の写真をメインにタイのリアルなプチ・カルチャーをご紹介しています。
 

パートナーの甥っ子兄弟は、タイの舞踏学校を卒業しています。先日、珍しくコーンの舞台公演があるので観に行かないかと誘われ、行ってきました。
 

コーンとは、タイの伝統的な舞台で、仮面をつけた演者が語り手の語りに合わせて舞い、話が進行していきます。公演時間は3時間! でもオリジナルのストーリーはもっと長く、これでもその物語の一部分のみを演じているそうです。 舞台は野外で行われ、舞台の横で奏でられる楽団の音楽、そして金銀の刺繍が施された輝く衣装はとても美しく、観光客も皆釘付けになっていました。この舞台の演者は、学生、卒業生だけでなく先生も、役者や語り手、裏方として参加します。皆が協力し合って行われたとても温かみのある公演でした。以前、甥っ子の母親が亡くなった時、彼らはお葬式で母に捧げる踊りを舞いました。悲しいけれど、本当に美しく胸を打たれる場面でした。そんな生徒たちも卒業したら普通に仕事をし、練習することもなく、演じる機会もなく、その技術や経験を持て余してしまいます。とても残念なことです。キラキラ輝く舞台を観終わった後、暗い夜空を見ながらの帰り道、築いてきた文化を守ることも大切さを改めて実感するのでした。
 

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Written by 馬場容子(ばば・ようこ)
東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
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