第23回:スペイン+放浪記 その9(バレンシア編)
【最近の私】仕事の忙しさを理由にスペイン語の勉強を怠けていたここ2年。今年は、中級レベルまでマスターすると一念発起するのであった。
いよいよハポネサ(日本人女性)の崖っぷち大人留学も終盤を迎える。
「スペイン映画の研究」という名の下で、2012年1月8日に出発し、ビザが切れる7月15日までスペイン生活にどっぷりと浸かるのであった。大学でスペイン語を学び、フィルムセンターで50~60年代のスペイン映画を観まくる日々。その合間にデートしたり、スペイン国内の旅を楽しんだりと、聞くモノや見るモノ全てを吸収しようと‘欲望’をむき出しにしていた。
そしてついに、欲望を満たす、フィーナーレを飾る経験を・・・。
それは日本にはなく、スペインにはあるもの。
「ヌーディスト・ビーチ」だ!!
■ヌーディズム
「ヌーディスト・ビーチ」。この言葉を聞くと、全裸になった人たちが海岸で日焼けをしたり、本を読んだり、海で戯れているシーンを想像する。
ウィキペディアで「ヌーディズム」を検索すると、「ヨーロッパでは、ヌーディズム=裸体主義と定義され、全裸でありながら服を着た状態と全く同じように過ごすこと。ただし衣服を着て生活することが規範となっている社会における活動を言う。(中略)19世紀末、ヨーロッパでは近代化が加速していたため、それに反発するため自然回帰の動きがあった。(中略)日本では、『全裸』が他人の性的羞恥心を害するということで、公然わいせつ罪に問われる」。
なるほど。
時代が変わっても「裸」=「わいせつ」という解釈をぬぐえず、「恥」が文化の一つとして浸透している日本ではなかなか「ヌーディスト・ビーチ」が定着しないのは当然かもしれない。
■新たなヌーディズム
マドリードで仲良くなった日本語教師のNちゃんとは、ポルトガルやセビリアに出かけたり、バルで過ごしたりなど一緒に行動する時間多くなっていた。そんなNちゃんに彼氏ができたらしい。それもスペイン人の年下の男。バルでサッカー観戦をしている時、Nちゃんを迎えにきた彼氏のOを紹介される。NちゃんとOは久しぶりの再会だったこともあったのだろう、OのNちゃんへの愛情表現は強烈だった。Nちゃんは日本人女性らしく恥ずかしく抵抗していたがOはそんなNちゃんを完全無視。むぎゅ~と窒息死させるぐらいに抱きしめていた。そんな2人のじゃれあいが、まるで大きい犬が小さな人形を転がし遊んでいるかのように私には見えた。
Oは訛りのあるスペイン語を話す。聞けば、カナリア諸島出身らしい。北アフリカに近く、一年中トロピカルな気候なため、毎日海で泳いでいたという。
「海水パンツなんて付けたことないね。パンツをはいて海に入るなんて抵抗があるよ。」
彼のこの一言からバレンシアにあるヌーディスト・ビーチに話題は発展。「ヌーディスト・ビーチ」という言葉は聞いたことがあったけど、イタリアやフランスの一部の避暑地に限った話で、一生縁がないと思っていた。そう、スペインにもあるとは知らなかった。
話を聞いているうちに、少しずつ私の「行きたい!欲望」が刺激され、扇動され、ついにはハッキリとした欲望に変わる。さらに話はあれよあれよと実行計画に進展し、3人で行くことになったのだ。
スペイン滞在が残り1か月を切っていた私には、‘欲望’を満たす朗報ではあった。しかし一方でこのアツアツカップルと一緒というのは、孤独感に襲われる可能性も高いなと覚悟するのであった。
■パエリアの街、バレンシア
バレンシアと言えば、バレンシア・オレンジが馴染み深い。しかし、この地が米どころとしても有名なのは以外に知られていない。
バレンシア市の中心部から少し離れると田園風景に出会う。青々とした稲が緑の絨毯のように地を覆い、風が吹くと稲がなびく様は私には懐かしかった。私の故郷である山形の家の周辺は田んぼだらけで、小学校の通学路はたんぼ道1本だった。春夏秋冬を通して稲の成長ぶりを目にしていたので、バレンシアでこんな光景を目にするとは、なんとも感慨深かった。
そして、米が収穫できるということは、美味しいパエリアができると言うことでもある。
ここバレンシアは、海岸沿いの街でもあるので魚の漁獲量も高い。パエリアの具材である米、魚、肉、野菜ののうち、2つの具材が地元でそろう。ということは、パエリアの名所になるのも当たり前である。
でも、我々が注文したのは米のパエリアではなく、ショートパスタのパエリアだった。Oのセンスに任せてしまったからだ。注文した後に後悔したが、幸い、これまで食べたパエリアのなかで一番美味しかった。味そのものにも満足だったが、この気候のもとで食べるパエリアが格別だったのかもしれない。
■いざ、ヌーディスト・ビーチへ!
胃袋を満たした後は、待ちに待ったヌーディスト・ビーチへ。
Oが運転する車の助手席はもちろんNちゃん。私は後部座席で車酔いに気をつけながら、2人のイチャつきぶりから目をそらしつつ、外の風景を楽しんでいた。
ビーチには駐車場が無いため、近くの道路の路肩に駐車。炎天下を歩くことに。しかし10分歩いてもビーチは見えてこない。2人のイチャつきパワーもこの暑さに消沈ぎみだ。
ついに青い海が見えた。
「やったー、海だ!」
海岸線を見渡すと、ほとんど誰もいない。遠くに丸裸の家族づれが1組。
誰もいないヌーディスト・ビーチ。裸になりやすいが、Oがいるな……。
さすがカナリア出身であるOは、「ちょっと失礼。裸になるけど」と言って、一糸まとわぬ姿にさっさとなり、海に行ってしまった。
Nちゃんと私は水着のまま、後を追いかける。
海でイチャつく2人から逃げるように浜へ戻った私は、水着を着たままドライブインで購入した女性誌をパラパラとめくる。スペインのゴシップ誌には何の興味もなかったが、ここで時間を過ごすには何も考えなくていい雑誌にしようと初めて買ってみた。
そしたら、なんと言うことか……!!
雑誌のインクが、水着や手、足に、油のようにベタベタとまとわりつくではないか!
身体についた海水に反応したのか、雑誌の写真の色が歪んでいたり、無くなったりしている。日本の雑誌ではありえないことだ。
そこへ2人が戻ってくる。
インクまみれの私を見て、驚き、そして大爆笑。
私もつられて笑ってしまうが、せっかくのおニューの水着が台無しだ。ヌーディスト・ビーチだからといって、水着を持ってこない勇気はない。新調したばかりなのに…。
砂でこすっても落ちない。もうこれは海しかない。
3人で急いで海へ走り、洗い流す。2人も必死に私の手と足からインクをこすり落としてくれている。でも水着についたインクは落ちなかった。
「もう、いいや!」と諦め感が湧いてきた。すると、その諦め感が、私の心の中で何かを解き放ち、開放感に変った。私もOに倣って、自らを開放することにしたのだ!
Nちゃんは日本人女性らしく最後まで抵抗していたが、3人には奇妙な連帯感が生まれていた。文字通り「裸の付き合い」が、国や性の違いを超えて人間同士が交わるきっかけを与えてくれたのである。
—————————————————————————————–
Written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)
山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
—————————————————————————————–