第25回:「スペイン式 ピソ狂騒曲」~番外編 その2
【最近の私】
花粉症な私。でもスギ花粉と無縁な沖縄にいる。沖縄いいとこ、スギ花粉ないところ♪
マドリードの高級ホテルで行われた「R財団マドリードクラブ」の月1回の定例会。そこで、衝撃的な再会をしてしまった、私の天敵であるピソ女家主と私。私の頭のなかでは、あの1月の寒いマドリードの夜空を、とぼとぼと2つのスーツケースを抱えて歩く自分の姿がフラッシュバックしていた。蘇ったのは天敵への嫌悪感だけではない。あの女に追加のお金を要求されたらどうしよう!という不安がよぎる。
計100人近いメンバーが昼食をとりながらの会議は、8名ずつ丸テーブルに分かれて静粛な雰囲気で始まった。アメリカを拠点とするR財団の支部が、ヨーロッパで初めて設立されたのは、ここマドリードクラブと言われている。そのため、所属メンバー数も他と比べると多く、大手エネルギー会社の社長や弁護士といった上流層も多い。日本の大手家電メーカーの社長も視察に訪れたことがあるらしい。わぉ!これまで訪問したクラブのアットホームな雰囲気とは180度違う。
アメリカやイギリスから訪れているクラブ員の紹介に続き、私の順番がきた。席を立ち、笑顔で日本人らしく一礼する。私の天敵であるピソ女家主の視線を感じながら…。
Nさんが、私に小声で耳打ちをしてきた。
「スピーチの時間は10分にして」。
(なにー!! 慎重にしゃべって30分はかかるスピーチを準備していたのに、それを10分なんて…。私のスペイン語力は、アドリブで短縮できるレベルまで達してないよー)と焦る。
スピーチ時間の変更と会場の雰囲気で急激に緊張感が芽生え始めた。しかも、あの女の存在がそれをあおる。目の前にある、せっかくのフルコース・ランチを胃が受け付けてくれない。トホホ。
スピーチを始めると間もなく、Nさんが席から合図を送ってくる。
「早く!巻いて、巻いて!」
(お前はテレビ局のアシスタント・ディレクターか!)と心の中で突っ込んだ。
スピーチはボロボロであった。言うまでもない。
観客の反応を見るかぎり、私の伝えたい半分も伝わりきれていなかったと思う。観客にあの女が混じっていたことが、冷静な自分を保てなかった原因の1つだと思うと、余計に悔いが残る。
スピーチを終え、自分の席に座るとようやく食欲がわいてくる。が、すでにメインディッシュ。前菜やスープは片づけられていた。一口、二口食べ始めると、メンバーたちは席を離れて自由な歓談をしに流れていった。互いになかなか会えないVIPたちの集まりだ。少しでも多く情報交換できる機会を求めているのだろう。40歳過ぎてスペイン留学をしているハポネサ(日本人女性=私)には、目もくれない。
私は知り合いもなく、隣席の弁護士と言葉を一言二言交わす。豪華な食事を最後まで堪能するより、今すぐこの場から立ち去りたい。そんな気持ちで一杯だった。
Nさんを探すが見当たらない。あの天敵も、この瞬間は受付席にはいない。
今だ!
隣の弁護士に気分が悪いと告げ、帰ることにした。そして、天敵に見つからないように、人の影に隠れながら会場を後にした。
ホテルのポーターに何食わぬ顔で挨拶して、ホテルを出る。
すぐさまAさんに電話して、あの女が受付をやっていたを伝えた。沈黙が流れる。そして絶叫。
「えー!!! ありえない。Nさんはあの女を知っているはずでしょう!? それなのにあなたと彼女を鉢合わせさせるなんて、事をわかっていないわ。藤子、ごめんなさい。私が一緒にいたらその場からあなたをすぐに連れ出したわ」。
(ううう、Aさ~ん)
泣きたい気持ちで胸がいっぱいだった。
あの女ともめたのは6か月も前のことだったけど、あの時感じた心の痛みに今も激しく揺さぶられる、弱い私がいた。
最後はこれか!と、私のスペイン留学を総括するような出来事が起きてしまった。
■趣味は「留学」
この留学を終えて早3年が過ぎてしまったが、スペインの体験は今でも鮮明に私の脳裏に焼き付いている。スペインの諺、「A mal tiempo, buena cara(悪い時ほど、笑顔で)」を胸に、いつも顔をあげて過ごしてきた自分と、そんな思いを優しく包み込んでくれたあの空気、匂い、音は、今でも鮮明に思い出せる。
帰国後、‘大人留学’への決意を後悔したことも正直あった。
でも過ぎてしまったことをアレコレ考えても、今を変えられないし、変わらない。
今の自分は、スペインで懸命に挑戦した自分がいるから存在するわけで、それを否定する必要はないと思っている。
これまで高校留学、大学留学をし、人生のターニングポイントである不惑の年にも大人留学を経験した。ここまできたのだから60歳を過ぎたら「熟年留学」もアリかな、と思っている。
誰かに「ご趣味は?」と聞かれたら、「留学です」と答えるのも面白いかもしれない。
新たな“留学”への備えは、自分のなかでは始まっているのだから…。
■最後に
2010年11月に40歳にして目指したスペイン大人留学は、7か月の期間をもって終了した。その間に私が遭遇した珍事件や出会った人々を、「不惑のjaponesa(ハポネサ)~40歳、崖っぷちスペイン留学」と題し、2013年4月から月1回のペースでこれまで25回に渡ってお送りしてきた。が、ここで一端筆を置こうと思う。決してネタ切れではない。ここに書ききれないほどの、とっておきの話はまだまだある。それはまたいつの日か皆さんにお披露目したいと思う。
この企画を持ち込んだ時に快諾していただき、目から鱗な校正をいただいた日本映像翻訳アカデミーの代表である新楽さん、在校時に日本語表現強化コースで文章を書く楽しさを教えてくださった丸山さん、出来上がった原稿をwebへ加工いただいたスタッフの酒井さんと上江洲さん、池田さん、映画の友である浅川さん、その他の多くのスタッフの皆様から支えていただき、このコラムを2年間送り続けることが出来ました。
この場をお借りして心より感謝申し上げます。
ありがとうございました!! Muchísimas gracias!!
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Written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)
山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
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不惑のjaponesa(ハポネサ)
~40歳、崖っぷちスペイン留学~ by 浅野藤子(JVTA修了生)
不惑の年(40歳)に訪れたスペイン留学のチャンス。ハポネサ(日本人女性)が遭遇する様々な出来事。