難民映画祭上映作品『ザ・ウォーク ~少女アマル、8000キロの旅~』が劇場公開 キーワードは“home”

2024年の難民映画祭のオープニング上映作品『ザ・ウォーク ~少女アマル、8000キロの旅~』が7月11日から劇場公開される。日本語字幕をJVTAの修了生8人が担当した。

JVTAは2008年から難民映画祭を字幕制作で支援しており、これまで多くの修了生がプロボノ(職業の専門性に基づく知識や経験などを生かして行う無償の社会貢献活動)で協力してきた。難民という立場に置かれた人たちの目線で制作された作品を翻訳し、日本語字幕を通して彼らの想いを伝えることが、翻訳者ならでの支援のカタチとなっている。同作の翻訳チームのリーダー、児山亜美さんとサブリーダーの脇本綾音さんに話を聞いた。
◆字幕翻訳者(50音順)
大坂 恵子さん、河村 綾音さん、清家 蘭さん、栗原 美晴さん、
児山亜美さん、中橋 幸恵さん、森田 朝美さん、脇本 綾音さん
「The Walk」とは、9歳のシリア難民の少女をかたどった3.5メートルの人形 “アマル” が世界中を旅するアートプロジェクト。戦争、暴力、迫害に苦しむ子どもたちに対する国際社会の意識を高めることがこのプロジェクトの目的で、2021年に始まり、現在までに17カ国166の町や都市を訪れている。映画では、アマルを「主人公」に、トルコ・シリア国境からヨーロッパ各国を横断する旅を追いながら、難民状態にある人たちが直面する世界の実情を映し出していく。ローマ教皇やフランスの欧州議会なども訪ねるが、その道のりは好意的なものばかりではない。作中には実在のシリア難民の少女アシルや、同じくシリア難民のムアイアド、パレスチナ人のフィダも登場し、彼らの「故郷」への思いも詰まっている。

翻訳チームが特に話し合ったのは“home”の訳し方だという。作中のさまざまな場面に何度も出てくるキーワードだ。字幕制作において一般に作品内で同じワードが出てくる場合、訳を統一して同じ言葉にすることが多い。しかし、この作品では2つの表現で訳し分けた。
「この作品には『難民の子どもたちの苦しい状況を知ってもらう』というメッセージが込められています。そういった全体のテーマや流れを意識した時、“home”を単純に『家』と訳すのは違う…と思いました。改めて“home”の意味を辞書で引き、作品の背景を調べ、最終的に『ふるさと』と『居場所』と2つの表現を使うことにしました。」(児山亜美さん)
「単語を必ずしも一語に統一する必要はなく、むしろ状況に合わせて適切に訳し分けることがより効果的であると気づけたのは翻訳者として大きな学びとなりました。」(脇本綾音さん)

一方、事実に基づいたドキュメンタリー作品を訳す際は、定訳をきちんと訳出することも重要だ。翻訳者は、ニュースサイトや国連関連の公式サイトなどを参考に定訳を確認し、適切な日本語に訳す必要がある。脇本さんは、フィクションの要素を含む作品だが、難民問題という現実のテーマを土台にしているため、言葉選びには特に慎重を期したと話す。
「会話劇を訳す際には、つい自分が普段使い慣れている言葉に頼りがちです。例えば humanitarian tragedy という言葉を訳すときも、『人道的悲劇』という日本語がすぐに頭に思い浮かんでも、そのまま採用せず、国連WFPやBBCのウェブサイトで実際の使用例があるかを確認しました。また、『イスラム恐怖症』や『イスラム嫌悪』という表現は、大手新聞社での使用頻度が少なく、十分に浸透しているとは言い難いため、『反ムスリム意識』と言い換えるなど、チーム内でもリサーチ結果を共有しながら言葉選びには細心の注意を払い訳出しました。」(脇本綾音さん)

ドキュメンタリー作品では事実確認も必至だ。児山さんは、「トルコのシリア国境からヨーロッパを横断する」というアマルがたどった8000キロの旅路について、地図を見ながら正確に把握するように努めたという。
「この旅路は難民となった人々が実際に歩んだ道のりであり、その過酷さを視聴者の方が追体験するためにも分かりやすく言い換えるなどの工夫が必要だと考えられたからです。調べる過程では、海を渡る危険なルートの存在や、有名観光地における難民の現状などについて初めて知り、それまでの自分自身の無関心さを思い知らされました。」(児山亜美さん)
この作品で旅をする主人公「アマル」は3.5メートルの巨大な人形。その力強くも繊細な動きや表情が見どころの一つだ。行く先々で人々と心を通わせ、時にはひどい言葉を浴びせられても、前を向いて歩き続ける彼女が踏み出す一歩一歩からは、難民となった人々の困難に立ち向かう強さが感じられると児山さんは話す。2024年の難民映画祭では広報サポーターも務めた児山さんは、六本木で行われた同作のオープニング上映に駆けつけ、トークショーに登壇したタマラ・コテフスカ監督 とジャン・ダカール撮影監督と対面する機会に恵まれた。『希望はある』と話し、映画の力を心の底から信じる監督の思いを生で聞き、翻訳者として刺激を受けたという。
「『希望はどんな国境も越える』劇中のこの言葉に言い表されるように、希望のメッセージを伝えるこの作品は、難民の子どもたちを取り巻く問題について考える、その入口にぴったりな作品だと思います。」(児山亜美さん)

一方、脇本さんによると最大の見どころは、単なるドキュメンタリーでも純粋なフィクションでもないという独自の構造にあるという。この作品は、実際に行われたアートプロジェクト「The Walk」を追ったドキュメンタリーでありながら、主人公の少女「アマル」は実在する特定の人物ではない。しかし、その背後には、故郷を追われた無数の難民の子どもたちの現実が重ねられている。アマルは物語上の架空の存在でありながら、確かに存在すると脇本さんは感じている。
「難民問題は、統計やニュースだけでは『遠い出来事』として消費されがちですが、実際に世界各地を歩き、人々に歓迎され、ときに拒まれ、現実の社会と交わったアマルの姿は、観客に『自分がアマルと共に歩くなら、何ができるのか?』と問いかけてきます。ドキュメンタリーとして淡々と事実を伝えるだけでもなく、フィクションとして物語を作り込むだけでもない、独自の構造により、単なるドキュメンタリーやフィクションでは生まれない“共感”を引き出し、私たちに問いかける力を持つ作品だと思います。」(脇本綾音さん)

同作では、アマルが訪れる各国の美しい風景も強く印象に残る。迫力ある力強い歩みをぜひスクリーンでご覧いただきたい。アップリンク吉祥寺では7月11日の初日から3日間、上映後にゲストを迎えたトークショーが開催される。(https://joji.uplink.co.jp/movie/2025/27173)この作品の背景をさらに深く知ることができる貴重な機会、こちらもどうぞお見逃しなく。

『ザ・ウォーク ~少女アマル、8000キロの旅~』
2025年7月11日(金)アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー!
公式サイトはこちら
※翻訳チームリーダー、児山亜美さんの字幕翻訳に関するコラムはこちら
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『ビバ・マエストロ! 指揮者ドゥダメルの挑戦』
開催日程:2025年6月20日(金)世界難民の日~7月31日(木)
参加費 :寄付つき観賞、または、無料観賞から選択
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◆国連UNHCR協会の公式サイトで、難民映画祭を字幕制作で支援する日本映像翻訳アカデミーの活動を紹介していただきました
※JVTAの修了生3名+JVTA広報メンバーが広報サポーターとして参加しました。
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