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【コラム】不惑のjaponesa(ハポネサ) by 浅野藤子(JVTA修了生)

JVTA修了生コラム

 
写真不惑のjaponesa(ハポネサ)
~40歳、崖っぷちスペイン留学~
 by 浅野藤子(JVTA修了生)
不惑の年(40歳)に訪れたスペイン留学のチャンス。ハポネサ(日本人女性)が遭遇する様々な出来事。

 第25回(最終回)「スペイン式 ピソ狂騒曲」~番外編 その2」
 第24回 「スペイン式 ピソ狂騒曲」~番外編
 第23回 スペイン+放浪記 その9(バレンシア編)
 第22回 スペイン+放浪記 その8(グラナダ編)
 第21回 スペイン+放浪記 その7(セビリア編)
 第20回 スペイン+放浪記 その6(セビリア編)
 第19回 スペイン+放浪記 その5(ポルトガル編)
 第18回 スペイン+放浪記 その4
 第17回 スペイン+放浪記 その3
 第16回 スペイン+放浪記 その2
 第15回 スペイン+放浪記 その1
 第14回 マドリード、映画あれこれ その3

 
第1回からのコラムはこちら
http://www.jvtacademy.com/blog/co/japonesa/
 
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Written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)
山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
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第25回:「スペイン式 ピソ狂騒曲」~番外編 その2

【最近の私】
花粉症な私。でもスギ花粉と無縁な沖縄にいる。沖縄いいとこ、スギ花粉ないところ♪
 

マドリードの高級ホテルで行われた「R財団マドリードクラブ」の月1回の定例会。そこで、衝撃的な再会をしてしまった、私の天敵であるピソ女家主と私。私の頭のなかでは、あの1月の寒いマドリードの夜空を、とぼとぼと2つのスーツケースを抱えて歩く自分の姿がフラッシュバックしていた。蘇ったのは天敵への嫌悪感だけではない。あの女に追加のお金を要求されたらどうしよう!という不安がよぎる。
 

計100人近いメンバーが昼食をとりながらの会議は、8名ずつ丸テーブルに分かれて静粛な雰囲気で始まった。アメリカを拠点とするR財団の支部が、ヨーロッパで初めて設立されたのは、ここマドリードクラブと言われている。そのため、所属メンバー数も他と比べると多く、大手エネルギー会社の社長や弁護士といった上流層も多い。日本の大手家電メーカーの社長も視察に訪れたことがあるらしい。わぉ!これまで訪問したクラブのアットホームな雰囲気とは180度違う。
 

アメリカやイギリスから訪れているクラブ員の紹介に続き、私の順番がきた。席を立ち、笑顔で日本人らしく一礼する。私の天敵であるピソ女家主の視線を感じながら…。
 

Nさんが、私に小声で耳打ちをしてきた。
 
「スピーチの時間は10分にして」。
 

(なにー!! 慎重にしゃべって30分はかかるスピーチを準備していたのに、それを10分なんて…。私のスペイン語力は、アドリブで短縮できるレベルまで達してないよー)と焦る。
 

スピーチ時間の変更と会場の雰囲気で急激に緊張感が芽生え始めた。しかも、あの女の存在がそれをあおる。目の前にある、せっかくのフルコース・ランチを胃が受け付けてくれない。トホホ。
 

スピーチを始めると間もなく、Nさんが席から合図を送ってくる。
「早く!巻いて、巻いて!」
(お前はテレビ局のアシスタント・ディレクターか!)と心の中で突っ込んだ。
 
 

スピーチはボロボロであった。言うまでもない。
 

観客の反応を見るかぎり、私の伝えたい半分も伝わりきれていなかったと思う。観客にあの女が混じっていたことが、冷静な自分を保てなかった原因の1つだと思うと、余計に悔いが残る。
 
 

マドリード市プエルタ・デ・ソル広場にあるクマとイワナシの像。マドリード市の紋章にも描かれている。

マドリード市プエルタ・デ・ソル広場にあるクマとイワナシの像。マドリード市の紋章にも描かれている。


 

スピーチを終え、自分の席に座るとようやく食欲がわいてくる。が、すでにメインディッシュ。前菜やスープは片づけられていた。一口、二口食べ始めると、メンバーたちは席を離れて自由な歓談をしに流れていった。互いになかなか会えないVIPたちの集まりだ。少しでも多く情報交換できる機会を求めているのだろう。40歳過ぎてスペイン留学をしているハポネサ(日本人女性=私)には、目もくれない。
 

私は知り合いもなく、隣席の弁護士と言葉を一言二言交わす。豪華な食事を最後まで堪能するより、今すぐこの場から立ち去りたい。そんな気持ちで一杯だった。
Nさんを探すが見当たらない。あの天敵も、この瞬間は受付席にはいない。
 

今だ!
 

隣の弁護士に気分が悪いと告げ、帰ることにした。そして、天敵に見つからないように、人の影に隠れながら会場を後にした。
 
ホテルのポーターに何食わぬ顔で挨拶して、ホテルを出る。
 

すぐさまAさんに電話して、あの女が受付をやっていたを伝えた。沈黙が流れる。そして絶叫。
 

「えー!!! ありえない。Nさんはあの女を知っているはずでしょう!? それなのにあなたと彼女を鉢合わせさせるなんて、事をわかっていないわ。藤子、ごめんなさい。私が一緒にいたらその場からあなたをすぐに連れ出したわ」。
 

(ううう、Aさ~ん)
 
泣きたい気持ちで胸がいっぱいだった。
あの女ともめたのは6か月も前のことだったけど、あの時感じた心の痛みに今も激しく揺さぶられる、弱い私がいた。
 

最後はこれか!と、私のスペイン留学を総括するような出来事が起きてしまった。
 

あいにくの雨@マヨール広場。スペイン王フェリペ3世の騎馬像。

あいにくの雨@マヨール広場。スペイン王フェリペ3世の騎馬像。


 

■趣味は「留学」
 
 
この留学を終えて早3年が過ぎてしまったが、スペインの体験は今でも鮮明に私の脳裏に焼き付いている。スペインの諺、「A mal tiempo, buena cara(悪い時ほど、笑顔で)」を胸に、いつも顔をあげて過ごしてきた自分と、そんな思いを優しく包み込んでくれたあの空気、匂い、音は、今でも鮮明に思い出せる。
 

帰国後、‘大人留学’への決意を後悔したことも正直あった。
でも過ぎてしまったことをアレコレ考えても、今を変えられないし、変わらない。
今の自分は、スペインで懸命に挑戦した自分がいるから存在するわけで、それを否定する必要はないと思っている。
 

これまで高校留学、大学留学をし、人生のターニングポイントである不惑の年にも大人留学を経験した。ここまできたのだから60歳を過ぎたら「熟年留学」もアリかな、と思っている。
 

誰かに「ご趣味は?」と聞かれたら、「留学です」と答えるのも面白いかもしれない。
新たな“留学”への備えは、自分のなかでは始まっているのだから…。
 

■最後に
2010年11月に40歳にして目指したスペイン大人留学は、7か月の期間をもって終了した。その間に私が遭遇した珍事件や出会った人々を、「不惑のjaponesa(ハポネサ)~40歳、崖っぷちスペイン留学」と題し、2013年4月から月1回のペースでこれまで25回に渡ってお送りしてきた。が、ここで一端筆を置こうと思う。決してネタ切れではない。ここに書ききれないほどの、とっておきの話はまだまだある。それはまたいつの日か皆さんにお披露目したいと思う。
 

この企画を持ち込んだ時に快諾していただき、目から鱗な校正をいただいた日本映像翻訳アカデミーの代表である新楽さん、在校時に日本語表現強化コースで文章を書く楽しさを教えてくださった丸山さん、出来上がった原稿をwebへ加工いただいたスタッフの酒井さんと上江洲さん、池田さん、映画の友である浅川さん、その他の多くのスタッフの皆様から支えていただき、このコラムを2年間送り続けることが出来ました。
この場をお借りして心より感謝申し上げます。
 
 
ありがとうございました!! Muchísimas gracias!!
 

フラメンコの衣装のエプロン。かわいい。

フラメンコの衣装のエプロン。かわいい。


 

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Written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)
山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
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不惑のjaponesa(ハポネサ)
~40歳、崖っぷちスペイン留学~ by 浅野藤子(JVTA修了生)
不惑の年(40歳)に訪れたスペイン留学のチャンス。ハポネサ(日本人女性)が遭遇する様々な出来事。

第24回 :「スペイン式 ピソ狂騒曲」~番外編

【最近の私】山形から里芋を取り寄せて、仲間と芋煮会を。どこに住んでいても郷土の味は忘れられない。
 

初めに。
この回をお読みになる前に「スペイン式 ピソ狂騒曲」のご拝読をお勧めします。より深くこれから繰り広げられるストーリーがご理解いただけるでしょう。
 

第2回:「スペイン式 ピソ狂騒曲」~その1~
http://www.jvtacademy.com/blog/co/japonesa/2013/04/(PCのみ)
第3回:「スペイン式 ピソ狂騒曲」~その2~
http://www.jvtacademy.com/blog/co/japonesa/2013/05/(PCのみ)
第4回:「スペイン式 ピソ狂騒曲」~その3~
http://www.jvtacademy.com/blog/co/japonesa/2013/06/(PCのみ)
第5回:「スペイン式 ピソ狂騒曲」 ~その4~
http://www.jvtacademy.com/blog/co/japonesa/2013/07/(PCのみ)

2012年7月、同年1月から始まった私のスペイン留学も終わりを迎えていた。
 
7か月にわたる留学中、スペイン映画の研究とスペイン語の勉強で多忙な毎日を過ごしていたが、私には月1回やるべき“仕事”があった。スペインの滞在費や学費はR財団から負担されており、それを受給するにはこの“仕事”をこなすことが条件だった。
 

それは、マドリード市内にあるそのR財団のメンバー向けに日本についてスピーチをすることだった。内容は誰もが興味をもつ「東日本大震災」をテーマに選んだ。私や家族、東北の人、日本が経験した3月11日を私なりの視点で紹介。スペイン語初級レベルの私の話に、クラブのメンバーは熱心に耳を傾けてくれていた。
 

第1回目のスピーチが好評だったこともあり、私の世話人(某大使館職員)のAさんは、マドリード市内に9つあるクラブの5つに“仕事”の話をつけていた。その日が平日の昼間だろうが、夜だろうがお構いなし。こちらの都合なんて無視して、どんどん決めていた。
 

某クラブにてスピーチ

某クラブにてスピーチ


 

スピーチの質疑応答は、冷や汗もの

スピーチの質疑応答は、冷や汗もの


 

Aさんは、私がスピーチをする時はマネージャーのように同行していた。スピーチを終える度に、感想を述べたりスペイン語の表現についてアドバイスをしてくれた。私の世話人を引き受けてくれたそんな彼女に感謝しながら、これ以上世話にならないように私は遠慮をしていた。というのは、「スペイン式ピソ狂騒曲」にある一連の騒ぎのなかで、慣れない人間関係の相談に応じ、ピソ(スペイン式アパート)を探し、引越の立ち合いをしてくれたからだ。そして忘れてならないのが、私がマドリード空港到着時にお金を盗まれた際に、お金を貸してくれた恩人でもある。
でもそんな遠慮が不運を招くとは…。
 

■ いや~な予感
私のフィナーレとなるスピーチは、帝国ホテルのようなマドリードでも歴史があり格式の高いホテルで行われた。これまでの4回のスピーチは、クラブメンバーの出席者が20人程度であり、小さめのホテルやレストランであったためアットホーム感があった。スピーチ後にはメンバーと歓談し、自炊をしていた私には豪華に映るスペイン料理とワインを楽しむ機会になっていた。
 
回を重ねるごとにスピーチのペースをつかめ、緊張感も緩み、その会合で出される食事が楽しみになるくらいに余裕ができていた。
 
 

そして、その最終スピーチの前日にAさんからメッセージが届く。
急な仕事でスピーチに同席できないことだった。代わりにそのクラブのメンバーNさんが私に同行してくれるとのこと。ただ、どうしても私が嫌だったら、仕事をキャンセルすると。
 

「まじか…」と嫌な感じがした。その代理人Nさんは、あのピソ騒動で一番迷惑を被った人であったと想像する。私が日本で留学の準備を進めている時にピソの仲介をしてくれたのがNさんで、あの“事件”が彼女の面目を丸つぶれにさせてしまったかもしれない、と私は密かに思っていた。事件前は頻繁にクラブのイベントに誘ってくれたが、事件後はパッタリと連絡が途絶えていた。
 

(Aさん不在だけど、Aさんに心配をかけたくないし、スピーチは5回目だし)。わがままは言えないなと、変な遠慮が邪魔をし、Aさんには「心配無用」と伝える。
 

■ No puede ser…(ありえない)
その日は快晴だった。真っ青な空に雲一つない。気持ちがいい。
高級ホテルPに到着。エントランスもロビーも、トイレでさえ高級感に溢れている。
そしてNさんと待ち合わせて、笑顔で挨拶。社交辞令をする。
そして会場へ出向く。
 

ところが、会場に到着すると目を疑う信じられない光景が。私の“仕事”のフィナーレを飾るにはふさわしくない光景が、そこにはあった。
 

アノ女がいるではないか!!!

そう、ペドロ・アルモドバル映画に登場する狂女ばりの、私の天敵とも言える、あのピソの女家主が!!

受付係をしていた彼女は私の顔を見ると目を丸くして驚いていた。私も一瞬驚いた表情をしたが、すぐさま目を背ける。
受付を素通りし、何もなかった様な素振りで自分の席を探す。あの女の視線を感じながら。
 

あの時の怒りが徐々に沸き上がってきた。
よりによって、Aさんが不在の時になんで!
この望まぬ再会劇を呪ってしまいたい!

なんでここにいるの?!
AさんとNさんはあの女が受付にいることを知ってたの?

怒りや疑問が頭のなかをグルグルと駆け巡る……(続く)
 

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Written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)
山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
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不惑のjaponesa(ハポネサ)~40歳、崖っぷちスペイン留学~ 
不惑の年(40歳)に訪れたスペイン留学のチャンス。ハポネサ(日本人女性)が遭遇する様々な出来事。

第23回:スペイン+放浪記 その9(バレンシア編)

【最近の私】仕事の忙しさを理由にスペイン語の勉強を怠けていたここ2年。今年は、中級レベルまでマスターすると一念発起するのであった。
 

いよいよハポネサ(日本人女性)の崖っぷち大人留学も終盤を迎える。
「スペイン映画の研究」という名の下で、2012年1月8日に出発し、ビザが切れる7月15日までスペイン生活にどっぷりと浸かるのであった。大学でスペイン語を学び、フィルムセンターで50~60年代のスペイン映画を観まくる日々。その合間にデートしたり、スペイン国内の旅を楽しんだりと、聞くモノや見るモノ全てを吸収しようと‘欲望’をむき出しにしていた。
 

そしてついに、欲望を満たす、フィーナーレを飾る経験を・・・。
それは日本にはなく、スペインにはあるもの。
 

「ヌーディスト・ビーチ」だ!!
 

■ヌーディズム
 
「ヌーディスト・ビーチ」。この言葉を聞くと、全裸になった人たちが海岸で日焼けをしたり、本を読んだり、海で戯れているシーンを想像する。
 

ウィキペディアで「ヌーディズム」を検索すると、「ヨーロッパでは、ヌーディズム=裸体主義と定義され、全裸でありながら服を着た状態と全く同じように過ごすこと。ただし衣服を着て生活することが規範となっている社会における活動を言う。(中略)19世紀末、ヨーロッパでは近代化が加速していたため、それに反発するため自然回帰の動きがあった。(中略)日本では、『全裸』が他人の性的羞恥心を害するということで、公然わいせつ罪に問われる」。
 

なるほど。
時代が変わっても「裸」=「わいせつ」という解釈をぬぐえず、「恥」が文化の一つとして浸透している日本ではなかなか「ヌーディスト・ビーチ」が定着しないのは当然かもしれない。
 

■新たなヌーディズム
 
マドリードで仲良くなった日本語教師のNちゃんとは、ポルトガルやセビリアに出かけたり、バルで過ごしたりなど一緒に行動する時間多くなっていた。そんなNちゃんに彼氏ができたらしい。それもスペイン人の年下の男。バルでサッカー観戦をしている時、Nちゃんを迎えにきた彼氏のOを紹介される。NちゃんとOは久しぶりの再会だったこともあったのだろう、OのNちゃんへの愛情表現は強烈だった。Nちゃんは日本人女性らしく恥ずかしく抵抗していたがOはそんなNちゃんを完全無視。むぎゅ~と窒息死させるぐらいに抱きしめていた。そんな2人のじゃれあいが、まるで大きい犬が小さな人形を転がし遊んでいるかのように私には見えた。
 
Oは訛りのあるスペイン語を話す。聞けば、カナリア諸島出身らしい。北アフリカに近く、一年中トロピカルな気候なため、毎日海で泳いでいたという。
 

「海水パンツなんて付けたことないね。パンツをはいて海に入るなんて抵抗があるよ。」
 

彼のこの一言からバレンシアにあるヌーディスト・ビーチに話題は発展。「ヌーディスト・ビーチ」という言葉は聞いたことがあったけど、イタリアやフランスの一部の避暑地に限った話で、一生縁がないと思っていた。そう、スペインにもあるとは知らなかった。
 

話を聞いているうちに、少しずつ私の「行きたい!欲望」が刺激され、扇動され、ついにはハッキリとした欲望に変わる。さらに話はあれよあれよと実行計画に進展し、3人で行くことになったのだ。
スペイン滞在が残り1か月を切っていた私には、‘欲望’を満たす朗報ではあった。しかし一方でこのアツアツカップルと一緒というのは、孤独感に襲われる可能性も高いなと覚悟するのであった。
 

■パエリアの街、バレンシア
 
バレンシアと言えば、バレンシア・オレンジが馴染み深い。しかし、この地が米どころとしても有名なのは以外に知られていない。
 

バレンシア市の中心部から少し離れると田園風景に出会う。青々とした稲が緑の絨毯のように地を覆い、風が吹くと稲がなびく様は私には懐かしかった。私の故郷である山形の家の周辺は田んぼだらけで、小学校の通学路はたんぼ道1本だった。春夏秋冬を通して稲の成長ぶりを目にしていたので、バレンシアでこんな光景を目にするとは、なんとも感慨深かった。
 

そして、米が収穫できるということは、美味しいパエリアができると言うことでもある。
 
ここバレンシアは、海岸沿いの街でもあるので魚の漁獲量も高い。パエリアの具材である米、魚、肉、野菜ののうち、2つの具材が地元でそろう。ということは、パエリアの名所になるのも当たり前である。
 
でも、我々が注文したのは米のパエリアではなく、ショートパスタのパエリアだった。Oのセンスに任せてしまったからだ。注文した後に後悔したが、幸い、これまで食べたパエリアのなかで一番美味しかった。味そのものにも満足だったが、この気候のもとで食べるパエリアが格別だったのかもしれない。
 

ショートパスタのパエリア

ショートパスタのパエリア


 

■いざ、ヌーディスト・ビーチへ!
 
胃袋を満たした後は、待ちに待ったヌーディスト・ビーチへ。
Oが運転する車の助手席はもちろんNちゃん。私は後部座席で車酔いに気をつけながら、2人のイチャつきぶりから目をそらしつつ、外の風景を楽しんでいた。
 

ビーチには駐車場が無いため、近くの道路の路肩に駐車。炎天下を歩くことに。しかし10分歩いてもビーチは見えてこない。2人のイチャつきパワーもこの暑さに消沈ぎみだ。
 

ついに青い海が見えた。
「やったー、海だ!」
 

海岸線を見渡すと、ほとんど誰もいない。遠くに丸裸の家族づれが1組。
誰もいないヌーディスト・ビーチ。裸になりやすいが、Oがいるな……。
 

さすがカナリア出身であるOは、「ちょっと失礼。裸になるけど」と言って、一糸まとわぬ姿にさっさとなり、海に行ってしまった。
Nちゃんと私は水着のまま、後を追いかける。
 

海でイチャつく2人から逃げるように浜へ戻った私は、水着を着たままドライブインで購入した女性誌をパラパラとめくる。スペインのゴシップ誌には何の興味もなかったが、ここで時間を過ごすには何も考えなくていい雑誌にしようと初めて買ってみた。
 

そしたら、なんと言うことか……!!
 
雑誌のインクが、水着や手、足に、油のようにベタベタとまとわりつくではないか!
身体についた海水に反応したのか、雑誌の写真の色が歪んでいたり、無くなったりしている。日本の雑誌ではありえないことだ。

そこへ2人が戻ってくる。
インクまみれの私を見て、驚き、そして大爆笑。
私もつられて笑ってしまうが、せっかくのおニューの水着が台無しだ。ヌーディスト・ビーチだからといって、水着を持ってこない勇気はない。新調したばかりなのに…。
 

砂でこすっても落ちない。もうこれは海しかない。
3人で急いで海へ走り、洗い流す。2人も必死に私の手と足からインクをこすり落としてくれている。でも水着についたインクは落ちなかった。
 

「もう、いいや!」と諦め感が湧いてきた。すると、その諦め感が、私の心の中で何かを解き放ち、開放感に変った。私もOに倣って、自らを開放することにしたのだ!
 

Nちゃんは日本人女性らしく最後まで抵抗していたが、3人には奇妙な連帯感が生まれていた。文字通り「裸の付き合い」が、国や性の違いを超えて人間同士が交わるきっかけを与えてくれたのである。
 

ヌーディスト・ビーチ

ヌーディスト・ビーチ

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Written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)
山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
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第22回 :スペイン+放浪記 その8(グラナダ編)

【最近の私】日中は19度。人生で初めて暖かい冬を沖縄で迎える。年末年始、忘年会、年賀状…。東京でのあの感覚が、不思議と全くない。
 
 

Quien no ha visto Granada, no ha visto nada.
というスペインの諺がある。
直訳すれば「グランダ見ずして、何も見ず」。つまり「グラナダを見ずして、スペインを見たと言うなかれ」という意味だろう。
 

スペインの名所と言えば、アルハンブラ宮殿がその一つ。この宮殿の魅力を求めて、世界中のVIPや著名人を始めとする訪問客が後を絶たないらしい。イスラム建築の最高峰と称され、諺に残るくらいの名所なのだから、と私のアルハンブラ宮殿への憧れや期待は渡西前から高まっていた。スペイン滞在中は、何がなんでも世界遺産に登録されているこの城塞に行くぞ!と決めていたのだ。
 

■ちょいと予備知識を
 
アルハンブラ宮殿のあるグラナダ市は、スペイン南部に位置し、シエラ・ネバタ山脈のふもとに広がる「ベガ」と呼ばれる肥沃な平野にある。宮殿は赤土の小高い丘の上にそびえ立ち、グラナダの町を見下ろしている。そして、スペインにしては珍しく緑に囲まれている宮殿だ。グラナダは、このベガの恩恵にあずかった水資源に恵まれた町なのである。
 

観光PR用の写真でよく見かける宮殿は、ダーロ川を挟んで、アルバイシン地区から撮影されたものが多い。城塞なので、敵からの侵入を防ぐため、川を挟んだり壁を高くする手法はどこの国も似ている。(参考:第19回 :スペイン+放浪記 その5<ポルトガル編>)
 

夜のアルハンブラ宮殿。アルバイシン地区より撮影

夜のアルハンブラ宮殿。アルバイシン地区より撮影

このアルバイシン地区は白い壁の家々や石畳が美しいエリアで、イスラム教徒が住んでいた歴史のある地区らしい。
 

アルハンブラ宮殿より、アルバイシン地区を見る。

アルハンブラ宮殿より、アルバイシン地区を見る。

イベリア半島は宗教戦争が繰り返しおこなわれてきた歴史がある。南下すればするほどその混在ぶりが色濃くなっていく。ここグラナダを含めた南部は、北アフリカから北上したイスラム教に支配され、華麗なイスラム文化が開花することになった。1492年キリスト教徒軍による、アルハンブラの無血開城まで戦火の歴史は続いた。
落城に際して、キリスト教徒率いるフェルナンド王とイサベル王のカトリック軍が、この城に足を踏み入れた時、その美しさに心を奪われた、と聞いたことがある。イスラムの象徴であったこの城を残すことに、どんなあらましがあったのだろうか。宗教の垣根を越えた思いがあったのだろうか。それから500年余りを経て、その美しさを今の時代の我々が共有するとは、両王は想像しなかっただろう。
 

■ふじちゃ~ん、スペインに行くよ
 
40歳をすぎた無謀なスペイン留学を志した私を支えてくれた、東京生活の元同居人Tちゃん。そのTちゃんがスペインに遊びにくることになった。私が帰国する1か月前だったので、大学の勉強や映画鑑賞と多忙ではあったが、Tちゃんが来るのであれば、予定をこじ開けてでも対応せねばならぬと張り切るのであった。
 

Tちゃんが来西する前に、私はスペイン南西部やポルトガルの城塞都市、セビリア、コルドバに訪れていたため、スペイン国内の旅にこなれていた。そのため、高速鉄道のRenfe(レンフェ)やホテル、アルハンブラ宮殿の予約などを、インターネットでスイスイとこなしていた。(事前に準備できないところはタクシードライバーやホテルの受付に聞けばいいや)。そんな風に、旅慣れたハポネサ(日本人女性)になりきっていた。
 

マドリード=バラジャス空港にTちゃんを出迎えて、お決まりの抱擁を。そのまま、グラナダ行きの高速鉄道を乗るべくRenfe(レンフェ)が待つAtocha(アトーチャ)駅へ向かう。旅の疲れや時差ボケも何のその、目にするモノ全てをカメラに収めようとパワー溢れるTちゃんであった。この旅への彼女の期待は想像していた以上に高い。
 

グラナダに夕方到着し、街の中心街でバルのハシゴをする。酒好きのTちゃんは満足気。翌日は、アルハンブラ宮殿の訪問が午後3時からのため、午前はゆっくりとカフェで過ごす。そして2人はタクシーに乗り「アルハンブラ宮殿の受付窓口まで」と告げた。ところが、降ろされた所は木々に囲まれた登坂の門前だ。
 

「ここを登れば受付があるよ」
 
若いあんちゃんドライバーは私たちにそう告げた。
 

人の気配がそんなに無い。午後なので日差しが強い。ところどころにベンチがあるだけ。不安にかられながらも、とにかく言われた通りに登る。15分くらいすると団体客の一行が見えた。受付の場所を尋ねると、何と。ここは宮殿の出口だった…泣。
 

「あいつ…」、心で叫ぶ。
 

Tちゃんは時差ボケと暑さから、ぐったり気味だった。そこから受付まで、ぐるーっと迂回しなければならなかった。トボトボ歩くとようやく人だかりが見えた。
「あー、ここだ!」と案内役としての役不足を少しでも解消しようと、一足先に受付窓口へ走る。
 

「インターネット予約であれば、自動チェックインが早い」と言われ、その場所へ出向くと、何と自動チェックインの全部の機械が故障のため止まっていた…。
さすが、スペイン…。
 

ようやく受付を済ませた時、時刻は午後3時をすでに過ぎていた。
青々とした庭園の写真を撮りながらゆっくりと歩いていると、スタッフが呼びかけていた。
 

「アルハンブラ宮殿の次の入場は、3時30分です」
 

「えっ、あの3時って受付を済ませる時間じゃなくて、宮殿の中に入る時間のことだったの?」
 

またもや不安になりながら、私とTちゃんは猛ダッシュでスタッフにかけよる。だが、予約時間をとっくに過ぎている事を理由に冷たくあしらわれてしまった。
 
「ここまで来て、見られないとは何ということか!」という焦りがTちゃんにも見えてきた。

「タクシーで受付入口から遠いところに降ろされた挙句に、チェックイン機が壊れていて、3時の入場がアルハンブラ宮殿の時間だとは知らなかったの!」
 

日本からはるばるやってきたTちゃんの視線を感じながら、私はしつこくスタッフと交渉する。
 

「わかった。いいよ。こっちから入って」
 

うるさい客だと思われたのだろうか。ぶっきらぼうに案内された通路は、スタッフ専用だった。今度は、3時30分の回に並んでいる観光客の冷たい視線を感じながら、宮殿につながる道を歩いていく。
 

■やっぱりこれでしょう
 
スペイン留学を志してから必ず行くと心に誓っていたアルハンブラ宮殿。そして、一苦労、二苦労して、ようやく訪問できたアルハンブラ宮殿。目的を達成して恍惚する自分を期待していたが、思った以上に感動は薄かった。古城や幾何学模様のスペインタイルにはすで馴染みがあったためか、過度な期待のためか、広大な世界遺産を歩き回り疲れたためか・・・。
 

一方で、Tちゃんは初めて目にする宮殿を脳裏にすべて焼き付けようと、忙しくシャッターを切っていた。
 

太陽の光が強いので、こんなキレイな影絵が。

太陽の光が強いので、こんなキレイな影絵が。

宮殿を出て、もと来た坂道を、今度は下る。
 
旅慣れたハポネサを演じきれなかった私とTちゃんは、気を取り直してバルへ向かう。そこにはマドリードであまり見かけないビールが置いてあった。その名も「Alhambra(アルハンブラ)」。無類のビール好きの私は、同じアルハンブラでも、むしろこちらに歓喜するのであった。
 

アルハンブラビール

アルハンブラビール



 

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Written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)
山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
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 第21回 スペイン+放浪記 その7(セビリア編)
 第20回 スペイン+放浪記 その6(セビリア編)
 第19回 スペイン+放浪記 その5(ポルトガル編)
 第18回 スペイン+放浪記 その4
 第17回 スペイン+放浪記 その3
 第16回 スペイン+放浪記 その2
 第15回 スペイン+放浪記 その1
 第14回 マドリード、映画あれこれ その3

 
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第21回 スペイン+放浪記 その7(セビリア編)

【最近の私】
沖縄へ移住することに。住居や職場環境が変わったためか疲れがピークに達している。上唇がアンジェリーナ・ジョリーばりに腫れ上がってしまった(泣)
 

行き当たりバッタリの「Que sera sera(ケセラセラ)」な勢いで企画したハポネサ(日本人女性)2人のセビリアへの旅。
 

高速列車Renfe(レンフェ)で2時間20分かけてセビリア駅に到着。日本語教師Nさんセレクションのホテルへすぐに向かう。そこは音楽をテーマにした「ホテル・アマデウス」というホテルで、女性客に人気の高そうなところであった。内壁はスペイン南部アンダルシア地方特有の、幾何学模様のスペインタイルで覆われている。特にこの地方は8世紀初頭にイスラム教徒が多く住んでいたため、その影響がかなり色濃く残っている。ロビーにはピアノが、そして壁には所狭しにバイオリンが飾られている。部屋の鍵もバイオリンの形をしている。
 

このフラメンコの街セビリアに‘バイオリン好きのホテル’とは。どうもミスマッチング。音楽とは無縁(?)だが、ロビーには常に”vino de naranja”(オレンジワイン)が置かれ、宿泊者であれば誰でも楽しめた。養命酒っぽい濃い目の味だが、んー、この雰囲気で飲むオレンジワインは格別。「花よりダンゴ」な私は、別の意味でNさんによる宿泊施設のセレクションを褒めちぎるのであった。
 

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チェックイン後、すぐにオレンジワインを試飲

チェックイン後、すぐにオレンジワインを試飲

音楽をテーマとした装飾が随所に

音楽をテーマとした装飾が随所に

■一見さんお断りの「カセタ」
セビリアにわざわざやってきたのは、Feria de Abril(フェリア・デ・アブリル=セビリアの春祭り、フラメンコ祭り)を観るためだった。
 

ファジェス(バレンシアの火祭り)、サン・フェルミン祭(パンプローナの牛追い祭り)と共にスペインの3大祭りのひとつに数えられる。発祥を辿れば1847年まで遡るほど、歴史のあるイベントである。復活祭後に3つの会場に分かれて実施され、私とNさんはそのうちの一つ、El Real de la Feria(エル・レアル・デ・ラ・フェリア)へ向かった。
 

会場といっても広さはなんと450,000㎡(東京ドーム約10個分)! その中は24ブロックと15通りに分かれ、「カセタ」と呼ばれるブースのようなものが1047個も設置されている。このカセタの持ち主は、家族や会社、町内会等で、招待客のみがそのカセタに入れる。
 

カセタの中は、飲めや、歌えや、踊れやの大騒ぎが昼夜を問わずおこなわれる。観光客用のカセタもあるらしいが、それを見つけるにも、この果てしない広さだとちょっと難しい。日中のためか人通りが少なく、カセタの中で踊っている人たちも少ない。宵っ張りなスペイン人らしく、祭りは夜から盛況になるのだ。そこで、夜にもう一度ここに戻ることにした。
 

El Real de la Feria(エル・レアル・デ・ラ・フェリア)会場の入り口

El Real de la Feria(エル・レアル・デ・ラ・フェリア)会場の入り口

カセタで踊る人たち

カセタで踊る人たち

カセタが連なる通り

カセタが連なる通り

■きゃー、超好み!
「せっかく来たのだから、劇場でもフラメンコでも見ようよ」
下調べをしてきたNさんが、知り合いからの情報を教えてくれた。フラメンコが鑑賞できる劇場は至る所にあり、大抵が30ユーロ。夜3回ほどおこなわれるので、予定の立て方によってはフラメンコ鑑賞のハシゴもできるらしい。
 

「大御所が出演するフラメンコもあるし、小劇場系で若手やインディペンデントの演者が出るフラメンコもあるらしいよ」
 

私は断然、若手演者のフラメンコを選んだ。完成度の高い大御所の踊りよりも、きっと勢いがあって荒削りな部分も残っていそうな若手の踊りに興味を抱いた。入場料も安く15ユーロ程度。控えめな値段である。若手の上演を観てからEl Real de la Feria(エル・レアル・デ・ラ・フェリア)に戻ることにした。
 

パティオ(中庭)を利用した小劇場に入場すると、真ん中には高さ10cmほどのステージがあった。それを囲むようにコの字型に3列、100人程度が座れる観客席がある。観客と演者が近く、互いの呼吸で作品の世界観を作り上げるスタイルに、私の胸が騒ぐ。
 

上演前にステージに上がった一人の男性がスペイン語、英語、フランス語、ドイツ語で注意を呼びかける。「上演中は飲食、タバコ、携帯、写真撮影は禁じられています。上演終了後に撮影の時間を設けています」。劇場によっては、観光客向けに写真撮影を許可するところもある。(本気で観たい人には迷惑な行為だ)と常々思っていた。そのため(ここは本気で上演するところなのだ)と、ますます期待感が高まる。
 

幕が上がった。カンタオール(男性の歌い手)、バイラオール(男性の踊り手)、バイラオーラ(女性の踊り手)、そしてトケ(ギター演奏者)の4人編成だ。悲壮感溢れる歌、踊り、そしてギターの音色。すべての観客が微動だにせず、ステージに引き込まれていく。
 

一方、私はトケに夢中になっていた。細身の長身、ちょい長髪で母性本能をくすぐるような甘いマスク。ずばり、私のタイプだ。ギターの腕前も申し分がない。正装とはいえないジーンズの出で立ちではあったが、彼の全てを許せた。
 

上演終了後のフォトタイム。名さえ知らないトケに夢中になってしまった私は、彼をしっかり写真に収めておきかった。2列目だった私は、前に座る男性の反射板の如き頭頂部を何とかよけながら撮影を試みたものの、ピンボケ写真ばかりになってしまった(泣)。会場を出てロビーを見渡す。演者がロビーで客を見送るのを期待したが、トケはいなかった。トホホ。
 

Nちゃんにトケのことを話したら、
「彼みたいな若手って、食えないから女にたかるしかないよね。甘いマスクだから女は尽きないと思うよ」とピシャリ。冷や水を浴びせられた気分だ。確かにそうかもしれないけどさぁ・・・。
 

それでも興奮冷めやらぬ私は、El Real de la Feria(エル・レアル・デ・ラ・フェリア)見物どころでは無くなってしまった。これ以上フラメンコを観たら眠れなくなりそうだ。近くのバルに飛び込み、ビールとワインでクールダウンするのであった。
 

右から2番目のトケが超私好み!

右から2番目のトケが超私好み!

 
 第20回 スペイン+放浪記 その6(セビリア編)
 第19回 スペイン+放浪記 その5(ポルトガル編)
 第18回 スペイン+放浪記 その4
 第17回 スペイン+放浪記 その3
 第16回 スペイン+放浪記 その2
 第15回 スペイン+放浪記 その1
 第14回 マドリード、映画あれこれ その3

 
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第20回 スペイン+放浪記 その6(セビリア編)

【最近の私】
ラテンビート映画祭の東京上映が終了。今年も来日ゲストのお世話係に。スペインにある「世界一」と称されるレストランの経営者兼ソムリエをアテンド。「世界一」のレベルを維持し続ける彼の考え方や世界観に影響を受ける。
 

スペイン南西部+ポルトガルの旅(別名;豚+城塞都市+ポルトガルの旅)で、すっかり意気投合したハポネサ(日本人女性)3人組。私はこのユニットの心地よさから気が大きくなってしまい、さっそく次のプランを提案する。他の街も訪れたい気持ちに火がつき始めていた。3人は次の連休へ向けた企画で盛り上がるが、彼氏持ちのSさんは都合が悪いらしい。炎になりかけた思いも一瞬で鎮火する。
 

まっ、彼氏との時間が大事だと言われてしまえば何ら説得する材料はない。次回は私と交流基金の日本語教師Nさん、独り者同士の二人旅になるのか・・・と心のなかでつぶやいていると、そんな空気を察したのか、Sさんからこんな提案が。
 

「やっぱり本場のフラメンコみたら?スペイン南部のセビリアは? 4月末にはFeria de Abril(フェリア・デ・アブリル=フラメンコのお祭り)があるよ。街中がフラメンコの衣装を着た人で埋め尽くされる光景にきっと圧倒されるよ」
 

何と魅力的でタイミングの良い話なのでしょう!さすが長年スペインに住んでいるSさん!「やっぱりスペインに来たらフラメンコ観なきゃーねー」と、Nさんと2人でワクワクする。
 

Feria de Abril(フェリア・デ・アブリル)のチラシ

Feria de Abril(フェリア・デ・アブリル)のチラシ


 

ただ、2人にはSさんのように車がナイ、免許がナイ。そして今回の旅で感銘を受けた、Sさんお手製の詳細にわたるスケジュール。そんなものを作るほどの才能もナイ。ナイナイだらけだが、私が交通担当、Nさんが宿泊担当となり、準備作業を分担。あとは行き当たりバッタリの「Que sera sera(ケセラセラ)」な旅でいいじゃんと考えた。
 

■スペインらしくない? 時間厳守な鉄道「Renfe(レンフェ)」
 

マドリードとセビリアを結ぶ公共交通機関にRenfe(レンフェ)がある。日本でいうJRのようなもので、スペイン国内またはユーロ圏の主要都市を結ぶ長距離列車を運行する鉄道会社である。Renfeが運行するAVE(アヴェ)という高速列車は、総距離約530キロに及ぶマドリード―セビリア間を最高時速300キロ、2時間20分で結ぶ。ちなみに東京から盛岡のちょっと手前までが同じ距離。東北新幹線とほぼ同じ実力というわけだ。
 

私には「ローテクなスペイン」というイメージがあったので、この高速列車の能力に正直驚いた。座席も快適で日本の新幹線に全く劣らないようだ。また、食堂車も完備されており、簡単なサンドイッチやドリンクが購入できる。風景を見ながらカフェやビールを片手に語り合える――おしゃべり好きなスペイン人には、きっとたまらない空間だろう。
 

日本と大きく違うのは、乗車前に手荷物検査があり、発車2分前には出発ゲートが閉められるという厳密な手順があることだ。ユーロ圏内ではあるが国境を越えること、そして、この始発駅であるAtocha(アトーチャ)駅で、2004年3月11日に爆弾テロがあったことなどが理由であろうと想像できる。日本にいる時は出発のベルが鳴ってから新幹線に飛び乗るのが当たり前の私は、乗り遅れてしまわないかと、ちょっと心配になる。
 

しかも、「到着の予定時刻から16~30分遅れた場合はチケット料金の半額が、30分以上遅れて到着した際はチケット料金の全額が返金される」というルールがある。「スペインは時間厳守とは無縁の国」というのが、私を含めて多くの人が抱くイメージだろう。ユーロ圏の他の鉄道会社との連携があるから遅延が許されていないのか?Renfe(レンフェ)になぜこのような制度が設置されているのか、私のなかではいまだに謎である。
 

高速列車のAVE(アヴェ)

高速列車のAVE(アヴェ)


 

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Written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)
山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
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 第19回 スペイン+放浪記 その5(ポルトガル編)
 第18回 スペイン+放浪記 その4
 第17回 スペイン+放浪記 その3
 第16回 スペイン+放浪記 その2
 第15回 スペイン+放浪記 その1
 第14回 マドリード、映画あれこれ その3

 
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第19回 :スペイン+放浪記 その5(ポルトガル編)

【最近の私】
お彼岸は山形へ帰省。山形の風物詩である河原での芋煮会を友人と楽しむ。地元紙にはこんな天気予報が…。

 山形地元の新聞の天気予報

山形地元の新聞の天気予報


「イベリコ豚ちゃん+城塞都市+ポルトガル」と題したハポネサ(日本人女性)3人組の旅は二日目を迎える。この旅を企画してくれたSさんの日程表によると。
 
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◎第二日目:4月21日(土)
トゥルヒージョ(Trujillo)パラドールで朝食、チェックアウト。ポルトガルへ。
城塞都市マルヴァオン(Marvao)到着、ホテルEl Rei Don Manuelにチェックイン
<ホテルの情報はコチラ>(一泊朝食税込:55ユーロ/1名)

午後はマルヴァオン(Marvao)城塞跡と近くの村カステロ・デ・ヴィデ(Castelo de Vide)へ。ディナーはMarvaoで。
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お姫様気分になれるホテル、トゥルヒージョ・パラドールを後に、我々はポルトガルを目指す。ポルトガルはEU(ヨーロッパ連合)に加盟しているので、加盟国であるスペインとの国境には出入国管理局がない。陸続きのヨーロッパの国を超えるのはいとも簡単になっている。かつて使われていただろう検問所を国境付近で見つけるが、雑草が生い茂り廃屋になっていた。
 

私がポルトガルを初めて訪れたのは12年前のことだ。「第16回 スペイン放浪記 その3」で12年前のバルセロナ訪問についてふれたが、その時にポルトガル・リスボン市へも訪れていた。予備知識もなく、全く期待がなかったためか、あの風景にウットリしてしまった。空と海の深い青、そこに流れるテージョ川、自然と溶け込む白壁やタイル壁の家屋……。
 

また、ポルトガルは私が初めて「オリーブは美味しい!」と実感させてくれたところでもある。海沿いのレストランで、おつまみとして出された大きなプリっとした黒オリーブを見た瞬間、なぜか消しゴムを想像してしまった。どうせ味もアメリカで食べたピザに入ってた塩っ辛いあれだろう。出された物は食べる主義なので仕方なく口に運ぶ。するとその瞬間、期待を裏切る新鮮なオリーブの香りが鼻孔を抜け、優しい塩の味が口の中にパァーと広がるではないか。素材の持ち味を活かした優しい味つけはどこか日本料理に似ている。
 

そういうわけでポルトガルにはかなりの好印象を抱いていた。今回訪れるのは内陸のアレンテージョ地方マルヴァオン市。その風景や食事がどんなモノなのか楽しみだった。
 

マルヴァオン市は、サン・マメーデ(Sao Mamede)山の頂上にある小さな城塞都市で、「鷹の巣」と呼ばれているらしい。滞在するホテルはマルヴァオン市内にあり、くねくねとうねる山道を登っていく。運転手であるSさんはかなり気を使ってくれたが、車酔いしやすい私はブルーな気分になり風景を楽しむところではなかった。
Sさんの予定ではまず初めにホテルにチェックインするはずだったが、天気が怪しいこともあり、一行は城塞へ向かう。
 

車から降りると澄んだ空気が気持ちいい。山頂にあるため空気がおいしい。車酔いから少しでも回復しようと深呼吸し、城塞へ向かう。万里の長城のような城壁が突然現れる。巨大な城壁で敵の侵入を防ぐという戦術は万国共通なのだろう。
 

城塞跡からの眺め

城塞跡からの眺め


城塞跡からの眺め

城塞跡からの眺め

マルヴァオンの街並み

マルヴァオンの街並み


 

急な階段の幅は狭く、手すりがない! 観光名所ではあるが、観光客への配慮をあまり感じられない。日本では考えられないほどの安全基準の低さである。ここで落ちたら自己責任ってやつか…。風が強く、城壁につかまらないと、身体をもっていかれてしまいそう。
 

それにしても、当時の兵士たちは現代人よりも身体が小さかったのか、身のこなしが素早かったのか…。よくこんなところで戦えたものだと感心する。
 

城壁から一望すると白壁にオレンジ色の屋根の家が立ち並ぶ。沿岸のリスボン市とはまた違った内陸の風景が楽しめる。
 

お腹もすき、一行はホテルEl Rei Don Manuelにチェクイン。そのままホテルのレストランに直行した。Sさんによると、某トラベルサイトにおけるここのレストランの評価は高いらしい。3人とも空腹感が増すほど、その評価への期待も高まる。

ホテルEl Rei Don Manuel

ホテルEl Rei Don Manuel


 
ボーイさんお勧めは、この地方の伝統料理である煮込み料理だった。円盤型の銅鍋であるカタプラーナ鍋で、じゃがいも、豚肉、あさりをトマトベースでゆっくりと煮込む。味はシンプルな塩味で、具材の旨みを上手く引き出した料理だった。
 
この優しい味はやはり日本料理に似ている。こってりと塩辛いスペイン料理に浸る日々を過ごすなか、心地よく期待を裏切るこの味に、ハポネサ3人は感嘆の声を発してしまう。
ポルトガル料理にまたもややられた瞬間だった。
アレンテージョ地方の伝統料理

アレンテージョ地方の伝統料理


 
【written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)】山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。

 
 第18回 スペイン+放浪記 その4
 第17回 スペイン+放浪記 その3
 第16回 スペイン+放浪記 その2
 第15回 スペイン+放浪記 その1
 第14回 マドリード、映画あれこれ その3

 
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旅のテーマは「イベリコ豚ちゃん+城塞都市+ポルトガル」

女3人集まれば…、ガールズトーク、グルメ探索、そしてショッピング。
私の場合、ガールズトーク、グルメ探索は当てはまるが、ショッピングにはさほど興味がない。

 
2012年1月にスペイン・マドリードに渡り、3か月が過ぎると、時間を多く共有する友人が見つかってくる。私は、あのピソ事件以来、国際交流基金の職員であったSさん(参照:「第5回:「スペイン式 ピソ狂騒曲」 ~その4~」に登場)と親しくなっていた。

 また、交流基金の日本語教師Nさんとも、この頃に出会う。
東京とさほど変わらない寒さから、日中はスペインらしい太陽の光線が強くなる春の訪れを感じさせる4月、Sさんから旅の誘いを受ける。マドリードから車で3~4時間、スペイン南西部に位置するエクストゥレマドゥーラ自治州への旅だった。

 
ポルトガル国境沿いにあるこの州は、緑の多い城塞都市として栄えたらしい。特に州都メリダ市やカセレス市は、多くのローマ建築が残されている。旅行ガイドブック「地球の歩き方」にもほとんど取り上げられていない地方で、私もノーマークだった。

 
また、マドリードからの道中には、どんぐり畑にイベリコ豚が放し飼いされている風景も見られるということ。さらにポルトガル国境が近くということもあり、ついでにポルトガル料理も堪能してしまえ!ということに。

 
よって、旅のテーマは「イベリコ豚ちゃん+城塞都市+ポルトガル」に決まった。
嬉しいことに、日本語教師Nさんも仲間に加わった。女性3人で3日間、ショッピングとは無縁の旅が始まった。

 

左がSさん、中央は筆者、右はNさん

左がSさん、中央は筆者、右はNさん


##写真①##
キャプ: 左がSさん、中央は筆者、右はNさん

 
■さすが日本人
Sさんから旅のスケジュールが届いた。事務能力の高い、段取り上手なSさんらしい細やかな内容だ。

 
スペイン人の知人に話をしたら、
「さすが日本人。この“コーヒー休憩”まで入れているのが細かいね。スペイン人だったらありえない」なんてコメントが。なるほど、大ざっぱなスペイン人からすると、このスケジュールは考えにくいのか。

 
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◎第一日目:4月20日(金)
マドリード16時発、途中でコーヒー休憩入れつつ19時~20時にトゥルヒージョ(Trujillo)着、パラドールにチェックイン。
パラドールのHP http://www.parador.es/es/parador-de-trujillo
(1泊朝食税込みで165ユーロなので、1人55ユーロです)
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当日、時間通りに待ち合わせ場所に出向く。そしてSさんの車で出発!車による初の長距離旅行に心は弾む。

 
そして、今回のテーマの1つである「イベリコ豚ちゃんとどんぐり畑」を求めて、車窓から国道沿いにある牧草地らしきものを探す。遠くに小さな濃い色の群れを見つければ、3人は歓声をあげ、胸はずませ、目をこらして凝視するが…。山羊だったり、牛だったり、カモだったり。

 
結局ホテル到着まで、一向に豚の群れを見つけられなかった。トホホ、残念。3人は慰めにと、豚ちゃんの写真が掲載されたどんぐり味のキャラメルを購入した。

 
豚ちゃんに会えず残念…

豚ちゃんに会えず残念…



 
■お姫様みたい
スペインに来たらパラドールには是非一度は泊まってみたいと思っていた。パラドールとは、古城をホテルに改築した観光客向けのホテル。スペイン国内に何十ものパラドールが点在している。中世の雰囲気が漂う石畳の建築物、そんな高級感に溢れるパラドールに泊まれるなんて!

 
一人で宿泊するには金額的に若干敷居が高いと思っていたが、3人で泊まるとなると、なんと1人55ユーロ(約7,600円)。カクヤスである。

 
パラドールの玄関

パラドールの玄関



 
中庭

中庭



 
 宿泊した部屋

宿泊した部屋



 
辺りが暗くなり始めた頃、パラドールに到着。趣のある玄関を通り、チェックイン。週末にも関わらず、宿泊客は少ない様子。中庭にテラス席が設置されているが、肌寒いためか閑散としている。そんな中庭で、東北は山形出身の私が初めて目にしたモノが!

 
それは、“レモンの木”だった。私にとってレモンは、スーパーで売られている外国産のフルーツでしかなかった。柑橘系の果実なので木に実がなるのは当たり前の話だが、実際に目の当たりにすると何か発見したような気持ちになる。

 
山形に柿の木を庭に植えている家が多いのと同じか。それにしても、さすがスペイン南部地方。レモンの木だ。庭のレモンをもいで、そのまま料理に使えるなんて、なんて贅沢なのだろう。

 
初めて見るレモンの木に歓喜!

初めて見るレモンの木に歓喜!



 
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Written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)
山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
【最近の私】仕事に遅れると思い、電車に飛び乗る。ふっと見渡すと人が少ない。よく考えるとお盆だった。
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 第17回 スペイン+放浪記 その3
 第16回 スペイン+放浪記 その2
 第15回 スペイン+放浪記 その1
 第14回 マドリード、映画あれこれ その3

 
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若き日のピカソやガウディの余韻を味わう「4 Gats (クアトロ・ガッツ)」

【不惑のjaponesa(ハポネサ)第16回 スペイン放浪記 その3】バルセロナ滞在3日目。友人J君宅に滞在しながら、ガウディの建築物をできる限り巡る“ガウディ祭り”もあっさりと終盤を迎える。なんと、目指していた「サン・パウ病院」は工事中だった。事前にチェックもせず、無計画で動くとこのような結果になる。旅にはよくあることだが、今回のプランはいとも簡単に崩れてしまった。

 
■ 4 Gats (クアトロ・ガッツ)
しかし、そこでくじけるハポネサ(日本人女性)な私ではない。

 
私にはもう一つ訪れたい場所があった。それは、「4 Gats (クアトロ・ガッツ)」。バルセロナ旧市街のゴシック地区に位置するこのお店は、1897年創業の老舗レストランで、夜はバルになる。当時は、ピカソ、ガウディなどの画家、建築家、作家といった若手のアーティストが集まり、夜な夜な夢を語り、アートについて論じた場だったらしい。ピカソの初の個展が開催されたのも、ここ「4 Gats (クアトロ・ガッツ)」である。

 
歴史のある、そして時のアーティストたちが好んで通ったバルに行って、当時の雰囲気を感じたかった。自分もその一人であるかのように楽しみたい――。そんな気持ちがすぐに芽生えた。

 
■ 偶然はあるのね
店の扉を開けると、4人掛のテーブルが10セットほど並んでいる。日本のショッピングセンターのフードコートによくあるテーブルと椅子だ。きっとここが芸術家たちのたまり場だったのだろう。
そのスペースで終わりかと思いきや、その奥がまだあるらしい。

 
さらに進むと、天井の高いボウルルームのようなレストランホールが現れる。立食パーティーであれば、軽く100人は収容できる大きさだ。シャンデリアがいくつも天井から現れ、白いおしゃれなテーブルが何十と並んでいる。そこには、ランチを楽しむビジネスマンや観光客たちで溢れかえっており、食事を楽しんでいる。会話や食器とフォークの重なる音がホール中に響き渡る。
さらに、そのホールには2階席(桟敷席)がある。そこは1~2人専用のスペースで、このホールを隅々まで一望できる。

 
レストランホール
▲「4 Gats (クアトロ・ガッツ)」のレストランホール

 
実は、この店を訪れるのは2回目だ。12年前、初めてバルセロナを訪れた時に友人とランチを取った。本当は入り口すぐのテーブルが良かったが、「No」と言われて2階席に通された。
こじんまりとした店を想像していたためにホールの雰囲気に圧倒されたが、下でせわしなく口と手を忙しく動かす人たちに興味を覚え、人間ウォッチングを楽しんだのを覚えている

 
再びやって来たこの店は、何一つ変わっていない。

 
同じように2階席に通され、なんと、12年前とまったく同じ席に案内されたのだ。

 
「なんという、偶然でしょう~!」

 
座った席順、ワインクーラーの位置、「4 Gats (クアトロ・ガッツ)」のロゴいりのお皿。あの時、人間ウォッチングを楽しんだ友人との会話が思い出され、タイムスリップした感じがした。

 
若き日のピカソやガウディの余韻に浸るつもりが、今より12歳若かったあの瞬間にタイムスリップしている自分がいた。

 
同じ席
▲ 12年前とまったく同じ席に通されて・・・

 
お皿のロゴ
▲ お店のロゴ。カワイイ

 
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山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
【最近の私】沖縄梅雨明け万歳。でも突き刺すような太陽の光線はスペインに劣らない。光線はサングラスをかければ防げるが、この暑さと湿度は、東北出身の私には馴染みにくい。(泣)
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 第16回 スペイン+放浪記 その2
 第15回 スペイン+放浪記 その1
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