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明けの明星が輝く空に 第196回:ウルトラ名作探訪25:宇宙から来た暴れん坊

とにかく、楽しさが詰まった一作だ。『ウルトラマン』のユーモラスな作品には、このブログでも紹介した「恐怖の宇宙線」※Iや「怪獣墓場」※Ⅱがあるが、前者はシニカルな視点がベースにあったし、後者はしみじみとした哀愁を感じさせるものだった。ストレートに楽しさを追求しているという意味で、この「宇宙から来た暴れん坊」は抜きん出ている。

その理由の一つは、子どもなら誰もが夢に見るようなことを題材にしていることだ。物語に登場するのは、なんでも念じたものに姿を変える隕石。ある日、空き地で遊んでいた子どもたちがそれを見つけ、順番に欲しいものを思い描く。食い意地の張った男の子は大きなケーキ。ちょっとおませな女の子はピアノ。それらが目の前に現れるたびに、彼らは大はしゃぎだ。

昔、子どもたちの遊び場所と言えば空き地だった。そこには、いろんな物が落ちていた。それがたとえガラクタの類いであっても、見つけたときは嬉しかったものだ。もし仮に、それが“魔法の石”だったとしたら…。昭和の子どもたちには、夢のようなシチュエーションだ。

そんな石なら大人だって欲しい。子どもたちの様子を見ていた鬼田という男も、それは同じだった。ただし、彼には良からぬ企みがあり、研究機関で保管されていた隕石を、うまいこと盗み出してしまう。やっていることは犯罪なのだが、その方法がちょっと楽しい。記者会見を開いた研究所に小型スピーカーを仕掛け、人がいなくなった頃を見計らって、「ロケットになって俺の所に飛んでこい」と話しかけるのだ。

そうして隕石を手に入れた鬼田。普通の犯罪者なら、それを使って何をするだろうか。マシンガンに変えて銀行強盗?偽札に変えて麻薬の取引?彼は違う。人間サイズの怪獣(ギャンゴ)に変え、それを使ってイタズラするのだ。そう、ただのイタズラ。ホテルでケーキを運んでいるボーイさんを驚かせたり、プールでモデル撮影をしていたカメラマンを気絶させたりして大笑い。でも、それだけ。なんだか、大人のくせして、子どものようなやつなのだ。

楽しさ追求の二つめは、ギャンゴとウルトラマンの戦いだ。鬼田がもっと大きくなれと念じ、巨大化したギャンゴ。主人公のハヤタが乗った飛行機を海に叩き落とし、しゃがんで海の中をのぞき込む。その直後、ウルトラマンが水中から登場すると、ビックリして尻餅をつき、ひっくり返ってしまう。さらに、空に飛び上がったウルトラマンを、ぽかんと口を開けたまま見つめ、飛べもしないのにマネをしてジャンプ。また尻餅。脚を投げ出して座り、だだをこねる子どものように悔しがった。

一方、ウルトラマンも、本気で倒そうとしているようには見えない。それどころか、ピンチを脱するのに脇をコチョコチョとくすぐったり、キックをかわされて海に落ちた後、手で水をすくってバシャバシャとかけたり。こうなると、ウルトラマンまで遊んでいる子どものように見えてくる。

そして、「宇宙から来た暴れん坊」における楽しさの理由の三つめ。それは、ギャンゴのデザインや効果音だ。まず目立つのが、カラーリング。直立二足歩行のギャンゴの体は、首からお腹にかけ、何色にも塗り分けられている。これは満田かずほ(表記は「禾」に「斉」)監督のリクエストだったという。『ウルトラマン』はウルトラシリーズ初のカラー作品だったため、トーテムポールのようにカラフルな怪獣にしたいと考えたそうだ。青や赤、オレンジ色をした、まるで内臓をモチーフにしたかのような形の模様が体の前面を覆い、ギャンゴは怪獣として文字通り異彩を放っている。

さらに興味深いのが、頭の左右に突き出した、アンテナのような金属質の物体だ。メビウスの輪と同じ、ねじれた構造をしており、空洞の部分には“弦”が何本も張られている。それが、左右で反対方向にグルグルと回転。さらには、おそらくこのアンテナからだと思うのだが、途切れることなく、ゼンマイ仕掛けの機械のような「ジジジジ」という音と、「プゥン、プゥン」といった感じの、なんとも気の抜けた音が聞こえてくる。まるで、動くオモチャのようだ。そうか、鬼田が想像できたのは、せいぜいオモチャの怪獣だったに違いない。やはり、鬼田は子どもなのだ。鬼田というキャラクターは、子どもの邪気を象徴する存在として考案されたのだろう。「宇宙から来た暴れん坊」は、“じゃれ合い”のような戦いを見せるウルトラマンも含め、子どもたちが演じる夢物語だったのだ。

最後にトリビアを。この作品には、当時放送作家やタレントとして活躍し、その後東京都知事になった青島幸男氏が、記者役でゲスト出演している。実は、満田監督との個人的な繋がりがあったため、出演が実現したそうだ。まだ当時若手だった満田監督だが、初監督作品となった『ウルトラQ』の「燃えろ栄光」※IIIでは、当時の人気俳優、工藤堅太郎氏※IVも個人的な繋がりからゲスト出演している。いずれも、満田監督がADや助監督時代に培った人間関係だったようだ。仕事には人間関係が大事なんだと、あらためて考えさせる、そんなエピソードだ。

当ブログ過去の記事参照 (タイトルをクリック)

※I ウルトラ名作探訪16「恐怖の宇宙線」
※II ウルトラ名作探訪22「怪獣墓場」
※III ウルトラ名作探訪7「燃えろ栄光」
※IV 特撮俳優列伝26工藤堅太郎 

「宇宙から来た暴れん坊」(『ウルトラマン』第11話)
監督:満田かずほ(「禾」に「斉」)、脚本:宮田達男、特殊技術:高野宏一

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。

【最近の私】太宰治が書いた『八十八夜』に、しもぶくれの女性の顔を評して「顔は天平時代のものである」という一説がありました。ヒドイ言い方だなあと思ったけれど、ふと疑問が。なぜ自分はヒドイと思ったのか。それって、もしやルッキズム?

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明けの明星が輝く空に 第195回:特撮俳優列伝31 志田こはく

半世紀続いたスーパー戦隊シリーズが、ついに幕を下ろした。最後の作品となった『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』(2025年2月~2026年2月)は、なんとか無事に完走した、という印象が強い。というのも、メインキャストの1人が不祥事を起こし、これから物語の佳境を迎えるという昨年11月、番組降板に追い込まれてしまったからだ。そのピンチを救ったのが、第40話から急きょ代役で出演した、志田こはくさんである。

志田さんが演じたのは、戦隊メンバーの一人、ゴジュウユニコーンに変身する一河角乃(いちかわすみの)。前任者の降板が突然だったため、同一人物を異なる俳優が演じることになってしまった。しかし、偶然にも角乃が探偵という設定があったおかげで、何とかつじつま合わせが可能になった。つまり、彼女は潜入捜査のため特殊な力を借りて顔を変えたのだが、その容貌が気に入ったので元に戻らなくてもいいことにした、という理由付けがされたのだ。

正直、無理がないとは言い切れない展開だ。しかし、志田さんの勢いのある演技は、そんな疑念を吹き飛ばすほどパワフルなものだった。「無理は承知の上」と言わんばかりの、いい意味で開き直った、潔さすら感じさせる明るい演技は、全く嫌みがない。これは天性のものだろう。

その溌剌とした明るさは、テレビドラマ初出演となった『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』(2022年3月~2023年2月)でもいかんなく発揮されていた。そう、志田さんはすでに、スーパー戦隊シリーズの出演経験があったのだ。それも、オニシスターに変身して戦う鬼頭はるか役。戦隊メンバーの一員だ。そこで見せたはじけっぷりは、新人俳優であることを感じさせない、天晴なものだった。

実際、番組プロデューサーの白倉伸一郎氏は、志田さんのことを「逸材」だと思ってみていたそうだ。戦隊シリーズの中で、最も印象に残っている女性メンバーは誰かと聞かれ、­­「強いて挙げれば」という条件付きながら、唯一、志田さんに言及している。白倉氏いわく、志田さんは「18歳ながら俳優として一本立ちしており、周囲の模範になるようなところがある。」実際、「志田を見習え」と言っていた監督も中にはいたそうだ。

志田さんが演じた鬼頭はるかは、さっぱりした性格の女の子で、かなり三枚目な役どころだ。敵からの攻撃を受け「うへぇ!」と叫んだりするなど、“ヒロイン”という言葉から想像するようなタイプではない。ファンの間で話題になったのは、毎回のように見せる“変顔”で、かなりオーバーな表情を臆面もなく披露してくれている。そんなコメディエンヌとしての素養を買われたためか、鬼頭はるかが運転免許を取ろうと四苦八苦する第40話「キケンなあいのり」は、志田さんのコミカルな演技を前面に押し出した作品となった。少々やりすぎと感じる場面もあるのだが、それは演出の問題だろう。路上教習中に敵と遭遇し、ハチャメチャな運転で対峙するシーンは、志田さんのはっちゃけた演技が最高レベルに達し、痛快だ。そして物語終盤、めでたく免許を取得し得意げなはるかが、あちこちにぶつけた跡のある車で現れ、仲間をドライブに誘う。その時の、滑稽なほどカッコつけたセリフの言い回しと表情は、絶妙の一言。僕は思わず吹き出してしまった。

そんな志田さんだが、俳優としての魅力はむしろシリアスな場面にある。特に、深刻な場面で見せる目の表情がいい。ご本人も印象に残っていると語る第10話「オニがみたにじ」は、そういった意味で見どころが多い。ある日、どんな願いごとも叶えられる条件をクリアしたはるかは、失った人生を取り戻すため戦隊から脱退する。そうして彼女の願いによって書き換えられた世界では、真利菜という別の女性が代わりに戦隊メンバーになっていた。しかし真理菜は、はるかの代わりに人生の苦悩も引き受けてしまう。苦悩する真利菜を見たはるかの心が揺れる。その際の思いつめたような表情。結果として彼女は戦隊に戻る決意を固めるのだが、その時には揺るぎない強い意志を感じさせる顔に変わっていた。眼差しによって、演じる人物の内面を見事に表現する志田さんの演技が、第10話のドラマ性を高めていると言えるだろう。

志田さんの目の演技は、ピンチヒッターとして一河角乃を演じた『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』でも、いいアクセントになっている。彼女のシリアスな表情が物語にドラマ性を加味し、コミカルなシーンの多い番組を締めてくれているのだ。キャスト降板からの代打出演という注目される状況で、きっと大きなプレッシャーもあっただろう。そんな中、堂々とした見事な代役ぶりだった。いや、むしろ、単なる代役を超え、「一河角乃=志田こはく」というイメージを視聴者に植え付けることに成功したのではないだろうか。まさに番組のピンチに現れた「救世主」。業界での評価も、さらに上がったに違いない。今後の活躍も、大いに期待できそうだ。

個人的な話をすると、『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』は、放送当時、最後の数話しか観たことがなかった。今回、第1話から鑑賞し始め、途中第40話をフライングして観て、この原稿を書いている時点で第32話。残りは第40話を除いた17話だ。ここからは、志田さんの出演シーンをじっくり味わいつつ、ゆっくり完走を目指そうと思う。早く観終わってしまったら、もったいない。今は、そんな気分だ。

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
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【最近の私】これまで大阪駅は乗り換えで利用した程度でしたが、今回その周辺も含め、初めて見て回って驚きました。新しい、きれい、そして便利!あっち見て「へえー」、こっち見て「ほおー」。完全に“お上りさん”状態でした。

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明けの明星が輝く空に 第194回:『ウルトラマンF』

今年の1月、仮面ライダーシリーズ初の女性主人公が登場する作品、『仮面ライダーアインズ』の配信が始まった。ならば、ウルトラシリーズも女性が主役の作品がそろそろ出てもいいのではないか?これについては先日、ウルトラシリーズ最初期の2作品に出演した桜井浩子さんに、ご意見を伺う機会(白石雅彦著『「ウルトラQ」の誕生』と『「ウルトラマン」の飛翔』の増補版刊行を記念したトークショー)があった。その際、実写化の候補になるかもしれないとして桜井さんが名前を挙げたのが、小説『ウルトラマンF』だった。

ホラー小説作家として知られる小林泰三氏が書いた『ウルトラマンF』。僕は数年前に読んでいたのだが、正直な話、物語としてどこか消化不良な印象を受けた。ただ、10回以上の連載を想定した内容だった話を、4回分に縮小しなければならなかったという事情があったそうだから、物足りなかったのはそのせいなのだろう。

テレビ番組『ウルトラマン』の後日譚にあたる『ウルトラマンF』には、番組の主要キャラクターたちが登場する。今作品でウルトラマンになるのは、科学特捜隊の唯一の女性隊員、富士明子(『ウルトラマン』での表記はフジ・アキコ)だ。彼女は、『ウルトラマン』第33話「禁じられた言葉」で宇宙人によって巨大化させられた過去があるが、今回は巨大化は特殊なナノロボットの仕業だったという設定が加えられた。そして、ある事故が起きてナノロボットが発動。富士隊員は巨大化してしまう。事故が発生したのが科特隊の施設内だった上、巨大化の程度も抑えめだったため、外部に知られずに済んだが、その後の作戦行動中に再び巨大化。その事実は、すでに巨人兵士計画を進めていた、ある国連関係者の知るところとなり、結果として富士隊員はその計画に協力することとなる。

しかし巨大化しても、富士隊員の身体は人間のままだ。ウルトラマンではない。ただ、彼女は特別に開発された巨人兵士用のアーマーを装着しており、それにはどんなエネルギーでも吸収し成長する宇宙生物バルンガの能力が取り込まれていた。そのおかげで、“悪のウルトラマン”、ダークザギの破壊光線を浴びてしまった富士隊員だったが、特殊アーマーと細胞内のナノロボットとの相互作用により、肉体がウルトラマンへと変貌する。

実を言うと、宇宙生物バルンガはウルトラシリーズ第一作、『ウルトラQ』の登場怪獣だ。『ウルトラマンF』には、このほかにもシリーズ各作品の“ネタ”が効果的に織り込まれている。例をもうひとつ挙げると、富士隊員と江戸川由利子が双子の姉妹であるという設定。江戸川由利子は『ウルトラQ』の主人公の一人で、両人物とも同じ俳優=桜井浩子さんが演じていたのだが、小説終盤、双子という設定が生きてくる。富士隊員が人間の姿に戻るための細胞の再構成に、由利子のゲノムが利用されるのだ。

この小説を原作にして、映像作品を作るとしたらどうだろうか?素人なりに想像してみよう。もし映画化するなら、ダークザギらを倒す小説中盤の第3章までが良さそうだ。その理由は、敵の“ラスボス”感が強く、交戦中、偶然にも富士隊員がウルトラマンへと変貌を遂げて敵を倒すという、まさにクライマックスにふさわしい展開だからだ。その後、それぞれ新たな敵が現れる第4章と第5章は、続編という形で分けた方がいいだろう。ただし、敵が小ぶりになった印象がある上、富士隊員の内面の描写が少ない点は気になる。彼女はウルトラマンになろうと思っていたわけではない。結果として通常の人間ではなくなってしまった彼女がどう感じ、何を思うかといったことが、もっと語られるべきではないかと思う。

映像化に際しては、ネックになりそうな問題もある。それは、アーマーが開発される以前の、肉体が巨大化しただけの富士隊員の姿をどう見せるかということだ。小説ではぼかしているが、どうやら裸身のようなのだ。昔から、巨大ヒーローに変身した主人公の服はどうなるのかという問題を、僕ら視聴者は意識の外に追いやってきた。普通に考えれば、ビリビリに破けてしまうだろう。このことを念頭に置いた発言ではなかったが、桜井さんはAIによるフェイク画像の蔓延という近頃の風潮を懸念されていた。ましてや、裸となると…。

もちろん、女性登場人物の描き方で注意が必要なのは、映像の面だけではない。たとえば、富士隊員が理性より感情を優先させたかのように思える行動を取る場面があるが、これは固定化した古い発想の表れだと指摘できるのかもしれない。しかし、全般的に見れば、容姿についての言及がほぼないことや、愛を行動原理にしていないことなどは、男目線からの型にはまった作劇とは一線を画しており、評価されるべきだろう。

小林泰三氏は本作のあとがきで、面白いことを言っている。『ウルトラマン』のファンは怪獣派、ウルトラマン派、そして巨大フジ隊員派(!)に分類できるというのだ。小林氏本人は、もちろん巨大フジ隊員派。そんな派閥があることは初めて知ったが、サブカルチャー界隈では「巨大娘」に萌える人もいるらしい。そう言えば僕も、どちらかといえば背が高いアイドルが好きだった。巨大娘萌え…。もしかしたら、素養があるのかもしれない。

参考:過去記事

第127回:ウルトラ名作探訪3:「バルンガ」

第143回:ウルトラ名作探訪11「禁じられた言葉」

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。

【最近の私】窓の外にバードフィーダーを吊ってひまわりの種やミカンを置いたら、シジュウカラやメジロが来るようになりました。でもこれも、自然のエサが少なくなる冬の間だけ。小鳥のレストランも、もうじき店仕舞いです。

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明けの明星が輝く空に 第193回 特撮キャラも見た目が9割!

誤解を恐れずに言おう。僕はルッキズムに支配されている!応援したくなるスポーツ選手は、だいたいイケメン・イケジョ。趣味のロードバイクを購入する際には、9割は見た目で選んだし、スマホも色と形が購入の決め手になった。

当然、僕のそういった嗜好は、特撮キャラクターにも及ぶ。先月の記事で取り上げたホースオルフェノクは、騎士のような外見に一目惚れした怪人だ。仮に僕がコスプレーヤーだったとしたら、迷わずそのコスチュームを選び、コスプレ会場に乗り込むことだろう。

物心ついたころから、僕にとって至高の特撮ヒーローはウルトラセブン(『ウルトラセブン』1967年~68年)だった。それは、悲劇性をはらんだ彼の活躍が胸に刺さったからだが、見た目の要素も小さくなかったことも事実だ。ホースオルフェノク同様、特撮史上、一二を争うイケメンではないかと思う。特徴的なのは、横長の六角形をした目だ。ウルトラマンの卵形の目とは対照的に、シャープな輪郭線を持つ目。前寄りの位置に小さな黒目(撮影用マスクに明けられた覗き穴)があり、そこから何本もの筋が放射状に、黄色に彩色された周縁部に向かって伸びる。一説によると、ウルトラセブンをデザインした芸術家の成田亨氏は、イギリスの彫刻作家、バーバラ・ヘップワースの影響を受けているという。ヘップワースの作品の中には、空洞に弦を張ったものがあり、成田氏ほかの作品には、それを取り入れたものがあるという。ウルトラセブンの目も、同じことが言えるのかもしれない。しかしその目にある筋は、見ようによっては一つの天体から四方に向かって伸びる光跡のようでもある。成田氏のデザイン画を見たとき、僕は直感的に宇宙を表現したものと感じた。

シャープな線で構成されているのは、目だけではない。銀色に輝くメタリックな頭部全体に、同じ特徴が見られる。特に人間の唇や顎をデフォルメしてデザインされた口元は、まるで彫刻刀で彫られかのようだ。さらに頭頂部の、西洋の騎士のヘルメットにあるようなとさか状の装飾。類似するデザインは、ウルトラセブンより先に、漫画(のちにアニメ化もされた)『鉄人28号』の主人公ロボットにも見られた。ただ、ウルトラセブンが独創的なのは、それが取り外し可能な武器で、ブーメランや小刀のような使い方ができたことだ。切れ味鋭い刃の部分は、当然ながら非常に鋭角的でシャープな形状をしている。

僕にとって外見が大事なのは、ヒーローだけでない。怪獣も同じだ。みなさんは、ゴジラの顔つきが作品ごとに違うことをご存じだろうか。新たに着ぐるみを作り直すため、微妙に変わってしまうのだ。また、シリーズが進んでいくうちに、目がクリッとして愛嬌を感じさせるような顔になったのは、ゴジラが人類の味方という設定に変わったからだった。その後、原点に戻って再び人類に災厄をもたらす存在となると、ゴジラは一様に凶暴な目つきになる。そんな中でもイイなあと思うのは、『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)のゴジラだ。目つきは鋭いが、黒目が大きいせいか邪悪さは感じられない。むしろ、勝負に挑むアスリートのように、邪心のないまっすぐな目をしている。そして頭は小さく、長めの口吻は先が鋭角的で、歴代ゴジラの中でもスピーディーに動けそうな雰囲気がある。そして、各パーツのバランスが良く、非常に整った顔立ちのゴジラだと感じる。(その分、怪獣としての面白みには欠けるかもしれない。たとえば、着ぐるみの造形が粗雑な印象でアンバランスな印象がぬぐえない『ゴジラの逆襲』(1955年)の“逆ゴジ”や、極端に小さい目が、どこを見ているかわからない『シン・ゴジラ』(2016年)の“シンゴジ”には、尋常のモノにはない気味悪さと迫力があった。)

ただし、僕がいちばん好きなゴジラはほかにいる。それは、一般的な意味でのイケメンとは違うかもしれない。というのも、顔を腫らしたボクサーのような顔つきをしているからだ。そのゴジラとは、『モスラ対ゴジラ』(1964年)に登場した“モスゴジ”。顔が腫れているように見えるのは、眉骨付近の肉が厚ぼったく、頬の肉が垂れ気味なせいだが、強い眼光を放ち、何発パンチを浴びても戦意を失わない猛者といった雰囲気がある。さらに気に入っているのが、無理に怖そうな表情を作っていないところだ。最近のハリウッド版ゴジラは、取ってつけたようなしかめ面をしており、僕にはこけおどしのようにしか見えない。モスゴジはそれに比べれば無表情で、それがかえって凄みを感じさせる。余談になるが、以前、若貴兄弟の“お兄ちゃん”こと若乃花関の、現役時代の写真を見て背筋がブルッとしたのを覚えている。それは、取り組み前の仕切りの写真だった。無表情ながら、その目からは戦いに集中していることが伝わってきて、なんとも恐かった。あれが殺気というものだろうか。

最後に、僕が好きな特撮キャラはイケメンだけではない、ということを付け加えておこう。たとえば、『人造人間キカイダー』(1972年~1973年)の悪役ロボット、ハカイダー。頭に透明なヘルメット/笠のようなものを被り、移植された科学者の脳が透けて見えているという奇妙なデザインなのだが、卑怯な手を嫌い、実力で勝とうとする姿が魅力的だった。反対に、たとえばウルトラセブンの中身が“ダメンズ”だったら、いくら外見は良くても好きにはならなかったろう。つまり、見た目が9割、だけど残りの1割も大事、ということだ。(最後の最後で記事の主旨からずれてしまった気もするが、結論としてはきれいに収まった・・・、かな?)

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【最近の私】ウルトラシリーズ最初期のヒロインを演じた、桜井浩子さん登壇のトークショーに行って来ました。最後の質問タイムで、女性が主人公の作品が今後生まれる可能性について尋ねたところ、なるほどそういうことにも気を配る必要があるのかと気がつかされ、勉強になりました。

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明けの明星が輝く空に 第192回 干支と特撮:ウマ

去る12月某日、不要品処分のため、リユースショップに行った時のこと。査定の間、店内をぶらついていて、ウマがモチーフの怪人、ホースオルフェノクのフィギュアを見つけた。もちろん“即買い”した。今回の記事の参考資料として・・・というより、その姿に惚れ込んでいたからだ。
※写真は本人所有のフィギュアを撮影

平成仮面ライダーシリーズ(2000年1月~2019年8月までの20作品)には、ユニコーンなどを含むウマ系の怪人が数体いる。ホースオルフェノクは2003年~2004年放送の『仮面ライダー555(ファイズ」)』に登場。甲冑をまとった、西洋の騎士のような出で立ちは、「怪人」という言葉が似合わないほど雄々しく凜としており、どこかの古城に飾っても違和感がないかもしれない。ライダーシリーズ、いや、あらゆる特撮作品の全ての怪人の中で、その魅力的な容姿は群を抜いている。

まず目につくのは、その落ち着いたカラーリング。特撮ヒーローや怪人は、子どもを対象にしたビジネス=キャラクター商品販売の都合上、カラフルなものが多いが、ホースオルフェノクはグレーのモノトーンだ。『仮面ライダー555』の設定では、「怪人=人類の進化形態として蘇った死者」という設定があり、「死」のイメージを喚起する色としてグレーが選ばれたのだが、これがホースオルフェノクの騎士のような甲冑姿と相まって、重厚感を生んでいる。

もちろん、派手な色使いがさまになる場合もある。たとえば『仮面ライダーキバ』(2008年~2009年)には、ステンドグラスをデザインコンセプトに取り入れた怪人たち=ファンガイアが登場。黒がベースカラーの身体に、鮮やかな色が散りばめられ、ちょっとしたアート作品のようだ。ウマ系の怪人で言えば、『仮面ライダーオーズ/OOO』(2010年~2011年)に登場するユニコーンヤミーは、ビジュアル系バンドのような、衝撃的な色彩が目を引く。薄い紫色の身体に、金色の角と銀色の顔。身体にも金色や銀色などを配し、ウェーブのかかった長いたてがみは赤紫色だ。

ファンガイアとユニコーンヤミー、そして僕の“推し怪人”であるホースオルフェノクも、同じデザイナー=篠原保氏が手がけた作品だ。ウマというのは鼻梁が長く、頭部が大きくなりがちなモチーフだが、ユニコーンヤミーとホースオルフェノクの場合、小顔でスタイリッシュなデザインにうまく落とし込んでいる。ただ、両者は首の長さが対照的だ。

ユニコーンヤミーの首にはヒトに似た顔があり、二つの顔が縦に並んでいるため、当然首は長くなる。長い首にもう一つの顔がある、と言った方がわかりやすいだろうか。顔が二つあるのは、ヤミーと呼ばれる怪人たちに共通した特徴だ。彼らが登場する『仮面ライダーオーズ/OOO』は、出渕裕氏――第189回『干支と特撮:ヘビ』(https://www.jvta.net/co/akenomyojo180/)で紹介したキャラクターデザイナー――がメインデザイナーを務めており、どうやら「二つの顔」は篠原氏のアイディアではなさそうだ。ただ、篠原氏はその7年前、『仮面ライダー555』のキャラクターデザインを単独で担当した際、同じコンセプトのデザインも考案していた。その一例が、ホースオルフェノクだ。

ホースオルフェノクの二つの顔は、ユニコーンヤミーのように、それぞれ独立したものとして存在しているわけではない。むしろ、二つが融合して一つになっているかのようだ。どういうことかというと、ウマの顔が仮面のようにもう一つの顔の前にあり、その重なり具合が絶妙なため、まるで一つの顔のように見えるのだ。この記事冒頭で、ホースオルフェノクの姿を「全身甲冑に覆われた、西洋の騎士」にたとえた。その頭部は、ローマ兵かギリシャ兵が着用したヘルメットをかぶっているように見える。特にその前面は、鼻を守るノーズガードが特徴的な、古代ギリシャのコリント式ヘルメットをモチーフにしたかのようなデザインだ。コリント式ヘルメットには、顔の側面を守る頬当てもあるため、兵士の顔で露出する部位は目のあたりと口元に限定される。ホースオルフェノクの場合は、額のあたりにウマの顔があり、その鼻梁がノーズガードのように鼻、さらには口元までも隠す形になっている。だから、その下に隠された顔で露出しているのは、二つの小さな目とその周辺だけだ。

ただ、この目は小さくとも、しっかりとした存在感がある。明るいグレーで彩色され、周囲が黒に近い色のため、まるで光を放っているようだ。生気を宿していると言ってもいい。それに比べ、ウマの目の方は漆黒で、まるで死んでいるかのように見える。もちろんこれは意図されたものだろう。おそらく、ウマの顔は単なる飾りで、その下がホースオルフェノクの本当の顔だということを示しているに違いない。それでも、顔面の大半を占めるウマの鼻梁の存在感が大きく、その下で輝くグレーの目とうまく融合して一つの顔に見えてくる。一種のだまし絵のようでもあり、なんとも巧みなデザインだ。

その他にも、正面からは耳に見えるが、横から見れば板状に後方に伸びる装飾や、ウマのたてがみのようでもあり、映画に出てくるローマ兵のヘルメット頭頂部に付けられた房飾りのようでもある装飾など、篠原氏のさまざまなアイディアが込められたディテールは見ていて楽しい。実は、控えめながら角も一本あり、だったらユニコーンオルフェノクでしょ、とツッコミたくもなるが、それは野暮というもの。特撮キャラクターの角については、4年前の記事(https://www.jvta.net/co/akenomyojo133/)にも書いたが、やはり角があるとグッと引き締まる(と思う)。これは完全な妄想だが、僕には見えるようだ。篠原氏がデザインの仕上げに角を加え、ひとこと、「これぞ画竜点睛・・・」と満足げにつぶやく姿が。

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
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【最近の私】コラム記事仲間の土橋さんにいただいた『モスラの歌』のレコード。特注したシングル盤用フレームが完成し、早速飾りました。持ってること自体が奇跡的な半世紀以上前のお宝品。こうやって飾っている人間は他にいるまいと、悦に入っています。

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明けの明星が輝く空に 第191回 クリスマスには・・・シャケぇ!?

ことしのクリスマス、果たして農林水産省は再び“シャケ推し”でいくのか。スーパー戦隊ファンは、固唾を飲んで見守っている。というのはオーバーだが、過去2年、同省のクリスマス関連ツイートが話題になったことは事実だ。きっかけは、『怪盗ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』(2018年~2019年)の第45話「クリスマスを楽しみに」に、“シャケ激推し”の怪人、サモーン・シャケキスタンチンが登場し、「クリスマスにはシャケを食え!」と叫んだことだった。

例によって、絶妙な緩さが魅力のスーパー戦隊シリーズ。サモーンが行う非道は、街の肉屋を急襲し、チキンの代わりにシャケを置かせるという、実にたわいのないものだ。「今年のクリスマスはシャケ一色に染めてやる!」と謎の宣言をし、嵐のように現れて、嵐のように去って行く。そんなサモーンの行動に目をつけた農林水産省が、2023年に魚食普及の一環として、「#クリスマスにはシャケを食え」と、サモーンの画像付で公式Xにポストした。

ところが、同省は翌2024年の公式Xに、「#シャケ もいいけど、他の魚も食べてほしい」とポスト。クリスマスカラーということで、マグロとアボカドを使ったメニューを紹介したのだ。(とはいえ、農林水産省は同じ日に、公式YouTubeチャンネルで、「【水産庁】サモーン・シャケキスタンチン様に感謝しながらシャケ食べた」と題する動画もアップしている。)

それにしても、サモーンという怪人の目的は何だろう。チキンの代わりにシャケを食べさせて、一体何になるのか。彼は異世界犯罪集団ギャングラーの一員で、その組織は犯罪行為を通して、人間社会の掌握を目論んでいるらしい。窃盗や誘拐、中にはプロパガンダ映画の制作といったユニークなことをする怪人もいるが、クリスマスにシャケを食べさせることで人間社会を掌握できるとも思えない。たとえばこれが仮面ライダーシリーズであれば、シャケには毒が混入されている、といった仕掛けが考えられるが、サモーンは純粋にシャケを食べてほしいだけのようだ。

もちろん、クリスマス商戦でチキンの売り上げを伸ばそうと思っている店主たちは、たまったものではないだろう。中には、閉店に追い込まれる店だってあるかもしれない。それでも、暴力を振るうでもなく、ただ鶏肉を撤去しシャケを陳列棚にきれいに並べて置いていくだけのサモーンは、どことなく憎めない。スゴイ勢いで走って来て、高い所から飛び降りた際に無様に転んだ場面では、「着地しっぱーい!でも、めげない!」と言って走り続ける、健気さのようなものさえ感じさせた。

サモーンはその攻撃技も、ユニークで楽しい。まずは“切り身配り”。シャケの塩焼きをヒーローたちの口に投げ込む。攻撃を食らった一人が、思わず「うまいな」とつぶやいたことからわかるように、それはちゃんとした料理だった。そして極めつきの大技が、“シャケチャーハン”と“氷頭なます”。ヒーローをご飯と一緒に炒めたり、甘酢に漬けたりするのだ!技を食らった方も、「パラパラになっちゃうよー!」とか「すっぱい!すっぱい!」とか、なかなか愉快な苦しみ方だ。画面にはそれぞれのレシピや作り方が表示され、なんともシュールな映像が出現。画面右下には「※イメージ!?」というテロップまで表示され、目の前の光景が現実に起こっていることなのか、それともサモーンが見せる幻影なのか、なんだかよくわからない。もちろん、こんな映像を真面目に解釈するほど野暮ったいことはないので、単純にノリで楽しむのが正しい鑑賞方法だ。

ところで、サモーンは悪役でも、彼を全否定するとシャケという食材の否定にもなりかねない。そこは現代の作品らしく、ヒーローたちが「確かに鮭はすばらしい食材だと思う」とか、「僕もサーモンは大好物の部類に入るよ」などと多様性を認める発言をしている。その上で、「クリスマスにはチキンでしょうがー!」と、正論(?)をぶつけるのだ。この言い方も絶妙だ。たとえば「クリスマスにはチキンだ!」というように、突き放した言い方と比べるとわかりやすい。「でしょう?」という言葉には、「そうじゃない?違う?」といったように、相手の立場も少しは認めているようなニュアンスがある。それでいて、語尾に「が」を置くことで、相手が間違っていることを強く主張する言い回しにもなっている。

余談だが、僕は「でしょうが」という言い回しを聞いて、ドラマ『北の国から’84夏』の、「子どもがまだ食ってる途中でしょうが!」という台詞を思い出した。父親の黒板五郎が、ラーメン屋で器を下げようとした店員に怒鳴るシーンだ。脚本を書いた倉本聰氏によれば、あの台詞は物語の“へそ”、またはドラマチックの“ドラマ”ではなく“チック”なんだそうだ。それは、ちょっとした台詞、場面ではあるけれど、グッと心をつかまれるとか、印象深く記憶に残るようなもののことらしい。

サモーンの「クリスマスにはシャケを食え!」は、まさにその“へそ”なのだ、と言えたらきれいにまとまったのだが、残念ながらそうとは言えない。サモーンは他にも、「ノーモア・チキン」、「チキンのかわりにシャケを食べろ」、「クリスマスにチキンを食べるなんて許せない」などなど、同じような台詞をまくし立てる。「クリスマスにはシャケを食え!」は、その大量の台詞の中に埋没してしまっている。

個人的には、ヒーローがシャケチャーハンにされるという、ある意味とてもショッキングな映像も含め、「パラパラになっちゃうよー!」こそが、この作品の“へそ”なんじゃないかと思う。バカバカしくも楽しい。これぞ、スーパー戦隊シリーズを象徴する名場面。けっこう本気で、そう考えている。

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。

【最近の私】予期せぬ出逢いがあるという意味で、テレビは書店に似ています。先日たまたま日本赤軍のドキュメンタリー(NHK)を観ましたが、「オールドメディア」の底力を見た気がします。それに比べてSNSの情報って薄っぺらい。正直な話、そう感じました。

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明けの明星が輝く空に 第190回 ウルトラ名作探訪24『恐怖のルート87』

ウルトラマン第20話「恐怖のルート87」の冒頭には、伊豆シャボテン動物公園が「大室山公園」として登場する。僕は大学生の頃、初めてそこに行ったとき驚いた。番組で見た「高原竜ヒドラの石像」が鎮座していたのだ。獣の体に、鷲のような頭と翼を持つ巨大な像。同公園のシンボルとなっているそれは、実際には「高原竜」という名で、「ヒドラ」は番組が付けた架空の名前である。

伊豆シャボテン動物公園(当時は伊豆シャボテン公園)には、『ウルトラマン』の制作スタッフがシナリオ準備段階で訪れたそうだ。そこで見た高原竜を元に、怪獣ヒドラが考案されたという。その姿は、多少の違いこそあれ、高原竜そのままだ。

ヒドラが登場する「恐怖のルート87」では、最後に不思議なことが起きる。ウルトラマンが戦うのをやめ、ヒドラを飛び去らせてしまうのだ。実はこのとき、ウルトラマンには、ヒドラの背中に乗る一人の少年の姿が見えていた。

「恐怖のルート87」は時代を反映し、交通戦争を物語の下敷きとしている。当時は、いわゆるモータリゼーションにともない、交通事故が社会問題となっていた。この作品でも、半年前にムトウ・アキラという少年が、国道87号線で轢き逃げの犠牲者となっていたことが語られる。彼が生前に描いた怪獣の絵は、大室山公園の石像のデザインに採用されていた。ヒドラである。

時系列が前後するが、この事実が発覚する前の物語冒頭で、すでに亡くなっていたはずのアキラ少年の姿が目撃されていた。彼は科学特捜隊本部に現れ、ヒドラが暴れ出すとだけ告げる。そしてその警告通り、大室山公園を見下ろす大室山から、ヒドラが出現する。念のため公園で警戒にあたっていた科特隊が攻撃すると、ヒドラは空へと飛びあがり、姿をくらましてしまった。

このあとヒドラは、国道87号線を走る車を次々に襲う。すでにアキラ少年の事情を聞かされていた主人公のハヤタ隊員は、ヒドラにはその少年の魂が乗り移っている可能性を指摘。続けて仲間の隊員が「呪われた国道87号線か」とつぶやいたところで、ムラマツ隊長から「魂だ、呪いだと言っている場合じゃないぞ」と注意を受ける。この台詞は暗に、オカルトは彼らの(そして『ウルトラマン』という番組の)管轄外であることを示唆しているが、その一方で霊魂の存在を真っ向から否定するものでもない。観る者を物語に引き込む神秘的な空気を残しつつ、番組本来の世界観を維持。巧みな脚本だ。

番組後半、ウルトラマンはヒドラと対決する。強敵相手に、さしものウルトラマンもノックアウト寸前にまで追い詰められた。体勢を立て直し、スペシウム光線を放つウルトラマン。ヒドラが空中へ飛び立つ。さらに続けてスペシウム光線を放とうとすると、ヒドラの背中にうっすらとアキラ少年の姿が浮かんだ。ウルトラマンは構えた手を下ろし、飛び去るヒドラをただ見送った。

「恐怖のルート87」は、『ウルトラマン』が単なる勧善懲悪の物語ではないことを示している。7月の記事で紹介した「怪獣墓場」(https://www.jvta.net/co/akenomyojo186/)は、怪獣の悲哀がテーマになっていたが、今作も“怪獣=憎むべき存在”ではないことを教えている。紋切り型の勧善懲悪ではない物語。それを子どものころに観られた僕らは幸せだと思う。

ヒドラが飛び去る場面では、ウルトラマンのスーツアクター、古谷敏氏の演技も注目に値する。スペシウム光線を構えた手の指先から、フッと力が抜ける。ウルトラマンの心情が垣間見える瞬間だ。仮面で顔が隠され、台詞もない中、指先だけで内面を表現。動きに多少の不自然さが感じられないこともないが、演技とは表情やセリフ回しだけではない、ということを示す好例だ。

もう一点注目したいのは、半年前に亡くなっていたアキラ少年と会い、言葉を交わしたのが女性であるフジ・アキコ隊員だけだったということだ。アキラ少年が部屋を出て行った直後、同じドアから入ってきた男性隊員は、その姿を見ていない。また、フジ隊員は、ヒドラの背中にアキラ少年の姿を見た唯一の人間でもある。古来、女性は異界とチャネリングできる能力があると見られてきた。たとえばイタコは巫女同様、全員女性だ。そう考えると、アキラ少年にちなんだフジ隊員の描写は、ステレオタイプな発想に基づいたものと言える。ただ、60年近く前の作品なのだから、今の価値基準だけで論じるのはフェアではない。それでも、今はそういったことに鈍感でいることが許されない時代だ。その点は、留意しておく必要があるだろう。

「恐怖のルート87」のエピローグでは、轢き逃げ犯人が捕まったことが明らかになる。これでアキラくんも天国へ行けると、無邪気に喜ぶ科特隊の面々だったが、ちょっと待った。それじゃあヒドラの攻撃を受けた車の運転手たちは、全く無関係なのに命を奪われたということに…。昔の作品であっても、ここはツッコミを入れてもいいだろう。怪獣だけじゃなく、人間にも優しい物語をお願いします!

「恐怖のルート87」(『ウルトラマン』第20話)
監督:樋口祐三、脚本:金城哲夫、特殊技術:高野宏一

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【最近の私】スーパー戦隊シリーズ終了という記事を読んで驚きました。出演者同士の不倫問題が取りざたされていますが、今放送中の番組ではなく、50年も続くシリーズ自体を終わらせるほどのことなのかどうか。とにかく公式発表が待たれます。

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明けの明星が輝く空に 第189回 『新幹線大爆破』

僕は、樋口真嗣監督に謝らなくてはいけない。『新幹線大爆破』(2025年)に期待していなかったからだ。(理由は、10年前の樋口監督作品、実写版『進撃の巨人』2部作、とだけ言っておこう。)Netflixで2回に分けて観たが、続きが楽しみになるぐらい面白かった。

『新幹線大爆破』は、1975年に公開された同名作品のリブート版である。爆弾が仕掛けられたのが東京発、博多行きのひかり109号から、青森発、東京行きのはやぶさ60号に変更されたが、ある速度(旧作は時速80km、新作は100km)を下回ると爆発する、という点は同じだ。

旧作は、米映画界にインスピレーションを与え、アクション映画『スピード』(1994年)が作られたことでも知られる。爆弾犯人、沖田(演じたのは高倉健!)を、単なる悪人として描いていないことは評価されるべき点だろう。しかし、その一方、途中から沖田の回想シーンがたびたび挿入され、新幹線を巡るドラマが途切れがちなのも事実だ。さらに映画終盤には、警察が町中で犯人を追い詰める過程が中心になる。映画公開当時、『新幹線大爆破』というタイトルを見て期待したものとは違った、という観客もいたのではないだろうか。

それは、小学校をサボって観に行ったという樋口監督も同じだったかもしれない。リブート版では、ドラマの大半が新幹線を舞台に展開する。おかげで、映画全編を通して緊迫感が維持された。その点は、ミュンヘン五輪の選手村占拠事件をモチーフにしながら、ほぼ放送局内の場面だけで構成されていた『セプテンバー5』(2024年)に似ていると言っていい。

リブート版『新幹線大爆破』においても、犯人には同情すべき事情がある。しかし、その説明は最小限に抑えられ、その一方で新幹線の走行シーンが増えた。面白いことに、ただ走っているだけでも、爆弾が仕掛けられていると思うと、映像から緊迫感があふれ出す。途中駅を通過する場面など、何か起こるわけでもないのにドキドキしてしまった。(駅を通過する新幹線をホームから見たことがあるが、あれは恐い。ひとつ隣の線路で距離があったにもかかわらず、在来線とは迫力がケタ違いなのだ。その記憶があるから、余計に緊張したのかもしれない。)

映画序盤の山場に、上り線から下り線に入る場面がある。盛岡駅の先で、前方を走行中の新幹線が故障で立ち往生したため、回避せざるを得なくなったのだ。しかし、下り線は新函館北斗・秋田行が走行している。爆弾が爆発してしまうため、速度を落としてやり過ごすことはできない。それでも計算上は、ギリギリのタイミングで衝突を避け、下り線に入れることがわかった。関係者が固唾をのんで見守る中、猛スピードですれ違う2つの新幹線。はやぶさ60号が、線路の転轍(てつ)器、いわゆるポイントに差しかかり、下り線に入る。一瞬、下り列車の最後尾と接触。火花が飛び散るも、大事には至らなかった。

この後も、併走する車両から救出作戦のために必要な機材を受け取る場面や、後方から来た救助車両と走行しながら連結する場面など、映画の「動」の部分は新幹線を中心に回る。似たような場面は旧作にもあったが、50年前と比べて映像技術が進化したリブート版は迫力が数段アップ。通常の走行シーン以外、実際の車両を使うわけはないとわかっていても、物語に引き込まれていると、どれも本物にしか見えない。いや、改めて作り物っぽさを探そうとしても、いまやVFXによる映像を素人の目で見破ることは難しい。

ただ、さすがは樋口監督だ。日本特撮伝統のミニチュア撮影も、しっかり取り入れている。ミニチュアと言っても、1/6のスケールで作られた新幹線は、1両の長さが4m以上。スタッフ10人がかりで運ぶぐらいだから、重量も相当あるだろう。それを走らせて脱線させ、障害物にぶつける。なかなかの迫力だ。まして樋口監督は、特技監督を務めた平成ガメラ3部作で日本アカデミー賞、特別賞特殊技術賞を贈られた特撮界の第一人者。着ぐるみのガメラが巨大怪獣に見える映像を撮ったように、アナログ手法で人の目をだますのはお手のものだ。

樋口監督の強みは、もうひとつある。本人曰く、「鉄道オタク」なのだそうだ。当然、新幹線の映像は全て魅力的に仕上がっている。車両を美しく見せるだけでなく、至近距離からのローアングルショットや、並行して移動するトラッキングショットで迫力を演出。通常では見られない映像の数々に、鉄道ファンでなくとも魅了される。そういった意味で、このリブート版は新幹線のための映画であり、新幹線が主役の映画と言えるのかもしれない。

ごく個人的に、残念な点もあった。それは、舞台が秋田新幹線ではなかったことだ。なんといっても、あの赤い車体は映える。スーパー戦隊のセンターがレッドであるように、“主役”に相応しいではないか!ただし、東北新幹線になったのには、相応の理由があったようだ。JR東日本から「東北を世界にアピールできる」という話があり、制作陣がその意を汲んだのだ。それはそれで大変意義深いことだし、異論はない。ただ、一面緑の田園風景の中、赤い新幹線が疾走する映像は、この上なく美しかっただろうとも思うのである。

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。

【最近の私】JVTAのコラムを卒業された、鈴木純一さんのお疲れ様会に出席しました。ほかのコラム仲間である土橋さんや扇原さん、JVTAの新楽代表はじめスタッフの方々にも、久々にお会いできました。改めて鈴木さん、お疲れ様でした。気が向いたら、特別寄稿とかスポット参戦みたいな形で、また書いてください。

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明けの明星が輝く空に 第188回 特撮俳優列伝30 藤村志保

「本名、静永操(しずながみさお)。フェリス女学院高等部出身。9歳の頃から日本舞踊を習い、19歳で花柳流の名取となる。」

多くの人はこんなプロフィールを聞けば、気品があってつつましく、凜とした人をイメージするに違いない。和風な顔立ちで着物の似合う藤村志保さんは、まさにそんな方だった。大映時代劇に欠かせない、とまで言われた藤村さんが出演した特撮映画は、2本。先月の記事で紹介した『怪談雪女郎』(1968年)と、『大魔神怒る』(1966年)である。

まず『怪談雪女郎』では、まさに氷のような冷たさを感じさせる雪女を好演している。身体の動きは最小限に、台詞回しも抑揚を抑え、声を荒らげることはない。それでいて、いや、だからこそ、ジワジワと息が詰まるような恐怖を表現し得ている。白眉は、目の動きだけで人を震え上がらせる場面だ。たとえば物語冒頭、山小屋で2人の木こりが寝ていると、音もなく入ってきて、年配の木こりを凍死させる。目を覚ました与作に見られていたことに気づくと、顔はうつむき加減のまま、ゆっくりと目を横にいる与作に向ける。早過ぎもせず遅すぎもしないこの動きが絶妙で、これにより緊迫感がぐっと高まり、観ているこちらも身構えてしまう。

実は昭和の名女優、岸惠子さんも、映画『怪談』(1965年)で雪女を演じていた。こちらも落ち着いた口調で、決して安っぽい怖がらせ方をしない。唯一、口元がアップになり、微かにニヤリとした笑みを浮かべるところは背筋が寒くなるが、それ以外は普通の人間と大差ない佇まいだった。それは演出意図によるものだろうが、両者を比較すると、藤村版雪女の、まるで刃物を突きつけるような恐ろしさが際立つ。

ただし、藤村さんが演じた雪女は、恐ろしいだけの妖怪ではない。「ゆき」という人間に姿を変え、与作の嫁となり、愛情込めて子を育てる。そんな心優しい一面もあった。彼女が子どもと接する姿はぬくもりに溢れ、見ているだけで癒やされるような気分になれる。

ゆきの愛情は、他人の子にも注がれた。誰も治せない熱病にかかった子を、献身的に看病。その方法はもちろん、雪女の能力を使ったものだが、それは彼女の体力を奪ってしまうものだったようだ。見事に熱を下げてみせたときには、フラフラだった。どんなことがあっても、一度決めたことを最後までやり通す。そういう芯の強さも、ゆきは垣間見せていた。

優しく献身的で芯が強いというのは、『大魔神怒る』で演じたヒロインにも当てはまる。ある地方の領主の娘である早百合は、土地を巡る争いに巻き込まれ、許嫁である十郎に危機が迫ったとき、我が身を省みずそれを知らせたため囚われの身となってしまった。しかし、処刑のため磔となりながらも、凜として品格を失わず、取り乱すことがない。これなど、あらかじめそんな人物設定だったというより、藤村さんが演じたからこそ生まれた人物象だったような気もする。

また藤村さんは、はかなげな女性を演じるのにも長けている。『怪談雪女郎』でもそうだったが、“悪漢”に捕らえられてしまう場面での彼女は、強風に吹かれて今にも折れてしまいそうな路傍の花といった趣だ。さらに、か弱いだけでなく、そこはかとなく上品な色気も滲み出る。藤村さん以外に、こんな風情を醸し出せる演技者は、そうそう見つからないだろう。

そんなふうに女優藤村志保に注目しながら観ていると、『大魔神怒る』は彼女のための映画だたのではないかと思えてくる。そんな思いが強まったのが、映画のクライマックスだ。

磔のまま足下に火をつけられた早百合が、自分の命を捧げるから人々を助けたまえと神に祈る。すると目の前の湖から大魔神が現れ、彼女が磔となっている十字架を持ち上げる。仁王像にも似た憤怒の表情ながら、早百合を見つめる大魔神の目はどこかやさしい。そう思ったとき、僕は得も言われぬ感動を覚えた。通常、人と意思疎通をとることのない大魔神が、早百合には何かを語りかけているようだった。全てが終ったとき、大魔神は静かに湖へと帰っていく。水に入り、膝をついて合掌する早百合。語りかけるように「神様」とつぶやくと、大魔神がゆっくりと振り返り、早百合を見つめる。

このシークエンスでは、カメラが早百合を何度もアップで映し出す。崇敬、あるいは敬慕といった思いと感謝の気持ちがあふれ出る、その表情は美しい。いやがおうでも、それが心に残るような演出だ。初見では大魔神というキャラクターのインパクトが強すぎて気がつかないが、何度か観るうち、藤村さんを魅力的に撮った映画だということがわかってくる。(個人的には、むしろそのための映画だったと考えている。)

冒頭で紹介した通り、藤村さんの本名はそのまま芸名として通用しそうなものだが、実は旧姓もオシャレだ。「薄」と書いて「すすき」と読む。秋の柔らかい光の中、風に揺れるススキはたおやかで美しい。着物姿の藤村さんのイメージにぴったりだ。また、ススキにも花言葉はあって、「活力」や「生命力」。さらに、名前の「操」という漢字には、「かたく守って変えない志」という意味がある。ゆきや早百合が見せた強さは、藤村さん自身の強さだったのかもしれない。

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【最近の私】カレンダーをめくったら、犬が2匹、満月を見上げているイラストが。横には「月が綺麗ですね」という文字・・・。なんかスゴイ違和感。今年は9月いっぱい真夏が続くような気がしていますので。

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明けの明星が輝く空に 第187回 夢幻のヒロインたち7:ゆき(雪女) 

登場作品:映画『怪談雪女郎』(1968年)
キャラクター設定:我が子への愛ゆえに、去らなければならなかった妖怪

大映映画『怪談雪女郎』に登場する雪女は、恐ろしいだけの存在ではない。金色の瞳で人を睨む形相には心胆寒からしめるものがあるが、最後に見せた姿は切なく哀しいものだった。

小泉八雲の『怪談』に収録された「雪女」が、原案となったと思われるこの作品。物語は、仏師の与作が師匠とともに、山で吹雪に見舞われたところから始まる。その晩、山小屋で過ごしていると、夜も更けたころ、雪女が音もなく入ってきて、師匠は殺されてしまう。与作は美しい若者であることを理由に殺されなかったが、その晩のことを誰かに話せば命はないと告げられる。

村に帰ってきた与作は、ある日ゆきという女性と出逢う。彼女の正体は雪女だったのだが、そんな素振りは一切見せない。それどころか、つつましく思いやりのある好人物で、両人が夫婦となって生まれた子ども(太郎)への愛情は、嘘偽りのないものだった。実は、ゆきが初めてスクリーンに登場する場面から、彼女が観客に好かれるように仕向ける映画の意図が読み取れる。2人の出逢いは雨の日だった。与作がふと外を見ると、軒先で雨宿りをしている女性の後ろ姿が目に入る。すると、視線を感じたのか、彼女がゆっくりと振り向く。一瞬ハッとした与作が、思わず視線を落としたのは、気まずさのせいだけではなかっただろう。なぜなら、そのときのゆきは、楚々とした美しさが際だっていたからだ。

この場面では、出逢いを印象づける演出が効いている。まず彼女の後ろ姿と、家の中から見ている与作というカットのつながりで、自然と観客の視点を与作のものと同期させる。次にゆきをゆっくり振り向かせることによって、彼女を見ているのがバレてしまうと観客に感じさせる“間”を与える。さらには、“どんな女性なのだろう”という興味を掻き立てる効果もあり、思わず僕らはその姿に見入ってしまう。そうしてゆきはカメラに目線を向ける(=与作と目が合う)と、かすかに「あっ」といった表情になる。その反応を見て、僕らも「あっ」となる。これは、見ているのがバレたと感じたせいでもあるが、それ以上にゆきの美しさに魅了された「あっ」でもある。正直に話そう。僕はここで、ときめいてしまった。(残念ながら、ゆきを演じた藤村志保さんは、今年6月、鬼籍に入られた。お悔やみを申し上げます。)

このあと物語は、与作と高名な仏師による観世音菩薩像の競作を縦軸に、いわゆる悪役がもたらす苦境を横軸に展開する。その悪役とは、彼女に横恋慕する卑劣極まりない男(地頭)だ。卑怯な手を使ってゆきを己のものとせんとするなど、典型的な憎まれ役だけに、力づくで迫られた彼女が正体を現した場面では、「やってしまえ!」という気分になる。(当然の報いとして凍死させられるのだが、映像があるのはその前後だけ。肝心の氷付けにされる場面がないのは物足りない!)

また、霊力を持つ老婆(巫女)も、彼女にとっては危険な存在だ。ゆきは“あやかし”、つまり人外の者であると見抜かれ、“湯玉”を浴びせられたり、榊で打たれたりする。本質的に悪人ではないのだが、常に下からの照明によって、ビジュアル的な恐ろしさが強調されるなど、完全な悪役扱いだ。

映画は、与作が吹雪の晩に見た雪女の話をゆきにしてしまう場面で、クライマックスを迎える。実は与作は、ゆきの顔をモデルに菩薩像を彫っていたのだが、その目にどうしても暗い影が出て悩んでいた。その時、何かを思い出したように、そばにいたゆきを振り返る。彼女を“あやかし”と呼ぶ巫女の話は信じないと言いつつも、雪女の記憶が蘇ってきたのだ。

ゆきは正体を現し、与作を殺そうとする。しかしその時、寝ている太郎が声を上げて泣き始めた。ハッとするゆき。太郎の枕元に行くと、その目から涙がこぼれ落ちた。そこにいるのは、もう妖怪雪女などではなく、ひとりの母親だった。ゆきは立ち上がると、与作に太郎の将来を託す。さらに仏像を立派に仕上げてくれと告げたところで、家の扉がひとりでに開いた。ゆきの顔に狼狽の色が浮かぶ。まるで、正体を知られた以上、人間界から去らねばならぬという、抗うことのできない運命を悟ったかのように。

涙を浮かべて去って行くゆき。自分を呼ぶ太郎の声に振り返る。そのとき与作は、ゆきの目に慈悲の心を見た。追いかけようと走り出した太郎が、転んでしまう。しかし、ゆきはもう振り返らない。降りしきる雪の中、その背中は少しずつ小さくなっていった。

僕がこの映画を観て、母親としてのゆきの姿で印象に残ったのが、物語中盤で太郎に歌を教える場面だ。なんとも優しげで、幸せが映像から溢れている。ただ歌詞がよく聞き取れなかったので、何の歌なのかを調べてみた。どうやら、世界遺産の白川郷に伝わる民謡らしい。そう知った途端、寒気を感じた。以前旅で訪れた、冬の白川郷を思い出したのだ。合掌造りの民家に泊まり、囲炉裏のそばで食事をし、部屋に戻ったころは夜も更けていた。そんなところへ、もし雪女が入ってきたら・・・。一瞬にして、そんな妄想が頭を駆け巡ったのだ。白川郷の雪景色はすばらしい。しかしこの先、また冬に訪れる勇気が湧くかどうか。今はちょっと自信がない。

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【最近の私】たまたま近所のブックオフに寄ってみたら、なんと、漫画『かくしごと』が全巻揃って並んでいるではありませんか!いまどこにも在庫がないので、即買いでした。絵のタッチとかギャグのセンスとか、波長が合うと言ったらいいのか、とにかく超好み。久しぶりにイイ買い物をしました。

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