News

明けの明星が輝く空に 第15回:干支と特撮:ウサギ

正直な話、ウサギをモチーフにしたヒーローや怪獣・怪人は思いつかなかった。しかし、調べてみると見つかった。それも主役が。その名はイエローバスター。スーパー戦隊シリーズの36作目、『特命戦隊ゴーバスターズ』(2012年~2013年)のヒロイン、宇佐見ヨーコの変身後の姿である。
 

ただし、イエローバスターはあまりウサギっぽくない。ヘルメットをよく見れば、ウサギの耳らしき意匠は施されている。ただしそれは、頭部の曲線に合わせ後方に向かって寝ている形で、ほんの数センチ出っ張っているに過ぎない。前頭部にシンプルな線で描かれたウサギの顔がなければ、それが耳を模しているとはわからないだろう。
 

デザインの面では、むしろ彼女を取り巻くメカの方がウサギっぽい。まず、ちょっと口うるさい相棒、ウサダ・レタスというロボットには、頭に2本の長い耳のようなものがある。それらはイエローバスターが乗り込む専用マシンの操縦桿で、ウサダはコックピットに収まるようにも作られているのだ。そのイエローバスター専用マシンも、通常はヘリコプターとして機能するが、攻撃時にはウサギ型のロボットに変形。後ろ向きに両足キックをお見舞いするなど、アクションにもウサギっぽさが取り入れられている。
 

イエローバスターのアクションはどうだろうか。超人的な跳躍力を身につけてはいるが、特にウサギっぽくもない。こうなると、「設定をウサギにした意味はある?」と思ってしまうが、『特命戦隊ゴーバスターズ』のテーマは「変革」だったというから、そういった“いかにもありがち”な演出は避けられたようなのだ。Vシネマ『帰ってきた特命戦隊ゴーバスターズvs動物戦隊ゴーバスターズ』(2013年)を観ると、そのあたりがよくわかる。「動物戦隊」とは、本編の特命戦隊とは異なる世界、パラレルワールドのヒーローたちで、意味なく背景で爆発が起こる登場シーンや、メンバー全員が力を合わせる決め技など、 “これぞスーパー戦隊!”といった演出がふんだんに見られる。いわばセルフパロディの類いで、動物戦隊は、特命戦隊とは左右逆に映る鏡像のようなものなのだ。
 

そんな動物戦隊のイエローの名前は、ずばりイエローラビット。さらに、両手を頭の上に乗せて“耳”を作って見せたり、戦闘中「ぴょーん」と言いながらジャンプしたりするなど、これでもかというほどウサギっぽさを装う。「ぴょーん」というセリフには、女の子キャラを強調する意図も見えるが、ほかにも敵を倒して可愛く「やった!」と言うなど、本家とは方向性が180度反対だ。イエローバスター/宇佐見ヨーコのアクションに女の子っぽさは皆無で、彼女は気合いが入った掛け声もキレがいい。実は、第1話を観てまず「お!」と思ったのが、この掛け声だった。板に付いていて、カッコいいのだ。
 

ヨーコを演じた小宮有紗さんは、撮影開始当初は現役の高校生。劇中では16歳の設定で、3人いる特命戦隊のメンバー中、最年少だ。レッドバスターこと桜田ヒロムが20歳、ブルーバスターこと岩崎リュウジが28歳なので、自然と“妹”的な立ち位置になる。しかし、イエローバスターはアクションシーンにおいて年齢差など感じさせず、戦闘力も見劣りしない。小宮さん自身、ヨーコの立ち回りを見事に演じていた。中でも驚いたのが、テコンドーの二段蹴りを見せたことだ。これは一度蹴った足を地面に下さず、そのままもう一回蹴る技で、体幹が弱いとバランスが取れないし、足も上がらない。小宮さんはクラシックバレエの経験があるというから、アクションに必要な基礎体力もしっかりしていたのだろう。
 

小宮さんはまた、目に力があり、表情だけで芝居ができる女優さんだ。眉に力を込めた表情も凛々しい。そんな彼女が演じたヨーコにグッとくるような場面が、第23話「意志を継ぐ者」にある。それは仲間の1人、陣マサトが危険を冒して自分を守ってくれようとした時のことだ。彼の実体は亜空間にあり、アバターとしてゴーバスターズと行動を共にするのだが、アバターであってもダメージが蓄積すれば本体の生死にかかわる。そうと知ったヨーコは、出ていこうとするマサトを制し、自分の身は自分で守れると告げる。そしてさらに、力強くこう言った。「それに、誰かのことを守ることだってできる。」
 

この一言に僕はシビれてしまったのだが、このあとマサトによって、かつて彼女の母親ケイも同様のことを言っていた過去が明かされる。実は、ケイは13年前、ヨーコがまだ幼い頃に亜空間へと消えてしまい、幼かったヨーコには母の記憶があまりない。それでも、彼女の中には母親に似た芯の強さがしっかりと育っていた。親子の結びつきを感じさせるエピソードを挿入するあたり、心憎い脚本だ。さらに言えば、この日はヨーコの17才の誕生日。彼女の成長が、自然と伝わるような仕掛けとなっている。
 

「干支」というテーマがなければ、初見の『特命戦隊ゴーバスターズ』を全話視聴することはなかったろう。とりあえずイエローバスターをチェックするため観始めたのだが、意外なほど楽しめたし、好きな作品の1つにもなった。昭和以外の特撮も、悪くない。
 

—————————————————————————————–
Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】「新年の誓い」と言うほどじゃないけれど、今年はSF小説をたくさん読もうと思っている。実は、これまで単なるエンタメ系だと思って読んでいなかった。でも、常識にとらわれない発想の飛躍こそが、SF小説の魅力だと今さらながら気づいた。良質な作品から受ける刺激は、脳を活性化してくれる気もするし。
—————————————————————————————–
 

明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る
 

バックナンバーはこちら
 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

◆【入学をご検討中の方対象】
映像翻訳のことが詳しくわかる無料リモートイベントへ!※英語力不問

リモート個別相談
※詳細・お申し込みはこちら


 

◆【映像翻訳をエンタメのロサンゼルスで学びたい方】
ロサンゼルス校のマネージャーによる「リモート留学相談会」

la soudankai
※詳細・お申し込みはこちら
 

明けの明星が輝く空に 第155回:ヒーローがいた場所:特撮ロケ地

戦い終えた本郷猛(仮面ライダー)が坂道を駆けてくる。道ばたには2匹の子犬。本郷はそれに気づくと、1匹を笑顔で抱き上げた。
 

これは、『仮面ライダー』第7話のエンディングシーンだ。撮影されたのは、川崎市多摩区の寺尾台(①)。小田急線読売ランド前駅北側の高台にある住宅街だが、恥ずかしながら、ここがロケ地だったことはつい先月まで知らなかった。「恥ずかしながら」というのは、僕が通っていた小学校がすぐ近くにあり、寺尾台には何人も同級生がいたからだ。
 

映像を見ているときに、身近な場所が撮影に使われていることに気づいたのは、前回の記事で触れた二ヶ領上河原堰(②)を含め3、4カ所ある。また、ネット上に出ている情報から、近辺にロケ地が多いことも知っていた。そこで今回の記事のテーマに選んだわけだが、改めて調べてみると予想以上に多かった。そこで今回は、ライダーシリーズ中心に紹介しよう。Googleマイマップで、この記事に対応した地図を作成したので、ぜひ参照していただきたい。➡明けの明星が輝く空に_特撮ロケ地 (本文中の丸囲み数字は、地図上のものと共通。)
 

それにしても、なぜこの地域にロケ地が多いのか。それは、『仮面ライダー』の撮影が行われた東映生田スタジオ(③)が、やはり読売ランド前駅の近くにあったからだ。場所は、寺尾台から見て西の多摩美という地区で、日本女子大学西生田キャンパスのすぐ脇。前回の記事で触れた第2話「恐怖蝙蝠男」の冒頭の場面(https://www.jvta.net/co/akenomyojo154/)が撮影された道路とマンション(④)は、スタジオから歩いてわずか数分の距離だ。ちなみに、多摩美という地名は「美しい多摩丘陵」が由来で、多摩美術大学とは無関係である。
 

寺尾台の北西に広がる菅馬場(すげばんば)の住宅地(⑤)一帯も、造成地だった当時、『仮面ライダー』のアクションシーンに使用されたようだ。小学生の頃、この造成地周辺の雑木林に、よくカブトムシを採りに行った。たまたま何かの撮影現場に出くわし、追い返されたこともある。一体何の撮影だったか不明だが、一緒にいた父によると、上半身裸の女の人がいたそうだから、少なくとも特撮作品ではないだろう。
 

寺尾台の東にある小田急線の多摩川橋梁(⑥)周辺は、『仮面ライダー』第6話のロケに使われた。また、駅名にその名前を残すのみとなった向ヶ丘遊園(⑦)は、有名だった大階段などが第4話などで確認できるが、ウルトラシリーズでも使われた有名なロケ地だ。(この2カ所は、僕が自分で気づいたロケ地だ。)そこから少し離れた場所に、『ウルトラマン』でバルタン星人が潜んでいた長沢浄水場(⑧)がある。所在地は川崎市なのに、なぜか東京都水道局の施設で、川崎市上下水道局の浄水施設も隣接しており、ややこしい。ともかく、『仮面ライダー』では建物の外観が、本郷猛の所属する「城南大学研究所」として幾度となく登場している。我が田近家のお墓がある霊園からも近いのだが、長沢浄水場を初めて訪れたのはほんの数カ月前だった。お彼岸に珍しく1人で墓参りをしたので、そのついでに足を伸ばしたのだ。
 

長沢浄水場は生田スタジオから見て東南の方角だが、正反対の北西方面には、京王相模原線沿いに稲城市の南山という地区がある。今では住宅地として整備が進んだが、まだ造成地だった当時はここでも撮影が行われたという。山が削られてできた崖は壮観で、電車からもよく見えたことを覚えている。通称「稲城グランドキャニオン」と呼ばれていたそうだ。
 

その南山の一番東のはずれ、京王よみうりランド駅のすぐ近くには、「ありがた山」(⑨)という、まるであの世とこの世の狭間のような場所がある。急な斜面に整然と並んだ古い墓石は、聞くところによると4000体以上。みな無縁仏だ。20年ほど前だったか、僕は近くを散策していて偶然そこに行き着いた。予想もしていなかった異様な光景に驚くと同時に、霧の中のような、非常にうっすらとした記憶が蘇ってきた。確か子どもの頃に来たことがある。誰と、何のためか、全く覚えてはいない。だけど確かに、その光景には見覚えがあったのだ。
 

ありがた山がロケ地になったのは、『仮面ライダーV3』(1973~74年)第33話だ。主人公の風見志郎が、悪の組織の戦闘員たちや怪人とアクションを繰り広げる。4000体もの無縁仏が並ぶ特異な場所だけに、特撮とは関係なく残す価値がありそうだが、ここにも開発の波が押し寄せてきた。土地区画整理事業によって南側の土地が削られ、真新しい道路が開通。現在ループ状になっているその道路の真ん中には、読売巨人軍の施設ができるそうだ。いまのところ、ありがた山は手つかずだが、果たして今のままの形で残されるのか。ありがた山のように異界といった言葉が似合う場所は、東京近辺に多く残されてはいない。再開発が、自然以外にそんなものまで削ってしまうとしたら・・・。造成された景色の中、ポツンと佇むありがた山の眺めに、やるせない気持ちが湧いてきた。
 

追記:今回の記事を書くにあたって、yart先生(https://www.blogger.com/profile/09352180926770118250)のブログ『仮面ライダーロケ地大画報』の情報を大いに活用にさせていただきました。ここにお礼申し上げます。
 

—————————————————————————————–
Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】「ロマンチスト」と言われたことが何回かある。歴史好きだったり、花や紅葉の写真をよく撮っているので、そう思う人がいるらしい。でも考えてみれば、特撮ファンは誰でもロマンチストだ。虚構を現実のものと想像して楽しんでいるのだから。
—————————————————————————————–
 

明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る
 

バックナンバーはこちら
 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

◆【入学をご検討中の方対象】
映像翻訳のことが詳しくわかる無料リモートイベントへ!※英語力不問

リモート個別相談
※詳細・お申し込みはこちら


 

◆【映像翻訳をエンタメのロサンゼルスで学びたい方】
ロサンゼルス校のマネージャーによる「リモート留学相談会」

la soudankai
※詳細・お申し込みはこちら
 

明けの明星が輝く空に 第154回:ハロウィーンには『仮面ライダー』?

今年のハロウィーンは終わったが、来年は『仮面ライダー』(1971年~73年)を観て楽しむなんていうのはどうだろう。“痛快SF怪奇アクションドラマ”と銘打たれたそれには、ハロウィーン気分を高めてくれるクモやコウモリが、悪の組織ショッカーの怪人となって登場するのだから。
 

“怪奇”? 『仮面ライダー』が? 若い世代のファンには意外なことかもしれないが、初期の『仮面ライダー』はとにかく怖さが売りだった。それは各放送回のサブタイトルからも一目瞭然で、第1話が「怪奇蜘蛛男」、第2話が「恐怖蝙蝠男」である。クモとコウモリをあえて漢字で表記しているところにも、強いこだわりが感じられる。
 

一説によると、番組スタート時にクモとコウモリが敵役に選ばれた背景には、アメリカンヒーローへの対抗意識があったためという。そのヒーローとは、もちろんスパイダーマンとバットマン。つまり、両者よりも仮面ライダーの方が強いという隠喩なのである。クモ怪人とコウモリ怪人は、その後の仮面ライダーシリーズにも度々登場し、特に原点回帰を謳った『仮面ライダーアマゾン』(1974~75年)や『仮面ライダーBLACK』(1987~88年)では、やはり初回や2回目の放送で登場している。そして、来年公開予定の映画『シン・仮面ライダー』にも、両者は登場するようだ。
 

それにしても、「怪奇蜘蛛男」も「恐怖蝙蝠男」も怖い。観たあとに1人でトイレに行けなくなったという子も少なくなかっただろう。怪奇性の演出として効果的だったのが照明の使い方で、見せたいものを照らすというより、むしろ影を作るためのライティングのような印象だ。予算の関係上、照明の数を増やせなかったという事情があったそうだが、それを逆手に取った演出とも言える。薄暗い室内、顔に陰影のある人物といった映像は、それだけで不気味さが漂う。特に第2話の冒頭、蝙蝠男が登場する場面は、サスペンスの要素も加わって秀逸だ。簡単に振り返ってみよう。
 

ある晩、自宅のマンションへと向かう1人の女性。その背後で、薄気味悪い笑い声が響く。驚き振り向くが、暗い夜道には誰もいない。歩き出すと、再び聞こえてくる笑い声。その声が告げる。「お前は選ばれたのだ。ショッカーの名誉ある一員に、だ。」たまらず女性は走り出し、マンションへ逃げ込む。部屋にたどり着き薄暗いベッドルームに入ると、閉めたはずの窓のカーテンが揺れていた。窓を閉め振り向くと、不気味な人影が一瞬壁に映る。そして、何かの気配を察したか彼女が視線を上げると、天井から逆さまにぶら下がる蝙蝠男がいた。
 

このあと女性は蝙蝠男に血を吸われ、吸血鬼にされてしまうのだが、彼女が主人公の本郷猛を襲う場面がまた怖い。「ヒヒヒヒヒ・・・」と笑い声を上げながら迫ってくるのだ。どういうわけか、こういった笑い声は女性の方が怖い。第1話の「怪奇蜘蛛男」でもそれが生かされていて、気味の悪さではこちらの方が上だ。髪で顔が隠れた女性戦闘員たちが、同じように笑いながらゆっくり近づいてくるのである。どちらもシチュエーションは昼だったからまだしも、もし夜だったら・・・。子どもたちのトラウマになっていただろう。
 

番組初期の怪人たちは、その最期も気味が悪い。イメージの中の怪人は、ライダーキックを受けて爆死するのが常だ。戦闘シーンの終り方としてメリハリが利いているし、映像的なカタルシスも感じられる。番組が成功した1つの要因でもあるだろう。しかし、最初は違っていた。たとえば蜘蛛男の場合、うめき声とともに絶命したかと思うと、ブクブクと泡になって消えていくのだ!この場面はイメージ映像的な演出とでも言うのだろうか。白昼の屋外だったにもかかわらず、泡のカットだけ薄暗い中で赤紫色の照明が当てられ、しかも何のものだかわからない影がユラユラと揺れている。ライダーとしても、まったく後味の悪い勝利に違いない。
 

こういった怪奇テイストの『仮面ライダー』を観ていると、僕は『キイハンター』(1968年~1973年)を思い出す。千葉真一さんが、アクションスターとしてお茶の間の人気者になったドラマだ。番組のコンセプトは怪奇ものではないが、お盆の時期などの怖い話は、雰囲気が「恐怖蝙蝠男」などに近かった。ともに東映制作のドラマだったので、BGM、効果音、演出などが似通っていたのだろう。ちなみに『キイハンター』の主題歌は、僕が好きな昭和ドラマ音楽の1つで、作曲は『仮面ライダー』の音楽も担当していた菊池俊輔さん。暴れん坊将軍シリーズなどのほか、アニメ作品も数多く手がけている。特に1970年代前半に放映された『新造人間キャシャーン』や『ゲッターロボ』は、主題歌のイントロやアウトロが身震いするほどカッコイイ。
 

今回はもう1つ、個人的な思い入れのあるトリビアネタで終わろう。それは、ライダーが蜘蛛男と戦うのが、多摩川にある二ヶ領上河原堰という馴染みのある場所だということだ。そこは調布市と川崎市の間に掛かる施設で、子どもの頃はその辺りに川遊びに行ったし、サイクリングロードの起点にもなっているので、中学以降はランニングやサイクリングで慣れ親しんだ。半世紀前、運が良ければライダーに会えた可能性もあったと思うと、少し残念なのである。
 

—————————————————————————————–
Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】窓の外から、季節外れのシジュウカラのさえずりが聞こえてきた。試しにネットで見つけたシジュウカラの音声を流してみたら、すぐ近くまで近寄ってきた。もっと頻繁に来てくれるといいなあ。
—————————————————————————————–
 

明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る
 

バックナンバーはこちら
 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

◆【入学をご検討中の方対象】
映像翻訳のことが詳しくわかる無料リモートイベントへ!※英語力不問

リモート個別相談
※詳細・お申し込みはこちら


 

◆【映像翻訳をエンタメのロサンゼルスで学びたい方】
ロサンゼルス校のマネージャーによる「リモート留学相談会」

la soudankai
※詳細・お申し込みはこちら
 

明けの明星が輝く空に 第153回:ウルトラ名作探訪14「バラージの青い石」

『ウルトラマン』第7話「バラージの青い石」で特筆すべきは、なんと言っても“ノアの神”という概念を持ち込んだことだろう。それは、ウルトラマンが5000年前にも地球に来ていたことを意味するものだった。
 

今作の舞台は中近東の砂漠地帯。地図上にはない忘れ去られた町、バラージ近郊に隕石が落下したことから物語は始まる。調査隊が次々に行方不明となり、科学特捜隊のパリ本部から日本支部に出動要請が出された。科特隊専用機、ビートルで現場付近にさしかかると、突如前方に巨大な光の壁が現れ、引き寄せられていく。どうやら磁力光線らしい。なんとか危機を逃れ不時着したものの、今度は怪獣(アントラー)が出現。大きな角の間から虹色の光を発した。先ほどと同じ磁力光線だ。科特隊が携帯していた武器も吸い寄せられ、彼らは退却を余儀なくされる。
 

砂漠をさすらう科特隊。やがて町が見えてきた。バラージだ。そこで、高貴な身なりの女性、チャータムと出会う。彼女によれば、町はノアの神がもたらした青い石の力でアントラーから守られているという。チャータムの招きで神殿らしき建物内に入った科特隊一行は、安置されていたノアの神の石像に衝撃を受ける。その姿は、なんとウルトラマンそっくりだった。チャータムが言う。ノアの神は5000年前にその地に現れ、アントラーから町を守ってくれたのだ、と。
 

この場面を観れば誰でも、「ウルトラマンって宇宙人じゃなくて神なの?」と少なからず困惑するだろう。そんな視聴者の混乱する思考を助けるかのように、科特隊のアラシ隊員が石像を見上げて言う。「5000年の昔、ウルトラマンの先祖は地球に現れ、その時もやはり人類の平和のために戦っていたのか。」この台詞から読み取れるのは、ウルトラマン=神ではない、ということだ。昔の人々が異能の力を持つ銀色の巨人を神格化したもので、言ってみれば、東照宮に祀られる徳川家康や乃木神社に祀られる乃木希典と、大きな差はない。
 

少し本題を外れるが、このシーンでの主人公ハヤタ(ウルトラマン)の表情が印象的だ。尺にしてわずか2秒ほどのカットだが、普段ウルトラマンであることをほとんど感じさせない彼が、このときは様子が違っていた。他の隊員たちが5000年前にウルトラマンが地球に来ていたことを知って驚く中、ひとり緊張感のある真剣な眼差しで石像を注視している。他の隊員たちとのリアクションの違いは、ノアの神に対する受け止め方の違いを示唆している。それは、彼の表情だけ別のカットで見せていることからも明らかだ。そしてなぜ違うのかと言えば、それは彼がウルトラマンだから、と考えるのが自然だろう。
 

問題はその心情がどんなものかということだが、読み取るのは難しい。もしハヤタに、同族の地球来訪に関する予備知識があれば、「ああ、あの話か」といった余裕が態度に現れてもおかしくない。またこのとき、アラシの言葉を聞きながら軽くうなずくが、それなら石像から視線を外しアラシの方を見てうなずくのではないだろうか。しかし、ハヤタはふいに見せられた同族の石像に魅入られたかのように、石像を見つめたままだった。あるいは、事態を飲み込もうと努めていたのか。どちらにしても、彼はノアの神として祀られた同族の存在を、この時初めて知ったのではないだろうか。そんな印象を受ける表情だった。
 

本題に戻ろう。“ノアの神”は、南川竜(龍)名義で本作品の脚本を書いた野長瀬三摩地監督のアイデアだったそうだ。これに対し、『ウルトラマン』のメインライターを務め、「バラージの青い石」の共同執筆者として名を連ねる金城哲夫氏は、ウルトラマンを神様と見立てる案に難色を示したという。とすれば、上記のアラシ隊員の台詞は、金城氏の意向が反映されたものと考えられるだろう。それはともかくとして、“5000年前に異国の地に現れたノアの神”を軸にしたことで、『ウルトラマン』という作品に時間的な広がりと神話のロマンが加わった。そういった点において、野長瀬監督のアイデアは秀逸だったように思う。
 

また、『「ウルトラマン」の飛翔』(双葉社)など、ウルトラシリーズの研究書を数多く執筆している白石雅彦氏は、“ノアの神”により漠然としていたヒーローの設定に一本の筋が通り、『ウルトラマン』の世界観が著しい進化を遂げたと評している。つまり、ウルトラマンが「宇宙の平和を守る組織の一員」であると考えれば、なぜ地球に来て人間を助けてくれるのか、という問いに対する答が見えてくるというのだ。
 

しかし残念なことに、ウルトラマンの仲間が以前から地球にやって来ていた(らしい)という設定は、ほかの作品に生かされることはなかった。当然ながら、ノアの神も登場しない。まるで“なかったこと”のようになってしまっているのだ。チャータムはバラージについて、旅人が通りかかっても蜃気楼だと思うだろうと語っていたが、ノアの神というアイデア自体が、『ウルトラマン』という作品における蜃気楼だったという言い方もできそうだ。
 

「バラージの青い石」(『ウルトラマン』第7話)
監督:野長瀬三摩地、脚本:南川竜(龍)、金城哲夫、特殊技術:高野宏一
 

—————————————————————————————–
Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】燃える闘魂と謳われたアントニオ猪木さんが亡くなった。ボクサーや空手家と戦った異種格闘技戦の盛り上がりは凄かった。引退試合後の、去り際の笑顔も忘れられない。ご冥福をお祈りします。
—————————————————————————————–
 

明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る
 

バックナンバーはこちら
 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

◆【入学をご検討中の方対象】
映像翻訳のことが詳しくわかる無料リモートイベントへ!※英語力不問

リモート個別相談
※詳細・お申し込みはこちら


 

◆【映像翻訳をエンタメのロサンゼルスで学びたい方】
ロサンゼルス校のマネージャーによる「リモート留学相談会」

la soudankai
※詳細・お申し込みはこちら
 

明けの明星が輝く空に 第152回 シン・ウルトラマン③:“神”から“友”へ

『シン・ウルトラマン』の「シン」とは何か?この問いに対して、制作者からの公式な回答はない。2016年に公開された『シン・ゴジラ』の場合、一説には、庵野秀明総監督が「神」、「真」、「新」という意味を込めたとされている。『シン・ウルトラマン』においては、「神」と「新」の2つは確実だろう。なにしろ、主人公の名前が「神永新二」なのだから。
 

今作のウルトラマンは、地球の監視者であり裁定者という設定で、あたかも人間の上位概念として存在している。それがある日忽然と姿を現し、人智を超えた能力をもって禍威獣(怪獣)や外星人の脅威を取り除く。劇中の台詞を借りれば、「もっとも神様に近い存在」だと言えるだろう。
 

ウルトラマンの神性については、すでにオリジナルのテレビ版『ウルトラマン』(1966年)でも指摘されていた。メインライターの金城哲夫氏が沖縄出身だったため、ウルトラマンというキャラクターの造形には、豊穣をもたらす神がやって来るニライカナイ信仰の影響があると言われる。また、金城氏による脚本ではないが、第7話『バラージの青い石』では、砂漠の町バラージの神殿に、ウルトラマンによく似た石像が安置されている。町の人の話では、かつて人々を怪獣から救ってくれた「ノアの神」だという。(劇中、ノアの神=ウルトラマンの先祖だと示唆する台詞があるが、本当のところは明らかにされていない。)
 

いつもどこからか現れ、人々を救ってくれるウルトラマン。実にありがたい存在だが、裏を返せば、ウルトラマンが助けてくれるのだから人間は何も努力する必要はない、という他力本願な姿勢をもたらす危険性がある。これに関連して、ひとつ興味深い話があるので紹介しよう。ある日、金城氏が怪獣ごっこをする子どもたち見ていると、逃げもせず怪獣に捕まってしまう子がいた。そんなことではダメだと諭したところ、その子からは、ウルトラマンが助けてくれるからいいんだという答えが返ってきたそうだ。これではいけないと思った金城氏が書いたのが、第37話『小さな英雄』だ。科学特捜隊のメンバー、イデ隊員は、どうせいつもウルトラマンが助けてくれるのだからと、目の前にいる怪獣と戦う意欲を失う。その傍らで、人間に友好的な小さな怪獣ピグモンが勇敢に立ち向かい、あえなく殺されてしまった。そのとき、イデは主人公ハヤタに強く叱責され、ようやく自分の過ちに気づき、気持ちを奮い立たせる。
 

『シン・ウルトラマン』には「困ったときの神頼み」という台詞が登場するが、これは物語終盤に人類滅亡の危機が高まる中、ウルトラマンに期待が寄せられる状況を半ば揶揄してのものだ。これなど完全な他力本願で、努力を放棄していることと同義だ。その後、頼みの綱であるウルトラマンが敗れ去ったと知った政府は、なんと、滅亡を運命として受け入れ、無抵抗のままその時を待つことを閣議決定する。神永が所属する禍威獣特設対策室(禍特対)も為す術がなく、メンバーの滝明久も絶望感に打ちのめされ、無気力に陥ってしまった。
 

それとは対照的に、神に頼ることなく自ら行動を起こしたのが、『シン・ウルトラマン』同様、庵野秀明氏が手がけた『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(2021年)の登場人物たちだ。「知恵と意思を持つ人類」が「神の手助けなしに、ここまで来てる」という台詞に象徴されるように、彼らは自ら考え、動き、運命を切り開いた。
 

もちろん、『シン・ウルトラマン』もそのまま人類滅亡という結末には向かわない。状況の打開に大きな貢献をしたのが、無気力に陥っていた滝だ。科学者でもある彼は、神永から人類の運命を託される。ウルトラマンへの変身を可能にする「ベーターシステム」の基本原理を提供され、それを世界の科学者と共有。人類の叡智を結集して答えを導き出す。そして、それを伝えられた神永がウルトラマンに変身し、最後の勝負に打って出た。
 

結局ウルトラマンの力は必要だったのだが、ウルトラマンも人類の助けなしには何もできなかった。そこには、神とそれに助けられる人類という構図はない。両者は、互いに助け合う対等な関係だ。しかしこれ以前に、今作でのウルトラマンは、すでに神というイメージを脱ぎ捨てていた。物語中盤、神永の正体がウルトラマンであるということが発覚する。それ以降、神永はウルトラマンとして、禍特対メンバーと行動をともにするのだが、決して自分は“人類の上位概念”であるといった態度はとらない。対する禍特対メンバーも、目の前にいるのがウルトラマンだとわかっても、それが神永という人間の姿だからか、特に畏怖するようなところはなかった。そうして、両者は対等な立場で協力し、仲間、さらには友とも言うべき関係を築いていく。実は、神永はまだ正体が明らかになる前の物語序盤で、禍特対の一人と「バディ」を組んで仕事をすることになるのだが、それがやがて築かれるウルトラマンと人類との関係の伏線になっていたわけだ。
 

1960年代に登場したオリジナルのウルトラマンは、正体を隠したまま地球人の姿で人々と行動をともにした。当然、人々はウルトラマンの人間体を、自分たちと同じ地球人だと信じて接し、そのようにして語りかけた。だから、彼らにとってのウルトラマンとは、神のごとく仰ぎ見る銀色の巨人、それ以外の何物でもなかったのだ。そういった意味で、『シン・ウルトラマン』におけるウルトラマン像は、新しい。結果的に「神」の要素が消え去り、単なる「新」作という意味を超えた「新」が提示されたのである。
 

※参照:『シン・ウルトラマン』の予告映像

 

—————————————————————————————–
Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】おそろしいことに(?)最近読んだ本に感化され、マルクスの『資本論』でも読んでみようかという気持ちになり、とりあえず『100分de名著』のテキストでお茶を濁すことに。引用されている訳本の文章を読む限り、ハードルはかなり高そうだ・・・。
—————————————————————————————–
 
明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る
 
バックナンバーはこちら
 
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

◆【入学をご検討中の方対象】
映像翻訳のことが詳しくわかる無料リモートイベントへ!※英語力不問

リモート個別相談
※詳細・お申し込みはこちら


 

◆【映像翻訳をエンタメのロサンゼルスで学びたい方】
ロサンゼルス校のマネージャーによる「リモート留学相談会」

la soudankai
※詳細・お申し込みはこちら
 

明けの明星が輝く空に 第151回:シン・ウルトラマン②:融合する現実と虚構  

最初に断っておくと、ここで言う「現実と虚構」とは、例えば『マトリックス』(1999年)など、多くの映画がモチーフとした現実世界と仮想現実空間のことではない。物語の舞台である現代の日本と、そこに現れた怪獣(劇中での表記は「禍威獣」)やウルトラマン、そしてそれらが登場する場面のことである。
 

『シン・ウルトラマン』では、ウルトラマンが自分のせいで命を落とした人間、神永新二と融合する。それ以降登場する神永は、ウルトラマンとして考え行動するので、姿は人間でも中身はウルトラマンだ。虚構が現実を取り込んだとも言える。
 

その神永が所属する「禍威獣対策特別対策室(禍特対)専従班」は架空の組織ではあるが、近未来的な武器を携帯した特殊部隊ではない。メンバーは普通のスーツ姿で、禍威獣の分析、被害の予測、対策の立案といった現実的な活動に従事。十分リアリティを感じさせる設定だ。だが、そのうちの一人が外星人の企みによって、禍威獣のように巨大化してしまう。この瞬間、現実と虚構の境界はあいまいになる。
 

正直に言えば、『シン・ウルトラマン』のCG映像の多くは、“いかにもCG”という印象が拭えない。禍威獣の表皮の質感、宇宙での戦闘シーンなど、僕には気になる点がいくつもあったが、それも製作費を考えれば仕方ないだろう。『ゴジラvs.コング』(2021年)と比べると、『シン・ウルトラマン』は20分の1以下なのだ。
 

ただ個人的には、本作で企画・脚本・総監修を務めた庵野秀明氏は、それらが虚構であると明示する意図があったのではないか、という気もしている。というのも、庵野氏は特撮の魅力について、現実と空想の融合した世界を描けるところだと公言しているからだ。2016年の『シン・ゴジラ』は、ゴジラ出現の事態に対し、日本政府や官僚らが対処する様を軸に物語が展開する。その構図は、『シン・ウルトラマン』も同じだ。
 

同じく庵野作品である『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997年)はアニメ作品にもかかわらず、物語とは関係のない実写映像(街の風景や映画館内の様子)が物語終盤に挿入される。それは、救いのないラストの台詞とあいまって、夢という虚構に浸っていた観客を突き放す効果があった。その瞬間、虚構は否定されたのだ。
 

ところが『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(2021年)の場合、印象はずいぶんと異なる。実写の街の中にアニメのキャラクターたちが飛び出していくラストシーンは、物語がハッピーエンドを迎えたこともあり、虚構を否定する意味合いは見受けられない。むしろ、現実に溶け込んでいく虚構を祝福しているかのようだった。
 

『シン・ウルトラマン』の場合、“虚構の祝祭”とでも言ったらいいのだろうか。大サービスとばかりに、全編に渡ってCGによるアクションシーンが映し出される。それは現実感には乏しいが、だからこそ僕には、半ば夢の世界で起きている出来事のようにも感じられた。
 

もちろん、映画に没入できなければ、夢見心地などということにはならない。その点、『シン・ウルトラマン』は巧みだった。映画冒頭、タイトルバックの直後、物語の前日譚として禍威獣たちがダイジェスト形式で登場。その存在を既成事実として示すことで、観客を早々と、そして無理なく、虚構に満ちた異世界に引き込んでしまう。
 

そういった観点からすると、このオープニングで使用されるBGMは示唆的だ。ウルトラシリーズの開祖、『ウルトラQ』(1966年)のテーマ曲が使用されているのだが、この選曲は単なるオマージュ以上の意味を持つと見ていいだろう。なぜなら、その曲に乗って流れる『ウルトラQ』冒頭のナレーションが、「これから30分、あなたの目はあなたの体を離れ、この不思議な時間の中に入っていくのです」というものだったからだ。
 

また、禍威獣という存在自体、現実と虚構の境界をあいまいにする力を持つ。今年放送されたNHKのドキュメンタリードラマ『ふたりのウルトラマン』に、「怪獣は山でも海でも宇宙でも、登場した瞬間、怪獣世界に変えてしまう。フィクションを不自然に感じさせない不思議な魔法の力がある」という台詞があった。僕などはこの言葉に思わず膝を打ったのだが、『シン・ウルトラマン』のオープニングはその意味で実に象徴的だ。
 

本作は、タイトルロゴで、「空想特撮映画」を謳っている。上記の庵野氏の言葉もそうだが、「空想」とは「虚構」をロマンチックに言い換えた言葉だ。それは、現実と組み合わさったとき、最もスリリングに感じられる。その典型が、特撮映画や特撮テレビ番組だろう。『シン・ウルトラマン』は、そんなことに改めて気づかせてくれる作品だった。
 

※参照:『シン・ウルトラマン』の予告映像

 

—————————————————————————————–
Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】数十年に一度咲くというリュウゼツランが、近所のお宅で開花しました。60年前に植えて以来、初めてだそうです。昔のホラー映画(?)に、形の似た植物モンスターが出てきたなあと思っていたけれど、改めて調べてみると出てこない。あれは何だったのか・・・。
—————————————————————————————–
 
明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る
 
バックナンバーはこちら
 
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

◆【入学をご検討中の方対象】
映像翻訳のことが詳しくわかる無料リモートイベントへ!※英語力不問

リモート個別相談
※詳細・お申し込みはこちら


 

◆【映像翻訳をエンタメのロサンゼルスで学びたい方】
ロサンゼルス校のマネージャーによる「リモート留学相談会」

la soudankai
※詳細・お申し込みはこちら
 

明けの明星が輝く空に 第150回:夭逝した天才脚本家 金城哲夫

黎明期のウルトラシリーズに大きな足跡を残したのが、円谷特技プロダクション(現円谷プロダクション)企画文芸部を任された金城哲夫さんだ。企画や立案のほか、メインライターとしてシナリオを書きながら、脚本家たちとの連絡役・調整役とマルチな活躍ぶりで、シリーズ最大の功労者と評される。
 

金城哲夫
※『Pen+ 円谷プロの魅力を探る。ウルトラマン大研究』阪急コミュニケーションズより
 

金城さんは東京生まれの沖縄育ち。当時の沖縄は、まだアメリカの統治下だった。パスポートを持って東京の高校に進学すると、自分は沖縄と本土の架け橋になると周囲に語っていたそうだ。その後、東京の大学に通ううち、脚本家を目指すようになる。そして、相談した大学の恩師から特撮の神様・円谷英二を紹介され、ゴジラシリーズの脚本家・関沢新一に預けられた。
 

脚本家としてのデビューは1962年。翌年の1963年に円谷プロに入社し、企画文芸室の主任として、1966年スタートの『ウルトラQ』や、それに続く『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』の脚本を書いた。ウルトラシリーズの監督や脚本家仲間が、天才と呼んだ金城さんの作品には、ポジティブな娯楽指向、そして突き抜けるような明るさがあると言われる。また、師である関沢新一に天性と言わしめた発想力の持ち主で、内容はバラエティに富み、ウルトラシリーズにおける作劇パターンの大半が出揃ったという。
 

興味深いのは、脚本の書き方が通常とは違い、テーマやモチーフからではなく、怪獣や場所を想定してから物語を組み立てるスタイルだったことだ。次にストーリーを紹介する『ウルトラQ』第13話「ガラダマ」は、その後編にあたる第16話「ガラモンの逆襲」と2部作を構成し、どちらも隕石から怪獣ガラモン(https://www.jvta.net/co/akenomyojo129/)が出現する。怪獣のコンセプトから金城さんがどう世界を広げていったか、それを念頭に御一読願いたい。
 

ある山里で、不思議な隕石が発見された。直径50cmほどだが、子どもが簡単に持ち上げられるほど軽い。一の谷博士の物理学研究室で調べると、未知の合金、つまり人工物であることが判明。しかもそれは、怪電波を発していた。調査のため、主人公の万城目淳が一の谷博士らと現地へ赴く。すると、空から巨大な火の玉が降ってきてダム湖に落下。水がすっかり干上がってしまった湖底には、大きな隕石が姿を見せていた。やがてその隕石が割れ、ガラモンが現れる。
 

その頃、物理学研究室の隕石に変化が見られた。断続的だった怪電波が、連続して発信されるようになっていたのだ。ダム湖では、女性客二人が乗った遊覧船が取り残されており、ガラモンが迫りつつあったが、なんとか万城目らが救出に成功する。一の谷博士は、研究室の隕石の中には電子頭脳があり、怪電波は遊星人からガラモンへの指令だろうと推測。その直後、ガラモンがのたうち回り始めた。物理学研究室で隕石の分解が試みられ、電波に乱れが生じたのだ。
 

しかし、隕石はビクともしない。復活したガラモンが、ダムの堰堤を破壊し始めた。狙いはその先、電子頭脳のある東京だ。このままでは危ないと思われたそのとき、ガラモンが突如停止。物理学研究室の隕石に、電波遮蔽用の特殊な網がかぶせられたためだった。ひとまず、危険は去ったのだ。

 

金城さんは「隕石怪獣」から着想し、それが宇宙人による地球侵略の先兵で、それに先立ち電子頭脳が送り込まれる、というようにアイディアを広げている。平凡な脚本であれば、「隕石に乗ってやってきた怪獣が町を破壊、それを地球の科学力(最新の兵器など)で倒す」といった程度だろう。それでも、特撮シーンを見せ場にすればそれなりに楽しめる作品はできるが、物語として単純すぎる。手抜きと言われてもしかたがない。当時は“ジャリ番組”と揶揄されることもあった特撮テレビ番組だが、作り手たちがどれだけ作品に対し真摯に取り組んでいたか、こんな脚本の一例をとってみてもわかるだろう。
 

そしてもうひとつ、脚本の構成も注目ポイントだ。物語後半、ガラモンが出現したダム湖と、電子頭脳がある物理学研究室、2つの離れた場所でドラマが同時進行し、交互に語られる。これが緊張感を生み、観るものを引き付けるのだ。このカットバックの手法は第16話でも用いられ、保管されていた電子頭脳を盗み出して逃げる遊星人と、それを追う万城目たち、そして東京に飛来し暴れる数体のガラモン、という3つの話が同時進行し、よりダイナミックでスリリングな展開が味わえる。
 

このように、金城さんが中心となって魅力的な物語を紡ぎ、それを見事な特撮場面を含め映像化する。そうして、ウルトラシリーズは子どもたちの圧倒的な支持を得た。そして、当時熱狂した世代が作り手となって制作した新作映画『シン・ウルトラマン』が、いままた子どもたちを魅了している。残念ながら1976年に37歳という若さで夭逝した金城さんだが、天国からどんな思いでその光景を見ているだろうか。
 

—————————————————————————————–
Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】まさかの150回!これだけ続けていると、以前より多角的な見方ができるようになった・・・かな。それも発表の場があればこそで、JVTAには足を向けて寝られません!
—————————————————————————————–
 
明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る
 
バックナンバーはこちら
 
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

◆【入学をご検討中の方対象】
映像翻訳のことが詳しくわかる無料リモートイベントへ!※英語力不問

リモート個別相談
※詳細・お申し込みはこちら


 

◆【映像翻訳をエンタメのロサンゼルスで学びたい方】
ロサンゼルス校のマネージャーによる「リモート留学相談会」

la soudankai
※詳細・お申し込みはこちら
 

明けの明星が輝く空に 第149回:シン・ウルトラマン①:狭間から見えるもの

『シン・ウルトラマン』の物語中盤、主人公、神永新二(ウルトラマンの人間体)に対し、「あなたは人間なの?外星人なの?」と根源的な問いかけがなされる。それに対し「両方だ」と答えた神永は、さらに続けて言った。「あえて狭間にいるからこそ、見えるものがある。」
 

映画館で「狭間」という言葉を聞いた瞬間、僕はあっと思った。ちょうどブログ記事で取り上げようと思い、準備を進めていた人物のことを思い出したからだ。それは、特撮テレビ番組『ウルトラマン』(1966~67年)のメインライターにして、番組最大の功労者とも言われる金城哲夫さんだ。金城さんは東京生まれの沖縄育ちだが、“うちなーぐち”(沖縄の方言)は、あまりしゃべれなかったそうだ。そしてまだ人格形成の途上にある10代半ばで東京の高校に進学。そのころの沖縄はまだ本土復帰前で、東京に出るのにパスポートが必要な時代だった。また、沖縄の人々に対する差別もあったという。そんな中、金城さんは「沖縄と本土の架け橋」になりたいと願っていたそうだ。
 

『シン・ウルトラマン』の企画、脚本、さらに総監修を務めた庵野秀明さんは、アニメや特撮作品に関する知識において、およそ僕なんかの及ぶところではない。金城さんの経歴なども、当然知っているだろう。しかし「狭間」という本作の台詞が、金城さんに関係があるかどうかはわからない。ただその言葉に、ウルトラマンをはじめとするヒーローたちの共通点を見いだすことは可能だ。
 

異能の力を持つヒーローたちの多くは、人類とそれ以外の者の間に立つ、つまり狭間の存在だ。そしてそれゆえ、苦しむこともあった。例えば、ウルトラセブン(『ウルトラセブン』1967~68年)は、地球人と宇宙人の間で板挟みになったこともあれば、地球人の身勝手さに苦悩したこともある。デビルマン(漫画版『デビルマン』1972~73年)は、狭間の存在だからこそ人間を一歩引いた位置から眺めることができ、その醜さに気づく。
 

では、本作のウルトラマンは、果たして「狭間」から何が見えたのだろうか。彼は、禍威獣特設対策室専従班(禍特対)の一員である神永新二と融合し、人間を理解しようとした。それは、逃げ遅れた子供を守ろうとして命を落とした神永の、自己犠牲を厭わない姿を見て、人間を「興味深い生命体」だと感じたためだった。そして地球を守りたいという神永の心を理解し、その思いに応えるかのようにして戦い、最後は神永に自分の命を与えることを決意するまでになる。
 

ただし、彼の人間に対する理解は限定的だったようだ。物語終盤、母星から来た仲間、ゾーフィとの会話で「何もわからないのが人間だと思うようになった」と語っている。それでも彼は人間を拒絶することはなかった。わからないからこそ、「人間となり、人間をもっと知りたいと願う」とさえ言っている。
 

理解できなくても、他人という存在を認める。それは、庵野作品であるエヴァンゲリオンシリーズの根幹にある考え方だ。主人公、碇シンジは、群体としての人類が単体の生命体に成り果てる前に、他人の存在を望み、人々の魂を再び解き放つ(『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』1997年)。
 

ウルトラマンは神永として禍特対のメンバーと仕事をするうち、人間に愛着を抱くまでになる。「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン。」これは本作のキャッチコピーであると同時に、劇中でゾーフィが発する台詞でもある。なぜ人間が好きになったのか、明確には語られない。ただ、そのヒントとなりそうなのが、ウルトラマンをはじめ、本作に登場する外星人たちが感情らしい感情を持ち合わせていないように描かれていることだ。人間との交流の中で、彼らの心に触れたウルトラマン。そこに何か感じ入るものがあったに違いない。そしてそれこそが、狭間にいるからこそ見えたものだったのではないだろうか。
 

最後に余談であるが、一つ付け加えておきたい。冒頭に挙げた、人間か外星人かという問いかけは、オリジナルの『ウルトラマン』33話「禁じられた言葉」(同ブログ第143話)の台詞、「きさまは宇宙人なのか?人間なのか?」へのオマージュだ。ただし、その問いを発するのは、メフィラス星人という宇宙人だった。これは少々おかしな話で、宇宙人だからと言って、みなメフィラス星人の仲間でなければいけないという道理はない。宇宙人か人間かという対立概念は、人間の側から見たものであるはずだ。かねがねそんなふうに思っていたが、今回の『シン・ウルトラマン』ではそれが修正された形となっていた。ちなみに、オリジナルの答えも「両方」である。
 

—————————————————————————————–
Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】最近は、Twitterアカウント(@TAJIKA_H)から積極的に発信することにしています。『シン・ウルトラマン』に関して、記事に入れられないような小ネタを連発していますので、興味ある方はぜひ!よろしくお願いします。
—————————————————————————————–
 
明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る
 
バックナンバーはこちら
 
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

◆【入学をご検討中の方対象】
映像翻訳のことが詳しくわかる無料リモートイベントへ!※英語力不問

リモート個別相談
※詳細・お申し込みはこちら


 

明けの明星が輝く空に 第148回:『シン・ウルトラマン』を観る前に

5月13日に公開される“空想特撮映画”『シン・ウルトラマン』の特報映像や予告映像に、オールドファンにはおなじみの怪獣が2体登場する。『ウルトラマン』第3話「科特隊出撃せよ」のネロンガと、第9話「電光石火作戦」のガボラだ。子供のころから知っている怪獣が登場するのは、新鮮味は乏しくとも安心感がある。
 

それにしても、なぜネロンガとガボラなのだろう。今年の2月に発表された、ネット上でのウルトラマン人気怪獣・宇宙人ランキングを見ても、それぞれ19位と32位でしかない。ただし『シン・ウルトラマン』の企画・脚本は、特撮文化をこよなく愛する庵野秀明監督だ。当然、何かしらこだわりがあるに違いない。
 

その理由に思いを巡らせたとき頭に浮かぶのは、両怪獣とも着ぐるみの中に入るスーツアクターが中島春雄さん(https://www.jvta.net/co/akenomyojo92/)だったことだ。中島さんは初代ゴジラを始め、それ以降のゴジラも演じ続けた特撮界のレジェンドである。
 

中島さんはゴジラを演じるにあたり、動物園に通ってクマなどの動きを観察したことが広く知られているが、その成果は二足歩行のゴジラに比べ、四足歩行のネロンガとガボラの動きにより顕著に現れているように思う。特に印象的なのが、ウルトラマンを目の前にした時のガボラのリアクションだ。威嚇するように体を上下にゆするものの、飛びかかるのを躊躇しているような動き。興奮と警戒心が入り混じったガボラの複雑な感情が、見事に表現されている。
 

個人的に好きなのは、劣勢に立たされたガボラが横に寝転がり、飛びかかってくるウルトラマンの攻撃をかわそうとするところだ。それはもはや、役者が撮影の段取りに合わせて動いたのではなく、ガボラという生き物がとっさに反応したようにしか見えない。仰向けになれば足で相手を跳ねのけたり、牙や爪で反撃することもできる。実際、ネコ科の動物はそうやって身を守るようだ。ガボラの動きも理に適っている。
 

一方のネロンガは、鼻先の角を折られたときのリアクションがいい。ウルトラマンがそれをつかみ、高く上げた膝に叩きつけると、まるでノックアウトパンチを食らったようにガクンと崩れ落ちる。そして鼻先を地面にこすりつけるようにしてグルグル回り出すのだが、この動きなど「なるほど、角を折られると方向感覚がなくなるのか」と妙に納得させられてしまう。
 

中島さんのすごさは、こういったアクションを重い着ぐるみに入ってやってみせたことだ。ウルトラマンのスーツアクターだった古谷敏さんが試しにネロンガの着ぐるみに入ってみたところ、重くて立ち上がることもできなかったという。中島さんの桁違いな体力がうかがえるエピソードだ。
 

中島さんと古谷さんによる立ち回りは、二人の関係や撮影の裏側を知ると、また違った味わいがある。二人は、東宝のいわゆる大部屋俳優として、先輩後輩の間柄。ゴジラを含め数々の怪獣を演じてきた中島さんは、いわば“歴戦の勇者”だ。ウルトラマンとの立ち回りをどのようにするか、監督に任されるほどの人だった。かたやアクションの経験がほとんどなかった古谷さんは、子どものころ昆虫採集のために虫を殺すのもかわいそうで嫌だったという心の優しい青年。実はウルトラマンとして毎回怪獣を殺すのも気が引けたため、そうならない話があってもいいのではとスタッフに提案したぐらいだった。(その優しさが、のちの名作誕生のきっかけとなった。)
 

慣れないマスクとスーツを装着しての撮影は苦労の連続だったという古谷さんを、中島さんは励ましたり熱心に指導してくれたりしたそうだ。古谷さんは撮影初期のころ、スタジオで釘を踏み抜いてしまったことがあり、その傷が治らないままネロンガとの格闘シーンに臨んでいる。古谷さんの痛む足のことを知っていたか不明だが、中島さんは力いっぱいぶつかってきたという。中島さんとの立ち回りでは打ち身や擦り傷が絶えなかった古谷さんは後年、「対戦怪獣でこれ以上怖い人はいなかった」と語っている。形だけ、うわべだけの演技では、真に迫るアクションはできないのだろう。場数を踏んだ中島さんならではの渾身の立ち回りに、古谷さんも教わるところがあったのではないだろうか。
 

『シン・ウルトラマン』では、ウルトラマンも怪獣もCGで描かれる。そのアクションと、半世紀以上前に二人の役者が体を張って演じたアクションを見比べてみるのも、面白いかもしれない。5月13日が、待ち遠しい。
 

—————————————————————————————–
Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】MLBの現地実況が日本語を使ったりすると、かえって聞き取れなかったりします。「キュンです」なんて言い方、僕だったら「この英語は一体なんだ?」とずっと悩み続けてたんじゃないかなあ。
—————————————————————————————–
 
明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る
 
バックナンバーはこちら
 
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

◆【入学をご検討中の方対象】
映像翻訳のことが詳しくわかる無料リモートイベントへ!※英語力不問

リモート個別相談
※詳細・お申し込みはこちら


 

明けの明星が輝く空に 第147回:特撮俳優列伝27 小林昭二

昭和のエポックメイキング的な特撮テレビ番組といえば、『ウルトラマン』と『仮面ライダー』であることに異論はないだろう。小林昭二さんはその両作品において、主要キャストとしてレギュラー出演した、非常に希有な経歴を持つ俳優だ。
 

小林さんが『ウルトラマン』で演じたのは、科学特捜隊の隊長、ムラマツキャップ。小林さんは小柄で、年齢もまだ30代後半と若かったが、リーダーとしての威厳にあふれるムラマツを好演した。実際、撮影現場においても、若い俳優たちをまとめ、引っ張っていく存在だったようだ。
 

それがよくわかるエピソードがある。まだ『ウルトラマン』の撮影が始まって日が浅い頃、特撮班が撮影した映像を隊員役の出演者たちとアフレコスタジオで見たときのことだ。初めて目にした『ウルトラマン』の特撮映像の素晴らしさに、小林さんを含めた全員が圧倒されていた。小林さんはそのとき、スタジオの外にみんなを集め、一語一語かみしめるようにこう言ったそうだ。「これは子供だけの番組じゃないぞ。あの素晴らしい映像に負けない芝居を、オレたちもしようじゃないか。」「リラックスするのはかまわんさ。でも、お芝居はちゃんとやろうな、ちゃんと。」それまで現場ではしゃぐこともあった若い俳優たちは、その言葉に心を入れ替え撮影に臨むようになったそうだ。
 

小林さんは『ウルトラマン』以外にも、ウルトラシリーズの作品に出演しているが、それぞれ異なるキャラクターを見事に演じ分けている。シリーズ1作目の『ウルトラQ』、第19話「2020年の挑戦」(https://www.jvta.net/co/akenomyojo125/)で演じたのは、航空自衛隊の実直な天野2等空佐。謎の飛行物体確認のため向かわせた哨戒機が爆発する事件が発生し、それを上層部の会議で報告するのだが信じてもらえない。そのときの、憤慨しつつも危機感を募らせる引き締まった表情が印象的だ。
 

さらに、小林さんはその人柄に惚れたという円谷プロのスタッフの依頼で、『ウルトラマン』に続く『ウルトラセブン』、『帰ってきたウルトラマン』、『ウルトラマンA』にもゲスト出演している。それぞれ順番に、平凡で少し情けないサラリーマン、怪獣に襲われ記憶喪失になってしまう貨物船の船長、地球への帰還前に合成生物兵器が憑依してしまった宇宙飛行士を演じている。
 

中でも印象的なのは、『帰ってきたウルトラマン』第13話「津波怪獣の恐怖 東京大ピンチ!」と第14話「二大怪獣の恐怖 東京大龍巻」の2作で演じた高村船長だ。記憶喪失後の彼は魂の抜け殻のように目に力がなく、いろいろ問いかけられると不安そうな表情を浮かべるばかり。そんな高村が、海辺にたたずみ航行する船を目で追う姿は胸を打つ。記憶を失っていても、船を見れば何か感じるものがあるのか。その心の内は推し量ることができないが、もの悲しそうな横顔がなんとも言えない。
 

そして小林さんは、『帰ってきたウルトラマン』と同じ1971年に始まった『仮面ライダー』に立花藤兵衛役で出演を果たす。藤兵衛は、主人公である本郷猛や一文字隼人の理解者であり協力者で、“おやっさん”の愛称でファンに親しまれた名キャラクターだ。『仮面ライダー』を担当した東映の平山亨プロデューサーが小林さんに出演を依頼したのは、その人間性や子供番組に対する姿勢に共感したからだという。小林さんは若手俳優に演技指導をすることもあったそうだが、これは小林さんの面倒見の良さと同時に、番組作りに妥協しないプロフェッショナリズムを表していると言えるだろう。それもあってか『仮面ライダー』のあと、『仮面ライダーV3』、『仮面ライダーX』、『仮面ライダーアマゾン』、そして『仮面ライダーストロンガー』と、主人公/ヒーローが変わる中、小林さん演じる藤兵衛だけは変わらず登場し続けた。
 

もちろん、演技面での評価も高かったに違いない。気さくで人望も篤く、ときにひょうきんな顔も見せるが、敵に対してひるまない頼もしさも兼ね備えた立花藤兵衛という役柄は、“大根役者”にはとうてい務まらない。仮面ライダーの相棒とも言うべき滝和也を演じた千葉治郎さん(https://www.jvta.net/co/akenomyojo99/)は、小林さんの演技を見てそのテクニックを盗んだそうだ。また、アフレコにおける声の存在感は別格だったというが、それもそのはず。小林さんは声優としての実績もあった。なにしろ、あの西部劇の大スター、ジョン・ウェインの吹き替え役として活躍していたのだから!
 

最後にもうひとつ、特撮界における小林さんの“偉業”について触れておこう。それは、ウルトラと仮面ライダー、両シリーズに加え、ゴジラシリーズ、ガメラシリーズにも出演したことだ。僕はこれを「特撮グランドスラム」と呼んで称えたい。これら4シリーズは、まさに特撮界の四大タイトル=グランドスラムだ。僕の知る限り、その達成者は小林さんただ一人。まさに、唯一無二の存在なのである。
 

—————————————————————————————–
Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】物事を評論するのに参考になればと、『おいしい味の表現術』という本を読んでいます。「コク」や「キレ」の正体とか、「生」の異なる使われ方など、言葉の持つ意味が追求されていて、非常に興味深い。
—————————————————————————————–
 
明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る
 
バックナンバーはこちら
 
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

◆【入学をご検討中の方対象】
映像翻訳のことが詳しくわかる無料リモートイベントへ!※英語力不問

リモート個別相談
※詳細・お申し込みはこちら