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明けの明星が輝く空に 第164回:ウルトラ名作探訪16 「恐怖の宇宙線」

怪獣は物語の都合上ワルモノにされるが、本能に従って行動する彼らの本質は決して「悪」ではない。反対に、人間の側に正義があるのか問われる場合もある。「恐怖の宇宙線」の主役である子どもたちにとっては、なんとウルトラマンこそワルモノであった。

 

ある日、ムシバと呼ばれる少年が、土管に怪獣の落書きを描く。彼がガヴァドンと名付けたその怪獣は翌日、現実のものとなって町に出没した。地球に異様な宇宙線が降り注いだことが原因らしい。ただその怪獣は、攻撃を受けても特に反撃はせず、やがて居眠りを始める。手をこまねいて見ているしかない科学特捜隊の面々。やがて日が暮れると、怪獣ガヴァドンは夕闇に溶けるように消えていった。

 

その夜、ムシバと友人たちが土管置き場に集まり、ガヴァドンを強そうな怪獣に描き直す。しかし、翌朝、再び出没したガヴァドンは相変わらず寝てばかり。それでも、ただいるだけで日本の経済活動はストップしてしまう。巨体から発するイビキが強風や騒音を生んでしまうからだ。3度目の出現の際、ついに戦車部隊による攻撃が始まった。ウルトラマンも登場するが、ガヴァドンへの攻撃に抗議していたムシバたちからは「帰って」という声が上がる。ウルトラマンがガヴァドンと戦う間、子どもたちはずっと口々に「殺さないでよー」、「やめてくれよー」といった声を上げ続けていた。

 

ガヴァドンは結局、ウルトラマンに抱え上げられ、空の彼方へと姿を消す。その夜、ムシバたちが空を見上げていると、ウルトラマンの声が聞こえてきた。毎年七夕の星空の中で、ガヴァドンに会えるようにしよう、というのだ。その言葉を聞いて喜ぶかと思いきや、「雨が降ったらどうなるんだよぉ」と不満げなムシバ。夜空にぼんやり浮かんだガヴァドンの目から、星が流れ落ちた。

おそらく、子どもたちに帰れと言われた特撮ヒーローは、この時のウルトラマンだけだろう。ウルトラマンのヒーロー性を否定したとも言える本作は、番組のコンセプトを覆す危険性をはらんだ作品だった。監督は、ウルトラファンなら知らぬ人はいないという鬼才、実相寺昭雄監督。脚本を書いた佐々木守氏とのコンビで撮った6本の作品は名作揃いだが、このようにヒーロー番組の王道から外れたものが多い。

 

そもそもガヴァドン自体、従来の怪獣のパロディと取ることができる。なにせ凶暴性はゼロ。攻撃されても反撃せず、寝てしまうのだから。そしてパロディ化は、科学特捜隊にも及んでいる。作戦会議でイデ隊員が、夜の間にガヴァドンの落書きを消してしまえばいいと妙案を出した場面だ。同僚のアラシ隊員は「科学特捜隊が落書きを消しに行けるか」と突っぱね、ムラマツ隊長も我々は正々堂々と戦うと大真面目に宣言するのだ。明らかにイデの意見の方が正論なのだが、ムラマツらは科特隊のあるべき姿に固執してしまっている。これは、マンネリ化した「怪獣出現→科特隊出動→攻撃」といった番組のフォーマット(常識)に対する皮肉なのだろう。

 

一般論として、常識や王道が大人のものとすれば、そこから外れるのが子どもである。作戦会議でのやりとりの後、場面が変わって夜の土管置き場。ムシバたちが集まってきていた。彼らは厳しい親の目を盗み、夜だというのに外出してきたのだ。常識的な親は子どもの安全を考えて夜の外出を禁ずるが、子どもからすればそれは束縛だ。そんな彼らにとって、絵という二次元の束縛から解き放たれたガヴァドンは、自由の象徴だったに違いない。いや、さらに言えば、ガヴァドンは子どもたち自身なのかもしれない。考えてみて欲しい。なぜガヴァドンは、日が落ちると姿を消す怪獣なのか。その設定のウラには、どんな意図があるのか。それはおそらく、夕方家に帰る子どもたちのメタファー、あるいはカリカチュアだからなのだ。

 

物語は最後に、大人と子どもの対比を描いて幕を閉じる。科特隊の面々が訪れた公園で、大勢の子どもたちがコンクリートの地面に絵を描いていた。中には怪獣の絵を描いている子もいる。再び特殊な宇宙線が降り注ぎ、第2、第3のガヴァドンが出現しないとも限らない。「自分の好きなものを描く自由は子どもたちにある」というナレーションが流れる中、困惑するハヤタ隊員(ウルトラマン)やムラマツ隊長らの姿があった。

 

「恐怖の宇宙線」におけるウルトラマンは、ムシバたちから見ればヒーローでも超人でもなく、大人たちの1人に過ぎなかった。普通なら感動的な場面になったであろう、七夕にガヴァドンと会えるようにしようと語りかけたところでも、「雨が降ったら」という“ツッコミ”を入れられてしまい、まったく立つ瀬がない。こんなふうにウルトラマンを揶揄してしまった実相寺監督は、自らの作品を「直球」ではなく「変化球」だと表現している。訳あってTBS局内で“干されていた”のだが、『ウルトラマン』で登板。番組を撮りたくてウズウズしていたのか、「恐怖の宇宙線」からは人と違ったことをしてやろうといった意気込み、自己主張のようなものが感じ取れる。そして、そんな監督の企みからは、たとえウルトラマンといえども逃れられなかったのである。

 

「恐怖の宇宙線」(『ウルトラマン』第15話)
監督:実相寺昭雄、脚本:佐々木守、特殊技術:高野宏一

 

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】大学の後輩に誘われ、数年ぶりに劇場で芝居を観ました。舞台の演技は映画・テレビと全然違うもんだなあと、今さら気がつきました。でも一番驚いたのはチケット代。観劇って贅沢な趣味なのだなあ。

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明けの明星が輝く空に 第163回:夢幻のヒロインたち2:ヒロミ(ハチオーグ)

登場作品:『シン・仮面ライダー』(2023年)
キャラクター設定:SCHOKER上級幹部構成員、洗脳した人々を町ごと支配する

 
ヒロミは、いわゆる“悪のヒロイン”だ。本作のヒロインである緑川ルリ子が、まだSHOCKERに所属していた頃から2人は知り合いで、敵対する今も「ルリルリ」と親しみを込めて呼ぶ。しかしその一方で、過去を捨てたかのように、自分はもうヒロミではなくハチオーグだと名乗る。
 
黄色の着物に黒の打ち掛け姿。日本刀の収集が趣味だという彼女は、若いヤクザ風の男を1人、さらにSHOKCERの構成員たちを数多く従えている。といっても、“女親分”のイメージではない。どこか少女の面影を残す若い女性で、おっとりとして上品な物腰は、良家のお嬢様のようだ。最初の登場場面では、モーツァルト『ディヴェルティメント第17番ニ長調K.334第3楽章』が流れるのだが、「上品」「優雅」といった雰囲気の曲が選ばれたのは、もちろん彼女のイメージ構築という演出意図のためだろう。
 
その人物造形をより明確にするためか、映画には対照的なもう1人の悪のヒロイン、サソリオーグが登場する。こちらは、女性アクションキャラクターの古典的類型、“見世物としてのエログロ”そのものだ。赤と黒のロングドレスのスリットから、黒ストッキングに包まれた脚を見せてエロスを強調し、白いマスクには立体的なサソリの意匠が施され、興奮するとその尻尾がグルグル回ってグロテスクを演出する。さらに彼女は人を殺しながら「エクスタシー」と叫びながら狂気と恍惚の表情を浮かべるなど、異常性が際立つキャラクターだ。
 
ただし、ヒロミにしても上品さの裏に禍々しさを秘めていた。それが明らかになるのは、彼女が幸福について語る場面だ。彼女は穏やかに、そしてどこか嬉しそうに、人々を支配することが自分にとっての「ささやかな幸せ」であり、服従こそ奴隷にとっての幸せと言い切るのだ。
 
モーツァルトに日本刀という不釣り合いな組み合わせも、不穏さを匂わせる仕掛けではあるが、むろん刀はヒロミにとって単なる部屋の飾り物ではなく武器だ。そして、刀を使った彼女のアクションシーンは外連味に溢れ、観る者を魅了する。戦いの直前、着物の裾を払って脚をのぞかせ、任侠映画ばりに片肌を脱ぐ。ただし、素肌は曝さない。着物の下は黒のボディスーツ。それに黒い手袋とブーツを合わせた姿が演出するのは、エロスではなくスタイリッシュさだ。
 
ボディスーツは蜂の巣をモチーフにした六角形の模様に覆われ、忍者の鎖帷子を連想させる。そして手下の男と2人で本郷猛(仮面ライダー)と戦う際、まさに忍者のように刀を構え、腰を低く下ろしてタメを作る。カメラは両者を後方からのローアングルで捉え、緊迫感と勢いのあるBGMが流れる。俳優の肉体、画角、音楽が生む躍動感への期待。実に見事だ。
 
ヒロミは、ハチオーグ変身後の言動も魅力的だ。仮面ライダーに変身した本郷にも刀を持たせ、「これで得物も同じ」とフェアな戦いを望む姿勢を見せ、気負わず静かに「では、参る」のひと言。まるで時代小説に出てくる剣豪のようではないか。
 
実はこの戦闘の前後で、ヒロミの生々しい感情が露わになる。ルリ子のためにも投降してくれと本郷が言ったとき、彼女は「むしろ、それ逆効果。私はルリ子を泣かせたいの」と、冷たい笑みを含んだ顔をルリ子に向けた。そして仮面ライダーとの激しい戦闘中も、彼女の意識はルリ子に向けられたままだ。攻撃を繰り出しながら、「あなたのオモチャを目の前で壊してあげる。だから泣いて!」、「私のせいで悲しんで!傷ついて!切なくなって!お願い!ルリ子っ!」と叫び、それまで抑えられていた負の感情が一気に吹き出した。
 
ヒロミはルリ子に対し、歪んだ愛情を抱えていた。それが公式の人物設定だが、その理由について映画内では語られない。ルリ子がSHOCKERを裏切ったことを知り、自分も裏切られたと感じたのだろうか。あるいは、それ以前から憎しみのような感情を抱いていた可能性もある。“生体電算機”として人工子宮から生まれたルリ子は、おそらく組織内で優秀な存在だったろう。同じく人工子宮から生まれたヒロミだが、ルリ子に対する劣等感のようなものがあったのか。支配欲の強いヒロミはそれを受け入れられず、自分の思い通りにならないルリ子を憎んだ。だから泣かせたい。そうすればルリ子を支配したことになる。そんな心理が働いたのかもしれない。
 
結局、ヒロミは本郷に敗れるが、ルリ子の思いを汲んだ本郷は彼女を殺さない。自分に死んで欲しくないというルリ子の思いを知ったヒロミは、思い詰めたような目でルリ子を見つめる。2人はきっと和解できる。そう思えた瞬間、銃声が轟いた。第三者(政府の人間)が介入したのだ。倒れたまま、何かを訴えるようにルリ子を見つめるヒロミ。ルリ子が慌てて駆け寄ると、「残念。ルリルリに殺して欲しかったのに」という言葉を残し、彼女は息絶えた・・・。
 
2人の関係は、『週刊ヤングジャンプ』で現在連載中の漫画、『真の安らぎはこの世になく -シン・仮面ライダー SHOCKERSIDE-』で明かされる可能性が高い。映画の前日譚を描くこの作品には、まだ少女のルリ子も登場する。やがてヒロミについても描かれるだろう。ただ個人的には、2人の過去を知りたくないという気持ちも強い。謎は謎のまま。その方が楽しいこともある。
 

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】文芸翻訳者の越前敏弥さんが、通訳者の橋本美穂さんをゲストに迎えて開いた講座に(朝日カルチャーセンター)出席しました。「通訳は瞬発力」という橋本さん。そのために必要なことは結局翻訳にも言えることで、刺激を受けました。それにしてもエネルギッシュな人です。だからこそ、ピコ太郎のライブの同時通訳も務まったのだと納得。

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明けの明星が輝く空に 第162回:夢幻のヒロインたち1:緑川ルリ子

登場作品:『シン・仮面ライダー』(2023年)
人物設定:かつて所属したSHOCKERを壊滅するため、仮面ライダーの力を借りる

 

『シン・仮面ライダー』の3枚組のポスターは、緑川ルリ子を軸に物語が進むことを示唆している。登場人物の中でただ1人、3枚全てに登場する上、1枚目は彼女単体のデザインだ。作品内でいかに重要な位置を占めているか、それだけでもわかるだろう。
 

まず、ルリ子の視点から物語を振り返っておこう。非合法組織SHOCKERの構成員だった彼女は、父である緑川弘博士とともに本郷猛(仮面ライダー)を連れて組織を抜け出す。それは、SHOCKERの壊滅と、そこに残る兄、イチローの計画を止めるためだった。本郷の力を借り、SHOCKERのオーグメントたち(身体の強化=オーグメンテーションを施された人間)を排除していくルリ子。志半ばで倒れるも、そのプラーナ(生体エネルギー)は残存され、ある種の精神世界における対話によって、イチローの心を開かせることに成功する。

 

ルリ子は銃の扱いに慣れているという以外、特殊な戦闘能力を持たない。オーグメントと戦うのは本郷であり、ルリ子は守られる立場にある。そういった意味で、キャラクターとしては典型的な“お姫様”の類型だ。イチローの“妹”という設定も含め、いかにも男性目線で作られたヒロインという印象は否めない。しかし、ルリ子は決して“か弱い女性”ではない。まるで特務機関の諜報員のように冷徹で、父が死んだ時でさえ、(動揺が目の動きに表れてはいたが)悲しむ素振りなど全く見せなかった。
 

そんな彼女が、仮面ライダーのイメージを象徴するアイテムの1つ、赤いマフラーを本郷の首に巻いたのは、映画が始まって間もない頃だ。ドラマチックな演出もなく、なんということはない行為のように見せているが、その意義は大きい。オリジナルであるテレビ番組『仮面ライダー』から半世紀を経、初めて赤いマフラーを巻いている理由が提示されたからだ。(『シン・ゴジラ』(2016年)や『シン・ウルトラマン』(2022年)同様、庵野秀明監督はオリジナルを引用しながら、巧みに新しい意味づけをしていく。)
 

この場面は、ルリ子という人物を理解する上でも重要だろう。他人を信じないという彼女は、初対面の本郷にマフラーを巻く際、「同行を許すから、少しで私が我慢できる格好にして」と突き放すように言う。なぜ我慢できる格好が赤いマフラーなのか。実は、父、緑川博士も若い頃はバイク乗りで、赤いマフラーを愛用していた。映画には、緑川博士とまだ子どもだったイチローがバイクにまたがる写真が登場するのだが、ルリ子は本郷に遺言として残した映像の中で、自分もその写真の中にいたかった、父の後ろに乗れたらよかったと告白している。
 

写真には緑川博士の妻、そしてイチローの母の姿もあるが、彼女はルリ子が生まれる前に無差別殺人事件で帰らぬ人となっている。緑川博士が人々を絶望から救う理念を掲げるSHOCKERに身を投じたのは、おそらくそれが理由だろう。彼はその後、自身の遺伝子情報を元に、人工子宮を使ってルリ子を誕生させる。オーグメンテーションプロジェクトに必要な“生体電算機”として利用するためだった。自分は研究用の道具に過ぎないと考えていたルリ子は、父親に対して冷淡な態度を見せていたが、心の奥底ではそのぬくもりを求めていたのだ。
 

そんなルリ子にとって、本郷の存在は救いとなった。遺言では、オートバイの後部座席で本郷の背中が暖かいと感じたことを打ち明け、自分にも「幸せ」が何か理解できた気がすると言っている。(彼女の感じた幸せの形が、SHOCKERの構成員たちが求める歪んだ幸せの形と対照的であることは、本作を理解する上で重要な鍵となる。)
 

人との触れ合いは、この作品が重視するものの1つかもしれない。特に、手の平を通して特殊能力を発揮できるルリ子の場合、イチローと相対したときや、一文字隼人(もう1人の仮面ライダー)の洗脳を解くときなど、相手に直接触れる様子が描かれていた。ルリ子は一文字にも赤いマフラーを巻くのだが、本郷の時と同様、渡すのではなく巻くという行為自体、人に触れることのメタファーと解釈できそうだ。
 

戦いを通し、本郷を信頼するようになっていったルリ子は、遺言の中で初めて「猛さん」と名前で呼びかける。当初の冷徹さはそこにはなかった。「マフラー、似合ってて良かった」と少し満足げに言う彼女は、どこにでもいるごく普通の女性のようだ。そして遺言の映像が終わると、音声データで残されていた一言が流れた。
 

「追伸。マフラーの話は直接言いたいな。」
 

その思いは叶えられた。しかし、瀕死の重傷を負った中、必死に振り絞ったルリ子の声は、本郷の耳にしっかり届いただろうか。もちろん届いていた。彼女のためにも、そう信じたい。
 

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JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】ある人がChatGPTに特撮TV番組『忍者キャプター』について質問したところ、何も知らなかったそうです。これを聞いて「ChatGPT、恐るるに足らず!」と思った特撮ファンは、僕だけではないはず。

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明けの明星が輝く空に 第161回: シン・仮面ライダー③:50年後の継承と刷新

※今回の記事は、映画の設定に関するネタバレを含みます。ストーリーについては最小限に抑えてありますが、映画鑑賞を検討中の方はご注意ください。
 

『シン・仮面ライダー』には、昭和の人気テレビ番組『仮面ライダー』(1971年~1973年)を元ネタにした場面や台詞が数多くちりばめられている。いわゆるオマージュと呼ばれるものだが、中には相当なこだわりを持って再現されたものも。もちろん、ただ再現するだけではない。そこには、本作ならではの独自性も盛り込まれている。
 

例えば映画冒頭、敵に捕らえられたヒロインを救うところから始まるアクションシーンだ。まず、敵(クモオーグ)が気配に気づいて振り返るカットの後、崖を下から見上げた画に変わる。そこから素早くズームインすると、崖上にライダーの姿。普通なら次の瞬間崖の上からジャンプして・・・となりそうだが、ライダーは無言のまま見下ろすだけだ。一瞬「?」と思ったその瞬間カットが切り替わり、いきなりライダーがアップになる。
 

ここまでは、オリジナルの第1話「怪奇蜘蛛男」をかなり忠実に再現したものだ。崖の見た目も同じになるように、わざわざCGで低木が足されたらしい。しかし、テレビ版ではライダーがアップになったカットで主題歌と同じメロディーのBGMが流れ、華々しくヒーロー登場を演出するのに対し、『シン・仮面ライダー』で使用される曲は重苦しい。それが、カット変わりの前から低く鳴り始め、アップになった瞬間に強く響くのだ。
 

この変更の理由は、続くアクションシーンにつなげるためのものだろう。オリジナルでも数人の戦闘員たちを相手に立ち回りが演じられるのだが、雰囲気は全く違う。あえてショッキングな表現を使えば、ライダーによる“殺戮ショー”だ。パンチやキックで敵を“倒す”のではなく、“命を奪う”。それは、オリジナルの戦闘アクションがただの振り付けに見えてしまうくらい、迫力があって生々しい。(“死”を表現するためオリジナルには無かった流血などの演出があるが、その描写はワンカットを短くすることで最小限にとどめられており、スプラッター映画のように目を背けたくなるようなものではない。)
 

このアクションシーンは迫力があるというだけでなく、映像自体がよりダイナミックになった。まず、たたみかけるようなテンポで短いカットをつないだ編集。そして、極端なクロースアップに時折挟まれるロングショットや、ローアングルからのあおり、真上からのハイアングルショットなど、変化に富んだ画角。カメラが戦闘の真っ只中でアクションを捉えている画が多いため、暴力的なほどすさまじいライダーの戦闘力を、観客にも“体感”させる効果を生んでいる。
 

ただ、勘違いしてはならないのは、こういった暴力性の表現の目的が単なるインパクト狙いなどではないということだ。主人公、本郷猛(仮面ライダー)が感じる辛さに、リアリティを出すのがその狙いだろう。前回の記事でも触れたが、彼は敵を倒した後、自分の行きすぎた力に困惑する。もし従来のような映像表現だったとしたら、本郷の戸惑いは伝わらないだろう。
 

オリジナルの忠実な再現と、大胆な刷新。それを映画冒頭で見せている点に、庵野秀明監督の気概を感じる。この作品で何を見せようとしているのか、高らかに宣言しているのだ。
 

オリジナルの再現に関して、もうひとつだけ触れておこう。主演俳優がライダーのアクションも担当したことだ。50年前に藤岡弘さん(現在の表記は「藤岡弘、」)がしたように、今作では池松壮亮さんがマスクをかぶり立ち回りを演じている。ただこれは当初の予定にはなかったことで、ライダーのアクションはスタントマンで撮影が進められていた。しかし“殺気”を重視していた監督の目に、スタントマンは段取りしか考えていないと映ったらしい。確かに、技をきれいに決めるなど見栄えの良すぎるアクションは、ただの振り付けに見えてしまう可能性がある。スタントマンではない池松さんの場合、動きが決まりすぎていないからこそ、戦いにリアリティが生まれ、殺気も表現できるのだろう。映画冒頭におけるアクションシーンが持つ迫力の背景には、そういった要素もあったのだ。
 

ただし、撮影は相当ハードだったようで、池松さんはいくら食べていても体重が落ちてしまったそうだ。それに加え、アクションの練習中に右足首を負傷。合同記者会見に松葉杖をついて現れる一幕もあった。
 

実を言うと、藤岡弘さんも『仮面ライダー』撮影当時に負傷している。こちらは撮影中のバイク事故による大腿骨粉砕骨折というから、かなりの重傷だ。撮影続行は不可能となり、急遽新たな主人公、一文字隼人(2号ライダー)が“つなぎ役”として登場することになった。そして一文字というキャラクターは、『シン・仮面ライダー』にも登場。彼がいなければ、本作の希望に満ちあふれた爽やかなラストシーンもなかった。この場面が心を打つのは、原作者である石ノ森章太郎氏が描いたコミックス版の再現でもあるからだ。庵野監督はそのロケ地に風光明媚な土地(自身の故郷山口県の景勝地)を選び、心地よい潮風のような音楽をつけ、どこか哀愁を感じさせるコミックス版とは違うイメージで色付けした。
 

50年という時を超えた継承と刷新。そこに思いを巡らせた時の心に染み入るような感動に、いつまでも浸っていたくなる。『シン・仮面ライダー』とは、そんな一面を持った映画だった。
 

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【最近の私】自転車で24kmの坂をのぼり続ける”坂バカ”の祭典「Mt.富士ヒルクライム」に、4年ぶりに参加しました。自己ベストからはほど遠かったけれど、短い準備期間の割には急ピッチで体力を戻せたことに満足。(なりふりかまわぬサプリ摂取のおかげという説有り)

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明けの明星が輝く空に 第160回:シン・仮面ライダー②:黙祷するヒーロー

※今回の記事は、映画の設定に関するネタバレを含みます。ストーリーについては最小限に抑えてありますが、映画鑑賞を検討中の方はご注意ください。
 

『シン・仮面ライダー』の主人公、本郷猛は、敵を倒した後に黙祷する。これまで、そんなことをするヒーローがいただろうか。彼の敵は怪物やロボットではなく、人間だ。SHOCKERという非合法組織によってオーグメンテーション(身体の強化)を施され、異能の力を与えられてはいるが、そこは変わらない。本郷自身もオーグメンテーションを受けており、マスクを被ると生存本能が増幅されて暴力的な衝動が抑えられなくなる。バッタオーグ(仮面ライダー)としての初めての戦いでは、襲いかかる何人もの敵をいとも簡単に殴り殺し、あたりを鮮血で染めてしまった。
 

敵といえども人間の命を奪ったことに衝撃を受け、苦しむ本郷。人を簡単に殺すことができる「行きすぎた力」を拒否する意思を示すが、敵であるクモオーグに捕らえられたヒロイン、緑川ルリ子を助けるため、再び戦わざるを得なくなる。クモオーグの手下たちを文字通り瞬殺し、クモオーグとの1対1の戦いも制した後、マスクを脱いだ本郷は「思ったより辛い」とつぶやく。そして、悲しみに耐えるかのように震えながら、文字通り泡となって消滅したクモオーグの痕跡へ向かい、頭を垂れるのだ。
 

僕は、本郷の台詞の中の「思ったより」という言葉が引っかかった。まるで彼が、人の命を奪うことを軽く考えていたようにも聞こえるからだ。その台詞を理解するためのカギは、警察官である彼の父が殉職したことだろう。銃を使わず、刃物を持った男を説得しようとして刺された父。その事件現場に居合わせてしまった本郷が、たとえ犯人が死んだとしても父は銃を撃つべきだった、と考えていたとしても不思議ではない。悲劇を経験し、人を守れる強い力を望んだ本郷は、父とは違い力が使えるようになりたいと願った。しかし、自分が実際に人の命を奪ってみると、想像以上に精神的に堪えたということなのかもしれない。
 

話を本題に戻そう。黙祷する本郷を見たルリ子は、「優しすぎるかも」とつぶやく。実は、彼女にはSHOCKERを倒すという目的があった。SCHOCKERは元々、人々の幸福を実現するために設立された組織だったのだが、オーグメンテーションを受けた者たちがエゴに走るようになっていた。ルリ子は、父である緑川弘博士とともにSHOCKERの構成員だったが、2人して組織を裏切り、本郷猛を脱出させて自分たちの計画を手伝わせようと考えていたのだ。
 

本郷に対し同じような危惧を抱いたのは、ルリ子以外にもいる。SHOCKER対策のため、彼女たちに近づいてきた情報機関の男だ。彼が本郷の行動を見て「優しすぎる」と言ったのは、ルリ子にとって「友人に最も近い」関係だったヒロミ(ハチオーグ)と戦わずして撤退した時だった。本郷は、なるべくならヒロミと戦いたくないというルリ子の心の内を察していたのだ。
 

それでも再びヒロミのアジトに乗り込んだ際には、戦わざるを得なくなる。結果、本郷は勝った。しかし、ヒロミの命を奪うことはしなかった。どうやらこの時までに、強い精神力で自制心を働かせる術を見つけていたらしい。ところが、そこに現れた例の情報機関の男が、特殊な銃弾を使いヒロミを撃ち殺してしまう。涙を流すルリ子の横で、本郷は黙祷を捧げた。
 

彼のこうした行動は、もう1人の仮面ライダー、一文字隼人にも影響を与えている。飄々としてどこか浮世離れした感のある一文字だったが、“ダブルライダー”として力を合わせて戦った後、黙祷する本郷を見て、それに倣うのだ。
 

映画を観ていない方は「黙祷するヒーロー」という今回の記事のタイトルを見て、「黙祷」は「決め台詞」や「得意技」のようなキャラクターに個性を与えるためだけの、ある意味“格好つけ”のようなものと思われたかもしれない。しかし、本郷の黙祷する姿からは、彼の真摯な思いが感じられる。そう感じるのは、本郷を演じた池松壮亮さんの演技によるところも大きいが、本郷の人物設定も同じぐらい重要だ。
 

物語冒頭において、本郷は「いわゆるコミュ障。それが原因で現在無職。バイクが唯一の趣味」という説明がなされる。これはルリ子の言葉なのだが、単に彼女は父の緑川博士にそう聞かされていたらしい。しかし、「コミュ障」というのはオーバーな言い方だ。本郷と周囲の人間のコミュニケーションは、問題なく成立している。確かに感情が話し方や表情に出るタイプではないが、自分の心情や思いは隠さず言葉にし、上辺を取り繕ったり格好つけたりする人間ではない。だから、その言動に嘘は微塵も感じられないのだ。
 

倒した敵に向かい、黙祷するヒーロー。非常に希有な存在だが、考えてみれば命を奪った辛さに苦しむのは、人として当たり前のことだ。しかし、特撮作品に限らず時代劇などでも、ヒーローのそういった姿はほとんど描かれてこなかった。正直なところ、『シン・仮面ライダー』でも十分描き切れていたかどうか、議論の余地は残る。しかし、そこに目を向けたという点において、本作は肯定的に評価されるべきだろう。
 

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JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】最近、意味も無く「特撮浪曼主義」とか「特撮耽美派」という言葉を思いつきました。でも文字にしてみると、なんだかしっくりする。特撮に対する自分の信条が明確になったようで。ということで、これからは特撮浪漫主義を掲げ、特撮耽美派を標榜するのだ。

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明けの明星が輝く空に 第159回:シン・仮面ライダー①:人はひとりでは生きられない

※今回の記事は、映画の設定に関するネタバレを含みます。ストーリーについては最小限に抑えてありますが、映画鑑賞を検討中の方はご注意ください。
 

この春に公開された映画、『シン・仮面ライダー』の3枚組ポスターには、それぞれ「孤高」、「信頼」、「継承」という物語の流れを示すキーワードが入っている。注目すべきは、「孤高」がひとりであることを意味しているのに対し、残りの2つは他者の存在が前提だということだ。(掲載されている写真も1枚目が出演者1人、他の2枚は2人である。)
 

本作において主人公との敵となるのは、SHOCKERと名乗る組織。テレビ版『仮面ライダー』(1971年~73年)における秘密結社「ショッカー」を踏襲したネーミングだが、単に英語表記に変えただけではない。SHOCKERとは“Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling”の頭文字を取ったもので、 “Happiness”とあるように、人々に幸福をもたらすことを理念としており、その本質は“悪の組織”ではない。
 

最後の“Remodeling”は、ライダーシリーズでおなじみの“改造”にあたり、いわゆる“怪人”たちのことを示している。本作で “オーグメント”と呼ばれる彼らは、幸福を実現するためコンピューター的知見を付与され、肉体を強化された者たちだ。ただし、与えられた力を自分勝手な目的のために使っていた。例えばコウモリオーグは、人口を減らすことが人類の幸福という信念のもと、特殊ウィルスを開発。ハチオーグは人々を支配することが自身の幸せ、支配されることが自分以外の人間にとっての幸せと考え、町の人々を働きバチのように従えている。
 

エゴに満ちた彼らを止めたいと考えたのが、SHOCKERの構成員だった緑川弘博士だ。彼は娘のルリ子を使い、バッタオーグとして自身が肉体をアップグレードした青年、本郷猛を組織から脱出させた。自由の身となった本郷は仮面ライダーを名乗り、オーグメントたちを倒していく。そんな中、ルリ子は兄であるイチロー(チョウオーグ)が羽化し、完全体になったことを知る。イチローは肉体の存在しない魂だけの世界、同時に本心だけの嘘のない世界=“ハビタット世界”へ全人類を送ることを目論んでいた。過去に母親を無差別殺人事件で失い、絶望にたたき落とされた彼は、ハビタット世界なら誰もが傷つくことはないと考えたのだ。
 

本作を撮った庵野監督の作品に詳しい人なら気がつくだろう。ハビタット世界は、エヴァンゲリオンシリーズの「人類補完計画」にそっくりだということに。その計画が完遂すれば、世界は個々の人間が肉体を失い、ひとつの魂として存在するものに作り変えられる。そこに他者は存在しない。だから、自分が傷つくことも、人を傷つけることもない。
 

どちらにも共通しているのは、悲しみと向き合うことを拒絶している点だ。それは、イチローが本郷猛を迎え撃つために用意したもうひとりのバッタオーグ、一文字隼人の洗脳方法にも表れていた。一文字は抱えていた悲しみを消され、「多幸感を上書き」されていたのだ。(一文字はこのあと洗脳を解かれ、ダブルライダーとして本郷と力を合わせて戦うことになる。)
 

悲しい記憶を消す。聞こえはいいが、それは「現実と向き合わない」=「逃げ」でもある。だからこそ、本郷猛は現実から目を逸らさない。彼もまた、警察官だった父親を目の前で殺され、絶望を経験していた。そんな彼が望んだのは、人を守るための強い力を持つこと。(その思いを知っていた大学の恩師、緑川博士が本人の承諾も得ず、彼をオーグメントにしてしまった。)洗脳されていない本郷は、何度も悲劇の場面を思い出す。彼はSHOCEKRだけでなく、悲しみとも戦い続ける男だった。
 

ところで、本郷のこういった設定を聞くと、熱い心と強い精神力を持ったヒーロー像を思い描くかもしれないが、彼はまるで正反対だ。ルリ子によれば“コミュ障”という、およそヒーローらしからぬ人物で、感情表現にも乏しい。そして興味深いことに、感情を見せないのはルリ子もイチローも同じだった。ルリ子は父がSHOCKERに殺されても悲しむ様子はなかったし、イチローも終始ロボットのように無表情で、感情が欠落した話し方をする。
 

庵野監督はエヴァンゲリオンシリーズでも、綾波レイという感情が欠けた人工生命体である少女を登場させている。しかし彼女は、主人公シンジとの交流を通して様々な感情を見せるようになる。同様にルリ子も、本郷と行動を共にするうちに表情が豊かになり、イチローもルリ子の思いに触れ、最後は人間らしい表情に変わった。
 

人は自分ひとりの世界に閉じこもれば、感情が乏しくなる。豊かな感情は、他者との関わり合いから生まれてくるからだ。また、ひとりで悲しみを乗り越えるのは辛い。寄り添ってくれる誰かが必要だ。「人はひとりでは生きられない」という言葉には、そんな意味もあるのだろう。他人を信じないと言っていたルリ子は、本郷との信頼関係を通し、「幸せ」が何であるか理解するようになった。そしてラストシーンでは、人とつるむのが嫌いだった一文字が、バイクを走らせながら本郷にこう語りかける。「オレたちはもうひとりじゃない。いつもふたりだ。」美しい景色の中、希望に向けて走り去っていくこのシーンに、庵野監督の思いが込められている。
 

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】先月、『帰ってきたウルトラマン』で主人公の郷秀樹を演じた団時朗(当時は次郎)さんが鬼籍に入られました。まだ70代。子ども時代の記憶と一番強く結びついたウルトラマンだけに、残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします。

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明けの明星が輝く空に 第158回:ウルトラ名作探訪15「怪獣殿下」

「怪獣殿下」は、『ウルトラマン』で唯一、前編(第26話)と後編(第27話)に分かれた“大作”で、怪獣の強さをストレートに表現した単純明快さが魅力だ。登場する古代怪獣ゴモラは、純粋に体力だけでウルトラマンを圧倒。最初の対戦では、ウルトラマンを角で宙に放り投げた後、倒れたところを踏みつけたり、尻尾で何度も打ち据えたりし、ほぼノックアウトに追い込んでいる。
 

ただ、「怪獣殿下」における“スペクタクル”は、むしろウルトラマンとの戦闘シーン以外のところにある。例えば、戦車部隊がゴモラに向けて一斉に砲撃する場面。撮影では、これでもかというぐらい火薬が使われており、スタジオに立ちこめる爆煙でゴモラの姿が隠れてしまうほどだ。そんな中でも、(着ぐるみに電飾が埋め込まれているおかげで)ランランと光るゴモラの目は、異様な生命力に満ちており、凄みすら感じる。
 

また、大阪城を破壊する場面も、怪獣映画の世界をそのままテレビに持ってきたかのような迫力があって壮観だ。セットに置かれたミニチュアの天守閣は、ゴモラを上回るボリューム感。しかも、頑丈な作りで簡単には崩れない。ゴモラの着ぐるみに入ったスーツアクターも、ある程度気合いを入れる必要があっただろう。それがゴモラの本気度として立ち現れ、リアリティある破壊シーンを生み出している。
 

「怪獣殿下」のもうひとつの魅力は、当時の子どもたちの夢を叶えて見せたことだ。タイトルにある怪獣殿下とは、怪獣が大好きな少年、治(おさむ)のニックネームなのだが、クラスメートたちは怪獣の存在を信じておらず、彼を馬鹿にしている。しかし、ゴモラ出現のニュースが流れた翌日、友だちの態度も一変。正しいことが証明された治は得意満面だ。当時、大人たちに怪獣の存在を否定され、悔しい思いをした子どもたちは少なくなかっただろう。そんな子どもたちは、治に自分たちの姿を重ねて見ていたに違いない。
 

余談であるが、怪獣の存在が認知されていないというのは、ゴモラ以前に何体もの怪獣が出現した『ウルトラマン』の世界では不自然なことだ。ところが治少年を取り巻く(ゴモラ出現以前の)環境は、視聴者の暮らす現実世界と変わらない。裏を返せば、現実世界が作品内に取り込まれたと言ってもいいだろう。これは、テレビの中と外の世界が地続きであるかのように感じさせる演出だと考えられる。虚構と現実の境界をあいまいとすることで、子どもたちはますます『ウルトラマン』の世界に引き込まれていくことになるわけだ。
 

閑話休題。治がテレビの前の子どもたちに代わって叶えてくれた夢は、ほかにもある。彼はゴモラ退治に貢献した活躍を評価され、本作の主人公であるハヤタ隊員に科学特捜隊のバッジをプレゼントされるのだ。しかもそれは通信機能付きで、ジェット機で飛行するハヤタと交信まで行う。大人の僕から見ても、これ以上うらやましいことはない。
 

このように、「怪獣殿下」は子どもたちにとってのエンターテインメントとして優れた作品なのであるが、実を言うと「名作」として紹介するのには躊躇があった。それは、物語に内在する人間のエゴが、作品内で糾弾されることがないからだ。ゴモラはもともと、未開の島に生息していただけで、何ら脅威ではなかった。それを人間に発見され、万国博覧会の展示用にと、麻酔弾を撃ち込まれ空輸されてきたのだ。お粗末なことに麻酔が想定より早く切れ、科学特捜隊は暴れ出したゴモラを上空から投下。その衝撃で凶暴化したゴモラは、退治されてしまう。
 

このプロットは、映画『キング・コング』(1933年)を下敷きにしていると見て間違いない。『キング・コング』も人間のエゴを明確に糾弾しているというわけではないが、戦闘機の機銃掃射を受け弱っていくコングの表情は悲しげで、自然と観る者に同情心を抱かせる。ゴモラも尻尾を切られ角を折られ、弱々しい鳴き声を上げて力尽きるのだが、その直後に治少年と、科学特捜隊のアラシ、イデ両隊員が喜ぶカットに変わり、勝利を祝うムードに包まれる。だから「憎むべきやつだったが、かわいそうなことをした」というアラシの台詞も、取って付けたようにしか聞こえない。加えてイデが、あたかも供養のためとばかりに「剥製にして万国博の古代館に飾ってやろう」と言うに至っては、人間の身勝手さがむき出しになったという印象を禁じ得ない。(こういった観点からすれば、「怪獣殿下」は、およそ『ウルトラマン』らしからぬ作品と言えるのだ。)
 

ただ逆説的に、そのように思えた時点で、「怪獣殿下」には(おそらく制作者の意図しなかった)意義が生まれるとも言えるだろう。結果的に、人間のエゴを観る者に突きつけていることになるからだ。文学作品の批評理論に「テクスト論」というものがあるそうだが、これは作品を作者(の意図)から切り離し、書かれているものを読者が自由に解釈してもよいとする考え方だ。それとは少し違うのかもしれないが、少なくとも反面教師として捉えることはできそうだ。そして、そのような視点を持って鑑賞することで、「怪獣殿下」は名作と呼ぶことができる。そう言っても良いのではないだろうか。
 

「怪獣殿下」(『ウルトラマン』第26、27話)
  監督:円谷一、脚本:金城哲夫・若槻文三、特殊技術:高野宏一
 

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】JVTAのスタッフブログにシェイクスピアの話題が出ていましたが、偶然にも『ハムレット』と『マクベス』を最近になって初めて読んだところでした。芝居経験者としてはともかく、翻訳者として有名な台詞の知識くらいないとダメだろうと思って。まあ、メジャーリーガーあたりがシェイクスピアを引用することはまずないでしょうけど。

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明けの明星が輝く空に 第157回:特撮俳優列伝28 松本寛也

今年の干支にちなんだ記事(https://www.jvta.net/co/akenomyojo156/)を書くために視聴したスーパー戦隊シリーズの36作目、『特命戦隊ゴーバスターズ』(2012年~2013年)は、思いのほか面白かった。その理由のひとつが、陣マサトという登場人物の魅力であったことは間違いない。そして、それを演じた俳優が、松本寛也さんだった。
 

実を言うと、僕はすでに松本さんの過去の出演作品を観ていた。同じスーパー戦隊シリーズの29作目、『魔法戦隊マジレンジャー』(2005年~2006年)だ。松本さんはその中で、マジレンジャーである5人兄弟の次男(兄1人、姉2人、弟1人)、小津翼を演じている。番組開始当初、松本さんは18歳。芸能界にデビューして、初めてのレギュラー作品だった。
 

小津翼はクールで、よく言えば繊細、悪く言えば神経質そうな若者だ。彼が主役となったエピソード、たとえば禁断の魔術に手を出してしまう第23話や、絶望的状況から兄弟を救う第38話で、松本さんの新人俳優らしく若さをぶつけるような演技を見ることができる。まだどこか垢抜けなさも残るが、時折見せる真剣な表情はなかなかハンサム。経歴を見ればそれも納得で、2003年の第16回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリに輝いているのだ。
 

その後キャリアを積んだ松本さんが、再びスーパー戦隊ものに出演したのが『特命戦隊ゴーバスターズ』だ。そこで演じた陣マサトは、松本さんにとっての“ハマリ役”と言っていいだろう。天才エンジニアであるマサトは13年前のある事件の際、亜空間に転送されてしまったが、アバターとしてゴーバスターズの前に現れる。ビートバスターに変身し、相棒のロボット(バディロイド)とともに、レッドバスター、ブルーバスター、イエローバスターの3人と共闘する。
 

第15話で初登場した陣マサトの印象は、単刀直入に言えば“軽くて、すかした男”。レッドバスターこと桜田ヒロムには、面と向かって「虫の好かない男」と言われてしまったぐらいだ。ビートバスターに変身しての戦闘シーンでも、ブルーバスター(岩崎リュウジ)の気合いが入った戦いぶりを見て、「お、いいよ、いいよ。熱いよ、リュウちゃん」と軽口を叩くなど緊張感もない。ただ、そんな軽いノリのまま、難なく敵を倒していく姿は頼りがいがあってカッコイイ。また、松本さんのしゃべりは多少舌足らずに聞こえるが、戦闘中はなぜか気にならない。むしろ飄々としている上に颯爽とした雰囲気もあって、聞いていて心地よいとさえ思った。
 

物語が進むにつれ、表面上は明るい陣マサトにも秘密があることが明らかになる。それは、アバターにダメージが蓄積すれば、本体も危険だということだ。そもそも亜空間にいる彼は、データの欠落が原因で、13年たっても転送が終了しておらず、下半身が実体化せぬまま昏睡状態にあった。それが現実世界における戦いの影響で、胸の近くまで消えかかっていたのだ。これには、さしものマサトも「さすがの天才もお手上げかもしんねえ」と、バディロイドとの会話で弱気な言葉を漏らしている(第40話)。それでも、「以上。報告、終わり!」なんて明るく締めくくるところが、彼らしいのだが。
 

物語がクライマックスにさしかかり、マサトは世界を救うため、自分の身を犠牲にすることを選択する。具体的には、ヒロムに埋め込まれた敵のバックアップデータを、自身の本体に転送することで取り除くのだ。しかし、大量のデータに耐えられなくなったマサト本体は、バラバラになって消滅してしまう。その計画を、同期である黒木(特命部司令官)に明かした際、「覚悟の決め時ってのがあるならよ、今だと思うぜ」と笑みを浮かべながら静かに告げる(第49話)。この時、彼が初めて見せた穏やかな笑顔が胸に突き刺さる。すべてを受け入れ、無我の境地に達した人間の表情を、松本さんは見事に表現してみせている。(その後、第50話でマサトの案に納得できないヒロムらと見せた、熱い魂のぶつかり合いにも胸が熱くなった。)
 

『特命戦隊ゴーバスターズ』出演後、松本さんは『手裏剣戦隊ニンニンジャー』(2015年~2016年)に、『魔法戦隊マジレンジャー』と同じ小津翼役でゲスト出演。2017年には「スーパー戦隊親善大使」に就任し、同年に始まった『宇宙戦隊キュウレンジャー』にもゲスト出演している。ホシ★ミナトという宇宙No.1アイドルの宇宙人役だったのだが、その姿には驚いた。もじゃもじゃのアフロヘアーの中から、漫画『DRAGON BALL』のピッコロのように2本の触覚が突き出し、皮膚は金色。見た目は完全な“キワモノ”キャラだった。仮にもヒーローを演じた人が、そんなメイクをするとは!ただし、中身は普通すぎるほど普通で、売れない頃に路上でひとりギターを弾きながら歌っている姿など、どこにでもいる若者といった雰囲気だ。その歌に勇気づけられたヒロインとの会話では、その表情から誠実な人柄も伝わってきた。
 

松本さんはさらに、『仮面ライダーリバイス』(2021年~2022年)にもゲスト出演している。そこでは、なんとチンピラ役だった。こうなったらもう怖いものなしだろう。スーパー戦隊、仮面ライダー、どちらのシリーズでもいいから、ぜひ悪の側のメインキャストとしてレギュラー出演して欲しい。特撮作品の悪役はキャラが濃く、役者として遊べる要素が多い。陣マサトで見せた時以上に、伸び伸びとした演技が見られるんじゃないだろうか。そうして特撮史に名を残す悪役を作り上げる、なんていうのも面白いではないか。
 
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【最近の私】『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』を観たら、『ボディーガード』が観たくなり…。どちらも、“エンッアーイアー♪”のところで(予想通り)泣けました。
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明けの明星が輝く空に 第156回:干支と特撮:ウサギ

正直な話、ウサギをモチーフにしたヒーローや怪獣・怪人は思いつかなかった。しかし、調べてみると見つかった。それも主役が。その名はイエローバスター。スーパー戦隊シリーズの36作目、『特命戦隊ゴーバスターズ』(2012年~2013年)のヒロイン、宇佐見ヨーコの変身後の姿である。
 

ただし、イエローバスターはあまりウサギっぽくない。ヘルメットをよく見れば、ウサギの耳らしき意匠は施されている。ただしそれは、頭部の曲線に合わせ後方に向かって寝ている形で、ほんの数センチ出っ張っているに過ぎない。前頭部にシンプルな線で描かれたウサギの顔がなければ、それが耳を模しているとはわからないだろう。
 

デザインの面では、むしろ彼女を取り巻くメカの方がウサギっぽい。まず、ちょっと口うるさい相棒、ウサダ・レタスというロボットには、頭に2本の長い耳のようなものがある。それらはイエローバスターが乗り込む専用マシンの操縦桿で、ウサダはコックピットに収まるようにも作られているのだ。そのイエローバスター専用マシンも、通常はヘリコプターとして機能するが、攻撃時にはウサギ型のロボットに変形。後ろ向きに両足キックをお見舞いするなど、アクションにもウサギっぽさが取り入れられている。
 

イエローバスターのアクションはどうだろうか。超人的な跳躍力を身につけてはいるが、特にウサギっぽくもない。こうなると、「設定をウサギにした意味はある?」と思ってしまうが、『特命戦隊ゴーバスターズ』のテーマは「変革」だったというから、そういった“いかにもありがち”な演出は避けられたようなのだ。Vシネマ『帰ってきた特命戦隊ゴーバスターズvs動物戦隊ゴーバスターズ』(2013年)を観ると、そのあたりがよくわかる。「動物戦隊」とは、本編の特命戦隊とは異なる世界、パラレルワールドのヒーローたちで、意味なく背景で爆発が起こる登場シーンや、メンバー全員が力を合わせる決め技など、 “これぞスーパー戦隊!”といった演出がふんだんに見られる。いわばセルフパロディの類いで、動物戦隊は、特命戦隊とは左右逆に映る鏡像のようなものなのだ。
 

そんな動物戦隊のイエローの名前は、ずばりイエローラビット。さらに、両手を頭の上に乗せて“耳”を作って見せたり、戦闘中「ぴょーん」と言いながらジャンプしたりするなど、これでもかというほどウサギっぽさを装う。「ぴょーん」というセリフには、女の子キャラを強調する意図も見えるが、ほかにも敵を倒して可愛く「やった!」と言うなど、本家とは方向性が180度反対だ。イエローバスター/宇佐見ヨーコのアクションに女の子っぽさは皆無で、彼女は気合いが入った掛け声もキレがいい。実は、第1話を観てまず「お!」と思ったのが、この掛け声だった。板に付いていて、カッコいいのだ。
 

ヨーコを演じた小宮有紗さんは、撮影開始当初は現役の高校生。劇中では16歳の設定で、3人いる特命戦隊のメンバー中、最年少だ。レッドバスターこと桜田ヒロムが20歳、ブルーバスターこと岩崎リュウジが28歳なので、自然と“妹”的な立ち位置になる。しかし、イエローバスターはアクションシーンにおいて年齢差など感じさせず、戦闘力も見劣りしない。小宮さん自身、ヨーコの立ち回りを見事に演じていた。中でも驚いたのが、テコンドーの二段蹴りを見せたことだ。これは一度蹴った足を地面に下さず、そのままもう一回蹴る技で、体幹が弱いとバランスが取れないし、足も上がらない。小宮さんはクラシックバレエの経験があるというから、アクションに必要な基礎体力もしっかりしていたのだろう。
 

小宮さんはまた、目に力があり、表情だけで芝居ができる女優さんだ。眉に力を込めた表情も凛々しい。そんな彼女が演じたヨーコにグッとくるような場面が、第23話「意志を継ぐ者」にある。それは仲間の1人、陣マサトが危険を冒して自分を守ってくれようとした時のことだ。彼の実体は亜空間にあり、アバターとしてゴーバスターズと行動を共にするのだが、アバターであってもダメージが蓄積すれば本体の生死にかかわる。そうと知ったヨーコは、出ていこうとするマサトを制し、自分の身は自分で守れると告げる。そしてさらに、力強くこう言った。「それに、誰かのことを守ることだってできる。」
 

この一言に僕はシビれてしまったのだが、このあとマサトによって、かつて彼女の母親ケイも同様のことを言っていた過去が明かされる。実は、ケイは13年前、ヨーコがまだ幼い頃に亜空間へと消えてしまい、幼かったヨーコには母の記憶があまりない。それでも、彼女の中には母親に似た芯の強さがしっかりと育っていた。親子の結びつきを感じさせるエピソードを挿入するあたり、心憎い脚本だ。さらに言えば、この日はヨーコの17才の誕生日。彼女の成長が、自然と伝わるような仕掛けとなっている。
 

「干支」というテーマがなければ、初見の『特命戦隊ゴーバスターズ』を全話視聴することはなかったろう。とりあえずイエローバスターをチェックするため観始めたのだが、意外なほど楽しめたし、好きな作品の1つにもなった。昭和以外の特撮も、悪くない。
 

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【最近の私】「新年の誓い」と言うほどじゃないけれど、今年はSF小説をたくさん読もうと思っている。実は、これまで単なるエンタメ系だと思って読んでいなかった。でも、常識にとらわれない発想の飛躍こそが、SF小説の魅力だと今さらながら気づいた。良質な作品から受ける刺激は、脳を活性化してくれる気もするし。
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明けの明星が輝く空に 第155回:ヒーローがいた場所:特撮ロケ地

戦い終えた本郷猛(仮面ライダー)が坂道を駆けてくる。道ばたには2匹の子犬。本郷はそれに気づくと、1匹を笑顔で抱き上げた。
 

これは、『仮面ライダー』第7話のエンディングシーンだ。撮影されたのは、川崎市多摩区の寺尾台(①)。小田急線読売ランド前駅北側の高台にある住宅街だが、恥ずかしながら、ここがロケ地だったことはつい先月まで知らなかった。「恥ずかしながら」というのは、僕が通っていた小学校がすぐ近くにあり、寺尾台には何人も同級生がいたからだ。
 

映像を見ているときに、身近な場所が撮影に使われていることに気づいたのは、前回の記事で触れた二ヶ領上河原堰(②)を含め3、4カ所ある。また、ネット上に出ている情報から、近辺にロケ地が多いことも知っていた。そこで今回の記事のテーマに選んだわけだが、改めて調べてみると予想以上に多かった。そこで今回は、ライダーシリーズ中心に紹介しよう。Googleマイマップで、この記事に対応した地図を作成したので、ぜひ参照していただきたい。➡明けの明星が輝く空に_特撮ロケ地 (本文中の丸囲み数字は、地図上のものと共通。)
 

それにしても、なぜこの地域にロケ地が多いのか。それは、『仮面ライダー』の撮影が行われた東映生田スタジオ(③)が、やはり読売ランド前駅の近くにあったからだ。場所は、寺尾台から見て西の多摩美という地区で、日本女子大学西生田キャンパスのすぐ脇。前回の記事で触れた第2話「恐怖蝙蝠男」の冒頭の場面(https://www.jvta.net/co/akenomyojo154/)が撮影された道路とマンション(④)は、スタジオから歩いてわずか数分の距離だ。ちなみに、多摩美という地名は「美しい多摩丘陵」が由来で、多摩美術大学とは無関係である。
 

寺尾台の北西に広がる菅馬場(すげばんば)の住宅地(⑤)一帯も、造成地だった当時、『仮面ライダー』のアクションシーンに使用されたようだ。小学生の頃、この造成地周辺の雑木林に、よくカブトムシを採りに行った。たまたま何かの撮影現場に出くわし、追い返されたこともある。一体何の撮影だったか不明だが、一緒にいた父によると、上半身裸の女の人がいたそうだから、少なくとも特撮作品ではないだろう。
 

寺尾台の東にある小田急線の多摩川橋梁(⑥)周辺は、『仮面ライダー』第6話のロケに使われた。また、駅名にその名前を残すのみとなった向ヶ丘遊園(⑦)は、有名だった大階段などが第4話などで確認できるが、ウルトラシリーズでも使われた有名なロケ地だ。(この2カ所は、僕が自分で気づいたロケ地だ。)そこから少し離れた場所に、『ウルトラマン』でバルタン星人が潜んでいた長沢浄水場(⑧)がある。所在地は川崎市なのに、なぜか東京都水道局の施設で、川崎市上下水道局の浄水施設も隣接しており、ややこしい。ともかく、『仮面ライダー』では建物の外観が、本郷猛の所属する「城南大学研究所」として幾度となく登場している。我が田近家のお墓がある霊園からも近いのだが、長沢浄水場を初めて訪れたのはほんの数カ月前だった。お彼岸に珍しく1人で墓参りをしたので、そのついでに足を伸ばしたのだ。
 

長沢浄水場は生田スタジオから見て東南の方角だが、正反対の北西方面には、京王相模原線沿いに稲城市の南山という地区がある。今では住宅地として整備が進んだが、まだ造成地だった当時はここでも撮影が行われたという。山が削られてできた崖は壮観で、電車からもよく見えたことを覚えている。通称「稲城グランドキャニオン」と呼ばれていたそうだ。
 

その南山の一番東のはずれ、京王よみうりランド駅のすぐ近くには、「ありがた山」(⑨)という、まるであの世とこの世の狭間のような場所がある。急な斜面に整然と並んだ古い墓石は、聞くところによると4000体以上。みな無縁仏だ。20年ほど前だったか、僕は近くを散策していて偶然そこに行き着いた。予想もしていなかった異様な光景に驚くと同時に、霧の中のような、非常にうっすらとした記憶が蘇ってきた。確か子どもの頃に来たことがある。誰と、何のためか、全く覚えてはいない。だけど確かに、その光景には見覚えがあったのだ。
 

ありがた山がロケ地になったのは、『仮面ライダーV3』(1973~74年)第33話だ。主人公の風見志郎が、悪の組織の戦闘員たちや怪人とアクションを繰り広げる。4000体もの無縁仏が並ぶ特異な場所だけに、特撮とは関係なく残す価値がありそうだが、ここにも開発の波が押し寄せてきた。土地区画整理事業によって南側の土地が削られ、真新しい道路が開通。現在ループ状になっているその道路の真ん中には、読売巨人軍の施設ができるそうだ。いまのところ、ありがた山は手つかずだが、果たして今のままの形で残されるのか。ありがた山のように異界といった言葉が似合う場所は、東京近辺に多く残されてはいない。再開発が、自然以外にそんなものまで削ってしまうとしたら・・・。造成された景色の中、ポツンと佇むありがた山の眺めに、やるせない気持ちが湧いてきた。
 

追記:今回の記事を書くにあたって、yart先生(https://www.blogger.com/profile/09352180926770118250)のブログ『仮面ライダーロケ地大画報』の情報を大いに活用にさせていただきました。ここにお礼申し上げます。
 

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