News
NEWS
明けの明星が輝く空にinCO

明けの明星が輝く空に 第130回:ウルトラ名作探訪5:「鳥を見た」

明けの明星が輝く空に 第130回:ウルトラ名作探訪5:「鳥を見た」
Tweet about this on TwitterShare on Google+Share on FacebookShare on TumblrPin on PinterestDigg thisEmail this to someonePrint this page

「あっ、クロウだ!」少年はそう叫ぶと、海岸に飛来した怪鳥ラルゲユウスを追って駆け出した。「一緒に連れてってくれ!」と叫ぶが、すぐに別れが来たことを悟る。夕日の沈む沖へ飛び去るラルゲユウスと、見送る少年のシルエット。ギターが奏でる詩情豊かなメロディーをバックに、やがて巨鳥は消えていく。少年は、いつまでもそこにたたずんでいた。

 
子どもの頃、ヒーローやお姫様になるというような、大人から見れば非現実的な夢を見ていた人は少なくないだろう。僕らはいつしか現実に直面し、そういった夢を手放して大人になった。「鳥を見た」は、誰もが経験するような、子ども時代の夢との別れを描いた秀作である。

 
物語の主人公は身寄りのない少年、三郎だ。彼は、いつか遠い所に行って王様になるという、途方もない夢を心に描いていた。ある日、村の小舟を勝手に漕ぎ出し、近くの島へ向かう途中、どこからともなく現れた小鳥と出会う。その正体は、古代からタイムリップしてきたラルゲユウスだったのだが、何らかの原因で普段は手に乗るほど小さい。三郎はそれに「クロウ」と名前を付けて可愛がり、沖を行く大型船を眺めながら自分の夢を語り聞かせたりしていた。

 
あるとき、村の大人たちが三郎を連れ戻しに来た。しかし、クロウが小さい体で果敢に立ち向かい、追い払う。勝ち誇る三郎は、クロウのおかげで(一時的にせよ)自由を獲得した。これは僕の解釈だが、この瞬間、三郎は島の“王様”になったのではないだろうか。「夢の実現」と呼ぶには至極ささやかなものだが、クロウがそれをもたらしてくれたのだ。

 
この後、クロウは捕らえられてしまったが、閉じ込められた篭の中で巨大化を始め、建物をも壊して飛び立つ。その翼がもたらす強風が町を破壊。しかしラルゲユウスに、攻撃する意図はない。ただ空を飛ぶだけである。存在するだけで文明社会と相容れない怪鳥の姿は、大人の常識から大きく外れた三郎の夢と重なる。束縛を逃れ、自由を得たラルゲユウス。しかし、三郎を連れて行ってはくれなかった。三郎は、本当の王様にはなれなかったのである。

 
「鳥を見た」の脚本は山田正弘氏。中川晴之助監督とのコンビで、以前紹介した「カネゴンの繭」(https://www.jvta.net/co/akenomyojo126/)も手がけている。「カネゴンの繭」は、子どもの目を通して見た、大人社会に対する風刺の効いた作品だったが、「鳥を見た」は少年の夢や成長といった、子ども自身が物語の主題だ。山田氏と中川監督は、第6話の「育てよ!カメ」も含め、少年を物語の中心に据えたファンタジー色の強い作品を世に送り出している。

 
実を言うと、山田氏が書いた脚本のタイトルは「鳥を見た・・・・・・」だったそうだ。完成作品ではどういうわけか「鳥を見た」になったが、これについては氏本人が、「ニュアンスが違ってしまう」と不満を口にしていたという。一般的に語尾に「・・・」が付けば、余韻や言外の意味を感じさせるものだが、元々のタイトルにどんな思いが込められていたのだろうか?物語冒頭のシーン、動物園の飼育係が倒れているのが見つかった際、彼が事切れる直前にひと言だけ発した言葉が、「鳥を見た」だった。同じ言葉は、他の場面にも登場する。三郎の住む漁村に現れた、古い帆船内でのことだ。幽霊船のような船内で見つかった航海日誌。そこに書かれた最後の言葉が、やはり「鳥を見た」だった。どちらも状況から見て、何か異常事態が起こったこと、それに鳥が関係していることが明らかだろう。タイトルを「鳥を見た」と言い切りの形にしないことで、そういった言外の意味を強く匂わせ、かつミステリアスな雰囲気を与えることができる。

 
ただし、物語の主題がラルゲユウスの脅威ではないのだから、この解釈では足りない。テーマは、すでに述べたように三郎の夢との別れだ。だから、彼の視点で考える必要がある。比較として、「・・・」とは正反対のイメージを持つ「!」を付けてみよう。「鳥を見た!」からは、三郎の興奮している様子や、彼がその経験を肯定的に捉えていることが想像されるが、ラストシーンの彼の心情とかけ離れている。「自分の夢を象徴するような鳥と出会ったけれど、その鳥は夢を叶えてくれなかった。」山田氏が語尾の「・・・・・・」に込めたのは、夢と別れた三郎の哀しみであるに違いない。また「鳥を見た・・・・・・」には、大人になった三郎がラルゲユウスの姿を思い出しているような雰囲気も、僕には感じられる。この作品を「少年の日の遠い思い出のような物語」と評したのは、映画評論家であり、自身も映画監督・脚本家を務める白石雅彦氏だが、まさにそんな味わい深さが感じられるタイトルなのではないだろうか。

 
冒頭に挙げた、シリーズ屈指の叙情的なラストシーン。バックに流れる曲は、この作品のために書かれた。淋しさと同時に優しさも感じさせ、しみじみと物思いにふけりたくなるようなメロディーだ。作曲は、『ウルトラマン』の音楽も担当した宮内國朗氏。「カネゴンの繭」では対照的に、元気な子どもたちにふさわしい、はつらつとした楽曲を手がけているが、どちらも作品のイメージと切っても切れない存在感を放つ。そしてどちらも、子ども時代を振り返りながら聞けば、心に染み渡るような旋律である。音楽が、作品の完成度を高めてくれている。

 
「鳥を見た」(『ウルトラQ』12話)
監督:中川晴之助、脚本:山田正弘、特殊技術:川上景司


 
—————————————————————————————–
Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】アニメ『映像研には手を出すな!』にはまった。数ある魅力の中でも、舞台となる高校の世界観が楽しい。あの高校なら、「銭湯美術研究会」とか「山岳自転車部」とか「アニメエンディングテーマ研究会」とか作れそう。特撮系は多すぎて書き切れないので割愛!
—————————————————————————————–

 
明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る

 
バックナンバーはこちら

Tweet about this on TwitterShare on Google+Share on FacebookShare on TumblrPin on PinterestDigg thisEmail this to someonePrint this page