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やさしいHawaii 第73回 ハワイの未来を予言した男

やさしいHawaii 第73回 ハワイの未来を予言した男
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【最近の私】ここ1週間ほど暑さが急だったので、体がついていかない。でも今日あたりはだいぶ慣れてきて、やっぱり「夏が好き」。
 

今回取り上げるのは、デビッド・マロというハワイの歴史家です。
あのカメハメハ大王が最も強い勢力を持ち、ヌウアヌパリでの戦いに勝利しハワイを統一した時とほぼ同じ時代に、マロは生まれました。父親はカメハメハ軍に仕え、彼自身もカメハメハの妻カアフマヌの弟クアキニと親交があったため、古代ハワイの歴史、神話などの造詣を深くし、伝統、メレ(詠唱)、王族の家系、フラなど、広い分野での豊富な知識を持っていました。彼は古代ハワイの文化の中で人生の前半を過ごし、口承文化の時代の語り部として活躍しました。
 

ところが1820年、キリスト教の宣教師がやって来て以降、ハワイの社会は根源にかかわることすべてに大きな変化が起きます。これまでのハワイの宗教、神、文化がすべて否定され、古代ハワイの生活を厳しく規制する基本となったカプ(タブー)制度が崩れました。
 

マロは古代ハワイの中で育ち、その文化について高い知識を持ちながら、後にキリスト教の布教によって強い影響を受けます。ハワイの古代文化について貴重な資料を著し、また聖書のハワイ語翻訳にも尽力する功績を残しますが、大きな社会の変化の狭間でマロは苦しんだのです。
 

まずは、彼の予言(1837)です。
 
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※〔写真は『Hawaiian Antiquities』 から〕

“If a big wave comes in, large fishes will come from the dark ocean which you never saw before, and when they see the small fishes they will eat them up; such also is the case with large animals, they will prey on the smaller ones;
The ships of the whitemen have come, and smart people have arrived from the Great Countries which you have never seen before, they know our people are few in number and living in a small country; they will eat us up, such has always been the case with large countries, the small ones have been taken Over throughout the world.”
(この原文はハワイ語で書かれていたため英訳はいくつかあり、部分的に少し違いがありますが、大勢は同じ)
 

デビッド・マロの予言(1837年)
『大きな波が押し寄せ、見たこともない暗い大海から巨大な魚がやってくる。その巨大な魚は小さな魚を見つけるとぺろりと平らげる。大きな動物も同じことだ。彼らは小さな動物を餌にして食い尽くす。
白人が乗った船がやってきた。頭のいい彼らは、見たこともない巨大な国々からやって来た。彼らは我々が民の数も少ないし国も小さいことを知っている。そして我々をぺろりと平らげるだろう。大国というものは常にそうしてきた。小さな国々は世界中でずっと、そういう目にあってきたのだ。』(扇原訳)
 

これはデビッド・マロが42歳の時、ハワイの未来を予知し憂えた言葉です。後々、この予言は彼自身の死にまで影響を及ぼすことになります。
 

デビッド・マロは1795年、ハワイ島コナの北部ケアウホウで生まれました。古代ハワイ文化に囲まれた環境の中で育ち、語り部としてハワイの伝統文化を伝えていました。(デビッド・マロの生まれた年に関しては諸説ありますが、最も信頼性の高いBishop Museum Press の情報をとりました)
 

その後、マウイ島ラハイナに移り、宣教師ウィリアム・リチャード牧師と知り合い、強い影響を受けます。36歳前後にハワイで最古のミッションスクール、ラハイナルナ・スクールの一期生として、最年長で入学します。マロは入学前にリチャード牧師から英語の手ほどきを受けていたので、スクールでは生徒というより、むしろ教師の役割が大きかったようです。しかし英語の読み書きを学んだマロではありましたが、36歳からの全く新しい言語の習得はかなり困難でした。
 

リチャード牧師の影響でキリスト教に改宗したマロは、クリスチャン・ネームのデビッドを授けられました。そして牧師が聖書をハワイ語に翻訳するのを手伝います。それまで古いハワイの信仰の中で育ったマロでしたが、改宗以降は古代ハワイの宗教儀式などを軽蔑し始め、自身が育った文化を見下すようにさえなりました。おそらくキリスト教文化に対する渇望の裏で、同時に強い恐れも感じたのだろうと思います。自分が育った古代ハワイが、いつの日にかキリスト教文化に支配されてしまうのではという不安から、古代ハワイを否定するようになったのではないでしょうか。
 

ラハイナルナ・スクールの周囲の白人たちは、マロの古代ハワイに関する高い知識が大変貴重であることに気づいていました。中でも、スクールの創始者であるロリン・アンドリュースはマロに古代ハワイの宗教や歴史に関してハワイ語で記述することを勧めます。このハワイ語で記された『Moolelo Hawaii』は1838年に出版。後にナサニエル・エマーソンによって英訳されて『Hawaiian Antiquities』として出版されました。マロの著書の英訳で出版されたものは、これが唯一の本です。(ハワイ語ではほかにカメハメハ一世について書いたと言われていますが、その原稿は発見されていません)。
 
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〔Hawaiian Antiquities by David Malo〕
 

『Hawaiian Antiquities』のハワイ語の原本と英訳については、翻訳されてから1世紀以上経つ現在、様々な疑問点が出てきています。翻訳するということは、大変な作業です。一世紀後にも、こうして問題点を指摘されることがあるのですから。
 

エマーソンは『Hawaiian Antiquities』の前文で、マロについて個人的な情報を語っていますが、その最後の部分に、思いもかけないことが記されていました。
『作家としてのマロが背負っていたハンディの一つに、ペンを使用する経験の未熟さがあった』。
口承文化の中では、ペンを持つ必要がなかった。実はペンで文字を書くことがマロにとっては大きな障壁であったのだという、想像もしなかった事実に改めて気づかされました。
 

最後に、マロに関するわずかな資料の中で、個人生活に触れたいと思います。
 

彼は3回結婚しました。
最初の結婚はマウイ島に移動する前に、Aa-lai-oa(1790?~1822)という、首長の未亡人との結婚です。彼女はマロより5歳年上でした。マウイの大首長カヘキリの娘、という説もありますが、おそらくそうではないようです。古代ハワイでは、たとえ身体的に魅力がなくても、富と地位があれば女性が男性を選ぶことはよくあることだったようです。マロは背が高く引き締まった体形をし、行動的で雄弁な人物だったと、エマーソンは記しています。そんなところにこの首長の未亡人は魅かれたのかもしれません。子供はできず、マロが27歳の時に亡くなりました。
 

その後マウイ島に移り住み、2番目の結婚をします。妻の名はPahia(1796~1845)。彼女も女首長の血を引く女性だと言われています。キリスト教徒になり、洗礼名をBathshebaといいます。やはり子供はいませんでした。マロの妻としては、このPahiaだけが正式な記載があります。
 

最後の結婚は悲惨な結果になりました。妻はLepeka(1810~1853)といい、マロより15歳若い女性でした。洗礼名をRebeccaといいます。娘が一人生まれ、名前を最初の妻の名をとり、Aa-lai-oaと名付けました。エマーソンによると、この女性は大変奔放な性格で、その自堕落な行動がマロの心に重くのしかかり、彼を深く傷つけました。マロは苦しんだ末に食事をとることを拒み衰弱していきます。彼が牧師をしていた教会のメンバーが集まって回復を祈りましたが、無駄でした。マロは最後の望みを彼らに託します。それは『自分をカヌーに乗せてラハイナに運び、母校であるラハイナルナ・スクールの裏手にあるマウント・ボールと呼ばれる丘に葬ってほしい。そこなら西欧の侵略の波は押し寄せてこないだろう。そこなら自分の墓の上に白人が家を建てることもないだろう』
 

1853年、彼の遺体は望みどおり、マウント・ボールに安置されました。58歳の生涯でした。
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※デビッド・マロの墓
写真はともに『Images of Old Hawaii』から
 

マロが42歳の時に書いた、あの『巨大な魚が小さな魚をぺろりと平らげる』という予言に、彼自身、生涯縛られていたのでしょうか。西欧の文明とキリスト教の文化に魅了された一方で、その波にのまれるハワイを強く憂えたマロ。変わりゆく二つのハワイの狭間で、彼は人一倍強く苦しみを感じたに違いありません。
 

<参照>
『Hawaiian Antiquities Mo’olelo Hawai’i』 by David Malo
Translated by Nathaniel B. Emerson
 

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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
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やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。
 
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