【憧れの北欧映画の字幕を担当】閉ざされた療養所で暮らす女性たちの想いを丁寧に伝えたい
10月17日、フィンランド映画祭が渋谷のユーロスペースで開幕する。今年も全5作品の字幕制作をJVTAで学んだ翻訳者14名が手がけている。翻訳者の中にも北欧映画ファンは多い。今年の上映作品『みんなに伝えて』(アッリ・ハーパサロ監督・2026年)の字幕を担当した横溝藍子さんも、個人的にこの映画祭に足を運んでいた一人だ。学生時代、フィンランド語のルーツに興味を持ったことがきっかけだという。今回字幕に携わるにあたり、とても嬉しく思うと同時に、大きな責任も感じたと話す。
「ヨーロッパの多くの言語がインド・ヨーロッパ語族に属する一方、フィンランド語はウラル語族に属しています。それをきっかけに、フィンランドの言語や文化に惹かれるようになり、以来、フィンランドの映像作品も大好きです。アキ・カウリスマキ監督の『過去のない男』を初めて観たときの衝撃は、今でも忘れられません。フィンランド映画祭にも毎年気になる作品が多く、以前から密かに憧れていた映画祭でした」(横溝藍子さん)
『みんなに伝えて』の舞台は19世紀後半のフィンランド。社会的に『不都合』と見なされた女性たちが、“精神病患者”として理不尽に隔離された離島だ。

「諦めの漂う他の患者や施設スタッフたちとは対照的に、主人公のアマンダは自由を求め立ち向かいます。作品のテーマは女性の尊厳や社会の抑圧というシリアスなものですが、静かで美しい風景や、アマンダと他の患者たちとの交流に、息苦しさだけではない本作の魅力を感じられると思います。」(横溝藍子さん)
横溝さんと共に字幕を手がけたラムスデン多夏子さんは、今回初めて北欧映画に触れたが、翻訳を進めるうちに登場人物にどんどん感情移入していったと話す。
「全体的にセリフが少なく、映像や登場人物の表情や沈黙が多くを語る作品であり、それも引き込まれた理由の一つかも知れません。今では男女平等が進んでいる北欧にも、女性が不当に扱われた時代があったこと、そして、この頃の問題が現代と無関係ではないことに気づかせてくれます。少ないセリフで、美しい映像とともに静かに物語が進んでいく作品で、見た後もいろいろと考えさせられ、余韻の残る映画です。」(ラムスデン多夏子さん)
横溝さんとラムスデンさんが字幕翻訳をした後、チェッカーとして字幕チェックを担当した近藤希実さんもまた、かつて北欧5か国の作品を集めた映画祭「トーキョーノーザンライツフェスティバル」によく足を運んでおり、フィンランド映画祭に携わることは個人的にとても感慨深かったと話す。近藤さんにも、北欧映画の魅力を聞いてみた。
「スウェーデン生まれのイングマール・ベルイマンが大好きで、北欧映画には元々興味がありました。ベルイマンの時代は白黒映画で、暗闇や影をシャープに描く映像表現は何度見てもため息をついてしまうほどの美しさです。北欧映画には北欧の空気が取り込まれているというか、独特の光と影がスクリーンに宿っており、そこに強く惹きつけられるのだと思います。」(近藤希実さん)
◆史実に基づく当時の社会を慎重にリサーチして字幕に落とし込む
『みんなに伝えて』は、女性の登場人物が多いので、横溝さんは字幕でもそれぞれの口調や個性が伝わるよう配慮しながら、キャラクターに合った言葉遣いを考えていったという。また、映像や人物の表情に語らせる作品で、セリフもシンプルなものが多いため、近藤さんもチェックの際は翻訳の過不足(原文を補足しすぎること、原文の含意を落としすぎること)にはいつも以上に注意を払ったそうだ。
「翻訳者のお二人は、繊細なセリフにとても気を配り、主人公アマンダの意志の強さや、アマンダたち入所者を管理する立場にいる事務長のグレタが抱く複雑な感情を、とても丁寧に字幕に落とし込んでいました。」(近藤希実さん)
この作品は、史実に基づく原作の映画化であり、翻訳者には慎重なリサーチも必要だった。当時の女性の権利やフィンランドの社会状況は日本語や英語の資料が少なく、時には機械翻訳を使ってフィンランド語の資料を読んだり、画像検索をしたりすることもあったという。
「当時の歴史や社会背景を調べる中で、劇中の糸紡ぎが持つ強制労働の象徴としての意味や、黒いウェディングドレスで結婚式を挙げる習慣など、新しい発見もありました。横溝さんとも情報を共有し、調べたことをどこまでセリフに反映するべきかなど、二人で話しあいました」(ラムスデン多夏子さん)
◆注目は美しい風景に思いを馳せた歌詞の翻訳
作品の後半に、施設の女性たちがフィンランドの歌を歌うシーンがある。歌詞の翻訳は字幕翻訳の中でも難しいポイントでもある。このパートはラムスデンさんの担当だったが、横溝さんも作業中に何度も観てはその度に泣いてしまったという印象的な場面だ。歌詞の中には実在の山や湖などが登場する。チェッカーの近藤さんは、セリフや歌詞に出てくる地名をGoogleマップで探して、島が点在する湖水地方をストリートビューで確認。孤立した環境でありつつも美しい風景が広がる物語の舞台を感じ、登場人物たちが見つめていた景色に思いを馳せたという。とても美しいシーンだが、字幕チェックにはとても悩んだ箇所でもあるそうだ。
「『カンガサラの夏の日』の歌詞の訳出では、どんな心象風景を描いているかを探るために、歌の中に登場する『ハルユラの丘』に当たりをつけ、展望台のYouTube映像を見たりしました。」(近藤希実さん)
「この歌詞の翻訳では、チェックを担当された近藤さんの詩的なセンスに助けられました。美しい自然の情景を伝える言葉選びがとても参考になりました。」(ラムスデン多夏子さん)
◆過酷な時代を生き抜いた女性たちに贈る讃歌
「『みんなを伝えて』は過去に実在した女性の隔離施設を題材にした作品ではありますが、悲惨な史実を伝える以上に、過酷な時代を生き抜いた女性たちに贈る讃歌だと感じました。彼女たちの笑い声や歌い声が見る人の心に響けば、字幕制作に携わったひとりとして何よりうれしいです。」(近藤希実さん)
近藤さんがお気に入りのシーンがある。施設から逃走するため騒ぎを起こそうと企てたアマンダが自分のドレスを施設内の女性たちにすべて分けてあげるという場面だ。カラフルなドレスを身にまとい、踊ったり、歌ったり、ポーズを取ったり、走り回ったり、普段は閉鎖的、抑圧的な環境にある女性たちがここでは解放され、とても生き生きとしていている。騒ぎを聞きつけた管理係のグレタが女性たちの名前を呼びながら収めようとするのだが、結果的に一連のシーンは女性一人一人を名のある人間として紹介するような形になっていると近藤さんは話す。そこで、ここにしか登場しない女性の名前もあえて入れたいと、省略せずに訳出したという。
「最後にアマンダが下す選択について、ご覧になった方がそれぞれ何を感じ、どう受け止めるのか。上映後の反応をとても楽しみにしています。」(横溝藍子さん)
「普段は英米の映画を中心に見ていますが、作品を通じて、その土地の歴史や社会を知ることのできる映画が好きです。本作との出会いをきっかけに、英語圏以外の映画ももっと積極的に見てみようと思います。関西在住ですが今回、東京の映画祭会場に足を運ぶ予定です。」(ラムスデン多夏子さん)
北欧映画ならではの魅力を知る翻訳者だからこそ、じっくりと作品に向き合い、女性たちの想いを丁寧に汲み取ることができた。皆さんもぜひ、会場に足を運び、その想いを受け取ってほしい。

◆フィンランド映画祭
2026年10月17日(土)~10月23日(金)
渋谷 ユーロスペース
公式X https://x.com/FinlandFilmFes
【取材協力】
◆横溝藍子さん
恋愛系リアリティショーの字幕翻訳を数多く担当。他に、映画祭向けのアニメーション映画や配信向け旧作映画などのフィクションの字幕などを手がける。今後は、フランス語とイタリア語の知識、ワインエキスパートと学芸員の資格などを活かせる作品を翻訳するのが目標。
◆ラムスデン多夏子さん
アフリカ映画祭や、50年代や80年代といった過去のアメリカ映画の字幕制作にチーム翻訳として携わる。またICT分野の先端技術を紹介する映像のポストエディットなども手がける。
◆近藤希実さん
2021年から字幕翻訳に携わる。動画配信サイトのドラマやドキュメンタリー等、幅広く担当。映画祭が好きでよく足を運ぶほか、ショートショート フィルムフェスティバル & アジアやレインボー・リール東京、ひろしまアニメーションシーズン、Cinema at Sea – 沖縄環太平洋国際映画祭等の上映作品の字幕なども手がけている。

◆【映像翻訳VODプログラムを2026年10月より開講!】
~VOD授業×個別サポートで、より効果的かつ効率的にプロを目指す~
映像翻訳VODプログラムは毎月入学可能!無料のリモート個別説明会を随時開催しています。プログラムの詳細はもちろん、映像翻訳業界の最新情報やプロまでの具体的な道のりなどをマンツーマンでご説明します。お気軽にご参加ください。
※詳細・お申し込みは▶こちら






