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明けの明星が輝く空に 第164回:ウルトラ名作探訪16 「恐怖の宇宙線」

明けの明星が輝く空に 第164回:ウルトラ名作探訪16 「恐怖の宇宙線」
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怪獣は物語の都合上ワルモノにされるが、本能に従って行動する彼らの本質は決して「悪」ではない。反対に、人間の側に正義があるのか問われる場合もある。「恐怖の宇宙線」の主役である子どもたちにとっては、なんとウルトラマンこそワルモノであった。

 

ある日、ムシバと呼ばれる少年が、土管に怪獣の落書きを描く。彼がガヴァドンと名付けたその怪獣は翌日、現実のものとなって町に出没した。地球に異様な宇宙線が降り注いだことが原因らしい。ただその怪獣は、攻撃を受けても特に反撃はせず、やがて居眠りを始める。手をこまねいて見ているしかない科学特捜隊の面々。やがて日が暮れると、怪獣ガヴァドンは夕闇に溶けるように消えていった。

 

その夜、ムシバと友人たちが土管置き場に集まり、ガヴァドンを強そうな怪獣に描き直す。しかし、翌朝、再び出没したガヴァドンは相変わらず寝てばかり。それでも、ただいるだけで日本の経済活動はストップしてしまう。巨体から発するイビキが強風や騒音を生んでしまうからだ。3度目の出現の際、ついに戦車部隊による攻撃が始まった。ウルトラマンも登場するが、ガヴァドンへの攻撃に抗議していたムシバたちからは「帰って」という声が上がる。ウルトラマンがガヴァドンと戦う間、子どもたちはずっと口々に「殺さないでよー」、「やめてくれよー」といった声を上げ続けていた。

 

ガヴァドンは結局、ウルトラマンに抱え上げられ、空の彼方へと姿を消す。その夜、ムシバたちが空を見上げていると、ウルトラマンの声が聞こえてきた。毎年七夕の星空の中で、ガヴァドンに会えるようにしよう、というのだ。その言葉を聞いて喜ぶかと思いきや、「雨が降ったらどうなるんだよぉ」と不満げなムシバ。夜空にぼんやり浮かんだガヴァドンの目から、星が流れ落ちた。

おそらく、子どもたちに帰れと言われた特撮ヒーローは、この時のウルトラマンだけだろう。ウルトラマンのヒーロー性を否定したとも言える本作は、番組のコンセプトを覆す危険性をはらんだ作品だった。監督は、ウルトラファンなら知らぬ人はいないという鬼才、実相寺昭雄監督。脚本を書いた佐々木守氏とのコンビで撮った6本の作品は名作揃いだが、このようにヒーロー番組の王道から外れたものが多い。

 

そもそもガヴァドン自体、従来の怪獣のパロディと取ることができる。なにせ凶暴性はゼロ。攻撃されても反撃せず、寝てしまうのだから。そしてパロディ化は、科学特捜隊にも及んでいる。作戦会議でイデ隊員が、夜の間にガヴァドンの落書きを消してしまえばいいと妙案を出した場面だ。同僚のアラシ隊員は「科学特捜隊が落書きを消しに行けるか」と突っぱね、ムラマツ隊長も我々は正々堂々と戦うと大真面目に宣言するのだ。明らかにイデの意見の方が正論なのだが、ムラマツらは科特隊のあるべき姿に固執してしまっている。これは、マンネリ化した「怪獣出現→科特隊出動→攻撃」といった番組のフォーマット(常識)に対する皮肉なのだろう。

 

一般論として、常識や王道が大人のものとすれば、そこから外れるのが子どもである。作戦会議でのやりとりの後、場面が変わって夜の土管置き場。ムシバたちが集まってきていた。彼らは厳しい親の目を盗み、夜だというのに外出してきたのだ。常識的な親は子どもの安全を考えて夜の外出を禁ずるが、子どもからすればそれは束縛だ。そんな彼らにとって、絵という二次元の束縛から解き放たれたガヴァドンは、自由の象徴だったに違いない。いや、さらに言えば、ガヴァドンは子どもたち自身なのかもしれない。考えてみて欲しい。なぜガヴァドンは、日が落ちると姿を消す怪獣なのか。その設定のウラには、どんな意図があるのか。それはおそらく、夕方家に帰る子どもたちのメタファー、あるいはカリカチュアだからなのだ。

 

物語は最後に、大人と子どもの対比を描いて幕を閉じる。科特隊の面々が訪れた公園で、大勢の子どもたちがコンクリートの地面に絵を描いていた。中には怪獣の絵を描いている子もいる。再び特殊な宇宙線が降り注ぎ、第2、第3のガヴァドンが出現しないとも限らない。「自分の好きなものを描く自由は子どもたちにある」というナレーションが流れる中、困惑するハヤタ隊員(ウルトラマン)やムラマツ隊長らの姿があった。

 

「恐怖の宇宙線」におけるウルトラマンは、ムシバたちから見ればヒーローでも超人でもなく、大人たちの1人に過ぎなかった。普通なら感動的な場面になったであろう、七夕にガヴァドンと会えるようにしようと語りかけたところでも、「雨が降ったら」という“ツッコミ”を入れられてしまい、まったく立つ瀬がない。こんなふうにウルトラマンを揶揄してしまった実相寺監督は、自らの作品を「直球」ではなく「変化球」だと表現している。訳あってTBS局内で“干されていた”のだが、『ウルトラマン』で登板。番組を撮りたくてウズウズしていたのか、「恐怖の宇宙線」からは人と違ったことをしてやろうといった意気込み、自己主張のようなものが感じ取れる。そして、そんな監督の企みからは、たとえウルトラマンといえども逃れられなかったのである。

 

「恐怖の宇宙線」(『ウルトラマン』第15話)
監督:実相寺昭雄、脚本:佐々木守、特殊技術:高野宏一

 

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】大学の後輩に誘われ、数年ぶりに劇場で芝居を観ました。舞台の演技は映画・テレビと全然違うもんだなあと、今さら気がつきました。でも一番驚いたのはチケット代。観劇って贅沢な趣味なのだなあ。

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明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る 

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