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明けの明星が輝く空に 第114回 『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』

明けの明星が輝く空に 第114回 『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』
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【最近の私】最近、ある法律事務所のテレビCMで、寺尾聰の懐かしい歌が流れている。やっぱり良い歌だ。さっそくYouTubeで聴きながら、カラオケで歌えるよう練習しているこの頃です。

 
子供のころ、よくゴジラ映画を観ていたというマイケル・ドハティ監督による『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(以下、『KOM』)を観ていて、思わずニヤッとしたシーンがある。それは、登場人物の一人が、ゴジラ最大の宿敵ギドラのことを「モンスター・ゼロ」と呼んだ場面だ。「モンスター・ゼロ」とは、『怪獣大戦争』(1965年)に登場したX星人が使った呼称で、よっぽどの特撮好きでなければ知らないだろう。X星人を演じたのが、このブログで以前紹介した土屋嘉男さん(1)だったから、僕としては余計にうれしかった。

 
『KOM』には、ほかにも過去のゴジラ映画に対するオマージュが散りばめられている。わかりやすいところでは、ドハティ監督が「ゴジラ映画の魂」であり、それなくして「ゴジラ映画は成り立たない」とまで評する、伊福部昭(2)作曲の『ゴジラのテーマ』が使用されていることだろう。『モスラ』(1961年)でザ・ピーナッツが唄った、『モスラの歌』のメロディーも劇中に流れる。また、「モナーク」と呼ばれる特務機関でモスラを研究するチェン博士は双子という設定だが、これはもちろん、ザ・ピーナッツ(3)が双子のデュエット歌手であることを踏まえた上でのことだ。さらに、エンドロールの最後に映し出されたのは、ゴジラの初代スーツアクターである中島春雄さん(4)の写真だった。

 
特筆すべきは、キングギドラ(『KOM』では「ギドラ」)、モスラ、ラドンといった東宝怪獣たちが、大きくデザインを変えることなく登場したことだろう。初登場から半世紀以上経ったいま、日本の生んだ怪獣たちが海を渡り、ほぼ同じ姿のまま海外作品で活躍するなんて、往年のファンにとって感動的ですらある。

 
圧巻だったのは、ラドンのスピード感溢れる空中戦だ。背後から迫る巨大なラドンに、為す術もなく叩き落とされていく戦闘機隊。スリリングで迫力があり、かつ怪獣映画特有の“非日常的空間”の魅力が、観る者をしびれさせる。僕がこの映画で、一番気に入った場面だ。

 
ただ、そのほかのアクションシーンは、さほど楽しめなかった。肝心の怪獣の姿や動きがよく見えなかったからだ。ほとんどの場面は映像が暗く、暴風雨や炎、爆煙、飛び散るビルの破片などのせいで、いわば“紗”が掛かっているような状態になっている。似たようなことは、前作、『Godzilla ゴジラ』(2014年)の映像でも感じた(5)。また、カメラアングルが激しく変わる(6)のも、僕は好きではない。自分の視点が固定されていないと、対象物がどんな動きか把握しにくいからだ。たとえるなら、ジェットコースターに乗りながら、体操競技の月面宙返りを見るようなものだろう。迫力のある映像にはなるだろうが、月面宙返りという技の美しさや技術の高さを味わうのに、ふさわしい方法とは言えない。

 
ドハティ監督が「モンスターオペラ」と形容する『KOM』は、全編にわたって怪獣たちのバトルが繰り広げられる。このことは『シン・ゴジラ』(2016年)や『Godzilla ゴジラ』を観て、ゴジラの登場シーンが短いと不満を抱いていたファンを歓喜させたようだが、逆に僕にとっては“タメ”がなくなり緊迫感に乏しいと感じる要因となった。バトル自体も物語前半から後半まで同じようなテンションで、メリハリがあまり感じられない。ふと頭に浮かんだ言葉が、“遊園地のアトラクション映像”。そう捉えれば、固定されないカメラアングルの理由も納得がいく。勢いのある圧倒的な映像の狙いは、観客の思考を停止させ、一種のトランス状態に導くことなのだ。

 
そんな『KOM』にも、テーマはある。ドハティ監督は、怪獣を自然の象徴であり、乱された地球の秩序を正す存在と捉え、人類に対して警鐘を鳴らす作品にしたかったようだ。しかし、その想いは十分に具現化されていただろうか。劇中、主要な登場人物の一人が人類の歴史を振り返り、このままでは地球は滅亡する、と訴えるが、人間の宿業を感じさせるようなシーンはほぼ出てこない。しかも物語の主題が、途中からギドラという地球外生命=“よそ者”の排除に変わってしまっている。

 
もう一点、どうしても触れておかなければならないのが、核や放射能に対する“能天気なまでの無邪気さ”だ。瀕死の状態になったゴジラを復活させるため、科学者たちが選択したのは、あろうことか核爆弾を使いそのエネルギーを利用することだった。ある映画評論家はその場面について、「原子力の平和利用を示唆」している可能性を論じているが、果たしてそうだろうか。オリジナルの『ゴジラ』に込めた本多猪四郎監督の想い(7)を知り、『シン・ゴジラ』で原子炉のメタファーであるゴジラの暴走を目撃した僕は、とてもじゃないがそんなふうに考えられない。みなさんは、どうお考えになるだろうか。

 
◆『明けの明星が輝く空に』注釈を読み解く過去の関連記事

1.土屋嘉男
https://www.jvta.net/co/akenomyojo97/
2.伊福部昭
https://www.jvta.net/?p=3772
3.ザ・ピーナッツ
https://www.jvta.net/co/akenomyojo111/
4.中島春雄
https://www.jvta.net/co/akenomyojo92/
5.『Godzilla ゴジラ』の映像についての感想
https://www.jvta.net/?p=4402
6.激しく変わるカメラアングル
https://www.jvta.net/co/akenomyojo81/
7.本多猪四郎監督
https://www.jvta.net/co/akenomyojo108/

 
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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
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明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る

 
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