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【留学生現地レポート】ロサンゼルス校周辺のおすすめスポットはここ!

ロサンゼルス校があるトーランス市は、ロサンゼルス国際空港から車で30分程度のところにある閑静な住宅街。留学生にとっては落ち着いて学べる上に、週末は観光地などにも行くことができる立地が魅力だ。

ロサンゼルス校のキャンパスはトーランス市の中心にあり、徒歩圏内でも十分楽しむことができる。現在留学している受講生に学校周辺のおすすめスポットをレポートしてもらった。

<全体MAP>

スポット1:Del Amo Fashion Center フードコート

授業終わりにクラスメートとランチをするのにおすすめなのが、デルアモ・ファッション・センター内にあるフードコートです。ここではピザ、ハンバーガー、ポキ丼、メキシカン料理、中華料理やモンゴル料理など、様々な食事を楽しむことができます。お値段も$10〜$20程度で、物価が高めなロサンゼルスでもリーズナブルな価格でランチを食べることができます。さらに、デルアモ・ファッション・センター内では無料のWi-Fiに接続できる上、フードコート内にはところどころ電源コンセントもあるので、私はランチ終わりにそこでそのまま授業の復習をしたり、次の課題に取り組んだりすることもあります。

◆Del Amo Fashion Center公式サイトはこちら

スポット2:Katy Geissert Civic Center Library  ケイティ・ジェイスト・シビック・センター(図書館)

次にご紹介するのは、学校から徒歩5分ほどの場所にあるKaty Geissert Civic Center Library(市民図書館)です。授業後は毎回ここで勉強をして帰るという留学生も結構いて、私もかなりの頻度で利用しています!3階建ての広々とした館内には個人専用スペースがたくさんあり、落ち着いて勉強するには最適の場所です。個人スペースの各デスクには電源が備え付けられており、もちろん無料のWi-Fiもあるので、インターネットでの調べ物(映像翻訳の仕事には欠かせないものです!)もできますし、息抜きに動画を観たりもできちゃいます。

あまりの居心地の良さに、気がついたら数時間経っていた…ということもしょっちゅうある、超オススメスポットです。

Katy Geissert Civic Center Library公式サイトはこちら

スポット3:Torrance Beach トーランスビーチ

勉強や課題の息抜きにおすすめなのが、トーランスビーチに出かけることです。

学校から車で約15分の場所にあり、地元の人たちに愛されるこぢんまりとした美しいビーチです。私の家からは自転車でも行けるので、学校が休みの日などはひとりでふらっと出かけることもあります。おすすめポイントは、なんといってもとても閑静であることと、夕日の美しさです!

実はこのトーランスビーチから北に自転車を走らせると、レドンドビーチ、ハモサビーチ、そしてマンハッタンビーチと続いているのです。休みの日などはサイクリングもかねてビーチ巡りをしても楽しそうです。

◆Torrance Beach 公式サイトはこちら

スポット4: Barnes & Noble バーンズ・アンド・ノーブル

日常の忙しさから逃れ、落ち着いた雰囲気に癒されたい方にはぜひ、アメリカの代表的な書店であるBarns and Nobleをおすすめします。学校からも徒歩圏内にあるBarnes and Nobleの1階にはスターバックスが入っているので美味しいドリンクを飲みながら、時間を気にせずゆっくりと好きな本を楽しむことができます。こどもの絵本から小説、ファッションマガジンに至るまで品揃えも豊富で、立ち読みもOKなので読みたい本が見つかるまでじっくりと時間をかけて探すことができます。英語の本をまるごと1冊読み切るのは中々ハードルが高いと感じるかもしれませんが、語彙力や表現力を磨くにはぴったりの勉強方法だと思うので、アメリカにいる間にぜひ挑戦してみてください!

◆Barnes & Noble公式サイトはこちら

ロサンゼルス校への留学を検討中の方はぜひ参考にしてほしい。

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ロサンゼルスに親子留学!
子供は現地校へ、母は翻訳学校へ入学

長年憧れだった映像翻訳を学ぶため、約3年間JVTAロサンゼルス校に留学した山西貴美子さん。自身の留学に加えて、2人の子供を帯同する親子留学を実現させた。山西さんはまず、JVTAとアルクで共同開発した映像翻訳Web講座で映像翻訳の学習を開始。その後、留学先のロサンゼルス校で通訳や映像翻訳などを学んだ。当時、小学生だった子供たちとのアメリカ生活や山西さん自身のJVTAでの学びについて話を聞いた。


●東京のインターナショナルスクールvsロサンゼルス留学(現地校)
山西さんは、関西で英語学校と留学斡旋会社を運営し、当時、2人の子供はインターナショナルスクールに通っていた。子供の教育と自身のキャリアについて試行錯誤していた時期に、まずは子供のことを優先し、東京にある質の高いインターナショナルスクールへの進学を検討する。しかし、そこで関西から東京への転居費用と教育費を考えた際、子供たちをアメリカの現地校に通わせるロサンゼルス留学の費用とあまり差がないことに気づいた。「真の英語力は現地での体験なしでは会得できません」と山西さんは断言する。子供たちに本場の英語環境を与えられると同時に、山西さん自身も長年興味があった映像翻訳の勉強ができる。この2つを実現できるのが、JVTAロサンゼルス校への留学だったのだ。


●親子留学は事前準備を徹底すること
留学準備には、約4カ月間かけた。ビザ申請においては懸念があったので、書類の準備は慎重に進めた。アメリカ大使館宛てのレター作成や面接練習などJVTAの学校スタッフのサポートのもと、漏れがないように一つひとつ丁寧に準備。同時に、現地の日本語情報サイトを利用して、生活情報を収集した。住居探しでは、現地にいる日本人の仲介人とコンタクトを取り、子供同伴でも安全な地域を選択。渡米当初は、アパートを借りていたが、その後、一軒家へと移り住んだ。「引っ越しが功を奏し、心優しい大家さんや近所の方々にもめぐり逢い、私たち親子を受け入れてくれる人がいる環境に身を置くことができました」と笑顔で語ってくれた。


●子供はロサンゼルスの現地校へ入学。学校選びのコツは?
アメリカでは住むエリアによって通学する学校が決まる「学区制度」がある。学区のランクは1から10まであり、高いと学びの環境も整っている。山西さんは、学校ランクが7以上を条件にしていた。住むエリアは、山西さんが通うJVTAロサンゼルス校にも通学圏内のレドンドビーチエリアを選択。学校ランクは7以上で、ご自身の希望にもマッチした環境だった。現地に到着してから小学校の校長先生にメールを出し、学校を訪問。必要書類を提出して、子供の転入も無事にクリアした。


●アメリカ生活で通訳・翻訳に必要な基礎的な語学力を磨く
ロサンゼルス校は、英日・日英の通訳、実務翻訳、映像翻訳を学べる全日制コースを提供している。留学生の年齢層は、20代後半~30代が主で、40代、50代の留学生もいる。山西さんのように家族帯同の留学生もいれば、ミッドキャリアの方や大学生など、バッググランドはさまざまだ。ロサンゼルス校では、通訳と翻訳に必要な基礎的な語学力を強化しながら、言葉のプロに必要なスキルを学ぶ。
山西さんは、通訳のためのコミュニケーションクラスで、日本人が苦手とする発音やイントネーションを徹底的に改善できたと話す。通訳者には、相手に伝わる英語と日本語のデリバリー能力が求められ、英語の正しい発音も重要な要素だ。さらに英語がメインの環境に身を置くことで、英語でアウトプットをする機会が増えたことも功を奏した。


●両立のコツは自分の学びの時間と子供との時間のメリハリ
留学中に自身の学びと子育てをどう両立したのか?山西さん自身は留学生としてクラスを受講したり、翻訳の課題に取り組んだり、学習時間を確保する必要がある。朝、子供を学校に送り届けてからが、自由が利く時間。子供たちをアフタースクールにも通わせていたので、そこでも自分の時間を確保することできる。それらの時間を活用し、翻訳クラスの課題や、通訳クラスの予習に取り組んだ。子供を学校からピックアップしてからは、彼らとの時間を優先した。週末はサッカーや水泳など子供の習い事で出会ったママ友やパパ友、現地の子供たちと過ごす機会もあり、プライベートも充実していた。「アメリカの子育てはパパの活躍がすごくて驚きました。自ら送り迎えしてくれたり、子供たちを旅行に誘ってくれたり、私にも気さくに声をかけてくれました」アメリカ式子育てを経験できたのは、現地生活ならではだ。

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※息子さんの習い事がアメリカの子育てについて学ぶ機会に

●留学したいが一歩踏み出せない方へ
山西さん自身、留学前は初めてのことに不安で眠れない日があった。「大きな決断をする時、不安はつきものです。マイナスなことで悩むのではなく、プラスのことを考えて行動に移すのがよいと思います」と話す。当時、息子さんは反抗期で、子育てで一番大変な時期をアメリカで過ごした。それでも、学校スタッフの励ましや、同じ志を持つクラスメイトとの友情、子供を通して出会った地域の人々に支えられたと話す。ここまで人脈を広げられたのは子供を通しての出会いも多かったからだという。まさに親子留学でしか得られない経験だろう。

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※空いている時間にお子さんたちとファーマーズマーケットや近くのビーチに行くことも


帰国後、山西さん親子は、ロサンゼルスでの経験を活かしてまい進している。当時、アメリカ行きを嫌がっていた長男は、現在、ロサンゼルスにある大学への進学を検討しているそうだ。山西さんは、アメリカで培った語学力を武器に日本でキャリアを築いている。約3年間の留学が親子にとって人生の転機になった。これからも、留学経験を活かして、活躍してほしい。


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武蔵野美術大学の学生を支援 映像翻訳の力で若き才能が開花する

2022年春、JVTAは武蔵野美術大学映像学科とコラボを果たした。同校で教授を務める小口詩子さんから依頼をいただき、同校で学ぶロメイエさんが監督した中国語作品『清風徐来』の英語字幕制作に協力した。本作は、2022年7月15日から開幕するSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2022で英語字幕付きでスクリーン上映され、またオンライン配信も行われている。英語字幕を手掛けたのは、JVTA修了生の新田ありささん。中国語作品の和訳から英語字幕を制作するという手順を踏んでいる。
 

●字幕は作品と一体化した表現の一部
今回のコラボについて、小口さんとロメイエさんにお話を聞いた。
 

「JVTAの修了生に、卒業制作2作品を翻訳していただきましたが、両方とも国際映画祭に入選したので驚いています。映像で物語を伝える映画にとって、洗練された字幕は、音楽のように作品と一体化し、表現の一部として機能します。字幕は、オリジナルの映像にはない付加要素として、邪魔にならないように、映像と響き合わなければなりません。愛情と想像力(ときには創造力)をもって作品を理解し、背景を考慮しながら、削ぎ落とされた字数で意味や情報、ニュアンスを最大限伝える。感性も技術も必要なお仕事だなと改めて感じました。学生の不手際や細かいリクエストにも耳を傾けて善処くださり、深く感謝しています。目から鱗の言葉選びに唸ったり、タイトルの英訳もご提案いただいたり、監督たちが感激していました。」(小口さん)
 

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『清風徐来』 監督 ロメイエさん
中国出身。浙江工商大学で映像を学び、卒業制作で『孔雀草日記』を監督。その後、武蔵野美術大学映像・写真コースの大学院(修士課程)に入学。在学中、『その跡』、『毛糸玉』などの短編を制作する。
 

「修了制作作品『清風徐来』は初めて20人ほどの大きなチームで制作した作品でした。私としては初めてのチャレンジだったこともあり、撮影現場では思いがけないことが次々と起きました。撮影日の天気予報は豪雨ばかりでしたが、撮影本番には晴れ上がり、今から思えば本当にラッキーでした。SKIPシティの入選には驚きつつ、スタッフや役者さんたちとともに喜んでいます。」(ロメイエさん)
 
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『清風徐来』の作品詳細はこちら
 

● 宗教・文化を含め作品をよく理解した上で中日翻訳→英語字幕を作成
本作の英語字幕を務めたのは、JVTA修了生の新田ありささん。中国語作品のため、和訳から英語字幕を制作するというプロセスだった。
 

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日英映像翻訳者 新田ありささん
 

「本作は中国語作品です。日本語字幕が付いていて、それを元に英語字幕を制作するというプロセスでした。映像翻訳では、セリフの真の意味や映像で起こっていることを視聴者に伝えるために原文の意味から少し離れてしまうことはやむを得ないと思っています。そのため、日本語字幕の意味を真に受けるよりは、役者の演技や、映像の全体的のテーマ、監督の意思等も参考にするなど、調べものを慎重に行い、翻訳に取り組みました。本作は、仏教が重要なテーマとなっているため、訳語の意味が合っているかだけなく、中国と日本の仏教に違いがないか、英語圏の仏教徒は同じような表現を使うかに気をつけました。その他に、すべての登場人物に現実味が湧くように、実際この話が英語圏であったらどのように話すのかを考えて、ナチュラルな英語になるように工夫しました。」(新田さん)
 

映像翻訳では、セリフを表面的に訳して終わりではない。的確な字幕作りをするためには、登場人物の関係性の理解が必須だ。
「登場人物それぞれの性格や関係性はよく理解して字幕作りに取り組みました。主人公・ズイの両親は、仕事や名誉を気にするタイプです。そして、ズイは、両親に対して態度が悪く、いわゆる反抗期を迎えています。その他、ズイの意見を聞いてくれて、打ち解ける存在も登場します。年頃の女の子は、そういう相手にどのように話すのかを考えて翻訳しました。両親が自分のことを理解していない、という気持ちは誰にでも共感できると思います。視聴者の共感を得やすい、現実味のあるキャラクターという意味では、翻訳しやすかったです。」(新田さん)
 

さらに、新田さんは字幕の「見た目」まで気を配ったという。字幕は映像作品の一部だ。見た目を重視するのは、まさにプロの技と言える。
「日本語字幕のスポッティング(※1)を参考にして、ハコ切り(※2)を行うときに英語の字幕として何が一番読みやすいか、また、見た目が良いかを重視しました。私は、中国語が理解できないので、中国語の音声のどれがどれの台詞なのか、自分では判断できなかったことが難しかったです。特に複数の登場人物が同時に喋っているところは特に注意を払って翻訳作業をしました。」(新田さん)
※1 スポッティング…字幕の出るタイミング(IN点)と消えるタイミング(OUT点)を決める作業
※2 ハコ切り…映像を見ながら、台詞等を字幕ごとにひとつずつ区切っていく作業

 

映像コンテンツが増え続ける中、映像に関わる職業選択をする学生が増えている。映像翻訳は、作り手の思いを受け止め、視聴者にその思いや意図を字幕や吹き替えにして届けるという、映像制作に関わる仕事だ。映像制作を学ぶ学生にも、翻訳者が、作り手と同じ熱量を持って映像と向き合っていることを知っていただきたい。新田さんが英語字幕を手掛けた『清風徐来』は、2022年7月15日から開幕するSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2022で英語字幕付きでスクリーンとオンライン配信の両方で上映される。JVTAでは、今後とも若きクリエーターたちの作品を世に送り出す支援を続けたい。
 

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2022 公式サイト http://www.skipcity-dcf.jp/
 

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【JVTAが新たな才能の世界進出を英語字幕でサポート!】SKIPシティ国際Dシネマ映画祭が開幕!
 

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【ロサンゼルス校 修了生インタビュー】エンタメ業界での経験を活かして映像翻訳に挑戦。日英トライアルに合格した秘訣とは?

JVTAでは、さまざまな職歴や経歴を持った受講生が通訳・翻訳を学んでいる。ロサンゼルス校の修了生 菅井桃子さんは、2010年に渡米して演劇を学び、その後、アメリカ国内で女優や歌手として活動を開始した。『マンマ・ミーア』や『コーラスライン』などの人気ミュージカルに出演。2015年には『アリージャンス』でブロードウェイデビュー。パフォーマーとして活躍しながら、JVTAロサンゼルス校で映像翻訳を学び、その後、日英映像翻訳の修了トライアルに合格した。菅井さんに、ロサンゼルス校での学びや日英トライアル合格の秘訣について話を聞いた。

●コロナ禍で仕事がキャンセル・・・在宅でできる仕事がしたい

コロナ禍に、パフォーマーの仕事でキャンセルが続いていた頃、JVTAロサンゼルス校の体験レッスンを受けました。演劇に関わっているので、もちろん昔から映画やドラマが好きで、映像に字幕を付ける映像翻訳の仕事にも興味がありました。ロックダウンで時間に余裕ができたこともあり、ロサンゼルス校への入学を決めます。これまで積み上げてきた女優や歌手としてのキャリアもありますが、それ以外にも手に職をつけて、できることを増やしたかったのが理由の1つです。パフォーマーだけではなく翻訳者という形で引き続きエンタメに関わる仕事に出会えてよかったと思っています。

●アメリカで身につけた英語力を活かして日英映像翻訳を選択

1学期目に受講する映像翻訳基礎クラスでは、英日・日英両方の映像翻訳についてを学びました。2学期目に受講する実践クラスでは、英日・日英どちらを受講するか選択できますが、私は日英映像翻訳の道に進みます。仕事もプライベートでも英語しか話さないので、実は日本語より英語の方が得意なんです。とは言っても、英語は母国語ではないので日英映像翻訳者になれるのか不安はありましたが、私の周りには英語ネイティブがたくさんいるので、翻訳に役立つ英語を教えてもらえるチャンスがたくさんあります。アメリカで生活していることは、翻訳をする上での強みにもなっていますね。

●映像翻訳に必要な英語力とは?

私はアメリカ生活の中で、実践的な英語を身につけてきたタイプです。映像翻訳には、文法や単語力など英語の基礎は必須ですね。また、英語の映像コンテンツを字幕なしで理解できるくらいの力は必要だと思います。ロサンゼルス校では、アメリカ在住の受講生以外に、日本から来ている留学生もいますが、こちらにいる間には、カルチャーセンターに行ったり、いろいろなコミュニティに属したりして、積極的に人に会うことをおすすめします。映像翻訳には、辞書を引いただけではわからない英語表現や、文化の理解が必要ですが、私はアメリカ人の友人や同僚と交流しながらそれらを学びました。

●仕事と学校を両立させ隙間時間も映像翻訳と向き合う

仕事をしながら学校に通いましたが、両立は可能だと思います。毎週、学校から翻訳の課題が出るので、締め切りまでに終わらせる必要がありますが、週に3時間の授業に参加する以外に、平均7時間ほど課題に取り組みました。まとまった時間が取れない時は、舞台のリハーサルの休憩中など、隙間時間を利用して課題をこなすこともありました。

●修了後のトライアルに合格。その秘訣は?

基本的なことですが、授業で学んだ一つひとつのポイントを翻訳原稿に反映できていたので合格したのではないかと思っています。特に映像翻訳に求められる原文解釈については、日本語の意味を徹底して理解するようにしました。また、原稿の推敲を重ねて、自身で作った字幕に違和感やエラーがないか確認を怠らなかったのも良い結果に繋がったと分析しています。講師からいただいたアドバイスも役立ちました。私は、原文の意味を一字一句訳しすぎて流れの悪い字幕になりがちとよく指摘されていたので、トライアルの時もそれを思い出して翻訳に取り組みました。自身の弱みを知っていると、その点に気をつけようと思えますよね。

●フリーランスは自分の強みを知っていることが重要

フリーランスは自分自身を売るスキルも必要だと思います。自分は何が得意なのか強みをよく知ることは必須ですね。私は、日本語ネイティブなので、日本語の理解には問題ないこと、アメリカ生活が長いので英語ネイティブが使う言い回しや口語表現が得意であることを強みにしたいです。また、日本の作品を海外に届けることにやりがいを感じているので、アニメ、ドラマ、ドキュメンタリーなどジャンルを問わずにさまざまな作品の映像翻訳を手掛けたいと思います。

●映像翻訳に向いているのは映像コンテンツが好きな人、書くことが好きな人

JVTAロサンゼルス校で映像翻訳を学べて本当によかったと思っています。これまでパフォーマーとしてエンタメ業界に関わってきましたが、映像翻訳者としても映像コンテンツを扱う仕事に繋がることができました。映像翻訳は、言語に興味がある人、言葉が好きな人、ドラマや映画など映像が好きな人に向いている職業だと思います。少しでも迷っているようでしたら、ぜひ挑戦してみてください。

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『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督)が海外で愛される理由 ロサンゼルス在住映画ジャーナリスト中島由紀子さんが解説

『ドライブ・マイ・カー』に続け!
海外で評価される日本映画の秘密とは何か? 映画ジャーナリスト中島由紀子さんが解説
 

濱口竜介監督の映画『ドライブ・マイ・カー』が第94回米アカデミー賞の作品賞を含む4部門にノミネートされた。カンヌ国際映画祭では脚本賞、ゴールデングローブ賞の非英語映画賞を受賞するなど日本映画の歴史を塗り替えている。さらに濱口監督は、2022年2月に開催された第72回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門の審査員を務めたほか3月には、第72回芸術選奨の文部科学大臣賞を受賞。日本アカデミー賞でも最優秀作品賞、最優秀監督賞を含む8部門を受賞。英国アカデミー賞(BAFTA)では非英語作品賞を受賞するなど国内外で今最も注目を集める映画の一つとなっている。これまでJVTAでは『偶然と想像』をはじめとする濱口監督作品の英語字幕を担当してきた。『ドライブ・マイ・カー』でも制作に協力している。
 
これまで日本の実写映画がハリウッドで注目を集めることは難しいと言われてきた。その中での快挙となった本作への反応について、ハリウッドで40年以上スターへの取材活動を続けている中島由紀子さんにお話をうかがった。中島さんは、ハリウッド外国人記者クラブ(Hollywood Foreign Press Association)のメンバーであり、ゴールデングローブ賞の投票権を持つ5人の日本人のうちの一人だ。JVTAロサンゼルス校では、映像翻訳クラスの講師を務めている。日本映画が海外でヒットした背景にはどのような要素があったのか。中島さんの見解をお届けしよう。
 

 

JVTA 中島さんはゴールデン・グローブ賞で『ドライブ・マイ・カー』に投票されたようですね。映画の感想を教えてください。
 
中島さん 見終わった後は「すごいものを見た!」と感じました。しかし、何が凄かったのかはっきり掴めないんですよね。騒がしい会話が一切ない静かなトーンの映画なのに、見ている側は感情のアップダウンが激しいでしょ? 作中であまりにもいろいろなドラマが起きるので、感情のレイヤーが幾重にもなって見ている側はストリーの深さに引き込まれます。観客の多くも、西島秀俊演じる主人公、家福の心の中が手に取るように理解できたのではないでしょうか。
 

JVTA 特に印象に残っていることは何ですか?
 
中島さん 映画の静けさに圧倒されました。静かなのに、次々と引っかかるポイントが出てくるし、登場人物の感情がどんどん入ってくる。あの静けさには、小津安二郎監督の映画のような印象を持ちました。小津映画の特徴と言えば、ローアングル、カメラを動かさない静かなトーンが特徴。海外でも、小津をリスペクトする人が多くいます。日本的な作り方で多くの人の心を動かしたのは、濱口監督のなせる技ですね。
 

JVTA 中島さんの周りの映画関係者の反応はいかがですか?
 
中島さん カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した時から、アメリカの映画関係者の間でも話題になっていました。“マスター・ピース”と呼ぶ人もいましたよ。 “マスター・ピース”という言葉は簡単には使わないので、その言葉からも評価の高さが伺えます。
 

JVTA 本作が海外でも評価されている理由はどこにあると思いますか?中島さんの見解をお聞かせください。
 
中島さん 海外の観客も、登場人物の感情に共感できたからでしょうね。感情というものはグローバルです。この映画は、主人公、家福の絶望が出発点になるわけだけど、例えば愛など、人の心のコアな部分は宗教や文化を超えて海外の人も同じものを持っている。良いことは良い、悪いことは悪い。それは世界共通なので、外国の方にも届いたのだと思います。
 

JVTA ハリウッドでの濱口監督に対する期待値はどうでしょうか?
 
中島さん ハリウッドからお誘いはあるでしょう。お若いのに素晴らしい観察力をお持ちの方ですよね。アカデミー賞を取った後、ハリウッドに呼ばれて映画を作ると、独自のビジョンを崩してしまう監督が多くいますが、濱口監督には自身のペースとビジョンとスタイルを守って活躍してほしいです。
 

JVTA 他の非英語映画と比較して、本作が特に優れている点はありますか?
 
中島さん 分かりやすい比較をすると、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』も世界中でヒットしましたが、あれは一般受けするエンタメ映画ですよね。社会問題が描かれつつもサスペンスやホラーの要素がある大衆向けの作品です。一方で『ドライブ・マイ・カー』は、玄人向け。多くの人が好きになるスタイルではないですが、世界で賞を取っているのは、映画作品として優れているからだと思います。原作が村上春樹氏ということも注目の一つと思われがちですが、アメリカでの反応を見ているとあまり関係ないのではと感じています。映画関係者でも「原作者は誰?」と聞いている人もいたくらいです。
 

JVTA アメリカでのPRや売り出し方はどうでしたか?
 
中島さん カンヌで注目されてからスピーディーにアメリカでも宣伝が始まっていました。これまでは話題になったとしても、「なぜすぐにアメリカに来ないのだろう?」という時期が必ずありました。でも『ドライブ・マイ・カー』は、早い時点で配給会社がついたのか、日本の制作側の対応が早かったのか、アメリカの観客にもすぐに届いたのは良かったですね。
 。

JVTA 今回の『ドライブ・マイ・カー』の快挙に触発されて、アメリカでのPRに力を入れる作品も増えてくると思いますが、今後、日本映画に期待することを教えてください。
 
中島さん 映画はアメリカでヒットするかどうかが重要ですが、今、アメリカ社会では、ダイバーシティが重んじられているため、外国のものを受け入れる土俵が整っています。視聴者が、自分とは異なる見た目や文化を持つ人を画面の中でも目にすることに慣れているため、“外国っぽい”とも思わなくなっています。つまり、日本映画もアメリカで受け入れてもらえるチャンスがあるということです。
 
また、『ドライブ・マイ・カー』は人の心を丁寧に描いた静かな映画で、派手なカーチェイスや銃撃シーンがなくても海外、特にアメリカでも評価されるということが証明されたと思います。シンプルに、ストーリーテリングで観客の心を掴む。濱口監督は、作品と観客の距離感をよくわかっていると思います。無理やり海外に寄せて映画を作る必要はないので、日本映画の良さをキープしてほしいと思います。
 

「感情はグローバルなものだからこそ、この映画が海外の観客にも響いた。」そう語ってくれた中島さん。海外の劇場で現地の人と一緒に日本映画を見ると映像翻訳者は、制作者のメッセージを観客に届けるという最大のミッションを背負っていると改めて気づかされる。映像コンテンツのグローバル化・多言語化が勢いを増す時代において「言語や文化の違う人たちに作品を届ける」という映像翻訳者のニーズは高まり、その役割は、唯一無二であり続けるだろう。『ドライブ・マイ・カー』は第94回米アカデミー賞4部門にノミネートされたことでさらに注目が集まっている。3月28日(日本時間)の授賞式が待ち遠しい。
 

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今、世界が注目! 濱口竜介監督をJVTAは英語字幕でサポート!
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【ロサンゼルス校の講師が英訳】アジア系公民権運動のリーダー日系一世 藤井整の伝記『A Rebel’s Outcry(英題)』が出版(後編)

日系アメリカ人の歴史を語る上では欠かせない日系一世、藤井整の伝記『羅府ぎぎゅう音頭- 排日土地法を葬った藤井整の記録』の英訳版書籍“A Rebel’s Outcry”が2021年11月に出版された。英訳を、ロサンゼルス校で実務翻訳クラスの講師を務める比嘉・ディッキンソン・佐恵子さんが手掛けている。
In the history of Japanese Americans, it is impossible to omit Sei Fujii. His biography, “A Rebel’s Outcry”, will be released in November 2021. Saeko Higa Dickinson, who teaches at JVTA Los Angeles, translated the book into English.
 
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藤井整は、1882年に山口県で生まれ、1903年に南カリフォルニア大学の留学生として渡米。1931年に、日系一世のための日本語新聞を刊行する加州毎日新聞を設立した。さらに、日系人に土地の所有権を勝ち取り、日系病院の設立に尽力するなど日系コミュニティに偉大な功績を残す。
Fujii was born in Yamaguchi Prefecture in Southern Japan in 1882. In 1903, he came to the United States as an international student at the University of Southern California, where he graduated from Law School. In 1931, he established a newspaper for the Japanese American community, called The Japan California Daily News. Also, he contributed to the Japanese immigrant community by fighting for their right to purchase land and establish hospitals in Los Angeles.
 

2012年には、藤井整を描いた短編映画『Lil Tokyo Reporter』が公開された。監督を務めたのは中国系アメリカ人三世のジェフリー・チン氏。2021年11月に出版された書籍の英訳版制作にはプロデューサーとして関わっている。
In 2012, a short film titled “Lil Tokyo Reporter” about Sei Fujii was released. It was directed by Jeffrey Gee Chin, a Chinese American director, who is also a producer of the translation and adapted publication of “A Rebel’s Outcry.”
 

◆『Lil Tokyo Reporter』予告編はこちら

 

映画監督で本のプロデューサーでもあるジェフリー・チン監督と翻訳者の比嘉・ディッキンソン・佐恵子さんに、日系人の歴史や書籍の英訳プロジェクトについてお話を伺うことができた。記事の前編では、アジア系移民の歴史に興味を持ったきっかけや短編映画『Lil Tokyo Reporter』の制作についてチン監督に語っていただいた。
JVTA interviewed Jeffrey and Saeko about the history of Japanese Americans, the story behind adopting the book project, and more. During Part 1 of the interview, Jeffrey shared how he became interested in Asian immigrant history and the background of making “Lil Tokyo Reporter.”
◆チン監督のインタビューはこちらから
 

後編では、翻訳者のディッキンソンさんに書籍の翻訳について伺った。さらに、チン監督から読者の皆さんへのメッセージもお届けする。
In part 2, the translator, Saeko, talks about translating the book, and a message from Jeffrey for readers is also included.
 
Jeffrey and Saeko

JVTA 英訳の依頼が来た時はどう思いましたか?
JVTA: What did you think when you first heard about the translation project?
 

ディッキンソンさん リトル東京サービスセンターと歴史協会の創設者、ビル・ワタナベ氏から日系一世の活動家についての英訳に興味があるかと電話をいただきました。気軽な気持ちで引き受けましたが、私は日本語ネイティブなので、英訳は大変だろうなと思いました。また、当時は、こんなにも長いプロジェクト(約10年)になるとは想像がつきませんでしたね。
Saeko: Bill Watanabe, a founder of the Little Tokyo Service Center and the Little Tokyo Historical Society, gave me a cold call and asked me if I’d be interested in translating the book about the Japanese civil rights activist. I accepted without much thought. But I thought it would be challenging to translate the book into English because I’m a Japanese native. Also, I never imagined at that time that it would be such a long journey.
 

JVTA 英訳プロジェクトはどのように進んだのですか?
JVTA: What was the process like to translate the book?
 
ディッキンソンさん 英訳を進めるにあたり膨大なリサーチが必要でした。本の共同プロデューサーのキャロル藤田氏が偶然にも近所に住んでいたこともあり、スムーズにコミュニケーションを取ることができました。藤田氏は、原作『羅府ぎぎゅう音頭- 排日土地法を葬った藤井整の記録』の作者である佐藤健一先生からいただいた資料をはじめ、藤井整にまつわる膨大な資料を保管しています。翻訳作業中に疑問が浮かべば、彼女の自宅に行って、資料を参考にすることもできました。
Saeko: It took a great deal of research to translate the book. Carole Fujita, a co-producer of the book, happened to live in my neighborhood, and that made it so much easier for me to communicate with her. She has tons of historical documents that she has accumulated, including materials used for the original Japanese book, “Rafu Gigyu Ondo,” by Kenichi Sato. Whenever I came across questions, I was able to drive to Carole’s house and look through the materials for translation.
 
ジェフリー・キャロル藤田_プロデューサー
※チン監督とキャロル藤田プロデューサー
 

JVTA 翻訳で難しかったことは何ですか?
JVTA: What was the most challenging thing about translating the book?
 
ディッキンソンさん 伝記の翻訳なので、事実確認が大変でした。チン監督と一緒に歴史について事実確認をしに、UCLAの図書館に足を運ぶこともありました。また、原作本は日本語ですが、参考資料は英語のため、単純に英訳すればいいということでもなく、実際の資料から引用が必要な場合もありました。事実確認ができる証拠を見つけた時は宝物を見つけたみたいに嬉しかったです。藤井がカトリック教会の司祭宛てに書いた、強制収容所に収容された日系アメリカ人に助けの手を差し伸べてほしいと懇願する内容の手紙を見つけたこともありました。藤井自身がタイプした手紙の原本が見つかったときは、興奮しました!
Saeko: Since the book is a biography, the fact checking is the most difficult thing in the adaptation process. Especially, Also, Jeffrey and I went to the archives at the UCLA library and looked through them to determine the history. Another difficulty is that the original book is written in Japanese, but the resources are in English. In that case, I could not use my own words, but instead had to find the actual quotes for the book. However, it was an amazing experience when I could find a piece of evidence. For example, I was even able to find the actual letter that Sei Fujii wrote to a Catholic priest, pleading for him to help Japanese people in the internment camps. It was so exciting to find the draft letter typed by Sei Fujii with many corrections he made. Finding such a precious record was a eureka moment for me.
 

JVTA 戦前・戦後の時代の出来事なので古い日本語を理解したり、情報をまとめたりするのは難しかったのではないでしょうか?
JVTA Since the event happened around the time of World War II, I can imagine it took a lot of effort to understand the old Japanese and gather source material. How was it?
 
ディッキンソンさん 原文には、言葉の意味や読み方が分からない古い日本語もありましたが、日本語や歴史について学ぶことができましたよ。この本は、藤井が創設した加州毎日新聞からの記事を集めたものでもあるので、チャプターごとにまとめる作業が必要でした。チン監督と藤田氏と一緒に悩みながら、流れが自然になるように本の編集作業にも取り組みました。幸運にも、著名な日系人作家、ナオミ・ヒラハラ氏が編集してくださったので、読みごたえのある作品になっていいると思います。プロの作家はやはりスゴイです。
Saeko: There were some words I’d never come across. Also, it includes old Japanese that I even didn’t know how to read. But I was able to learn a lot of vocabulary and history. The book is an anthology of articles carried in the California Daily News (Kashumainichi). So not all the chapters were coherent and connected. Jeffrey, Carol, and I had to rack our brains on how to organize the chapters to make it sound more coherent. To our forturne, a renowned Japanese American novelist Naomi Hirahara edited the book in the end, so the book came out really great. I was so impressed by her professional writing skills.
 
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JVTA  翻訳者が本のプロデューサーと一緒に作業を進めるのは珍しい経験だったと思います。いかがでしたか?
JVTA: It’s a rare experience for translators to work with producers. How was it working with Jeffrey?
 

ディッキンソンさん ジェフリーは中国系アメリカ人なので、日本にルーツがない彼がなぜ日系人に興味があるのか疑問を持つ人もいます。しかし、民族性に関係なく、彼は日系コミュニティに多大な貢献をしてくれています。歴史協会のメンバーは、若さと情熱に溢れるチン監督が大好きなんです。
Saeko: As you know, Jeffrey is a Chinese American. Some people wonder why he is interested in Japanese American history, even though he is not of Japanese descent. But he contributes so much to our community regardless of his ethnicity. So much that everyone at the Historical Society loves him and his youthful enthusiasm.
 

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JVTA  受講生に書籍翻訳についてのアドバイスをいただけますか?
JVTA: Any advice or tips about the book translation for our students?
 

ディッキンソンさん リサーチしたつもりでも、思い込みによる間違いをしてしまうこともあります。翻訳作業中に、名字の読み方が正しいと思い込んでしまっていたことがありましたが、チン監督や藤田さんが、確認してくれたことことで、間違いに気づけたんです。彼らのような細やかな人がいると助かりますね。
Saeko: My advice to my students is that when you work on fact checking, sometimes you can make mistakes due to your own bias. I was bothered by my bias about how to read Japanese last names. But Jeffrey asked me if the name were being translated correctly, and it turned out a few were wrong. It’s good to have someone very detailed oriented person like Ms. Fujita and Jeffrey.
 
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JVTA リサーチしながら書籍の制作と翻訳を進めていったとのことですが、今回、藤井整について新しい発見はありましたか?
JVTA: Did you discover anything new about Sei Fujii during this project?
 

チン監督 山口高校を訪れた際に、藤井が在学していた年の卒業アルバムを見つけました。そこには高校を退学したと記載されていたんです。当時、山口県は政治において重要な役割を果たしていたので、藤井の祖父は、彼に政治家になってほしかったようです。藤井は、祖父への反抗心で、あえて退学したようですね。
Jeffrey: I went to Yamaguchi High School, and I found the yearbook of the high school that Sei Fujii attended. It showed that he had failed out of high school. In Japan, Yamaguchi Prefecture was very prominent in politics, so his grandfather wanted him to become a politician. He was being rebellious to his own grandfather, so he purposely failed out of high school.
 

JVTA  藤井は、英語教育や海外留学関連の有識者とも関わりがあったようですね?
JVTA: It seems Sei Fujii was related to the educators who developed English study in Japan and who also encouraged study abroad. Could you tell me more about that?
 

チン監督 藤井は、明治時代の英語教育者、神田乃武から指導を受けました。神田乃武は、英語の教科書や辞書を編集するなど日本の英語教育に貢献した人物で、初代文部大臣、森有礼から指導を受けています。さらに、藤井家は、八幡製鐵所とも関りがありました。藤井は、将来は教育や政治分野で活躍することを期待されていたようですが、本人は、自立した道を歩みたかったようです。
Jeffrey: Fujii was mentored by Baron Naibu Kanda who was an English language educator during the Meiji era. Kanda contributed to the Japanese learning English through making an English dictionary and textbook, and he was also mentored by Arinori Mori, who was the first Ministry of Education and the founder of Japan’s modern educational system. Moreover, the Fujii family had a connection with Yahata Steel Company, which was very powerful in Japan at that time. Sei Fujii’s family wanted him to become a politician or educator, but he wanted to follow his own path.
 
クリス田島(俳優)
※映画『Lil Tokyo Reporter』で藤井を演じたクリス・タシマ氏
 

JVTA  最後に読者の方にメッセージをお願いします。
JVTA: Any messages for Japanese Americans and people in Japan?
 

チン監督 この本はただ本棚を埋めるだけの一冊ではなく、会話を始めるきっかけになってほしいという思いで作りました。すでに多くの日系アメリカ人の皆さんは日系コミュニティにプライドを持っていると思いますが、その経験をシェアしてほしいですね。私たちの先祖がいかに複雑かつ美しい人生を歩んできたか知っていただきたいです。我々にとって大変な時期ではありますが、アジア系アメリカ人としてのアイデンティティを誇りに思うべきです。それこそ、アジア系アメリカ人のルーツを誇りに思うことは、“アメリカ人”ではないという意味ではありません。また、日本の皆さんには、藤井のような人物を知ることで、世界が繋がっていることを示せたと思います。今は、海外旅行をしたり、留学したりする人が増えてきているので、より多くの人が世界が繋がっていることを意識できていますね。私自身も日本を訪れた経験から、異文化に対して素晴らしいと思うようになりました。お互いの文化を共に称えることができればと思います。
Jeffrey: We designed the book not to just fit in someone’s bookshelf, but to open a conversation. I want Japanese Americans to share the sense of pride for their community, which many of them already do. But I want to show them how beautiful and complex the lives of their ancestors were. I know it’s challenging for the Asian American community now, but we should feel proud of our Asian American identity. That’s part of our American experience, and it doesn’t make us any less American to celebrate our history. Also, I would like to tell people in Japan that learning about people like Sei Fujii shows how interconnected we are as a world. I think that the more people travel and study overseas, the more they’ll get to understand that we all these interconnected relationships. From my own experience spending time in Japan, I have been very appreciative of the culture and the generosity of everyone there. I think that we can all share the excitement and enthusiasm of having a mission together to celebrate culture.
 

ディッキンソンさん 先駆者がしてきたことを振り返り、彼らの努力や犠牲に対して感謝することが大切です。アメリカで初めて日系病院が設立された時は、スペイン風邪が流行していました。コロナウィルス感染症が起きている現在に通じるものがありますね。当時の日系移民は、彼らがどんな治療を受けられるか分からなかったので、それを考えると、いかに大変だったか共感できるかと思います。その他に私が伝えたいメッセージは、私たち自身が歴史であり、私たちが歴史を作っているということです。教科書にはたくさんの偉人が載っていますが、ヒーロー達の周りには、彼らを支えた人々も存在していて、彼らも歴史を築いてきた一員です。藤井について知ることで、私の故郷、沖縄出身の偉人、仲村権五郎氏のことを知りました。藤井整の親友です。そのご親族にも会いましたよ。全ての人々は社会に欠かせない一員であり、皆が歴史を築いていることに感謝すべきだと思います。
Saeko: It’s important for us to look back at what the pioneers have done, and understand we are really indebted to all their efforts and sacrifice. In fact, the first official Japanese hospital was established in the middle of the Spanish Flu. So that resonates with the COVID-19 pandemic right now. At that time, Japanese immigrants didn’t know what kind of medical treatment they were able to get, so just think about it and we can sympathize how hard it was for them. Another message that I would like to tell is that history is people and people make history. There are many heroes in textbooks, but there are also others around them, and those people also helped make the history. As I learned about Sei Fujii, I also got to learn about another important figure, Gongoro Nakamura who was from my hometown, Okinawa, and I was able to meet his relatives. He was a best friend of Sei Fujii. All these people who dedicated themselves to their society came together to make history and we should all appreciate that.
 

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【ロサンゼルス校の講師が英訳】アジア系公民権運動のリーダー日系一世 藤井整の伝記『A Rebel’s Outcry(英題)』が出版(前編)

公民権運動と聞くとキング牧師や“I have a dream”演説が有名だが、アジア系コミュニティでも差別と戦い、権利を勝ち取ってきた歴史がある。日系一世と呼ばれる日本からの移民は、多民族社会が成り立つ前のアメリカで、差別や偏見と向き合いながら自分たちのコミュニティを築いてきた。彼らは第二次世界大戦中には、強制収容所に収容され、戦後も激しい差別と闘いながら一からの立て直しを経験する。
When most people think about the civil rights movement in the US, Martin Luther King, Jr. and the “I Have a Dream” speech are usually top of mind. However, in Asian American history, people also had to fight against discrimination to have their rights acknowledged. Before America became a diverse society, many first-generation Japanese Americans, or issei, struggled to build their communities due to discrimination. They were even removed from their homes and incarcerated in internment camps during World War II. After the war, they had to rebuild their lives from the beginning, and still faced harsh discrimination.
 

日系アメリカ人の歴史を語る上では欠かせない日系一世、藤井整の伝記『羅府ぎぎゅう音頭- 排日土地法を葬った藤井整の記録』の英訳版書籍“A Rebel’s Outcry”が2021年11月に出版された。英訳を、ロサンゼルス校で実務翻訳クラスの講師を務める比嘉・ディッキンソン・佐恵子さんが手掛けている。
In the history of Japanese Americans, it is impossible to omit Sei Fujii. His biography, ” A Rebel’s Outcry”, will be released in November 2021. Saeko Higa Dickinson, who teaches at JVTA Los Angeles, translated the book into English.
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藤井整は、1882年に山口県で生まれ、1903年に南カリフォルニア大学の留学生として渡米。ロースクールを卒業するものの、当時のアメリカではモンゴロイドにあたる移民は市民権を取得できず、弁護士資格を得ることもできなかった。1931年に、日系一世のための日本語新聞を刊行する加州毎日新聞を設立。さらに、日系人の土地の所有権を勝ち取り、日系病院の設立に尽力するなど日系コミュニティに偉大な功績を残した。藤井の死後63年後の2017年にカリフォルニア州最高裁判所は藤井の弁護士資格を認めるという判決を下す。当人の死後に弁護士資格が認められるのは異例の出来事だった。
Fujii was born in Yamaguchi Prefecture in Southern Japan in 1882. In 1903, he came to the United States as an international student at the University of Southern California and graduated from Law School there. However, those archaically defined as “Mongolian race” were prohibited from receiving law licenses, so he was unable to become a lawyer. In 1931, he established a newspaper for the Japanese American community, called The Japan California Daily News. Moreover, he contributed to the Japanese immigrant community by fighting for their rights to purchase land and establish hospitals in Los Angeles. In 2017, sixty-three years after his death, the California Supreme Court unanimously granting Fujii a posthumous law license.
 

2012年に、藤井整を描いた短編映画『Lil Tokyo Reporter』が公開された。監督を務めたのは中国系アメリカ人三世のジェフリー・チン氏。2021年11月に出版された書籍の英訳版制作にはプロデューサーとして関わっている。
In 2012, a short film titled “Lil Tokyo Reporter” about Sei Fujii was released. It was directed by Jeffrey Gee Chin, a Chinese American director. He is also a producer of the translation and adapted publication of “A Rebel’s Outcry”.

 

◆『Lil Tokyo Reporter』予告編はこちら

 

映画監督で本のプロデューサーであるジェフリー・チン監督と翻訳者の比嘉・ディッキンソン・佐恵子さんに、日系人の歴史や書籍の英訳プロジェクトについてお話を伺うことができた。記事の前編では、アジア系移民の歴史に興味を持ったきっかけや短編映画『Lil Tokyo Reporter』の制作についてチン監督のお話を紹介する。後編では、翻訳者のディッキンソンさんに書籍の翻訳について詳しく伺う。
JVTA had an interview with Jeffrey and Saeko about the history of Japanese Americans, the story behind adopting the book project, and more. During Part 1 of the interview, Jeffrey talks about how he became interested in Asian immigrant history and the background of making “Lil Tokyo Reporter.” Part 2 includes the interview with Saeko who talks about translating the book.
 

JVTA アジア系移民について興味を持ったきっかけを教えてください。
JVTA: How did you become interested in Asian immigrants?
Jeffrey and Saeko
 

チン監督 私自身は中国系アメリカ人三世で、北カリフォルニアにあるマリーン郡の白人コミュニティで育ちました。中国南部からの移民で、ニューヨークに住む祖父母を訪ねることもあり、一世にあたる彼らから、移民としての経験談を聞く機会がありました。自身のアイデンティティである中国系アメリカ人の歴史が消えてほしくないという思いもあり、アジア系移民の歴史や彼らの経験を記録に残したいと感じるようになったのです。その後は、1800 年代のゴールドラッシュに中国系移民がコミュニティを築き、エビ釣り漁が盛んだったことで知られるチャイナ・キャンプ・ステート・パークに関わったり、自身のルーツがある中国を訪れたりしました。アジア系アメリカ人として自身のルーツを知ること、彼らを知ってもらう活動は、自分自身のアイデンティティのためだけではなく、アジア系にルーツを持つ方々をエンパワメントすること、さらに歴史を築いてきた先駆者から次の世代までを守ることに繋がります。さらに、より多くの人にアジア系移民の歴史について知ってもらうことで、私たちが“よそ者”ではなく、“アメリカ市民“であるという理解を深めることができるとも思います。特に今の時代にとても重要なことです。
Jeffrey: I’m 3rd generation Chinese American. I grew up in Marin County, Northern California in what was a predominantly white neighborhood. I also spent time in New York with my grandparents who came from Southern China. I heard their stories of their immigrant experience and journey to America, and felt a need to document their history. I feared that if I did not preserve their stories, my own identity would start to fade. I started getting interested in working with China Camp State Park, where Asian immigrants did shrimp fishing in the late 1800s after the Gold Rush. I even visited my family’s ancestral villages in China. Through these experiences, I gained an appreciation of learning about our past. I feel the power of doing research and telling stories of Asian Americans is empowering, not just for my own identity, but it helps protect the next generation, and even our grandparent’s generation. The more people understand and appreciate the nuance of who we are as a community, the more people will be able to think of us as peers and as fellow Americans rather than perpetual foreigners. And I think that is very important, especially now.
 

JVTA なぜ藤井整と日系人の歴史を描いた短編映画『Lil Tokyo Reporter』を作ろうと思ったのですか?
JVTA: How did you know about Sei Fujii? Why did you make the short film about him and Japanese American’s history?
 

チン監督 サンフランシスコのジャパンタウンで開催されたthe First National Asian Pacific Islander Historic Preservation Forumに参加した時に、リトル東京歴史協会の創始者であるビル・ワタナベ氏と、創設メンバーのキャロル藤田氏に会いました。藤田氏から、南カリフォルニアで初めて日系人によって設立された病院の歴史についての話を聞き、興味を持ちました。しかし、同時に、日系人の歴史に若者の関心を引くことは、難しいと思ったのです。そこで、歴史をドラマ仕立てのストーリーにして、登場人物に共感してもらうことで、日系アメリカ人やアジア系アメリカ人についてより理解が深まるのではないかと考えました。
Jeffrey: I had attended the First National Asian Pacific Islander Historic Preservation Forum in San Francisco’s Japan Town. I met Bill Watanabe who is a founder of the Little Tokyo Historical Society, and Fumiko Carole Fujita who is also a founding member. She talked about the history of the first official Japanese Hospital in Southern California and a pioneer who helped build it. I was intrigued, but I also felt that sharing the story would be difficult to retain the attention of the average young person without providing enough context and history. I thought that if I could convert the story into a drama, and they can enjoy the characters in the world, they would start learning and appreciating more the Japanese American/Asian American experiences.
ジェフリー・キャロル藤田_プロデューサー
※チン監督とキャロル藤田プロデューサー
 

JVTA 『Lil Tokyo Reporter』は初監督作品でしたが、特に印象に残っている思い出は何ですか?
JVTA: Was there anything particularly memorable about directing your first film, “Lil Tokyo Reporter,” as executive director?
 

チン監督   多くの年配の日系アメリカ人の方々にエキストラとして参加していただいたこと、そして、アカデミー賞最優秀短編映画賞を受賞した『ビザと美徳』で監督と俳優を務めたクリス・タシマや、『硫黄島からの手紙』にも出演した尾崎英二郎や安東生馬など著名な日系の俳優に出演していただいたことです。
Jeffrey: One of the wonderful experiences was that we got to bring in a lot of older Japanese Americans and place them into the scenes as extras, and even actors like Chris Tashima from “Visas and Virtue” which he won the Academy Award for Live Action Short Film, and Eijiro Ozaki and Ikuma Ando from “Letters from Iwo Jima.”
クリス田島(俳優)
※クリス・タシマ氏
 

JVTA 中国系アメリカ人として日系人の歴史を映画にすることの難しさはありましたか?
JVTA: Did you face any difficulties as a Chinese American making films about Japanese American history?
 

チン監督 私自身は日系アメリカ人ではないので、日系コミュニティにとってよそ者ですが、私の祖父母の世代が経験したようなアジア人が差別を受けたという過去に共通点があります。多くの人はアジア人を一括りに捉えています。しかし、アジア人の中でもそれぞれ人種の違いがある。それを知ってもらうことは、アジア系コミュニティへの貢献になると思いました。実は、映画の制作中に一部の方々から批判を受けるなどさまざまな試練がありました。しかし、そんな中でも2人の人物が私を擁護してくれたんです。批判した人たちは、私が日系アメリカ人ではないことに疑問があったようです。私を支持してくれた方の一人は、“論より証拠”つまり、完成物を見れば実力がわかると…。ただ、こちらに情熱があったので、最終的には批判した人たちも私を信用してくれましたね。その後もリトル東京歴史協会の役員に選んでいただき、日系アメリカ人のための活動を続けることができています。
Jeffrey: I’m an outsider. I’m not Japanese American. But I can relate because my grandparent’s generation had gone through similar experiences, like discrimination against the Asian community. When people see Asian Americans, they don’t see the difference between us. I thought that if I do a great job, representing each and every one of our communities, I can help us along the way. Also, there were two people who really stood up for me when we were really fighting and being challenged with things. One said, “The proof is in the pudding,” meaning that you will know the result in the end product. A question was that I’m not Japanese American. But I’m passionate. So they ended up supporting me, and ever since then I’ve been so blessed and lucky to continue working with the Little Tokyo Historical Society and to be a board member. And that’s just been a wonderful path.
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※『Lil Tokyo Reporter』より
 

JVTA 『Lil Tokyo Reporter』の公開後も精力的に日系コミュニティへの貢献や藤井整についてリサーチを続けたそうですね。活動について教えてください。
JVTA: Since “Lil Tokyo Reporter” came out, you have contributed to the Japanese American community, and also continue researching about Sei Fujii. Could you tell me more about that?
 

チン監督   映画の公開後も藤井整についていくつかのプロジェクトを手掛けました。リトル東京に藤井の顕彰碑の建立、藤井が日系人医師の権利のために戦った日系病院の史跡指定などが挙げられます。また、シドニー・カナザワと日系弁護士会により、藤井の死後に彼の弁護士資格を得ることもできました。
Jeffrey: After we finished the film, we had continued publicity and our organization was able to do several projects, including a memorial lantern built in Little Tokyo, the historic designation of the Japanese Hospital in Boyle Heights where Sei Fujii helped represent a group of Japanese doctors, and the award of a posthumous law license to Sei Fujii, which was a big effort led by Sidney Kanazawa and the Japanese American Bar Association.
 

JVTA  藤井整の伝記『羅府ぎぎゅう音頭- 排日土地法を葬った藤井整の記録』の英訳を出版するまでの経緯を教えてください。
JVTA: Could you tell me what the process was like to adapt the book?
 

チン監督  藤井整関連のプロジェクトを手掛けている間にリサーチも続けました。1983年に出版された藤井整の伝記『羅府ぎぎゅう音頭- 排日土地法を葬った藤井整の記録』(著作・佐藤健一)に出会ったのは2010年。翻訳者のディッキンソンさんとは、リトル東京サービスセンターとリトル東京歴史協会の創始者であるビル渡辺氏を通して知り合いました。当初は、2年の予定が、結局は10年かかりました。藤井は、アジア系公民権運動の偉大な指導者というだけでなく、彼自身が、日系一世全体を投影しています。当時の日系コミュニティには、他者にどう思われようが恐れないこと、人権問題に立ち向かう姿勢があったからです。
Jeffrey: In between all of the projects I mentioned, we were still researching Sei Fujii. Back in 2010, I was first introduced to “Rafu Gigyu Ondo” written and published by Kenichi Sato in 1983. Saeko had been recommended by Bill Watanabe, who is a founder of the Little Tokyo Service Center and the Little Tokyo Historical Society. The book adaptation was supposed to be a two year project, but it ended up turning into a ten year process. It’s not just that Fujii was an incredible civil rights leader, but also that his story represents the whole generation of pioneering Japanese immigrants. The Issei were a fearless group, unafraid of how people thought of them, and were able to pursue their lives despite generations of discrimination.
 

JVTA 本の制作はいかがでしたか?制作中の思い出や感想を教えてください。
JVTA: How was making the book? Any memories during research about Sei Fujii?
 

チン監督 『A Rebel’s Outcry(原題)』の制作を通して藤井整に命を吹き込むことができて嬉しく思います。アメリカ国内に藤井整という人物を広めるだけでなく、日本との架け橋を築くことができました。在日米国大使館と在福岡米国領事館と共同で、日系移民についてのプログラムの開催や、オーロラ日本語奨学金基金と山口県岩国市の福田良彦市長の協力を得て、高森町から藤井がアメリカに向けて出航した港まで辿ることもできました。また、現在も藤井家のご実家に住んでいるお孫さんとも繋がることができたのです。藤井が在籍していた高校にも行き、当時の校舎の写真や、卒業アルバムを見ることができました。藤井のルーツを調べたことで、藤井が多くの人に影響を与えていたことが分かりました。『A Rebel’s Outcry(原題)』にはこうして調べた内容も追記されています。世界中の日系コミュニティを支援するためにも、将来的には『A Rebel’s Outcry(原題)』の日本語版を制作できればと思っています。
Jeffrey: I’m honored to breathe life into Sei Fujii’s story through “A Rebel’s Outcry”. Not only have we been able to share Fujii’s story with people in the United States, we have also helped bridge a connection to Japan. We have collaborated with the U.S. Embassy in Tokyo and U.S. Consulate in Fukuoka to host programs in Japanese migration. With the help of the Aurora Foundation and Mayor of Iwakuni city in Yamaguchi Prefecture, Yoshihiko Fukuda, I retraced Fujii’s path from Takamori Village to the historic port where Fujii first departed to America. I also connected with Fujii’s granddaughter who still lives in his ancestral home and visited his high school, where I was able to take a glimpse of vintage photographs of his school and even a year book. All of this research has made me realize that there are so many people that could be inspired by Fujii’s life, that I hope I can share this book in the future in Japanese, to help celebrate the diaspora of the Japanese communities across the globe.
 

後編では、翻訳者の比嘉・ディッキンソン・佐恵子さんに伺った書籍の英訳プロジェクトの全貌について、さらにチン監督へのインタビューの続きもお届けする。お楽しみに。
In Part 2, the translator of the book, Saeko Higa Dickinson, talks about the translation project and also includes a continuation of Jeffrey’s interview.
 
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【ロサンゼルス校受講生インタビュー】子育てと受講の両立はできる。長年の憧れだった映像翻訳に挑戦!

ロサンゼルス校で映像翻訳を学ぶウィルソン弓子さんは、中学生の頃に渡米され、アメリカ企業での翻訳経験や、写真家としての経験もお持ちです。幼い頃からアメリカ映画が大好きで、字幕に触れながら育ったことで、日本語字幕の翻訳者に長年憧れていたそうです。子育てが少し落ち着いた今、いよいよ憧れを現実に変えるべく、映像翻訳クラスへの受講を決断されました。今回は奮闘する毎日の様子や工夫をたくさん語っていただきました。
 

◆映像翻訳に興味を持ったきっかけ、またJVTAに入学を決めた理由を教えてください。
アメリカ映画を日本語字幕で見ながら育ち、最後のエンドロールではいつも、字幕翻訳界の巨匠である戸田奈津子さんのお名前を見ていました。敷居の高さを感じながらも、「いつか機会があれば挑戦してみたい!」という想いを自然に抱き始めました。実は長年JVTAの存在は知っていてクラスに興味がありましたが、子育てで忙しく、挑戦するタイミングがありませんでした。子育ても一段落し、久しぶりにJVTAのサイトを覗いてみたところ、数日後に無料体験レッスンが開催されることを知りました。すぐ電話で学校に問い合わせ、無料体験レッスンに参加。映像翻訳クラスの受講に繋がりました。
 

◆映像翻訳基礎クラスを受講し、英日と日英の両方を学ばれましたが、それぞれの楽しさや難しさなどありましたか?
まずは一言で、とても楽しい半年間でした。映像翻訳の難しい点は限られた文字数で字幕を作ること。文字数制限がある中で、いかにベストな訳を出すかがパズルのようで、とても面白かったです。そのパズルを完成させるために、まずは作品解釈がきちんとできているということがとても重要だと学びました。在米歴が長いので、英語での日常会話やフレーズなどは理解していますが、それらを実際に日本語で表現することが難しく、毎回辞書を引き、言葉の意味を再確認することの重要性を感じました。
 
日英翻訳は原文が日本語なので解釈に迷うことはあまりないですが、日本人が自然に理解している文化的な背景などを、外国の方にも伝わるように工夫しなければいけないということを学びました。
 
私は「英日翻訳がやりたい」という想いで受講し始めましたが、初めて日英を経験して英語字幕をつくる楽しさも知りました。字幕だけでなく、吹き替えや漫画翻訳などにも取り組み、今まで知らなかった翻訳のジャンルや手法を教えていただいたことで、可能性が広がりました。
 
wilsonさん
 
◆子育てが落ち着かれたといっても、まだまだお忙しい中で課題に取り組まれていたかと思います。 苦労や工夫された点はありますか?
専業主婦なので、子供が学校に行っている間に課題に取り組めますが、家事をこなす必要もあります。日中は一人でいる間にできるだけ大まかに訳し、夜は子供が就寝した後で何度もリライトをしたり、リサーチをしたりするという流れが多かったです。調べ物が多い課題もあり、調べれば調べるほど興味も沸き、どんどん深く追ってしまいそうになることもあるのですが、あまりダラダラと時間をかけ過ぎないように注意しながら進めていきました。
 

◆翻訳の課題以外に取り組んでいることはありますか?
日本語の字幕付きでアメリカの映画やドラマが鑑賞できる有料サイトを昔から利用していて、JVTAに入学してからは特に、「いい表現」と思った日本語訳と英語の原文をメモに取り、翻訳の参考にしています。また、法廷ものなど今まであまり触れたことがないジャンルの映画などをあえて観るように心がけるようになりました。専門用語も含めて語彙の引き出しが少しでも増えればと願っています。
 

◆講師は、アメリカで翻訳者として活躍されている方々ですが、いかがでしたか?また、クラスメイトとの思い出なども含め、印象に残っていることがあれば教えてください。
講師は現役の翻訳者なので、実用的なアドバイスをいただけたり、実際のお仕事での体験談を伺えたりと、とても勉強になりました。時には厳しく指導を受けることもありましたが、それも情熱を持って指導してくださるからこそ。プロからの厳しいアドバイスを前向きに受け止めています。クラスメイトの多くは同年代のアメリカ在住の方で、お互いの子供の年齢も近く、似た境遇の方が多かったおかげでとても仲良くなることができました。日本から来ていた数名の留学生は英語も堪能で、いろいろなことを吸収しようという意欲があり、私自身の更なるやる気にも繋がりました。向上心を持つクラスメイトと出会え、とても楽しい環境で学ぶことができました。
 

◆まさに今、子育て真っ中のお母さんの中には、本当に両立ができるのかと不安に感じる方も多いと思います。ズバリ、両立は可能ですか? 受講に今一歩、踏み込めずに悩まれている方々にアドバイスはありますか?
お子さんの年齢によるかもしれませんが、両立はできると思います。私は受講前に時間を取り、「真剣にやりたいことを見つけたので、協力して欲しい」ということを主人と子供に強く訴えました。そのおかげで、今までは私がしていた家事を子供ができる範囲でやってくれるようになり、とても助かっています。さらに、週末に主人が気分転換といいながらご飯を作ってくれたり、子供と外出したりしてくれたので、その間に私は課題に集中することができました。家族の協力があれば必ず、子育てや家事との両立はできると思います。一人で悩まれるのではなく、まずはご家族に相談することでみなさんも前に一歩進めることを願います。
 

◆留学生に向けて、ロサンゼルスのお勧めスポットやイベントなど、もしあればお聞かせください。
ガイドブックに載っているような場所もお勧めですが、LAに来る機会があるのであればぜひ、実際に現地の人がどのように過ごしているかを体験していただきたいと思います。学校があるトーランス周辺にはたくさんのビーチがあり、それぞれが違った雰囲気を持っているのでビーチ巡りがお勧めです。また週末には映画館に足を運び、バケツのように大きなポップコーンを抱えながら、映画館で大笑いするアメリカ人と同じ体験をしてみるのもアメリカならではの体験になると思います。その他、ロサンゼルスには大規模な美術館や博物館がたくさんあります。時間をかけてゆっくり楽しんでいただきたいです。
 

◆受講を検討中の方々に向けて、アドバイスはありますか?
翻訳学校は他にいくつもあるとは思いますが、JVTAのいい点は学校の体制が整っていること。多くの方にとって受講後どうやって仕事に繋げればいいか不安があると思いますが、JVTAではクラスを修了してもそこで終わりではありません。修了後にトライアルと呼ばれるプロ試験に合格すれば、その後晴れて翻訳者になることができます。学校に翻訳エージェントが併設されているので、安心して入学を決意することができました。しかし、学校に頼ってばかりではなく、職業訓練校に入学するからにはスキルをものにしなければいけないという強い意志を持つことは大切だと思います。授業が進むにつれ、ドキュメンタリーやドラマ、吹き替え翻訳、漫画などたくさんの分野に触れることで自身の得意分野が見つかったり、新たな興味が沸いてきたりもするはずです。翻訳以外にも、確実に英語力や解釈力は伸びるので、少しでも映画や翻訳に興味がある方には、まずは挑戦して欲しいと思います。
 

◆最後に、これからの目標を教えてください。
半年かけて映像翻訳基礎クラスを修了した後、今は実践クラスに進級し、さらに半年間、頑張っています。次なる目標はやはり、残りの半年間で英日字幕翻訳を極め、早くプロになることです。同時に、授業内で厳しいフィードバックを貰ったときにも落ち込んでしまわないように、精神面も鍛えていきたいと思っています。プロになってからもクライアントから厳しいコメントを貰うこともあると思いますので、技術面と共に強い精神力も受講中に伸ばしていければと思います。
 

【アメリカ在住の方】プロが指導!映像翻訳、通訳、実務翻訳の体験レッスンを開催!

身につけた語学力を生かして、映像翻訳、通訳、実務翻訳を学びませんか?プロが教える実践的なテクニックを学ぶことでキャリアアップにも繋がります。まずはご自宅にいながら受けられる体験レッスンで初めの一歩を踏み出してください。

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【LA校講師に聞いた!私のおすすめエトセトラ!】
#7 ディッキンソン佐恵子講師

ディッキンソン佐恵子講師

1. 今までで一番はまった映画・ドラマは?

『リトル・ミス・サンシャイン』(元気が出る映画)
家族全員が色々訳ありな家庭崩壊した家族が娘のために美少女コンテスト「リトル・ミス・サンシャイン」の出場に向けオンボロ車でカリフォルニアに旅をするロードトリップムービー。
大スターではないがポール・ダノ、人気ドラマ『ジ・オフィス』のスティーブ・カレル、アラン・アーキンなど中堅どころの俳優がいい味を出していて、アーキンはこの映画でオスカーの助演男優賞に輝きました。「自分は自分らしくて良いんだ!」と思えた映画です。また、一つの場所で大失敗しても、自分の価値はそこで終わるのではなく、努力すれば別の場で活躍できると希望が湧いてきた。
 

2. ロサンゼルスのおすすめスポットは?

ビーチ(ドライブコース)
景色のいい北カリフォルニアのハイウェイ1に繋がるパシフィック・コースト・ハイウェイ(PCH)沿いのビーチ: ハンティントンビーチ、シールビーチ、ロングビーチ、マンハッタンビーチ、ハモサビーチ。
それぞれのビーチのピアや海岸近くにはオシャレなカフェやシーフードレストラン、ブティックがあって、行く価値あり!あと、PCHと交差するホーソン通りを南にずっと登って行った先のパロス・ベルデス半島にあるポイント・ビンセンテ岬もおすすめで、公園があり太平洋が一望できる場所です。ホエール・ウォッチングもできるし、海を見ながらピクニックに最適。最近タイガーウッズがその近くで事故を起こして話題になりました。高台から見えるダイナミックな海岸線が一押しです!
 

3. 翻訳・通訳の仕事の魅力は?

通訳スキルは、人と人を繋ぐことができる素晴らしいスキルです。また、違う人(医師や重役、弁護士、起業家など)に変身できる魔法の杖です。背景も人種も職業もステータスも違う人の世界が覗ける醍醐味があります。
特に話し手にシンクロできた時は、アドレナリンが出まくってハイになり、まるでその人がのりうつったようか気分になります。それでいて、あくまで黒子で、存在を感じさせない程上手くできたことになるパラドックス。
最近はバーチャルの通訳が増えていますが、たとえば、zoomはドラえもんの「どこでもドア」のようなポータル。時差がある場所の人と繋がれる不思議な世界への入り口です。
そして、会議が終わればあとくされなく撤収できるのもいいですね。一発集中なので、緊張感もハンパない。体育会系と言われるゆえんです。
 

4. LA留学を検討されている方に一言!

ロスはなんと言っても映画の都ハリウッドのある所。さまざまなスタジオがあり、映画に出てきたシーンも味わえます。山あり海あり砂漠ありお城(J・ポール・ゲティ美術館、セレブの豪華住宅)あり、まるで町全体が巨大なディズニーランドです。そう、アミューズメントパークも多いし。スポーツが好きな人には、ロサンゼルス・レイカーズのホームコートであるステイプルズ・センター、ドジャースの試合が見られるドジャー・スタジアムもあります。スポーツバーで盛り上がって生の英語に触れる機会も大いにあり。
エスニック料理がお好きな方は郊外のリトルサイゴンでベトナム料理、ハリウッドでタイ料理、コリアンタウンで韓国料理も楽しめます。
暖かくサラッとした気候なので、外国生活の孤立感や孤独を感じにくいと思います。ロサンゼルス校はモールもコーヒーショップも近くで歩いていける距離なので、便利です!楽しく英語を学ぶには最適な場所です。

◆【映像翻訳をエンタメのロサンゼルスで学びたい方】
ロサンゼルス校のマネージャーによる「リモート留学相談会」


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【LA校講師に聞いた!私のおすすめエトセトラ!】
#6 宗円直妙講師

宗円 直妙講師

1. 今までで一番はまった映画・ドラマは?

「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988年イタリア映画)
私が英語字幕で見た映画で、一番感動した作品です。映画を見た当時、私の英語はかなり低いレベルでしたが、会話の内容はシンプルにまとめられていて理解しやすく、なにより映像と音楽、そしてストーリーが素晴らく調和していました。字幕を読んでいるという感覚を忘れて、内容にのめり込んでいたのを覚えています。
 

2. ロサンゼルスのおすすめスポットは?

やはりディズニーランドですね。特にクリスマス・デコレーションされた園内は最高です!
そしてディズニーランドから車で10分ほどの場所にあるナッツベリーファームもオススメです。ディズニーランドと比べると、少し古い感じはしますが、それを逆手に利用した、ハロウィーンのイベント「ナッツスケアリーファーム」は怖いもの好きにはたまりません。
 

3. 翻訳・通訳の仕事の魅力は?

私は翻訳、通訳というバックグラウンドではなく、映像制作の仕事から映像翻訳の世界に足を踏み入れました。なので映像のワンカットに込められた思いも良く知っています。
映像を生かしつつ、異文化の情報をどのように訳出すれば番組や作品を楽しんでもらえるかなと毎回苦悩しています。でも字幕が映像と一体となって、見る人を楽しませることができた時、やりがいを感じます。
 

4. LA留学を検討されている方に一言!

思い切って行動しよう! You only live once. YOLO!

◆【映像翻訳をエンタメのロサンゼルスで学びたい方】
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