News
NEWS
明けの明星が輝く空にinCO

明けの明星が輝く空に 第158回:ウルトラ名作探訪15「怪獣殿下」

明けの明星が輝く空に 第158回:ウルトラ名作探訪15「怪獣殿下」
Tweet about this on TwitterShare on Google+Share on FacebookShare on TumblrPin on PinterestDigg thisEmail this to someonePrint this page

「怪獣殿下」は、『ウルトラマン』で唯一、前編(第26話)と後編(第27話)に分かれた“大作”で、怪獣の強さをストレートに表現した単純明快さが魅力だ。登場する古代怪獣ゴモラは、純粋に体力だけでウルトラマンを圧倒。最初の対戦では、ウルトラマンを角で宙に放り投げた後、倒れたところを踏みつけたり、尻尾で何度も打ち据えたりし、ほぼノックアウトに追い込んでいる。
 

ただ、「怪獣殿下」における“スペクタクル”は、むしろウルトラマンとの戦闘シーン以外のところにある。例えば、戦車部隊がゴモラに向けて一斉に砲撃する場面。撮影では、これでもかというぐらい火薬が使われており、スタジオに立ちこめる爆煙でゴモラの姿が隠れてしまうほどだ。そんな中でも、(着ぐるみに電飾が埋め込まれているおかげで)ランランと光るゴモラの目は、異様な生命力に満ちており、凄みすら感じる。
 

また、大阪城を破壊する場面も、怪獣映画の世界をそのままテレビに持ってきたかのような迫力があって壮観だ。セットに置かれたミニチュアの天守閣は、ゴモラを上回るボリューム感。しかも、頑丈な作りで簡単には崩れない。ゴモラの着ぐるみに入ったスーツアクターも、ある程度気合いを入れる必要があっただろう。それがゴモラの本気度として立ち現れ、リアリティある破壊シーンを生み出している。
 

「怪獣殿下」のもうひとつの魅力は、当時の子どもたちの夢を叶えて見せたことだ。タイトルにある怪獣殿下とは、怪獣が大好きな少年、治(おさむ)のニックネームなのだが、クラスメートたちは怪獣の存在を信じておらず、彼を馬鹿にしている。しかし、ゴモラ出現のニュースが流れた翌日、友だちの態度も一変。正しいことが証明された治は得意満面だ。当時、大人たちに怪獣の存在を否定され、悔しい思いをした子どもたちは少なくなかっただろう。そんな子どもたちは、治に自分たちの姿を重ねて見ていたに違いない。
 

余談であるが、怪獣の存在が認知されていないというのは、ゴモラ以前に何体もの怪獣が出現した『ウルトラマン』の世界では不自然なことだ。ところが治少年を取り巻く(ゴモラ出現以前の)環境は、視聴者の暮らす現実世界と変わらない。裏を返せば、現実世界が作品内に取り込まれたと言ってもいいだろう。これは、テレビの中と外の世界が地続きであるかのように感じさせる演出だと考えられる。虚構と現実の境界をあいまいとすることで、子どもたちはますます『ウルトラマン』の世界に引き込まれていくことになるわけだ。
 

閑話休題。治がテレビの前の子どもたちに代わって叶えてくれた夢は、ほかにもある。彼はゴモラ退治に貢献した活躍を評価され、本作の主人公であるハヤタ隊員に科学特捜隊のバッジをプレゼントされるのだ。しかもそれは通信機能付きで、ジェット機で飛行するハヤタと交信まで行う。大人の僕から見ても、これ以上うらやましいことはない。
 

このように、「怪獣殿下」は子どもたちにとってのエンターテインメントとして優れた作品なのであるが、実を言うと「名作」として紹介するのには躊躇があった。それは、物語に内在する人間のエゴが、作品内で糾弾されることがないからだ。ゴモラはもともと、未開の島に生息していただけで、何ら脅威ではなかった。それを人間に発見され、万国博覧会の展示用にと、麻酔弾を撃ち込まれ空輸されてきたのだ。お粗末なことに麻酔が想定より早く切れ、科学特捜隊は暴れ出したゴモラを上空から投下。その衝撃で凶暴化したゴモラは、退治されてしまう。
 

このプロットは、映画『キング・コング』(1933年)を下敷きにしていると見て間違いない。『キング・コング』も人間のエゴを明確に糾弾しているというわけではないが、戦闘機の機銃掃射を受け弱っていくコングの表情は悲しげで、自然と観る者に同情心を抱かせる。ゴモラも尻尾を切られ角を折られ、弱々しい鳴き声を上げて力尽きるのだが、その直後に治少年と、科学特捜隊のアラシ、イデ両隊員が喜ぶカットに変わり、勝利を祝うムードに包まれる。だから「憎むべきやつだったが、かわいそうなことをした」というアラシの台詞も、取って付けたようにしか聞こえない。加えてイデが、あたかも供養のためとばかりに「剥製にして万国博の古代館に飾ってやろう」と言うに至っては、人間の身勝手さがむき出しになったという印象を禁じ得ない。(こういった観点からすれば、「怪獣殿下」は、およそ『ウルトラマン』らしからぬ作品と言えるのだ。)
 

ただ逆説的に、そのように思えた時点で、「怪獣殿下」には(おそらく制作者の意図しなかった)意義が生まれるとも言えるだろう。結果的に、人間のエゴを観る者に突きつけていることになるからだ。文学作品の批評理論に「テクスト論」というものがあるそうだが、これは作品を作者(の意図)から切り離し、書かれているものを読者が自由に解釈してもよいとする考え方だ。それとは少し違うのかもしれないが、少なくとも反面教師として捉えることはできそうだ。そして、そのような視点を持って鑑賞することで、「怪獣殿下」は名作と呼ぶことができる。そう言っても良いのではないだろうか。
 

「怪獣殿下」(『ウルトラマン』第26、27話)
  監督:円谷一、脚本:金城哲夫・若槻文三、特殊技術:高野宏一
 

—————————————————————————————–
Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】JVTAのスタッフブログにシェイクスピアの話題が出ていましたが、偶然にも『ハムレット』と『マクベス』を最近になって初めて読んだところでした。芝居経験者としてはともかく、翻訳者として有名な台詞の知識くらいないとダメだろうと思って。まあ、メジャーリーガーあたりがシェイクスピアを引用することはまずないでしょうけど。

—————————————————————————————– 


明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る 

バックナンバーはこちら 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

◆【映像翻訳にご興味をお持ちの方は今すぐ「リモート個別相談」へ!】
入学をご検討中の方を対象に、リモート個別相談でカリキュラムや入学手続きをご説明します。
※詳細・お申し込みはこちら

Tweet about this on TwitterShare on Google+Share on FacebookShare on TumblrPin on PinterestDigg thisEmail this to someonePrint this page